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「ハァ、ハァ、ハァ」

 ベンチから姿を消した集一郎とレラは、人気の無い路地裏を無我夢中で走っていた。

 後ろからは、軽快な足音が二人に迫ってきている。レラがハンターと呼んだ少女の足音だ。

 ショッピングモールでハンターと出くわしてしまった集一郎は、その少女に異様な恐怖を感じて、レラの腕をつかみ、店内から逃げ出した。

 そして必死に走り回ったあげく、気がつけばこの路地裏に迷い込んでしまっていた。

「クソッ! また行き止まりだ」

 角を曲がったところで、袋小路に突き当たってしまった。

 この街に住んでいる集一郎も、人通りも全くなく、薄暗いビルとビルの隙間など歩いたことがない。

 そのせいでさっきから曲がる度に、壁にぶち当たってしまう。

 集一郎にもう少し冷静さがあったなら、こんな場所に逃げることもなかったかもしれないが、過ぎてしまったことを仕方がない。今はとにかく追ってきている少女を撒くことに集中しなくてはいけない。

 集一郎はレラを見る。

 レラの顔からは血の気が引いて、息が荒い。

 回復したと言ってもまだ病み上がりである。あまり無理はさせられない。これ以上彼女を走らせるのは酷というものだろう。

「どうする」

 もう道を引き返していたらハンターの少女捕まってしまう。だからといってここでじっとしていても同じことだ。

 集一郎は右側の壁にドアがあることに気づいた。

「頼むから開いてくれ!」

 ドアのノブに急いで手を掛ける。集一郎は祈りながら、それを右に回した。

 カチャッ

「やった! レラちゃんこっちだ!」

「は、はいっ!」

 幸運なことに鍵がかかっていない。

 集一郎はレラの腕を引っ張り、急いで建物の中へ入る。そしてあまり音を立てないように、ゆっくりとドアを閉めて、内側から鍵を掛けた。

 ドアに耳を当て、集一郎はハンターの少女の足音が、少しずつ遠ざかっていくのを確認すると、大きく息を吐いた。

「はぁ、ひとまずここに隠れて様子を見よう」

「はい……ところで、ここはなんでしょうか」

 レラは自分たちが入った建物が何なのか気になり、集一郎に尋ねた。

「バー……かな、簡単に言えば、大人がお酒を飲む場所だよ。もう潰れちゃってるみたいだけど」

 二人はどうやらショットバーを、裏口から入ったようだった。

 大人の隠れ家的な空間を意識していたのだろうか、モダンな造りで、落ち着いた雰囲気を醸し出す店内は、磨りガラスでできた小さな窓がある程度で、外からの明かりはあまり入ってこないために、薄暗い。

 今は経営していたときの家具や、小物にホコリを積もらせて、静けさを保っていた。

 ふと、集一郎はレラの腕をまだつかんでいることに気づいて、手を離した。しかし、離した瞬間に、彼女が震えていることに気づいた。

「大丈夫?」

 薄暗くてレラの顔色をうかがい知ることはできないが、とても元気な状態とはいえそうにない。

「す、すいません。突然だったので驚いてしまって……も、もう大丈夫です」

 レラは集一郎に気を遣わせたくないのか、明らかに無理をしているように見えた。

「……念のため、どこかに隠れて少し休もう」

「わかりました」

 二人はカウンターの後ろへ行き、にしゃがみ込む。

 店内には二人の息づかいと、空調機の駆動音のみが流れる。

「さっきの女の子が、レラちゃんの言っていたハンターなのか?」

「はい」

 レラは小さくうなずく。

 集一郎は勝手なイメージで、ハンターは厳つい男だと思い込んでいたので、あのような小さな少女がレラの言うハンターだということに、驚きを隠せない。

「でも、なんで私の場所がこんなにも早くわかったんでしょうか。方角もわからなくなるように、遠回りまでしてこの街に来たのに」

 いつかは居場所を突き止められると思っていただろうが、レラにとってこんなに早くハンターが現れるのは予想外だったようだ。

「とりあえず、もう少しだけここで様子を見よう。しばらくしたら美奈に連絡して、おじさんにでも迎えに来てもらえば、きっと大丈夫だよ」

「……はい」

 レラは集一郎に返事をすると、首飾りを取り出して強く握り、祈るようにうつむいた。

「その首飾り、とても大事なものなんだね」

 集一郎は少しでもレラの気を紛らわすために、何気ない話題を彼女に振る。

「これだけなんです。里から持ってこれた父の形見は」

 レラは首飾りの模様を、指で愛おしそうになぞった。

「じゃあ、それはレラちゃんの宝物だ」

「宝物? そうですね。これは私の宝物です」

 レラは首飾りを眺めて笑う。

 僅かながらレラに生気が戻ったように感じられた。その姿を見て、集一郎も少しだけ気が楽になった。

(少しは落ち着けたかな)

 空調のおかげか、店内は暑くも、寒くもない。集一郎はだんだんと汗が引いて、体力が戻ってきた。

(あれ? そういえば、なんで店が閉まっているのにエアコンが動いて――)

 ガチャンッ!

