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「ん、……ここは」

 薬の効果が切れて、ホルケ族の少女レラが意識を取り戻すと、そこはどこかの倉庫のようだった。

 レラの周りには大きな木製の箱が大量に詰まれている。何かの倉庫のようだ。

 だが暗くてあまり遠くの方までは見渡せない。 

 海の近くなのだろうか、時々鳴り響く波の音と、潮の香りをかすかに感じることができる。

 レラは立ち上がって、周りの様子を探ろうとするが、足枷につながれいて、一メートルも歩くことができなかった。

「レラ、様?」

「っ!? 誰?」

 奥の闇から、レラの名前を呼ぶ声がした。レラは声のした方を凝視する。

 しばらくすると、雲に隠れた月が顔を出したのか、倉庫の窓からやわらかな光が差しはじめ、倉庫全体が見渡せるようになり、声の正体を知ることができた。

「みんな!」

 レラは目を見開いた。

 そこにいたのはレラを守るためにハンターに立ち向かっていった里の仲間たちだった。 老若男女のホルケ族、里の住民が全員レラ同様に足枷で倉庫の柱や壁に繋がれていた。

 レラは今すぐにでも仲間たちに駆け寄りたかったが、足枷がそれを邪魔する。

 よく見ると全員が等間隔で繋がれていて、彼らもレラと同じように、お互いにふれあうこともできないようだ。

「レラ様、すまねぇ。みんな捕まっちまった」

 中年のホルケ族の男が前に出ると、レラに土下座をして謝った。

「いいの、気にしないで……私の方こそ、みんなに助けてもらったのに、こんなところで捕まってしまって、本当にごめんなさい」

 仲間の期待を裏切ってしまったと、レラも深々と里の仲間達に頭を下げる。

「そんな、レラ様は悪くねぇ。顔を上げてください」

「レラ様、謝らないでください。それに私たちはまだ諦めてません」

「そうですよレラ様、きっとどうにかすれば逃げられます。だから頑張りましょう!」

 中年の男がレラを励まそうとすると、それに続いて他のホルケ族たちも次々とレラを勇気づけようと、明るく言葉を投げかけた。

「みんな……ありがとう。まだ諦めたら駄目ですよね。いけないわね。いつも後ろ向きになっちゃう。悪い癖だわ」

 レラの仲間達も不安はかなりあるだろう。

 しかしそれでもレラを大事に思い、励ましてくれる。

 それはレラが彼らにとって、唯一の希望だということもあるだろうが、それ以上に、彼女は里の大事な仲間なのだ。

 レラは里の仲間たちを安心させようと、笑ってみせる。

 その表情を見て、つられてにこやかに笑う仲間達。

 倉庫の中の沈んだ空気が、ほんの少しだけだが和らいだ気がした。

 そんな時、扉が悲鳴のような音を上げて開いた。

 ギイイイィィィィィィィ!

「!?」

 全員が警戒しながら、音のした方を凝視する。

 扉が開ききると、そこにはハンターの男レイスが立っていた。

 レイスは手に大きなトランクケースを持っている。

「目を覚ましたか」

 レイスはトランクケースを倉庫の隅に置くと、黒いコートをなびかせながらレラに近づいていく。

「感動の再会はもう済んだのかい?」

「貴様っ!」

 嘲笑うレイスを、里の仲間達はものすごい剣幕で睨む。

 しかしレイスは何も動じずに笑顔を絶やさない。

「おや? 捕まえて大分経つというのに威勢がいいな。これなら船旅も大丈夫だろう」

「船旅? 何のことですか」

 レイスは船旅と言った。

 彼はレラ達を一体どこへ連れて行こうというのか。

「一時間後、君達は船に乗って、遠い外国まで行ってもらう」

「外国?」

「そう、君たちはそこで一人一人、オークションで高額に取引されるのさ。私の大事な商品としてね」

 レイスはホルケ族を売り払い、自分の利益にするつもりだ。

 自分たちが売りに出されるということを聞いて、レラやその仲間たちに動揺が走り、ざわめき出す。

「それと姫君、君は特別だ。なんて言ったって希少種だからね。君に何かあれば、一番の大金を逃してしまう。だから無理に逃げようとして、怪我なんかしないでくれよ」

 レラの顔をのぞき込み、逃げないように釘を刺した。

「この野郎! レラ様に近づくな!」

 仲間の中で、一番幼いホルケ族の少年が立ち上がり、レイスに向かって叫ぶ。

 そして少年は近くにあった石を掴んで、レイスにめがけて振りかぶる。

「!? やめなさい!」

 レラの制止も間に合わず、石は弧を描き、レイスの頭に当たってしまった。

 そこまで大きな石ではなかったので、その直撃を受けてもレイスは微動だにしない。

 しかしレイスは無言のまま、石を投げた少年の前まで歩いて行く。

「……まったく、躾のなっていないガキだ」

 ゴスッ!

「がっ!」

「やめて!」

 レイスはボールを蹴るように、何のためらいもなく少年を蹴り飛ばした。

 それを見てレラが必死にやめるように懇願するが、彼はやめるどころか、今度は少年の頭を踏みつけ、痛めつける。

 少年の悲鳴が倉庫の中に響いた。

「やめろ! 頼むやめてくれ!」

 里の大人たちも、レイスに懇願する。しかしまだ彼は止まらない。

「お願いです。私が謝ります。だからその子を許してあげてください!」

「何を言っているんだ? 私は別に怒ってなどいない。これは教育の一環だよ。むしろ感謝してほしいね」

 そう言うとレイスは足に体重を乗せていく。

 少年の叫びがより一層に強くなっていった。

「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 その少年の叫び声を聞いて、レラも涙を流して絶叫した。

「やめて! いや……やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 その時だった。

 ダアァァァァン!

