エピローグ
「集くん! 早くしないと置いてくよ!」
ハンターとの事件から数日後、今日は春休み明け初日で、朝から美奈は一向に部屋から出てこようとしない集一郎に、慌ただしく外から呼びかけていた。
早くしないと二年生になった一日目で遅刻をする羽目になってしまう。
「ちょっと待てって、まだ本調子じゃないんだから、そう慌てさせるなよ」
ドア越しに美奈に話しかけると、集一郎は玄関口に座り込んで靴を履く。
ハンターとの争いでレプンクルの王の力を持っているとわかった集一郎だったが、ハンターの男レイスに力を使った後、集一郎は高熱にうなされた。
便利な力だが、その分、体への負担はかなり大きいようだ。
レラが言うには、少しずつ練習していけば、力に使う負担を減らすことができるかもしれないそうだが、その後、どうやっても集一郎は力を発動させることができなかった。
まだまだ王の力とやらは、未知の部分が多いようだ。
「はぁ、結局春休みらしいことはなにもできなかったな」
靴を履き終えると、集一郎は立ち上がりながらぼやく。
高熱のせいで集一郎は、まともに歩くことができないくらいにふらふらだったため、春休みのほとんどを寝て過ごすことを余儀なくされた。
そのおかげでまともに遊ぶこともできずに、新学期に突入してしまった。
もう一度深くため息をはくと、集一郎は玄関のドアを開けた。
すると美奈が腕を組んで立ち構えている。
「もうっ! 遅すぎだよ!」
「悪かったって。ほら、ここで話してたら本当に遅刻するだろ? だから早く行こ……」
怒る美奈をなだめようとした集一郎だったが、玄関から出たところでもう一人、美奈の後ろに立っている銀髪の少女の存在に気づいた。
少女は今までの美奈に借りた服ではなく、学校の制服を着ていた。
それも集一郎と美奈が通っている高校の物だ。
集一郎は初めて見る少女の制服姿に見とれてしまい言葉に詰まる。
「お、おはようございます」
少女は朝の挨拶をするが、集一郎が黙ってしまい不安になって、美奈に助けを求めるような視線を送っている。
それから数秒の間ができてから、集一郎は思い出したかのように返事をした。
「あっ、お、おはよう」
ぎこちない挨拶を交わして、二人はまた黙ってしまう。
そんな二人を見て、美奈が痺れを切らして集一郎に話しかける。
「あ~もうっ! こういう時は何か言ってあげないと、レラちゃんが困ってるよ」
美奈が言う何かとは服装のことだろう。
きっと着慣れない制服姿の感想を少女は待ち望んでいる。
集一郎はそのことに気づくと、慌てて口を開いた。
「あ~、そ、その制服とっても似合ってるよ」
「あ、ありがとうございます」
集一郎に褒められたのが嬉しかったのか、レラは顔を真っ赤にしながらうつむいてしまった。
集一郎も女の子の服装を褒めた経験など無いために、言った後で急に顔が熱くなる。
「……でも、よかったよね。高校に入学できて」
気まずい空気に耐えられなくなって、話題を変えるチキンな集一郎。
「そうですね。美奈さんが勉強を教えてくれたおかげです」
「そんなことないよ。レラちゃんがすっごく頑張ったからだよ」
お互いを褒め合うレラと美奈。
レラは今日から集一郎達と同じ高校に通うことになった。
戸籍や中途試験のことを、集一郎達は心配していたが、どうやって準備したのか里の仲間たちが戸籍等の書類を用意してくれた。
そして何より集一郎たちを驚かせたのは、レラの学力だった。
美奈が春休みの間につきっきりで勉強を教えていたのだが、わずか数日で高校一年までの学業をほぼ完璧に覚えて見せた。
最終的には教えていたはずの美奈に、逆に勉強を教えるほどにまで成長したのだ。
彼女のまじめさもあるだろうが、それでも彼女の学力には驚かされた。
「でも、いいんでしょうか。私なんかに部屋を貸していただいて」
「いいの、いいの! 当面のお金とかは、レラちゃんの里の人から預かってるから。それよりも大丈夫?」
「何がですか?」
美奈が心配そうにレラを見る。
しかし何を心配されているのかわからず、レラは美奈に聞き返す。
「だって、里の人たちが遠くに行っちゃって、レラちゃんは寂しくないの?」
