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 三月、雨の降り続ける中を、梅戸集一郎は下校するために、学舎の昇降口を出て傘を差した。

 外に出ると他の生徒達が、友人同士で楽しそうに下校している。

 しかし、そんな周りの空気に反して、集一郎のテンションはかなり下降気味だった。

 上着のポケットから二つ折りの財布を取り出して開くと、彼は深くため息をはいた。

「……はぁ」

 中に入っているのは数枚のレシートと、いつ作ったかも忘れてしまった何かの店のポイントカード、あとは小銭が少々、紙幣どころか大きな硬化すら入っていない。見るからに寂しい中身に悲しくなる。

「あーあ、明日からどうすっかな」

 明日からの予定を考えるが、当分は節約生活で贅沢は出来そうにないと思うと、集一郎の気分はより一層落ち込んだ。

「集く~ん!」

「ん?」

 そんな暗い考えを巡らせていると、集一郎には聞き慣れた少女の声に呼び止められて振り返る。

「よお美奈、今日は部活ないのか?」

 可愛らしいピンク色の傘を差した少女、美奈が制服のスカートをなびかせながら集一郎の元に駆け寄ってきた。

「も~、何言ってるの。終業式だからどこも部活は休みだよ」

「そうか……って、言ってもお前らの部活活動って漫画読むだけだろ?」

「ちょっと、やめてよ。日本にある全部の漫研が漫画を描かないといけないって誰が決めたのよ? 私たちはちゃんと漫画の研究をしてるもん!」

 力説をする美奈、その研究とは何なのかと問いただしてみたくなったが、これ以上言うと話が長くなる気がした集一郎は、口をふさぐ。

「……それより、集くんはもう帰るの?」

「そうだけど……それがどうかしたか?」

 帰宅部の集一郎が学校に残る理由などない。言葉の意図が掴めなかった集一郎は、美奈に聞き返した。

「さっき山崎君たちを見かけたけど、今日はみんなでゲームセンターとかカラオケで遊んで帰るって言ってたよ?」

 美奈が「一緒に行かないの?」と、不思議そうに集一郎に問いかける。

 美奈のいう山崎君とは、集一郎の友人の一人だ。

 今日は一年生最後の終業式で、大した授業もなく学校は午前で終わる。明日から春休みに入るので、集一郎の友人達は帰宅せずにそのまま街に出て羽目を外して遊ぶのだろう。 当然集一郎も誘われたのだが、財布の中身が数百円しかないので断ってしまった。

「知ってるだろ? 俺、金欠なの、だから今日はパス」

 集一郎は現状の問題を思い出して、また気分は奈落の底へと落ちてしまった。

 その姿を見て、美奈は自分が集一郎の地雷を踏んでしまったことに気づいて、すかさず話題を変えた。

「あ~、そういえばそうだったね…… ねぇ、それなら今日はまっすぐ帰るんでしょ? 一緒に帰ろうよ」

「ん? ああ、別に良いよ」

 特に用事のない集一郎には断る理由もない。

「えっへへー」

 美奈は何が嬉しいのか、にこにこ笑いながら集一郎の横に並んで歩き出す。

 彼女、梅戸美奈は集一郎と同い年で、同じ高校に通う幼なじみだ。もっと深く説明するなら、集一郎の従兄弟に当たり、集一郎の住んでいるアパートの大家の娘でもある。

 去年の二月頃、集一郎の父の転勤が決まり、母も一緒について行くことになった。

 しかし、地元の高校の試験に受かった集一郎は、一緒について行くのを断って、今は美奈の父が経営しているアパートの一室を借りて暮らしている。

 最初は親の目を気にしないで、のんびり一人で気ままな暮らしが出来るとはしゃいでいた集一郎だったが、両親は親戚である美奈の家が経営するアパートに部屋を用意されて、結局美奈の父に監視される状態で暮らすことになってしまったのである。

 だが今では、たまに夕飯に誘ってもらったりして、自分の家計の負担が減って助けてもらっているので、そこまで悪い状態でもないと思っていた。

「それにしても、よく降るよね」

 灰色の空を見上げながら、美奈は寒そうに手をこすり合わせる。

 暦ではすでに春だといっても、三月はまだまだ寒い。それに加えて、曇天と朝から休むことなく降り続ける雨が、寒さをより一層際立たせていた。

「そうだなー、この感じだとヒーターはまだ片付けられそうにないな」

「そうなんだよね~、そんなだからすぐに灯油がなくなって、家計の負担になるから本当に大変だよ」

 まるで主婦のような愚痴をこぼす女子高生の美奈。

 彼女は幼い頃に母を亡くしていた。そのために家事など、家の仕事の殆どを美奈がこなしている。

 集一郎から見ても、家事全般をそつなくこなす美奈の姿は、とても同い年とは思えないほどしっかりしている。

「灯油か、そういえば俺の部屋のも減ってきたな。もう一回ぐらい買っといた方が……」

 そんなことを言ってみた物の、懐の寒さをまた思い出してしまった。

「はぁ、またバイト探すかな」

 ため息をついてぼやくと、美奈が不機嫌そうに顔を膨らせた。

「もぉ! だからあの時、私も半分払うって言ったのに~」

「俺が拾った子犬だしな、お金まで迷惑はかけられないよ」

 美奈の言うあの時とは、ちょうど一月ほど前の話になる。集一郎は怪我をした子犬を拾った。

 集一郎は子犬を急いで動物病院に連れて行って治療をしてもらい、新しい飼い主が見つかるまでの間世話をしていたのだが、その時に美奈には色々と協力をしてもらった。その上、治療費も半分請け負うと申し出てくれたが、そこまで協力してくれたのに、これ以上は迷惑をかけられないと、集一郎は美奈の申し出を断ったのだ。