「なんだ?」

 扉を強く叩く音がして、レイスを含めた全員が扉の方を向く。

 そこには一人の人影があった。

 レラはその人影の正体に気づくと、驚きつつも彼の名前を読んだ。

「しゅ、集一郎さん」

 そこに立っていたのは、レラが死んでしまったと思っていた集一郎だった。

 集一郎は走ってきたのか、汗だくで、息も切れ切れだ。

「はぁ、はぁ、レラちゃん、ごめん遅くなった」

「なっ! なぜまだ生きている!」

 さすがのレイスもあの爆発で集一郎が生きていたことに驚きを隠せないようだ。

 レイスは少年の頭から足をどけて、集一郎の方を向き直した。

 すると集一郎は、一度大きく深呼吸をして息を整えると、レイスに答えた。

「あんたも偉そうにしている割に結構抜けてるな。思い出してみろよ、あんたは俺やレラちゃんがシフォンとかって子と争ってる時どこにいたんだ?」

「なるほど、地下か」

「そういうこと」

 レイスは合点がいくと、楽しそうに笑い出した。

「フハハッ、どうやら君を見くびっていたのかもしれないな。そこまで洞察力があるとは思いもしなかったよ。あの店は元々、ハンターの寄合所のようなものでね。あの地下はそのときの名残だったのだが。それを見つけるとは恐れ入った」

 レイスは集一郎に対して、どこか芝居がかったような動きで、小さく拍手を送った。

 集一郎はそれを軽く受け流す。

「そりゃどうも」

「だが、せっかく生き延びられたというのに、なぜわざわざここにやって来た? まさか未だに、このレプンクルたちを助けられるとは思っていないだろうに」

「やってみないとわからないだろ?」

 集一郎は不敵に笑ってみせる。

「集一郎さん! お願いですから逃げてください!」

「安心しろレラちゃん! 絶対にここから出してやるから」

 集一郎はレラの願いを無視して、姿勢を低く身構えた。

「フハハハっ! たった一人でどうやって助けるというのだ。今度は私も本気で君を殺しにかかるぞ?」

 そう言うとレイスはコートから拳銃を取り出した。

「……」

 集一郎は動揺することなく、ただ静かにレイスを見つめる。

 レイスはゆっくりと銃口を集一郎に向けた。

 本日三度目になる絶体絶命の危機。そんな状態で集一郎がとった行動は、倉庫にいる全員にとって、あまりにも意外で、呆気なものだった。

「なっ!?」

「え?」

 集一郎はレイスに背中を向けると、一目散に倉庫の外へ向かって走り出した。

 つまりその場から逃げ出したのだ。

 それを見たレイスは腹を抱えて笑う。

「ハッハッハッハ! なんだ? 誘っているのか? まあいい、少しだけ君のお遊びにつきあってやろう。専門外だが人間狩りといこうか!」

 集一郎を追ってレイスも倉庫の外へと走り出した。

 ここが正念場。集一郎の一世一代、命がけの鬼ごっこが始まった瞬間だった。


 *


 街の外れ、貨物船が並ぶ港。

 そこには大きな倉庫がいくつも並び、外には大きな木枠の箱やドラム缶などが、大量に積まれ、並んでいる。

 集一郎はその物陰に隠れながら、レイスから逃げていた。

「おいおい、今度はかくれんぼか? あまり大人をからかわないでほしいな」

(くそっ! なんでハンターってのはこんなに足が速いんだ)

 何度逃げて隠れても、レイスはすぐに距離を詰めてくる。

 シフォンもそうだったが、なぜこんなに速く走ることができるのだろうか。

「ふっ!」

 集一郎は物陰から勢いよく飛び出すと、レイスの視界から逃れようと全力で走る。

「そこにいたのか」

 バアアァァァァン!

「うおっ!?」

 レイスが何のためらいもなく拳銃の引き金を引いた。

 銃弾が集一郎の近くにあったドラム缶に、容易く穴を開ける。

(あ、あぶねぇ~)

 一歩間違えば命はない。

 口から心臓が飛び出るのではないかと思えるほどの驚きを必死に押さえて、集一郎は近くの倉庫と倉庫の隙間に飛び込んだ。

「ふん、隠れるだけじゃ能が無いぞ」

 集一郎を鼻で笑うと、レイスは拳銃から空の薬莢をはき出して、弾を込める。

(もう何発目だ? 心臓に悪すぎるぞ!)

 さっきからレイスは何度も発砲しているが、銃弾は集一郎の近くを掠めるだけで、一度も当たっていない。

 最初は自分の運がよかったなどと考えていたが、ここまで当たらないの不自然だ。

 どうやらレイスは、集一郎の慌てふためく様を見て、楽しんでいるようだった。

 集一郎は倉庫の隙間を抜け、また近くに並べられてあったドラム缶の後ろへ隠れる。

「まったく、君は何がしたいんだ? こんな時間稼ぎをしたところで、あのホルケ族達ちは助けられないぞ?」

「うるさい! あんたが何と言おうと、俺は絶対にレラちゃんたちを助けてみせる!」

 集一郎が力強くレイスに言い放つが、隠れながらなのであまり格好が付かない。

 そんな集一郎の姿を見て、レイスはため息を漏らす。

「はぁ、またそれか、ならどうやって助ける! そうやって隠れたところで、あのホルケ族達の元にすらたどり着けないぞ!」

 レイスの言うように、銃弾から逃げるために、物陰に隠れて移動しているだけでは、レラたちを助けることはできない。

 それどころか、走り回ったせいで、レラたちのいる倉庫からかなり距離ができてしまった。

 しかし、集一郎はただ闇雲にここまで走ってきたわけではない。

 これには深い理由があった。

(まだなのか? そろそろ逃げるのも限界だぞ)