「「!?」」

 ドアを力強く開ける音がして、集一郎とレラは驚いてさっき以上に身をかがめる。

(鍵は閉めたはずなのに……誰だ?)

 勘違いなのではなく、確かに集一郎はドアの鍵を閉めたはずだった。

 しかし、ドアは難なく開いて、店内に誰かが入って来る。

 集一郎はそれがハンターの少女でないことを心から願った。

 コツ、コツ、コツ――

 足音がだんだんと店の中央へ向かっていくのがわかる。

 コツ、コツ、コツン。

 中央まで行ったあたりで、足音がぴたりと止まった。

 集一郎とレラに緊張が走る。

「隠れても無駄よ」

 足音の主の、よく通った声が店内に響いた。

 聞き覚えがある。最悪なことにハンターの少女のようだ。

「よく考えてみなさい。なんで都合よくドアの鍵が開いていたと思うの? 初めからここにおびき入れるつもりだったのよ」

 集一郎は少女の言葉に、心の中で自分に罵声を飛ばす。

(なんでこんなわかりやすい罠に引っかかったんだよ!)

 よくよく考えれば店の鍵が不用意に開いているわけがない。

 集一郎はまんまと犬に追われる牛のように、この店に誘導されていたのだ。

「フッ、本当に間抜けよね。私もここまで簡単にいくとは思わなかったわ」

 少女が小馬鹿にしたように鼻で笑う。

 そして再び少女が足音を鳴らした。

 コツ、コツ、コツ――

 ゆっくりと集一郎とレラが隠れているカウンターに少女が近づいてくる。

「あと、こんな狭い場所で隠れたって、どこにいるか丸わかりなのよっ!」

 それは一瞬の出来事だった。

ハンターの少女はカウンターを飛び越えて、集一郎たちの真上に現れる。そして間髪入れずに集一郎を蹴り飛ばした。

「なっ、ぐぁっ!」

 小さな体のどこにそんな力があるのか。少女の蹴りで集一郎は吹き飛ばされて、床を転がる。

「かはっ! ゴホッ!」

 腹部に強い衝撃を受けて、うまく呼吸ができない。

「集一郎さん! きゃっ!」

 レラが集一郎に駆け寄ろうと立ち上がる。

 だがハンターの少女はレラの髪をつかみ強引に引き寄せる。

「本当に手間取らせてくれたわね」

「痛っ!」

 髪を引っ張られて、苦痛に顔がゆがむレラ。

 ハンターの少女はその姿を見て、楽しそうに顔を引きつらせて笑っていた。

「や、めろ」

 集一郎は痛みをこらえて、壁を支えに何とか立ち上がった。

「あら、まだ立ち上がれるのね。わりと全力で蹴ったつもりだったけど、見かけによらず丈夫なのね」

 少女は立ち上がった集一郎に驚いたようだったが、集一郎の足下を見て鼻で笑って見せた。

「ふっ、でも足が震えているわよ。立ってるのでやっとなんじゃない?」

「うるせえよ」

 頑張って立ち上がったものの、集一郎の足は吹けば倒れてしまいそうなほどに、弱々しく震えている。壁にもたれていなければ、立つこともおぼつかないだろう。

 集一郎が限界なのは足だけではない。

 蹴られた腹部には激痛が走り、今にも胃の内容物が逆流するのではないかと思えるくらいに気持ち悪い。

「――でだ」

「何よ?」

「何でそこまでして、彼女や仲間たちを襲うんだ!」

「は? 何で? 何でですって?」

「いやっ!」

 集一郎の言葉に、ハンターの少女の顔が怒りに満ちていく。

 少女はレラの髪をつかんだまま集一郎へ歩み寄ってくる。

 そして、もう一方の手で集一郎の胸ぐらを掴んで、そのまま壁に押しつけた。

「ぐぁっ!」

 抵抗しようともがくが、まだ足腰に力が入らない。ハンターの少女は全く微動だにしない。

