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プロローグ

 「大学の門を入って、まっすぐ行った広場に、銀色の大きなモニュメントがあるでしょう?購買部に行く途中の。あのモニュメントの腕?みたいなところが、くねっとなってて、何かを指差してるみたいになってるんだけど、その指差してる先にね」

 女の子の話は、とてもわかりにくい。

 この子に限った事じゃなく、世の中の女の子は大体そうだと思う。

 目の前でコーヒーカップのふちをいじりながら一生懸命しゃべっているこの子、井上真奈美とは、大学へ入学した直後に知り合った。たまたま入った音楽系のサークルにたまたま彼女も新入生として入ってきた、というごくごくありふれた出会いだ。新入生歓迎コンパで、これもたまたま隣に座ったとき、なんとなくぬるい自己紹介をし合ったことは覚えている。以来、廊下ですれちがえばちょっと立ち話をしたり、たまにはこうやって喫茶店で暇をつぶしたりするような仲になった。

 こういう関係をなんと呼ぶのだろう……。音楽仲間と呼ぶには音楽の話なんて全然しないし、友達と呼べるほどの感情の共有はない。もちろん、恋人同士では全然ない。ただわかりにくくてどうでもいい話をする女の子と、それをぼんやりと聞く僕。そう、僕、相原ユウジは、目の前の女の子、井上真奈美のことを、好きでも嫌いでもない。そんな関係。

 〈雨が降ってきたな〉

 静かに音楽の流れる室内から、僕はさらさらと雨の流れ落ちる窓の外を眺めながら思った。まるで水族館の中にいるようだな。雨粒は窓を叩いてしずくになって落ちた。

 ……悪くない、と思う。相手のことをどう思うかなんて、どうでもいいのだ。たぶん僕は、こういう時間をこういう風に過ごすことが、好きなのだ。聞こえるか聞こえないかくらいの音量で静かに流れる音楽と、うまいともまずいともいえないブレンドコーヒー、それに彼女、そして降りはじめた雨。目をつぶって心の中でうなずいてみる。うん、悪くはない。


 「ね、何があると思う」

 真奈美が突然話を振ってきた。

 「うーん」

 僕は十分なメモリを積んだクアッドコア並にスムーズに、スリープ状態から現実へと復帰する……はずだった。

 「なんだろうね」


 どうでもいい話をする女の子に話をあわせるために必要なのは、理屈ではなく感覚だ。そのへんを押さえておけば適当に答えても何も問題ない。今までそれでトラブルになったことはほとんどないし、幸か不幸か僕は生まれつき、インテル入ってる並にそういう皮膚感覚のようなものを持ち合わせているのだ。

 いや、生まれつき、というのは間違いかもしれないな。物心がついた頃には、と言ったほうが正しいのか……。

 五歳の時、僕が預けられた親戚の家には女の子ばかりがいた。女の子しかいなかった。十六歳から九歳までの三人の姉と、八歳から一歳までの六人の従姉妹いとこ。幼なじみが一人。全員、女。そして女の姉妹がいる人には分かってもらえると思うが、身内の女っていうのはアクが強くて扱いにくい。他人の女とは別の生物と思っていい。遠慮を知らないからな、彼女らは。それが合わせて十人もいるのだ。まあ、ある意味、戦場だ。

 そんな中で育ったせいか僕は、快適な自分のポジション、つまり必要以上にいじめられたり溺愛されたりなつかれたりすることのない、かといって完全に仲間はずれにされることもない、この『悪くはない』ニッチを、幼少時代にはすでに獲得していたわけだ。

 ……だから、身内ではない、普通の女の子である真奈美のどうでもいい話に、こんな風に突然相槌を求められたとしても、僕としては話を合わせるくらい、訳もないはずだった。

 そのときそれが、窓の外を横切るのを見てしまわなければ……。


 見てしまった僕は、不覚にも、……フリーズした。


 人は、二種類の人間に分けられると思う。自分のスペックに収まりきれない出来事に遭遇そうぐうしたとき、フリーズする奴と、暴走する奴。僕の統計からいうとその確率は、普段の行動や思考にはほとんど関係なく、ランダムに二分の一だ。それがその人の本質って奴か?


 「どうしたの」

 真奈美はくりっとした目を『?』の形にして、僕の顔をのぞき込んだ。そして僕の視線を追って窓のほうを……、振り向くよなあ、やっぱり。気になるもんな。……そういえば真奈美はどっちなんだろう。僕は真奈美が暴走するタイプじゃないことを祈った。

 「なにあれ……」

 振り向いたまま真奈美はそう言って、……フリーズした。


 窓の外には、天使がいた。

 体のわりに大きめの翼と口元を半開きにして。

 雨の滴が青白い光を窓ガラスに揺らめかせる向こう側に、え、なんで?見つかっちゃった?とでも言いたげな小さな顔の天使が、大きな目を見開いて、ずぶぬれになりながら……フリーズしていた。

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