 集一郎はここにはいない元ハンターの少女、シフォンに心の中で悪態をつく。

 シフォンは現在、集一郎とは別行動をとっていた。

 話は十数分ほど前に戻る。


 集一郎がレイスに追われる前。

 集一郎とシフォンはレラたちが囚われている倉庫を、遠くから息を潜めて眺めていた。

「あれがそうなのか?」

「ええ、あそこで間違いないはずよ。レイスやホルケ族たちの匂いがここまで漂ってきてる」

 その匂いとやらは集一郎には感じ取ることができないが、レプンクルの野生的感覚を使ってのことなので間違いはないのだろう。

 シフォンは狐に姿を変え、レイスの匂いをたぐり、街外れにあるこの港まで集一郎を案内してくれた。

 どうやらレラが集一郎の住む街に来たのが、こんなにも早くわかったのも、シフォンの嗅覚を使ってのことだったらしい。

 しかし、集一郎がレラを見つけた日は朝方から土砂降りだったために、雨で匂いが流されてしまい、正確な位置まではわからなくなったそうだ。

「おそらく、ここから船に乗せて、ホルケ族を運ぶつもりなんでしょうね」

「え、どこか外国に運ぶのか?」

 日本から離れてしまっては、助け出すのはかなり難しい。

「レプンクルの市場はロシアが本場なの。……見る限りでは、まだ船は着ていないみたいだけど、時間の問題ね」

「それなら、こんなところでのんびりしてられない。行くぞ!」

 ここで待っていても埒があかない。

 集一郎は急いで倉庫に向かおうと前へ出る。

「って、ちょっと待ちなさいよ!」

「ぐぇっ!」

 しかし、走り出そうとしたところを、シフォンに襟首を引っ張られて立ち止まる。

「何すんだよ!」

「それはこっちの台詞よ! あんたこのまま出て行って、なんか策はあるの? 速攻でレイスに殺されるわよ」

「うっ」

 何も考えずに飛び出そうとしたが、シフォンに正論を言われてしまって、集一郎はぐうの音も出ない。

「で、でも、どうするんだよ。このままここにいても助けられないだろ」

「私に策があるわ。だからそれに協力しなさい」

「……大丈夫なんだろうな?」

「少なくと、考えなしに飛び出すよりかはマシよ。どうする?」

 シフォンの表情に不安の色はない。どうやらかなり自信があるようだった。

「わかった、聞かせてくれ」

 集一郎がそう言うと、シフォンは軽く微笑み、作戦を話し出した。

「やることは簡単よ。私があの中に忍び込んでホルケ族を逃がすから、そのためにあんたがおとりになりなさい」

「おとりって……どうやって?」

「それも簡単。あんたがレイスを外に連れ出して、時間を稼いでくれたらいいわ」

「連れ出すったって、どうすればいいんだよ」

 まるで手でも引っ張って外に連れ出すかのように、簡単そうにシフォンは言うが、集一郎にはレイスを連れ出す術がわからない。

 そのことを尋ねると、シフォンは少し考えてから答えた。

「そうね……あんたが中でレイスと会ったら、挑発なり何なりやってみなさい。それで向こうがあんたと戦う気になったら、あとは外に逃げ出せばいいわ。それでレイスは絶対に追いかけてくるから」

「ちょっと待て、絶対って言ったけどそんなので本当に大丈夫なのかよ?」

 シフォンの案はあまりに単純すぎる。

 さすがにたったそれだけのことで、レイスが外に出て行くのかと、集一郎は不安になった。

 そしてもう一つ、集一郎には懸念があった。

「それに、俺が生きてるのに、一緒にいたお前がいないのはさすがに怪しまれるんじゃないか?」

 あの爆発から集一郎が生き延びているということは、シフォンも彼が助けて死んでいないということも、可能性としてレイスが考えるはずだ。

 そうなればレイスは二手に分かれている集一郎達を警戒して、絶対に倉庫から外に出ることはないだろう。

 だがそんな集一郎の意見を、シフォンは平然とした態度で払いのける。

「心配しなくても大丈夫よ。あいつは私が生きてるなんて、多分これっぽっちも思っていないから」

「え?」

 どうしてだと集一郎が首をかしげると、シフォンはそれを察して答える。

「あいつは、死にそうになってる他人を、自分まで危険にさらして助けようとする人間がいるなんて思ってないのよ。あんたに助けられるまで、私もそうだったけど……まぁ、とにかく、あいつは私があのまま爆発で死んでると思ってるはずよ。それに、レイスという人間は他人を信用しないし見下してるわ。もちろんあんたもね。だから計画を壊したあんたを殺すために、必ず倉庫から出てくる」

 そう言い切るシフォンの表情から、それがとても確信のあるものなのだと感じられた。

 ひょっとしたら彼女はレイスの下で働きながらも、心のどこかでレイスの残忍さや、冷酷さを感じていたのかもしれない。

 集一郎はまだ若干の不安が残っていたが、シフォンの自信のある顔を見て、彼女の作戦に乗ってみることのした。

「わかった。とりあえずできることはそれぐらいなんだろ? ならやってみるか」

「頼んだわよ。十分、いえ五分でいいわ。根性で乗り切りなさい」

「やってやるさ。お互いあいつには借りがある。一泡吹かせてやるか、行くぞ!」

 そうして二人はそこで別々の方向へと全力で走り出した。


(あれから何分経ったんだ?)

 集一郎は物陰に隠れて考える。

 携帯電話を見る余裕はない。

 極度の緊張状態のせいか、僅か数分のことが、とても長く感じられる。

(頼むから早くしてくれ)

 シフォンの言ったとおりに、レイスは簡単に集一郎の後を追って倉庫から出てきた。

 しかし、最初は余裕だと思っていた五分も、今考えるとかなり辛い。

 今日一日でかなりの体を酷使していた集一郎には、短い時間逃げるのでもかなりの重労働だった。あと一分も耐えられそうにない。

 そんなことを集一郎が考えていると、レイスが集一郎にも聞こえる大きな声で話す。

「フゥ、そろそろ飽きてきたな……そろそろ出てきたらどうだ少年! どうせ君はホルケ族を助けられやしない。奴らに何か報酬でも受けるつもりなのか? まったく、あんな化け物によくそんな肩入れできる」

「何だとっ!」

 それが挑発の台詞だとわかっていても、集一郎はレラたちが爆破があった店の時のように罵られたことに腹を立て、思わずレイスの前に飛び出してしまった。

「やっと出てきたか」

 ウンザリした顔のレイス。

 それに対し集一郎は眉間にしわを寄せてレイスを睨む。

「お前、今なんて言った? レラちゃんたちが化け物だって」

「そうだ、奴らは私たち人間とは全く違う。獣に姿を変えるただの化け物だ」

「ふざけるな! なにが化け物だ。レラちゃんたちは確かに俺たち人間とは違う生き物かもしれない。だけど俺たちと同じように話ができる。意思がある。わかり合うことができるはずなのに、なんでそんな風に邪険にすることができるんだよ! 俺から見たら、今のお前の方がよっぽど化け物だ!」

 集一郎が強く言い放つ。

 しかしレイスは表情を変えずに深くため息を吐いただけだった。

「まったく、何を言っても君には無駄なようだな。……言い残すことはもう無いか? ならこれで終わりだ。なかなか楽しかったよ」

 そう言うとレイスは大きな威圧感のある小さな銃口を、ゆっくりと集一郎に向けて冷たく微笑んだ。

(くそっ、間に合わなかったか)

 ホルケ族を助けるために分かれたシフォンは、何かに手間取っているのか、まだ集一郎の前に現れない。

 今度こそレイスはすべて終わらせるつもりだ。

 もうふざけて銃弾を外すことはないだろう。

 自分の死を予感して、全身からどっと汗があふれ出る集一郎。

 せめてもの願いはレラ達だけでも、この間に上手く逃げられていることだけだ。

(美奈、約束は守れそうにないや。ごめん)

 集一郎は目を閉じて、死を受け入れる覚悟を決めた。

 バアァァァァァン!