「ああ、そのことですか」
あの事件の次の日、レラと助け出されたホルケ族たちの間で、ちょっとした話し合いが行われた。
そもそも王の力を持つ者が見つかった時、里の住民で世界中のレプンクル達に王の出現を知らせることになっていたのだが、そこで一つ問題が起きた。
その問題とは集一郎である。
王の力を持つ者が人間で、その人間もレプンクル達と同じように、この世界に流れてきた仲間だということは、他のレプンクルたちに混乱を与えかねない。
それだけなら良いが、今まで人間のせいで肩身の狭い思いをしていた分、下手をすれば怒り狂ったレプンクル達が暴動を起こす可能性さえある。
レラ達はこの情報をどうするか、自分達だけでは決めかねると判断した。
そこでレラたちは、とりあえず世界中に暮らすレプンクルの中から、その種族の代表にだけ、王の発見を知らせ、この街に集めて話し合うことにした。
話し合いが終わった後、ホルケ族達は他のレプンクルを捜すために、散り散りに旅に出た。
最初はレラもそれに同行すると言ったのだが、レラには王を導く仕事があると、仲間達に諭されてしまい。彼女は渋々ここに残ることを承諾した。
「寂しくないと言ったら嘘になりますね。……でも、みんなは必ず無事に帰ってくると言いましたし、私には私の役目があるので」
レラは仲間たちを思いながら、青い空を見上げる。
例え離れていようと、レラと仲間たちは同じ想いを胸に、同じ空の下を歩いている。
いつかはまたこの場所で集まると約束をしたのだ。
きっと彼らはレプンクルの未来のため、そして何よりレラのために、無事に元気な姿で帰ってくるだろう。
「おっと、そろそろ行かないと、本当に遅刻しちまう」
集一郎が携帯電話の時計を確認すると、だいぶ時間に余裕がなくなっていた。
「あ、そうだった! レラちゃん、急ごう」
「はい」
三人は急いで階段を降りる。
するとアパートの敷地の前に一台のトラックが止まっていた。
トラックの側面には引越センターの文字がある。
「あれ? 美奈、誰か引っ越してくるのか?」
「うん、急に昨日決まったみたい」
「へー」
集一郎がトラックを横目に見ながら通り過ぎると、トラックのドアが開く音とともに、どこか覚えのある少女の声が聞こえてきた。
「ここね。まあ、ぼろい建物だけど贅沢は言ってられないか」
「ん? って、お前!?」
「ど、どうして!?」
「……誰?」
集一郎たちがトラックの方を振り返ると、助手席側から集一郎とレラがよく知る人物が降りてきた。
元ハンターで、狐のレプンクルのシフォンだ。
ただ一人、一度も顔を合わせたことがない美奈だけが、誰なのかわからずにポカンとしている。
集一郎達が騒いでいると、シフォンも集一郎達にことに気づいて、若干顔を歪めながら彼らを睨みつける。
「あら? 何であんたたちががここにいるわけ?」
「それはこっちの台詞だ! ひょっとして、新しく引っ越してくるのって……」
おそるおそる尋ねると、シフォンは溜息を吐いて答えた。
「はぁ...... あんた達、ここに住んでるの? そうよ。私も今日からここに住むの」
「住むって……どうして」
集一郎はあまりの衝撃で驚きを隠しきれない。
レラも同様のようで、口を手で押さえて、シフォンを見つめていた。
「どうしてってここが安いからに決まってるでしょ。レイスの金があっても、節約してかないといけないし」
「だからって……え~」
もうわけがわからず、集一郎は頭を抱える。
「ねぇねぇ、あの子……誰?」
美奈は会話について来れず、集一郎に問いかける。
だが集一郎は美奈の質問に答える余裕はなかった。
「……」
レラは呆然として、石像のように固まってしまっている。
「まあ、もうあんたたちに危害を加えるつもりはないから、そこは安心しなさい。とりあえず、今後ともよろしくね。お・お・さ・ま」
少女はいたずらっぽい笑みを浮かべて、集一郎を見る。
「……もう、なんかわけがわからん」
力が抜けた集一郎は、膝から崩れ落ちる。
「集くん!? ねぇ、どうしたの?」
なぜ集一郎がこんな反応をしているかわからず、美奈も混乱しだした。
そんなことをしていると、新しい住民を迎えに出てきた充がまだ学校に向かっていない集一郎達に気づいて怒鳴った。
