第一話 天使の名前
天使がどうやって眠るのか疑問に思ったことはないだろうか。仰向けに眠るのか、うつ伏せに眠るのか、あの大きな翼は折りたたんで眠るのか、それとも取り外して眠るのか。リングは眠るときに眩しくはないのか。そもそも天使は眠るのか。僕らは意外と天使について何も知らない。
天使のイメージも人それぞれ色々あるだろう。男の姿なのか女の姿なのか。赤ん坊なのか成人なのか。服は着ているのか手には何か持っているのか。弓を持っていたり杖を持って拝んでいたり、包み込むような温かさで何かを抱きかかえていたり。……僕にとっての天使のイメージは、成人の女性でいい匂いのするふわふわの白い服を着ていてこう何かを包み込むような感じ、五歳のときに母親を亡くした僕にとっては、天使といえば母親、母親のイメージがすなわち天使のイメージだ。
購買部に行く途中のモニュメントの下のベンチに座って、次の授業まであいた時間にそんなことを考えながらぼおっとしていると、真奈美が手を振りながらやってきた。
「ねえねえ相原君。あの子に名前をつけてあげない?」
と、真奈美は僕の隣に腰かけて言った。この普通の女の子が名前をつけようとしているのは、拾ってきた犬でもネコでもなく、UFOキャッチャーで取ったぬいぐるみでもない。おそらく昨日つれて帰ったあの美少女天使のことだろう。……そう、つれて帰ってしまったのだ。
「みくチャンなんてどうかな?」
真奈美はくりっとした目を少し伏せがちにして僕を見ている。……みくチャンねえ。天使に名前をつけるという発想はなにげに斬新で良かったんだけど、みくチャンはなくないかな?まなみん。サークル棟一階北側のコンピュータミュージック研究会の部室から四六時中聞こえてくるみっくみくなあの曲に洗脳されてはいないかい?ちなみに我等が邦楽研究会は三階西側にあって、そこへ行くには北側の階段を使うのが近道になる。つまり、みっくみくなあの曲が強制的に聞こえてくるわけだ。
「みくチャンがだめなら、みくるチャンは?」
それはあれだろう、真奈美さん。サークル棟二階のアニ研から聞こえてくる、みんみんみらくるみくるんるん、だろ?わかる。確かにあれはちょっとうっとおしいよな。だけど……素ですか?真奈美さん……。
「普通にありきたりなのでいいんじゃないかな」
名前なんてそもそも記号なんだから、わかる人にわかればいいのだ。毎回毎回あの時喫茶店の窓から見た天使とか拾ってきた天使とかいうのも一々うっとおしいし、なるべくなら短い名前のほうがいい。あれが僕たち以外の人にも見えるのかどうかはわからないが、今のところ基本的には僕と真奈美の間でだけ通じればいいことなのだ。とにかく今は名前なんかよりも善後策を考えなければ。
「ポチとか」
「それいいかも」
「よくない!」
叫びながらバサリと音を立てて、天使が降りてきた。一体どこにいたんだ?……ていうか普通に日本語しゃべれるんだな。金髪だから外人だと思っていた。
「最悪なネーミングセンスね。ていうか私にも、名前、あるから」
「あらあポチちゃん、もう寝てなくて大丈夫なの?」