「くっ! ……あれ?」

「ぐぁっ!? な、なんで貴様らが!」

 けたたましい銃声が響いたが、集一郎には被弾の衝撃も、痛みもない。

 逆に悲鳴を上げたのはレイスの方だった。

「グゥゥゥゥッ!」

 集一郎が目を開くと、一匹の黒い狼が唸りながら、レイスの銃を握っている腕に食らいついていた。

 よく見れば何匹もの狼が牙をむいて、レイスの周りを囲っていた。

「こ、これは……」

 何が起きたかわからずに呆然としている集一郎。

「集一郎さん! 大丈夫ですか」

「え?」

 後ろからの声に集一郎が振り返ると、そこにはさっきまで倉庫に捕らえられていたはずのレラが立っていた。

「れ、レラちゃん!? ……ってことはあの狼たちは」

「はい、里のみんなです。集一郎さんのおかげでみんな逃げ出すことができました」

 優しく微笑みながら話すレラ。

 彼女の表情には倉庫で見た悲しみの色はもうなかった。

「くそっ! その少年のおかげだと? どういうことだ! 少年はずっと私が追いかけていたというのに、いったいどうやってあの枷を外したというんだ!」

 レイスは腕に噛みついている狼を振り払うと、集一郎とレラに怒鳴り散らす。

 さすがのレイスも今の状況には動揺を隠すことができない。

 慌てるレイスの後ろから、レイスの疑問に答える少女の声が響く。

「こういうことよ!」

 レイスが声のした方を振り返ると同時に、足下に何か小さな物が転がってきた。

 よく見るとそれは古めかしい金色の鍵だった。

 鍵が投げつけられた先にを見ると、そこにはレイスが死んだと思っていたシフォンが仁王立ちしている。

「なっ!? シフォン!」

 レイスはシフォンが生きていたことに驚く。

 どうやらシフォンの言ったとおりに、レイスは集一郎が彼女を助けた可能性を考えることはなかったらしい。

「貴様も生きていたのか!」

「ええ、そこにいる大馬鹿でお人好しのおかげでね」

「大馬鹿って……助けたのにその言いぐさはないだろう!」

 集一郎は罵倒されたことに抗議するが、シフォンはまるで聞こえていないかのように、その抗議を無視した。

 一方のレイスは集一郎がシフォンを助けたという事実に驚き、声を荒げる。

「助けただと!? 馬鹿な、こいつはお前の敵だったんだぞ!」

「それはお前がその子を騙していたからだろう!」

 さっきまで敵だった者を助けたことが、レイスにはどうしても理解できないらしい。

 レイスは集一郎の返事を聞いてもまだ納得できないのか、頭を抱える。

「理解できない……ま、待て、そういえば鍵は、足枷の鍵はどうやって手に入れたんだ。あれは私の――」

「トランクケースの中でしょ?」

 ふっとわいたレイスの疑問、それを言い終える前に、シフォンが最後の言葉を先に答えた。

「そ、そうだ、だがケースは暗証番号を打ち込まないと開かない。なのになぜお前が鍵を持っている!」

「そんなの決まってるじゃない。私が暗証番号を打ち込んでケースを開けたからよ」

「なっ!?」

 そんなはずはないと言いたげなレイス。

 どうやらレイスは、シフォンに自分のトランクケースの番号を教えてはいなかったようだ。

 シフォンが現れてから驚いたままのレイス。

 その表情を見てシフォンは深くため息をはいた。

「はぁ、私が何年あんたの下で働かされたと思ってるの? あんたは何回私の近くであのトランクケースを開けたのかしら? これでも私、視力にはかなり自信があるの。それを忘れたの?」

 レプンクルであるシフォンの視力は、人の姿をしていても、普通の人間よりも遙かに高いのだろう。

 シフォンはレイスを命の恩人だと思って、今まで彼の行動を見てきた。

 それに反して、レイスはシフォンを道具程度にしか思わずに、彼女のことをまともに見ていなかった。

 その結果、シフォンはレイスの細かなことまで知ることができたが、レイスはシフォンの本当のことを何も知り得ることができなかった。

「くそ……」

 レイスは自分が完全に失態を犯していたことに気づき膝をつく。

「さあ、これでおしまいよ! よくも私の両親を!」

 シフォンと狼たちがレイスとの距離を少しずつ詰めていく。

 レイスに逃げ場はない。

 彼は諦めたのか、うつむいて微動だにしなくなった。

 しかし、狼たちが飛びかかれる距離まで近づいた時だった。

 集一郎はレイスが原に抱えるように何かを持っていることに気づく。

(なんだ?)