「ん? おい! お前ら学校はどうした!」
「はっ! そうだ学校……やばい、もうこんな時間じゃないか! 美奈、レラちゃん急ごう!」
時計を見ると、すでに始業式が始まる五分前だった。
ここから学校まで、どんなに急いでも十五分はかかる。
完全に遅刻確定だ。
集一郎は立ち上がると、全速力で走り出した。
「ちょ、ちょっと、集くん待って!」
「あっ、二人とも、待ってください!」
集一郎の後を追って、レラと美奈も走り出す。
そんな集一郎たちを見送りながら、シフォンは深くため息をはいた。
「はぁ、本当にあんなのがレプンクルの希望なの? なんか気が抜けるわね」
どんなに急いでも遅刻は免れない。
しかし、集一郎達は全力で通学路を走る。
美奈が息を切らしながら、集一郎に話しかけた。
「ねぇ!」
「なんだよ!」
「三人とも同じクラスになれたらいいね!」
「そうだな!」
「え? 同じクラスって……みんな同じ場所で勉強するんですよね?」
人が多い場所での生活を知らないレラは、どうやら一つの教室で全員が授業を受けると思っていたらしい。
「あ、ごめん。レラちゃんには言ってなかったっけ」
「お前……」
「だって知ってると思ってたから。……一学年に四クラスあるから、ひょっとしたら私たち別々の教室になるかもしれないんだ」
改めて説明をする美奈。
それを聞いてレラの顔が青ざめていく。
「そんな……もし、私だけ別のクラスになってしまったら……どうしたらいいんでしょうか?」
見知らぬ土地で初めての学校であるレラにとって、知り合いが一人もいない環境というのはとても不安なのだろう。
レラは集一郎と美奈の顔を交互に伺っている。
「だ、大丈夫だよ! うちの学校、不良とかいないし、みんな親切だから」
どこか見当違いな気がするフォローを、美奈はレラに投げかけた。どこかレラの顔から若干血の気が引いて行くように見える。
「でもだいぶ前に、うちの生徒が他校のやつと喧嘩してるの見たぞ」
「え? そうなの?」
しかしそのフォローすら、集一郎に撃沈されてしまった。レラの顔は確実に青くなっていた。
「ははっ、まあ大丈夫だよ! うん、大丈夫……多分」
「そんな~」
今までどんなことがあっても凜々しかったはずのレラが、不安な声を上げる。
緊迫した状況が多くて気づかなかったが、これがレラ本来の性格なのだろうか。
「大丈夫だよレラちゃん、なにかあったら必ず助けるからさ」
「本当ですか! 絶対ですよ? お願いします!」
本当に助けられるか自信はないが、そうでも言ってやらないと、始業式からレラは欠席しそうな勢いだったので、集一郎はレラを勇気づけるためのフォローを入れる。まだレラの顔は多少強張っているが、さっきよりはだいぶマシになったように見える。どうやら集一郎の言葉は多少なり効いたようだ。とりあえず始業式は無事に迎えられそうである。
そうこうしている間に、学校のチャイムが聞こえて来る。
「やばい、急ぐぞ!」
学校はもう目の前に見えてきている。
集一郎はふと、春休みに起きた出来事を思い返した。
今でも本当に信じられないような出来事だった。
レプンクル、ハンター、そして王の力。
(王とかって言われてもあんまり実感わかないし、色々滅茶苦茶だったけど……)
春休みという短い期間だったが、集一郎にとっては一年は経ったのではないかと思えるくらいに濃い経験だったかもしれない。
(とりあえず、これからの目標はできた)
大した役にも立たない能力だと思っていた集一郎だったが、その力がレラやレプンクル達を救えるかもしれない。
初めて力の存在意義を集一郎は知ることができた。
何年かかるかわからないが、この力の使い道を見いだしてくれたレラたちの手助けをする。それがこの春休みにできた集一郎の新しい目標だ。
「やってやるさ」
「集くん、何か言った?」
「何でもないさ。ほら、もうすぐだ! 行くぞ!」
「ま、待ってください」
三人は一層に足を速めて、校門を抜ける。
レラと出会った時とは打って変わり、今日は暖かい陽気に包まれ、三人が走る通学路は幻想的なまでの桜吹雪が舞っていた。
終