「私はね、こいつらが大嫌いなの。殺してやりたいくらいにね」

 ハンターの少女は静かに、しかし威圧的に集一郎に告げる。

 集一郎は少女を刺激しないように、ゆっくりと問う。

「どうしてなんだ? なんでそこまで」

「どうして? 私はね、幼い頃にホルケ族に両親を殺されたの! だから私はあなたたちホルケ族を絶対に許さない!」

「そんな、嘘です!」

 そんなはずがないと、レラが少女の言葉を力強く否定した。

「私たちホルケ族は他人を傷つけてはいけないという教えがあります。それなのに人殺しなんて……」

「なにが教えよ。私は見てたのよ? 狼に姿を変えるレプンクルが、私の両親を殺すところを!」

 ハンターの少女の顔が歪む。

 その表情からは怒りとも、悲しみともとれる激しい感情が見て取れた。

「そんな……嘘です。そんなわけない」

 ハンターの少女が言っていることが本当なら、レラと同族の誰かが、少女の両親を殺したことになる。レラは床に手をついて、少女の話に絶望した。

「ふんっ、まぁ簡単には殺さないから安心しなさい。その変わり、あんたの仲間たちもまとめて、悪趣味な金持ちに売り払ってあげるから」

 少女はレラをそのまま絶望の淵に落とそうと、非道な言葉を投げる。

 だがレラは言葉の中に一つだけ希望を見つけた。

「仲間? ひょっとして、里のみんなは無事なんですか!?」

「ええ、今は檻の中でおとなしくしてもらっているわ。まぁ、金持ちのところに行けば、その後はおもちゃや剥製にでもされるんでしょうけどね」

「そんな……」

 仲間が生きている。レラはそれを聞いて舞い上がりそうになったが、その後の言葉で、今度こそハンターの少女の思惑通りに、絶望の淵にたたき落とされた。

 レラの表情を見て、ハンターの少女は高らかに笑う。

「アハハハッ! いいわね、その表情! 久しぶりに気持ちよく笑えたわ! ……さて、話が少し長くなってしまったわね」

 一通り笑い終えると、少女は腰に手を回して、なにかを取り出した。

「なっ、拳銃!?」

 少女が取り出したのは、集一郎が映画でよく見たことのあるリボルバーといわれる類いの拳銃だった。

 その銃口が集一郎の方を向く。

「悪いわね。顔も見られたし、普通の人間には興味ないの。まあ、こんなどうしようもない狼を助けた自分を呪いなさい」

 ただ銃の尖端が向いているだけだというのに、集一郎の足はまるで地面に縫い付けられたかのように、動けなくなった。

(やばい、さすがにこれはまずい)

 今までに経験したことのない緊張と恐怖が集一郎を襲った。

 そんな時だった。

「集一郎さん! 逃げて!」

「ちょっ!?」

 レラがハンターの少女の腕に飛びついた。銃口が集一郎から外れる。

「くそっ、私の邪魔をするな!」

「きゃっ!」

 レラは集一郎を逃がそうと、ハンターの少女の腕を押さえつけたが、その行動が少女の逆鱗に触れてしまった。レラは蹴り飛ばされて思い切り壁に叩きつけられてしまった。

 集一郎を向いていた銃口が、今度はレラをの方を向いた。

「あまり私をなめるんじゃねぇぞクソがっ! たかがあんた一匹殺したところで私としてはなんの問題もないんだから! 決めた、やっぱり一匹も殺さないなんて私の気が収まらない。ここであんただけでも殺してやる!」

 怒りに狂い、汚い言葉を吐くと、ハンターの少女は集一郎の存在すら忘れて、レラの額に拳銃を押しつけた。

(まずい!)

 殺気だったハンターの少女は、本当にレラを殺すつもりでいる。

(どうする? どうしたらいい!)