 それは小さなガスボンベのような形をしている。見方によれば、それは爆弾にも見えるかもしれない。

 集一郎は言いようのない不安に駆られて、シフォンたちに叫んだ。

「やめろ! まだ何か企んでる!」

 集一郎が叫ぶと同時に、レイスは持っていたものを力一杯に地面に叩きつけた。

 甲高い破裂音が響くと、一瞬でシフォンたちを白い煙が包んだ。

「シフォン!」

「みんな!」

 集一郎とレラはそれぞれに煙の中に消えた者たちを呼ぶが返事がない。

 そうこうしている間に煙は集一郎達の方にまで迫ってきている。

「まずい、何だかわからないけど、とにかくこの煙から離れよう!」

 集一郎達は煙から後ずさる。

 その時、煙の中から人影が一つ飛び出してきた。

 それは狂気すら感じる微笑みを浮かべたレイスだった。

 レイスは集一郎の目の前まで来ると、一気に集一郎を蹴飛ばした。

「邪魔だ」

「ぐぁっ!」

「集一郎さん! あがっ!」

 壁となっていた集一郎がいなくなると、華麗な足払いでレラを地面に倒した。

「レラちゃん!」

「近づくな!」

 集一郎は急いでレイスに立ち向かおうとするが、レイスはレラに拳銃を向けて、人質に取ってしまった。

「ちくしょう……どうやってあそこから抜け出したんだ!」

 レイスがさっき使ったのが白煙弾のような物だったとしても、レイスの周りにはさっきまでシフォンと大量の狼たちが周りを囲っていた。

 そう簡単に抜け出せれるような状態ではない。

 集一郎はシフォンたちの方に目をやった。

 白い煙が晴れる。

 するとそこには、さっきまでレイスを追い詰めていたはずのシフォンたちが、グッタリと倒れている。

 集一郎にはその症状に見覚えがあった。

「あの薬か」

「その通りだよ。だがこれは私が作った特別製だ。一瞬で相手を動けなくするが、その効果は君に最初に見せた物の半分もないがね」

「うぅ」

 倒れているシフォンが苦しみながら顔を上げる

「やあシフォン、お前は知らなかっただろうな」

「な、何? あれは……」

「さっき使ったのは日本に来てから私が作った物だ。だからお前も知らない代物だったはずだ」

「そ、んな」

 さすがのシフォンもここに来てから、レイスが新しい道具を作っていたことを知るよしもなかったのか、あの土壇場で形勢逆転されたことに愕然としていた。

「よくもこの私をここまでコケにしてくれたな。もうこうなってしまえば儲けなどどうでもいい。よく見ておけ! お前たちの目の前でこの銀狼が死んでしまうところを! そして私たちハンターの脅威はここで消え去るのだ!」

 レイスは持っていた拳銃を地面に伏しているレラの頭に突きつける。

 このままではレラが殺されてしまう。

 レラはどうすることもできずに、ただレイスを黙って見つめている。

「やめろ!」

 集一郎が何を言っても、もうレイスは聞く耳を持たない。

 その場にいる全員に内臓がひっくり返るのではないかと思えるくらいの緊張が走る。

「これでもう王が見つかることはない。これでお前たちは未来永劫、ハンターの物だ! フハハハハハハハハ!」

 高笑いをして周りを挑発するレイス。

 しかし、薬で体が動かせない今、誰も刃向かえる者はいなかった。

 ただ一人いるとすれば、薬の影響を受けない集一郎だけだ。

(どうする? どうしたらいい!)

 このままレイスの飛びつこうかとも考えるが、そんなことをしても銃弾が放たれるまでには絶対に間に合わない。

 なんとか打開策を見つけようと必死に考える集一郎。

「うっ」

 その瞬間、狼たちの怒りや悲しみといった感情が、集一郎の中に滝のように流れて、集一郎を襲う。

 その渦巻く大量の感情は、異様な吐き気すら感じてしまう。

(こんな時に!)

 集一郎の不思議な能力は感情を知るだけだ。

 この状況で発動してもなんの力もない。

 むしろこの状況では打開策を考えるための邪魔になってしまう。

 集一郎はそんな自分の能力を強く呪った。

(くそっ! くそっ! くそっ!)

心の中で必死に入り込む感情を抑えて、集一郎は考える。

 だがやはり何も思いつきそうにない。

(駄目だ! 駄目だ! 駄目だ!)

 焦りと極度の緊張で体から汗がにじみ出る。

 頭はこの一瞬で、溶けてしまうのではないかと思えるくらいに熱くなる。

 レイスの引き金にかかる指に力が入っていくのがわかる。

(やめろ! やめろ! やめろ!)

 喉が沸騰しそうになるほど熱くなり、一瞬、集一郎の頭に激痛が走る。

「やめろおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!」

 ついに集一郎は抵抗する手段が思いつかず。レイスに向かってただ力一杯に叫んだ。

「安心しろ、弾はもう一発ある。この銀狼の後を追えるように、君もすぐに殺してやる。では、これで本当におしまいだ」

 レイスはそう言うと拳銃の引き金を――

「な、なんだ? か、体が」

 引くことはなかった。いや、引けないと言うべきだろうか。

 レイスはまるで銅像のように、レラに拳銃を向けたまま固まってしまった。

 その異変に気づき、何が起きたのかわからずに狼たちも顔を見合わせていた。

 だがそんな空気をレラが打ち破った。

「!? この匂いは」

 レラは何かに気づいて集一郎を見た。

 それにつられるように、シフォンや狼たち、そして自分に何が起きているかわからずに戸惑っているレイスも集一郎を見る。

 レラ達が見た集一郎は、体が淡く光り、右ほほには黒い模様が浮かび上がっていた。

「何? あれ」

「何が起きている!」

 集一郎は周りが自分のことを見ていることに気づいて、やっと体の異変に気づいた。

「はぁ、はぁ、……ん? なっ、なんだこれ!?」

 そこにいる誰もが、集一郎ですら自分に起きていることが理解できない。

 しかしただ一人、レラだけが確信を持って口を開いた。

「……王の紋様」

 レラの言葉にレイスが何かを理解して反論をした。

「王だと……そんな馬鹿な! そいつはどう見ても人間だぞ。それとも何か新種のレプンクルだとでも言うのか!」

「なぜかはわかりません。でも、集一郎さんのあの顔の紋様、それにこの匂いは紛れもなく王の証です」

「お、俺が王?」

 レラは至って冷静に集一郎が王で間違いないと言う。

 だが集一郎は何かに変化する力もないただの人間だ。

 現に集一郎はレラたちには効いていた薬も効果がなかった。

 だとすれば、集一郎に今起きていることはどう説明すればいいのだろうか。

(どういうことなんだ?)

 集一郎は落ち着いてレラの言っていた王の伝承を思い出す。

 ――災害。――異世界。―移り住む。――こちらの住民。――レプンクルの中からまた王が生まれてくる。

「待てよ?」

 集一郎が頭の中で伝承について考えていた時だった。

 ふと、一つの答えが浮かび上がった。

「ひょっとして、人間自体がレプンクル、つまり異世界から来た生き物なんじゃ」

 レラが言っていた伝承では、こちらの住民に迷惑を掛けないようにとは言っていたが、人間にとは言っていなかった。

 それに集一郎に薬が効かなかったことにも説明が付く。

 そもそもあの薬は人間が作った物だ。人間には効かないように作っていて当然である。

 そして一番に、人間である集一郎が王の力を使えるということが、人間がレラたちと同じレプンクルであるという証拠なのだ。

「ふ、ふざけるな! 私たち人間がこんな化け物たちと同じだと!? 断じてそんなことは認めないぞ!」

「なんと言おうとこれが現実だ! レラちゃんの言っていることが本当なら、俺にその王の力ってのがあるんだ」

「うるさい!」

 今まで眼下に見ていたレプンクル達と同じ存在だと言われたことが気に障ったのか、プライドの高いレイスは今までに見たことがないほどに怒り狂っていた。

 その感情が集一郎の能力を勝ったのか、レイスは動かないはずの体を無理矢理に捻り、拳銃を集一郎に突きつける。

「耳障りだ! お前から殺してやる!」

「集一郎さん! 逃げて!」

 大声で叫ぶレラ。

 しかし集一郎はレイスを睨み、逃げようとしない。

「死ねぇ!」

「動くな!」

「なっ!? くそ、またか」

 集一郎を狙い、引き金を引こうとしたレイス。

 しかし、集一郎が一喝した瞬間、先ほどと同様にまたもやレイスの体は指一本と動かなくなった。

「ぐぁ! はぁ、はぁ、そうか、俺が命令したらその通りになるのか……でも、なんだ?すごく頭が痛い」

 叫んだ瞬間、集一郎の頭に激痛が走る。

 それは狼たちの感情が流れてきた時のものに似ていた。

 まあそれはどうあれ、どうやらこの力は負担が大きい。

 あまり何度も使わない方がいいらしい。

 そうこうしている内に、薬の効果が切れてシフォンや狼達はゆっくりと立ち上がっていく。

「これで立場が本当に逆になったわね」

 シフォンたちは円陣を組み直して、再びレイスを囲った。

「や、やめろ! 来るな」

 レイスは完全に打つ手を無くしたのか、顔からは恐怖がうかがえる。

 今度こそ、こちらの勝利だ。

 狼達が怒りをむき出しに、うなり声を上げている。

 今にもレイスをかみ殺しそうな勢いだった。

「うっ……また頭痛が」

 緊迫したシフォンたちを見ていた集一郎だったが、またもや激痛が頭を走る。

「何なんだよこれは」

 集一郎は痛みが何なのか知るために心を研ぎ澄ます。

 するとそれは誰かから流れ出した恐怖の感情だった。それもかなり強い感情だ。

 それが何者のものなのか、集一郎はすぐに理解できた。

「ひょっとして……レイスの感情なのか?」

 この状況で恐怖を感じているのはレイスただ一人だ。

 人間の感情を知るのは初めてだったが、集一朗には何となくそれがわかった。

 それと同時に王の力というものを使った時に、なぜ激痛が走るのかも理解できた。

 それは抵抗する感情である。

 いくら王だと言っても、他人から勝手な命令を受けるのは誰だって嫌なものだ。

 おそらくその抵抗する強い感情を真っ正面から受け止めることが、王の力の代償なのだろう。

 集一郎が考えを巡らせている内に、狼たちがレイスから一メートルと満たない距離まで迫っていた。

 もういつでも飛びつくことができる。

「これで終わりよ。最後は私があんたの命を奪ってあげるわ。それまで、存分にこのホルケ族たちにいたぶられなさい!」

「ガウゥッ!」

 シフォンが声を荒げると、狼たちは一斉にレイスに飛びついた。

 一匹は足に、もう一匹は腕、そしてもう一匹は首といった感じに、狼たちはレイスの全身に群がり、レイスの恐怖と苦痛に彩られた悲鳴を上げる。

「があああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁ!」

 シフォンはその姿を黙ってみていた。

「くっ!」

 集一郎は遠くからレイスの最後を見届ける。

 だがその間もシフォンや狼たちの怒りと恨み、そしてレイスの恐怖と痛みが、強烈な衝撃となって集一郎を襲う。

(さすがに、お前を助けようと思えるほど、俺も優しくはなかったよ)

 レイスに向けて心の中で呟く集一郎。

 どんなにレイスの感情が流れ込もうと、レプンクル達にひどい扱いをしていた彼を同情する気にはなれない。

 集一郎は流れ込む感情を必死に耐える。

 しかしその大量の感情の中に、一つだけ色の違う感情を感じられた。

「レラちゃん?」

 それはレラの感情だった。

 集一郎はレラを見る。

 彼女は今にも泣き出しそうな顔でレイスを襲う仲間達を見ていた。

「っ!? そうだよな。やっぱりこのままじゃ駄目だ」

 レラの真意を知ったのか、集一郎をぼそりと呟くと、力一杯に肺に空気を送り込み、叫んだ。

「みんな、もうやめろ!」

 その集一郎の一声が轟くと、王の力により狼達が次々とレイスから離れていく。

 そして狼達の怒りの感情の矛先が、今度は集一郎に向けられた。

「う……これはかなりきついな」

 他人に向けられた感情よりも、自分自身に向けられた感情の方が衝撃が強いのか、集一郎はあまりの痛みに、立つこともままならず膝をついた。

 そこへ、鬼の形相をしたシフォンが近づいてきて、集一郎の胸ぐらを掴んだ。

「なんで止めるのよ! まさか、今度こいつまで助けるつもりなの? ふざけるのもいい加減にしなさい!」

「違う! 俺だって別にこんなやつ庇おうと思ったわけじゃない。けど、こんなやつを殺してどうなる? わざわざこんなやつの土台まで降りていって、それでいいのか? それに、これ以上こんなことをしたら……レラちゃんが悲しむ」

 そう言うと集一郎はレラを指さした。

「お願い……みんなこれ以上はやめて! 一緒に里で暮らしてきたみんなの牙が、こんな風に血で汚れるところ、私は見たくない!」

 この世界の住民に危害を加えてはいけない。それがレプンクルの掟だ。

 人間はレプンクルだと知った今、その掟は通用しない。

 しかしそれ以上に、仲間同士の傷つけ合いをレラは見たくはないのだろう。

 集一郎がレラと出会ってからの数日、彼女の仲間を思う気持ちはかなり強いものを感じていた。

 耐えられなくなったのか、最後には涙を流し出すレラ。そんな彼女を見て、狼達にも冷静さが戻ってきた。

 しかし、シフォンはなんと言おうと納得できなかった。

「何きれい事並べてんのよ! 私はこの程度で納得しないわよ!」

 両親を殺されたシフォンは、この程度のことで怒りが消えるわけがない。

「シフォン、悪いんだけど……ここからは俺に任せてくれないか?」

 集一郎は何かいい案があるのか、立ち上がるとレイスのもとに歩いて行く。

 怪訝な顔で集一郎を見るシフォン。

「どうするつもりよ?」

「まぁ、いいから見ててくれ。あっ、そうだ……なぁ、なんでレラちゃんがあの里にいることをレイスは知ることができたんだ? 伝承を知ってても、いつどこで生まれるかなんてわからないはずだろ?」