 集一郎は焦る。しかしどんなに頭を巡らせてもなんの打開策もうかばない。

(このままじゃレラちゃんが……)

 集一郎自身にも聞こえてくるほどに、心臓の音が激しくなる。

 ハンターの少女は引き金に指を掛ける。そんな危機的状況だというのに、レラはピクリとも動かない。どうやら壁に叩きつけられた衝撃で、気を失ってしまったようだ。

(駄目だ、やめろ)

「死ね」

 少女の指に力が入っていくのがわかる。もう後がない。

 集一郎は最後の手段に出た。

「やめろおおおおおぉぉぉぉぉ!!」

 集一郎は大声で叫びながら、ハンターの少女めがけて突進する。

 もう悠長に考えてはいられない。ただレラを助けるために、痛みの残る体を無理矢理に走らせた。

「気でも狂ったの?」

 ハンターの少女がすかさず銃口を、走ってくる集一郎に向けようとした。

「何? 体が……うがっ!」

 しかしハンターの少女はまるで石になったかのように、動かなかった。そして集一郎の突進を、避けることもできずに直撃してしまう。

 うめき声を上げて、少女の体が吹き飛んだ。

「ハァ、ハァ、な、なんだ? 当たったのか?」

 ハンターの少女を見ると、起き上がってこない。どうやら気を失ってしまったようだ。

「助かった……のか?」

 あまりに無計画な行動が成功したことに、当の本人である集一郎も戸惑ってしまう。

「って、そんなことよりも、レラちゃん! 大丈夫か!?」

 集一郎は、気を失ったレラのもとへ急ぐと、彼女の肩を抱き上げた。

 するとレラは意識を取り戻して、ゆっくりと目を開く。

「ん、集一郎さん……今のは……」

 レラは倒れているハンターの少女を見て、集一郎に問う。

「わからない。なぜだかはわからなんだけど……一瞬あの子の様子が変になって、ほとんどやけくそだった体当たりが当たったんだ」

 おそらくあの程度の体当たりなど、集一郎を蹴り飛ばした時の身のこなしから見ても、避けるのは容易だったはずだ。

 理由はわからないが、一瞬なにかに戸惑うような様子を見せて、ハンターの少女は集一郎の攻撃にぶつかってしまった。そのことをレラに話すが、レラが聞いたのはどうやらそのことではなかったようで、首を横に振った。

「いえ、そのことではなくて……さっき感じた匂いは――」

「くっ、やって……くれるじゃない」

 レラがなにか言おうとした時、ハンターの少女が集一郎の予想に反して、早く意識を取り戻した。

 少女はすぐに立ち上がるが、まだダメージが残っているのか、体がふらついていた。

 少女の手に拳銃はもうない。

 どうやらさっきの衝撃でどこかに飛んでいったようだ。それに気づいて、集一郎はひとまず胸をなで下ろす。

「頼む、もうやめよう」

「やめる? ふんっ、笑わせないで、絶対にこんなところで諦めたりしないわ!」

 ハンターの少女が思いきり右腕を振ると、何も持っていなかったはずの手から、手品のようにナイフを取り出した。

 そしてゆっくりと集一郎たちににじみ寄る。

 まだ諦めようとしないハンターの少女。

 集一郎はレラを背中に隠すようにして、少女から守る。

「シフォン、そこまでだ」

「「!?」」

 緊迫した空気を、男の低い声が切り裂く。

 集一郎が声の方を向くと、そこには黒いコートを羽織った長身の男が立っていた。

(いつ、入ってきたんだ?)

 ドアの開く音も、足音も聞こえなかった。男はまるで初めからそこにいたかのように、当たり前に立っていた。

 歳は三十代といったところか、背は高いが細身で、彫りの深い顔をした金髪の白人。その男は落ち着いた歩調で、ハンターの少女に近づいていく。

「レイス様」

 男の名前はレイスと言うらしい。レイスはハンターの少女の頭を優しく撫でる。

「ここまでよくやったシフォン。君の役目はここまでだ、後は私に任せなさい」

「で、でもレイス様、これは私が――」

「シフォン、私がやると言ったんだ」

「……わかりました」

 レイスはハンターの少女、シフォンを説き伏せる。

 その様子から、シフォンとレイスの上下関係がよくわかった。

 シフォンはレイスを受けて、渋々と後退した。

 それを見届けると、レイスはレラの方を向いて、紳士的にお辞儀をしてみせる。

「これは銀狼の姫君、王はもう見つかったかな?」

「なっ!? なんであなたがそのことを知っているのですか!」

 レイスはレラがここに来た目的をどうやら知っているようだ。レラはそのことに動揺を隠せない。

「私たちハンターが、一体どれだけの長い間、君たちレプンクルを狩っていると思うんだい? 伝承のことなどとっくの昔に私たちハンターに知れ渡っているよ」

「じゃあ、私たちの里を襲ったのは……」

「もちろん、君を捕まえるためさ。ハンターの脅威になり得る存在を見過ごすわけにはいかないだろう」

「驚異って、私たちは人間になんの危害も加えてません。それなのになんで!」

 ホルケ族は人との関わりをできるだけ避けて生きてきた。それなのに彼女たちのなにが驚異だというのか。レラの悲痛の叫びが店内にこだまする。

「さっきも言ったが、私たちハンターはレプンクルを狩るのが仕事だ。それなのに王などというわけのわからない者のせいで、私たちの仕事ができなくなっては困るんだよ。それでは私たちの収入がなくなってしまう。君たちは簡単に大金になるからね」