 集一郎はずっと疑問に思っていた。

 レラたちは人との接触をできる限り避けて暮らしてきた。

 だというのに、なんでハンターはホルケ族の里と伝説の銀狼であるレラが生まれたことを知ったのか。

「なんで今更そんなことが知りたいのよ?」

「いいから教えてくれ」

 強引に頼み込む集一郎に、シフォンは一度ため息をついて話し出した。

「ほかのレプンクルから聞いたのよ」

「ほかのレプンクル?」

「そうよ、こいつらも人間とは交流がなくても、ほかの種族とはたまに会ってるんじゃないの?」

「そうなのか?」

 集一郎が確認のためにレラに尋ねる。

 するとレラは一度うなずいて見せた。

「はい、たまには外の情報を知らないと、色々と不便ですから」

 どうやらシフォンの言っていることは本当らしい。

 集一郎が納得したのを見て、シフォンは話を続ける。

「それで、どっかのハンターが捕まえたレプンクルが、自分を見逃すための代償として銀狼のことを話したの……まあ、結局その後すぐに始末されたみたいだけどね。それで一番日本の近くにいて、仕事を終えていた私達が、こうやってかり出されたわけ」

「なるほど」

「それで? それがどうだっていうのよ?」

 今度は私の番だと言わんばかりに、シフォンが集一郎に尋ねた。

「いや、思ったんだけどさ。このままレイスを殺してしまったら、怪しんでまた他のハンターがここに押し寄せてくるんじゃないのか?」

「そうね、確かに報告がなかったら、仕事が失敗したとして、また他のハンターが調べに来る可能性はかなり高いわ」

 もしも他のハンターがまたやってきてしまえば、今日のような危険な状況を再び体験しなくてはならない。

 そうなれば集一郎もレラも、次は命がないかもしれない。

 そしてハンターの仲間であったシフォンも、見つかってしまえば裏切り者として命を狙われるだろう。

 仮にそれをくぐり抜けたられたとしても、そういった危険が何度もやってくるのだ。

 それでは身が保たない。

「でも、このまま生かしたところで、結局こいつは銀狼のことを他のハンターに連絡するわよ」

 シフォンの言うとおり、確かにレイスをここで生かしておいても、レラの存在を隠すことはできない。

 だが、それは普通に帰してのことだ。

「俺に考えがある。だから少し見ててくれ」

 そう言うと集一郎はその場に屈み、レイスの顔をのぞき込んだ。

「おい、生きてるか?」

「どう、いう……つもりだ?」

 レイスは直視できないほどにボロボロの血まみれだが、まだ死ぬほどではないようだ。 それを知って集一郎は安堵した。

「よかった、とりあえず死んではないみたいだな。……今からあんたに、俺なりに考えた罰を受けてもらう」

「罰だと?」

「ああ、あんたと違って俺は命を取ろうとはしないんだ。それぐらいいいだろ?」

 集一郎の体が今まで以上に強い光を帯びる。

「とりあえず、一つ目だ。あんたはハンターの仲間に、ここで起きたことを伝えることを禁止する。それがどんな方法でもだ」

 これは当然だ。伝説の銀狼であるレラ、そしてどうやら王の力を持っている集一郎のことが他のハンターにばれてしまえば、危険が増すだけだ。

 しかしこれでは、伝えることができなくても、何も話さないレイスを怪しむ人間が出てくるかもしれない。

「そんで二つ目。あんたの仲間たちには、嘘の情報を伝えろ。そうだな……とりあえず、ホルケ族の里を見つけたけど、伝説の銀狼は存在しなかった。それでホルケ族に返り討ちになって、シフォンは死んだことにしておいてくれ。あんたの傷もその時の戦いで付いたことにしとけばいいだろ? あ、あとその戦いでホルケ族の里とは相打ち、つまり全員始末したことにしといてくれ」

 これでレイスの仲間たちは怪しまないし、ここにいる全員の危険は取り除けただろう。

 しかしこれではシフォンの怒りを収めることはできない。

 それにこの二つは罰になっていない。ただの命令だ。

「そしてこれで最後だ。金輪際、レプンクルに危害を加えることを禁止する。そんでもってあんたはこれから人間以外のレプンクルの要求を、命に関わること以外は絶対に断ってはいけない」

「なっ!? ふざけるな! この私が化け物たちの奴隷になれというのか!」

 集一郎の命令に、レイスは怒り叫ぶ。

 しかしもう言ってしまった命令は、王の力のせいで体にすり込まれてしまっただろう。

 もうどんなに抵抗しようと、絶対にそれを覆すことはできない。

 これで完全にレイスはハンター業ができなくなった。

 そして彼が見下していたレプンクルのどんな命令も受けなければいけないのだ。

 レイスにとってこれほどの屈辱はないだろう。

 これで少しでもシフォンの気が晴れてくれれば良いのだがと、集一郎は願った。

「うっ……」

 レイスの怒りの感情が、集一郎を襲う。

 さすがにこれ以上は集一郎も耐えられそうにない。

「これで全部だ。あと、もううるさいから、気を失ってよし!」

「貴様! 絶対にゆる、さ……ん……」

 集一郎の王の力で、レイスは言葉を言い終える前に気絶してしまった。

 それを見届けると、集一郎から光と紋様が消えていく。

「ふぅ、とりあえずこれで終わっ……た」

「集一郎さん! 大丈夫ですか!?」

 光が完全に消えたと同時に、集一郎はその場に大の字に倒れた。

 それを心配したレイスが急いで集一郎の上半身を抱き起こす。

「ご、ごめん、レラちゃん。なんか力が抜けちゃって」

 レイスに何度も力を使ったのが効いたのか、集一郎は疲れ果てて、もうまともに立ち上がれそうにない。

「本当にありがとうございました。集一郎さん……いえ、王様」

「やめてよ。確かに俺に王の力ってのがあるのかもしれないけど、それだけさ、今までと何も変わりない。普通に集一郎って読んでよ」

「はい、わかりました。集一郎さん」

 急に王などと呼ばれても、違和感しかなく、集一郎は背中がむず痒くなった。

 それを察したのか、レラもクスッと笑うと、集一郎の願いを聞き入れた。

 二人はただ無言でお互いに見つめ合う。

「ちょっと、私はまだ納得してないわよ」

 良い雰囲気だったが、シフォンが割って入ってきた。やはりこの程度ではレイスへの恨みを晴らすのに十分ではないようだ。

「この辺で勘弁してくれよ。俺が助けた借りはこれで完全にチャラってことにしてさ」

「なによそれ」

「それに、かわいい子があんまり血なまぐさいこと言うなよ。これからは普通に生活しろって、その方がお前の両親も、きっと喜ぶと思うぞ」

「なっ!? ……ふんっ!」

 かわいいと言われたことに驚いたのか、それとも両親のことを出されたことで反論できなくなったのか、シフォンは不機嫌そうに集一郎に背中を向ける。

 そして深くため息をはいた。

「はぁ~あ、もうどうでもよくなってきたわ。とりあえず、その借りってので一応勘弁してあげるわ」

「悪いな」

 いまいち納得し切れていないようだが、シフォンはレイスを殺すことを諦めてくれたようだった。

「それじゃあね」

 シフォンは一度だけ集一郎の顔を見ると、別れを告げてその場から去ろうとした。

「待てよ、これからどうするんだ?」

「さあね、どこにも行く予定はないし、これから気ままに決めるわ。当面の金はレイスから奪ったのがあるし」

「そうか」

「じゃあ、これでお別れよ」

「ああ、助かったよ。ありがとう」

 集一郎が感謝を述べると、シフォンは何も言わずに夜の闇の中へ消えていった。

「……これで、終わったのかな?」

「はい、全部集一郎さんのおかげです」

「そうなのかな」

「そうです」

 自分が本当にレラたちを救ったといえるのか自信はなかった。

 確かに最後にレラを助けたのは集一郎かもしれないが、シフォンがこちらの見方になってくれなければ、レラたちの場所もわからなかったし、倉庫から逃がすこともできなかった。

 それにレイスに拳銃を向けられた時に、レラの仲間がレイスの腕に飛びかからなかったら、間違いなく集一郎は死んでいただろう。

 結局、今回の事件に関わってきた者たちが、力を合わせた結果だ。

 集一郎一人の成果ではない。

 しかし集一郎はレラの重荷がとれたような柔らかい表情を見て、自分一人の力でなかったとしても、彼女を助けることができたことに変わりはないのだと、それでよかったのだと、思うことができた。

「はぁ~あ、……とりあえず、今日は疲れたよ。早く帰って休みたい」

「フフッ、そうですね。きっと美奈さんも心配してます」

 そんなことを二人で話していると、一台の車が猛スピードで集一郎たちの方へ向かってくる。

 集一郎には馴染みのある車だ。充である。

 車は集一郎たちの前で急停車すると、助手席のドアが開き、美奈が飛び出してきた。

「集くん! レラちゃん!」

「よう、美奈……って、うぉっ!」

「なんで集くんが倒れてるの!? 怪我してるの!? 大丈夫!?」

 美奈はグッタリと倒れている集一郎を見て驚いたのか、先ほどのレイスの身のこなし並みに速いスピードで、集一郎の元に走ると、ベタベタと体を触って怪我をしていないか調べだした。

「痣だらけじゃない!」

 今日だけで少なくとも三回は殴られている集一郎の体は、階段でも転げ落ちたのかと思えるくらいにボロボロだった。

 そんな集一郎の姿を見て、美奈の顔からみるみる血の気が引いていく。

 心配してくれているのはありがたいが、疲れているのでやめてほしい。

 集一郎は慌てる美奈をなんとか落ち着かせようとした。

「大丈夫だから! ちょっと疲れただけだよ。だからそんなに心配するな。な?」

「危ないことはしないって約束したじゃない! 本当に心配したんだよ」

 美奈は今にも泣きそうな顔で、集一郎に怒鳴る。

「わ、悪かったって、とりあえず助かったんだし、そう怒るなって」

「集くんのばかぁ~」

 集一郎がとりあえず無事だったことに安心したのか、気が抜けた美奈は幼い子供のように号泣しだした。

「まあ美奈、集もレラちゃんも無事だったんだからそんなに泣くな。はぁ、集、これで終わったんだろ?」

 充が美奈をなだめようと努力するが、歯止めがきかなくなった美奈は、当分泣き止みそうにない。充は諦めて集一郎に事件の終結を確認した。

「うん、全部解決したよ。だからもう帰ろうよ。みんなの家に」

 そう、すべてが解決した。

 ハンターはもう襲ってこないし、レラも、その仲間達も無事に全員助かった。そして何より、彼女の捜していた王の力を持つ者というのも、意外な解決見せた。

 どんなに見積もっても、これ以上の綺麗な解決はないだろう。

 全身ボロボロだが、内心はとても充実している。

 集一郎はこのまま眠ってしまおうかと目をつむった。

 が、

「ん? ……なんか聞こえるんだが……美奈、警察呼んだ?」

 聞こえてくるのはパトカーのサイレンの音、それが段々とこちらに近づいてきている気がする。

「ふぇ? ぐすっ、う、うん、だって遠目から集くんが倒れてるのが見えたから」

「ばかっ! なにやってんだよ! こんなところ見られてどうやって説明するって言うんだ!」

 群がった狼と、拳銃を握りしめたまま血まみれで倒れている外国人。

 こんなわけのわからない状況を、正直に説明したとしても、絶対に誰もまともに信じてはくれないだろう。

「な? だから俺は言ったんだよ。 警察呼ぶのはとりあえず集一郎が生きてるか確認してからの方が良いんじゃないかって」

「だ、だってぇ~」

「なんでそこでもっとちゃんと止めてくれなかったんだよ!? や、やばい、おじさん、とりあえず急いでここから逃げよう。あとホルケ族の……えっと、狼たち! ここにいたらまずい、解散! とにかく早く散れ!」

 狼たちは集一郎が何をそんなに慌てているのかわからないようで、顔を見合わせながら首をかしげている。

「おじさん! 車! 車出して!」

「お、おう」

 集一郎たちは慌ただしく車に乗り込むと、一目散にその場から離れていった。時折、集一郎と美奈が通報のことで言い争う声と、それを仲裁しようとするレラの声が車から聞こえてきた。



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