「そんな……」

「ところで、君は誰だ? 見たところ人間のようだが」

 絶望するレラをよそにして、レイスは二人の会話を、ただ黙って聞いていた集一郎を指さした。

 集一郎は身構えてレイスを睨む。

「俺は、レラちゃん達の味方だ」

 集一郎がそう言うと、レイスは急に腹を抱えて笑い出した。

「味方? フッ、アハハハハハハハハハハハッ!」

「なにがおかしい!」

「ハァ、いやすまない。君があまりにもおかしなことを言うものだからね。人間の君がレプンクルの味方だって? その様子だと、レプンクルの存在については理解しているのだろうが、こんな害虫風情によくそこまで肩入れできるものだ」

「害虫だって? ふざけるな! レラちゃんたちは俺たちに迷惑にならないようにって、静かに人気のない山の中で暮らしてたんだぞ。それなのになんでそんな風に言えるんだ」

 集一郎の言葉に、レイスは呆れた顔で首を横に振った。

「まったく、これだからガキは嫌いなんだよ。君には人間としての誇りというものがないのか?」

「なにが誇りだ。危機から逃れてきた奴らを助けられないような、懐の狭い誇りなら、俺はいらない」

 誰かを傷つけてしまうようなものが、人間の誇りだというハンター。

 集一郎はハンターの身勝手さにどうしようもない怒りを覚える。

「ハァ、まったくもって残念だよ」

 残念と答えるレイスだが、表情は至って冷静だ。レイスはゆっくりと集一郎たちに近づいていく。

 集一郎はレイスを後ろに隠しながら後退する。

「諦めろ、君がどうしようとそのレプンクルは頂いていく。それと、君には感謝するよ。おかげで時間稼ぐ手間が省けた」

「時間稼ぎ? 何を言って――」

「う、うぅ……」

「っ!? レラちゃん!」

 レラが突然苦しみだして、その場にしゃがみ込んでしまった。

「か、体が、痺れて……」

 座っていることもできなくなってしまい、レラは床に倒れた。

「レラちゃん! くそ、何がどうなってるんだよ!?」

 集一郎が、苦しむレラを抱えて混乱していると、レイスがその様子を見て笑い出した。

「アーハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ! 効き目は悪くないな」

「効き目って……お前、レラちゃんに何をした」

「薬だよ」

「薬だって?」

 レイスはコートの内側から、得意げに小さなガラス瓶を取り出した。中には乳白色の粉末が入っている。

「私たちハンターは、もう何百年とレプンクルを狩っている。当然その体のこともよく研究しているんだよ。この薬はレプンクルにだけ効く特殊な薬でね。これをある程度吸うとレプンクルは体が痺れて動けなくなるんだ。まぁ、効き目は十分もしたらなくなってしまうんだがね」

 改良が必要だと最後に呟いて、レイスは薬の入った瓶をコートにしまった。

「でも、いったいどうやって」

 集一郎は疑問に思った。レイスはいつレラにその薬を吸わせたのだろうか。

 レイスは一度もレラに触れてはいない。レイスの仲間であるシフォンという少女も、レラを掴んではいたが、その薬を取り出した素振りすらなかった。

「簡単なことさ、この薬はかなり細かい粒子でね。ここの空調でも楽に飛んでくれたよ。君は気にならなかったか? 店が閉まっているのに、なぜ空調が動いているのか」

「っ!?」

 そのレイスの言葉で集一郎ははっとなった。

 潰れてしまった店だというのに、ここの空調は動いていた。ここにおびき寄せたとシフォンも言っていたが、そのためだけにわざわざ空調機を動かす必要はない。集一郎も空調のことには気づきかけていたのだが、シフォンの来襲によって、綺麗に忘れてしまっていた。

 集一郎は小さく舌打ちをする。レイスは最初からすべて計画通りにことを進ませていたのだ。

 この店に入ったことも、その後の展開も、集一郎は完全にレイスの手の上で踊らされていた。集一郎は自分が完全に詰んでしまったことを自覚した。

「おや? 顔色がだいぶ悪いようだが、大丈夫かい?」

 集一郎の焦りに気づくと、レイスは楽しそうに笑う。

(ちくしょう、どうすればいいんだ!)

 まだ何か逃げる手段はないか、頭を必死に巡らしてみる。

 そんなことを考えていると、レイスの後ろでテーブルが突然倒れた。

 ガタンッ!

 集一郎が音のした方を見ると、横にあったテーブルと一緒に、シフォンが苦しそうに倒れている。

「レイ、ス様……何で」

「ああ、やっと効いてきたか。やはり種族によって効果が出るのに、多少の誤差があるようだな」

 レイスはシフォンに近づくと、助けようともせずに、苦しむ少女の姿を興味深く観察している。

「な、何でその子が……ま、まさか、その子もレプンクルなのか」

 今倒れているシフォンの姿は、明らかにレラと同じ症状に見える。

 レイスはレプンクルにだけ効く薬だと言っていた。ということはハンターの仲間、レラを捕まえようとしていたシフォンも、レラ同様にレプンクルだということになる。

「そう、君の言うとおり、シフォンはレプンクルだ。私が猟犬として育てた。ただホルケ族のような狼でなく、これは狐だがね」

 レイスは自分でシフォンを育てたと言いながら、まるで汚い物でも扱うように、仲間であるはずの少女を足で小突く。

「レイス様……た、助けて」

 シフォンが助けを求めてレイスの足を掴んだ。

 しかしレイスはそんな彼女を見下ろすだけで、手を差し伸べようともしなかった。

「シフォン、私がお前に言ったことを忘れたのか? 君の役目はここまでだと」

 シフォンに冷たく言い放つと、レイスは足を掴んでいた少女の手を振り払った。

「もうお前は必要なくなったんだよ。ホルケ族の里で捕まえた中に、幼い子供がいただろう? 今度はあれを駒に使うことにしたんだ。狼の方が狐よりも体力があって色々と使い勝手が良さそうだからね」

「そ、んな……」

「あと、最後にもう一つだけ教えてあげよう。お前の両親だが……殺したのは確かにホルケ族だが、それを命令したのは私だ」

「ぇ……」

 レイスの衝撃的な言葉に、シフォンは目を見開いた。

「な……何で、どうして!」

「私はお前を飼う前に、ホルケ族を一匹、猟犬として飼っていたのだが、生意気なことに私の命令に疑問を持ち始めてね。そろそろ替え時だと思っていた時だった。たまたま立ち寄った街で、お前たちの家族のことを知り、猟犬に家族を襲わせて、その後猟犬も殺してお前を代用にしたんだよ」

 レイスは事細かく説明をする。

 長々と両親を殺して、自分を騙した経緯を聞かされたシフォンの顔には怒りが満ちていた。

「ゆる、さない……絶対に」

 シフォンはもう一度レイスの足に掴みかかろうとするが、薬のせいで体が痺れてしまって、そこにたどり着くことすらできない。彼女の手はむなしく空を掴むだけだった。

 そんなシフォンの弱った姿を見て、レイスはなお一層笑った。

「ククククッ、腹が立つか? 悔しいか? だが安心しろ。すぐにまた両親に会えるようにして……ん?」

 もっと屈辱に浸らそうと、レイスはシフォンに挑発的な言葉を投げる。

 だがシフォンが段々と動かなくなっていくのを見て、レイスは話すのをやめた。

「ちっ、気を失ったか。もう少し楽しみたかったんだが」

 そういうとレイスは何事もなかったかのように、集一郎たちの方へ向き直った。

「さて……待たせたね。それでは本題に入ろうか」

「お前、反吐が出るくらい最低なやつだな」

 いくら敵だといっても、さっきの光景を見て、なんとも思わない人間はいないだろう。集一郎の拳は力一杯に握られて、怒りに震えている。

「何と言おうと君には関係ないことだ。さぁ、その銀狼を渡してもらおう」

「誰がお前なんかに!」

 レイスが手を差し出してきたが、集一郎は一喝して、それを断った。

 深くため息をつくレイス。

「はぁ、まったくもって理解に苦しむ。君は自分が完全に負けていることに気づいていないのか?」

 レイスの言うとおり、集一郎はこの状況を打破する手段を持ち合わせていない。しかしそれでも集一郎はここで引き下がる気にはならなかった。

「仕方がない。それなら少し荒っぽくいかしてもらおう、かっ!」

「なっ!?」

 気がつけばほぼ一息でレイスは集一郎の目の前にまで迫った。

 油断していた集一郎には、テレポートか何かをしたのではないかと思えるくらいに速い動きだ。

 集一郎は慌てて後ろに飛んで体勢を整えようとしたが、足が床につくよりも速く、レイスの膝蹴りが集一郎の腹部を襲う。

「ごぁっ!」

 シフォンにやられた時よりも、かなり重い一撃だった。

 集一郎は腹を押さえて、床に丸く倒れた。

「集い、ち朗さん……」

「それでは、銀狼はもらっていくよ」

 レイスは体の自由のきかないレラを、軽々と肩に担いだ。

「ゴホッ! ハァ、ハァ、ま、待てよ」

 こみ上げてくる痛みと吐き気を押さえながら、集一郎は床に這いつくばり、レイスのコートを力一杯に掴む。

「まったく、往生際の悪いぞ少年。ん?」

 レイスは呆れた表情で集一郎を見下ろしていたが、床に落ちていたある物に気づいて、それを拾い上げる。

「シフォンめ、こんなところに落としていたのか」

 レイスが手にしたのは、シフォンが集一郎に体当たりされて、落としてしまった拳銃だった。レイスは拳銃を握ると、銃口を集一郎に向ける。

「私の服から汚い手を離せ」

「ふん、……誰が離すかよ」

 集一郎は振り解かれないように、もう一度手に力を込める。集一郎にはもうレラを助ける手段はない。

 完全に悪あがきだ。

 レイスはそんな集一郎を見て、冷静に答えた。

「なら、死ね」

「くっ……」

 集一郎は目をつむる。

(これで終わりか)

 死を覚悟する集一郎。銃声が鳴るのを、まぶたの裏を眺めながら待つ。しかし、店内に発せられたのは、銃声ではなく、レラの声だった。

「待って、くだ……さい」

「レラちゃん?」

 レイスの肩に担がれているレラが、薄弱とした声で話した。

「私は、もう、抵抗しま、せん……だから、お願いです。……こ、の人だけは……集一郎さん、だけは助けて、ください……この人は、私たちとは、無関係です」

「レラちゃん、なにを言って――」

「集一郎さん。……色々とありがとうございました」

 レラは集一郎に力なく微笑んだ。それを見てレイスは笑う。

「そんな……」

 ここに来て諦めてしまうのかと、集一郎はレラに叫ぼうとしたが、レラが自分を守るために身を犠牲にしたのだと感じて、自分の不甲斐なさを痛感してしまい言葉も出なくなってしまった。

「クックッ、泣かせてくれるね。……いいだろう。約束通りに少年を殺すはやめてあげよう」

 コートの内側に銃をしまうレイス。そして集一郎の掴んでいた手を軽く振り解いた。

「それでは、さよならだ少年」

 レイスはレラを担いで扉に向かう。

「おお、そうだ」

 しかし、なにかを思い出して、また集一郎の方へきびすを返す。

 その表情はシフォンを言葉でいたぶっていた時のように、楽しげだった。

「元々はシフォンをここで始末するために、あり合わせで作った物だが……君にプレゼントしよう」

 そう言うとレイスはなにかをテーブルの上に置いた。

 それは腕ぐらいの太さのある紙筒と、それから伸びる細いケーブルがアナログの時計に繋がっている。明らかにそれはよくテレビドラマに出てくるような、ありきたりなまでに爆弾だった。

「爆弾!?」

「さすがに見ればわかるか。小さい物だが、この程度の店内なら簡単に吹き飛ぶだろう。もちろん、君も、そこにいるシフォンも巻き込まれれば、命はない」

「っ!? そんな……約束が、違います!」

 約束に応じると言っていたが、レイスはそれを容易く破った。

そして慌てて抗議しようとするレラの表情を見て、またもや楽しそうに笑う。

「私の手では殺さない。だから約束を違ったつもりはない。それにタイマーは三分程度にセットしてある。その間に必死に生き延びる手段でも見つければいいさ」

 レイスは時計の電源を入れると、床に伏してい集一郎を見下ろして高笑いする。

「健闘を祈るよ。フフッ、フハハハハハハハハハハハハハハハ!」

「集一郎さん……」

 レイスはそのままレラを抱えて、裏口から外へと出て行った。

 ドアが閉まると同時に鍵の掛かる音がする。どうやら集一郎を生かすつもりなど、最初からないようだった。

「く、そ……」

 レイスが去ったのを見て、痛む体に鞭を打つように集一郎は立ち上がると、テーブルに置かれている爆弾に目をやった。

 時計の時間は十一時五十七分と秒針が半分を過ぎたところだった。レイスの言うとおりなら、爆弾は針が十二時を指したら爆発する仕組みなのだろう。

 裏口のドアに近づきノブを回すが、鍵がかかっているので当然開かない。集一郎は近くにある椅子を掴んで思い切りドアに叩きつけた。

 バキッ!

「……駄目か」

 椅子が壊れただけでドアはびくともしない。ひょっとしたらドアの反対側をなにかで押さえているのかもしれない。正面の入り口も、おそらく同じように脱出することは不可能だろう。

「くそっ、どうすればいいんだ」

 何とかしてここから脱出したいが、なにもいい術が浮かびそうにない。集一郎は諦めてその場に座り込んでしまった。

「レラちゃん……」

 集一郎は最後に見せたレラの笑顔を思い出す。

 自分のことを顧みずに、彼女は自分を助けようとしてくれた。そんなレラに集一郎はなにもしてやれない。できることならここから出て助けたいが、このままではそれもできそうになかった。

「せめて隠れる場所でもあればな」

 一人呟く集一郎。そんな時、ふと一つの疑問が集一郎の頭に浮かんだ。

「待てよ」

 地面を見つめていた顔を上げる。

「そういえば、あいつはどうやってここに入ってきたんだ?」

 レイスは足音も、扉の音すらなく、まるで煙のように店内に現れた。しかし、火のないところに煙は立たないというのだから、何かしら理由があるに違いない。

 集一郎はレイスが最初に立っていた場所まで行くと、辺りを見回した。

「何かあるのか? ……ん?」

 何歩か進むと、急に足音が変わった。

「何だ、これ?」

 足下をよく見てみると、そこには取っ手のような溝が床にあった。集一郎はその溝に指を突っ込んで持ち上げる。

 すると静かに開いた床板の奥には、下に伸びる階段があった。

「階段? 地下か?」

 それは地下室に延びる階段だった。

 おそらくレイスはここで集一郎たちの様子を見ていたのだろう。

「ここなら助かるかもしれない。いや……でも」

 爆弾の爆発がどれほどのものなのかわからないが、少なくともここにいるよりかは安全だろう。

 集一郎は爆弾の時計を見る。もう爆発の時間が迫ってきている。考えている余裕などない。

「やばい、急がないと」

 集一郎は地下に降りようと急ぐが、階段の一段目を踏み込んで、すぐに足を止めた。

「ママ……パパ」

 レイスに騙されて、涙を流しながら気を失っている少女、シフォンが目に入った。

「俺も馬鹿だな」

 自分に悪態をつくと、集一郎はシフォンを背中に負ぶった。

 さっきまで敵だったとはいえ、彼女もレイスの被害者だ。

 ましてや両親を呼びながら、涙を流しているような少女をこのまま見捨てられるほど、集一郎も非道にはなれそうになかった。

「お前も悔しいなら、こんなところで死ぬわけにはいかないよな」

 集一郎はシフォンを背中におぶって、地下室への階段を急いだ。

 もう爆弾のタイムリミットは近い。

「間に合えよ」

 ある程度降りたところで、集一郎は扉を閉める。

 それから数秒後、誰もいなくなった店内は、一瞬にして真っ赤な炎に包まれた。


 *


 ゴオオオオオオオオオオオォォォォン!!!

 繁華街。太陽の光に変わり、まっすぐに伸びた街灯が照らす中を、落雷にも似た轟音が唸る。

「これで面倒ごとは片づいたな」

 黒いコートを着た男は、音のした方を振り返ると、まるで部屋の掃除が終わったかのような軽い口調で笑う。

(そんな……)

 薬のせいで朦朧とする意識の中、男に担がれた銀髪の少女は愕然とした。

 あの煙の柱が立っている場所には、少女がよく知る少年がいた。

 しかし、あの爆音である。おそらくかなりの大きさの爆発があっただろう。

(こんなことになるなんて)

 自分にさえ関わっていなければ、きっと少年はこんな危険な目に遭うこともなかった。

 すぐにあのアパートから消えていれば、いや、むしろあの雨の日、少女を少年が見つけてさえいなければ――

 少女はそんな風に考えながら、後悔を募らせて、涙を流す。

「さて、それでは行こうか」

 コートの男は少女を抱え、また歩き出す。

 少年の安否を確認しに、今すぐにでも爆発の起きた場所に行きたいが、少女の体は少しずつそこから離れていく。

(集一郎さん)

 少女は少年の名前を最後に呟いて、静かに意識を失った。



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