「それに美奈には、新しい飼い主も見つけて来てくれたからな」

「あ~、あれ以上はお父さんにばれそうだったからね……急いで探したよ」

「……本当に迷惑をかけた。助かったよ、ありがとう」

 美奈の言葉に冷や汗を掻きながら、集一郎は感謝を述べる。

 美奈がしてくれた協力というのは、アパートのことだ。

 そもそも集一郎の住んでいるアパートはペット禁止である。だから大家である美奈の父にバレないように、美奈が色々と手を回してくれたのだ。

 美奈の父はとても豪快な人だ。

 どれだけ豪快かというと、過去に趣味の登山で遭難して大騒ぎしたことがあった。一ヶ月たっても見つからず、もう生存の望みはないとまで言われていたのだが、その数日後、怪我した足を引きずりながら自力で帰ってくるほどの人物である。

 集一郎は子供の時に、よく悪さをしては鉄拳制裁をくらっていたので、今でも集一郎にとって恐怖を感じる人物の一人だった。

 そんな人に子犬が見つかれば、どうなることかわからない。

「本当に集くんもよくやるよねぇ、何度目だっけ?」

「……さあな、いちいち数えてないよ」

 集一郎の動物助けは、その子犬の件が初めてではなかった。

 昔から捨てられたり道に迷った動物を拾ってきては、その度に飼い主を捜し回ったりしていた。

 両親には「またか」とよく呆れられたが、今まで困った動物を集一郎は一度も見捨てたことがない。それには深い理由があるのだが、それを両親に話したところで信じてはくれないだろう。

 ただ一人だけ、集一郎はその理由を話した事がある。その人物とは……、

「でも、動物の気持ちが分かるって、凄い便利だよね」

 美奈である。

「別に、ただ邪魔なだけだよ。こんな力なかったら今頃金欠にもなってないだろうしな」

 動物の感情が分かってしまう力、それが集一郎が動物を助ける理由だった。

 集一郎は動物の悲しみや辛みといった感情をまるで自分のもののように分かってしまうために、そういう感情を持った動物に情がわいてしまって見捨てられないのだ。

 しかもその力は、しゃっくりのように不規則にやってくるので、思い通りに使えるわけでもない。本当に不便な力だった。

「まぁ集くんは度が過ぎるくらいに世話焼きだから、そんな力なくてもきっと助けてると思うよ」

「どうだか、そんなのわからないぞ?」

 感情が分からなければ、向こうが助けを求めてるかもわからないわけだから、確かに集一郎が手をさしのべるかはわからないだろう。

「きっとそうだよ。絶対そう」

「何を根拠に言ってるんだよ」

「ま、根拠はないんだけどね、何となく私には分かるの!」

「なんだよそりゃ」

「えっへへー」

 美奈は恥ずかしそうに笑う。

 大概こういう表情をするときは、何かをごまかしたいときだということを、幼なじみである集一郎は知っていた。

 集一郎はそれ以上、言葉の真意を追求するのを止めた。

 それから暫く歩いていた時だった。集一郎に異変が起こった。

(ん? なんだ?)

 体が重い。まるでマラソンをした後のような気怠さが集一郎を急に襲い、その違和感に立ち止まる。

「集くん? って!? どうしたの?」

 少し前を歩いていた美奈は、集一郎が立ち止まったことに気づいて振り返る。すると彼女は集一郎を見た途端、目を見開いて驚いた。

「どうしたんだよ、そんな大声出して」

 何に驚いたのか分からず美奈に問う。彼女の慌てぶりは相当なものだった。

「どうしたって……だって、集くん泣いてるよ?」

「え?」

 集一郎は自分の頬に手を持っていくと、美奈の言ったとおり彼は涙を流していた。

「あれ? 何で泣いてるんだ、俺……」

「それは私が聞きたいよ!」

 美奈も訳が分からず、心配そうに集一郎を見る。

 涙を流す理由も、体が気怠くなった原因も集一郎自身には思い当たらない。

 ただ一つ理由があるとするなら、それは近くにいる動物の感情が集一郎に流れてきているということだろう。

「近くに、何かいるのか?」

「何かって? ひょっとして何か感じるの?」

 周りを見渡して、動物を探してみる。しかしどこを見ても動物の姿はない。

「どこにいるんだ?」

「……」

 集一郎はより一層神経をとがらせて、動物の気配を探ってみた。

 美奈は集一郎の真剣な表情を察して、静かに見守る。

 ――れか、助けて――

「な、なんだ? ……声?」

 集一郎の頭の中に、女の子の助けを呼ぶ声が響いた。

 今まで動物の感情を知ることはあったが、言葉を聞いたのは初めてだった。

 しかし集一郎はこの声の主が、流れ込んでいる感情の源のような気がして、その声に耳を傾ける。

 ――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――

 ひたすら謝る女の子の声。

(なんか、やばいんじゃないのか? これ……)

 その声はどこか弱々しく、まるで消えかかっている蝋燭の火ようで、集一郎を不安にさせた。

「どこにいるんだよ」

 集一郎は再び周りを見渡してみる。

 だがどこを見ても声の主らしい動物はいない。あと探していない場所は道の横にそびえる生い茂った山の中だけだった。

「この中か?」

 集一郎は山に近づいて奥の方を見渡してみるが、見えるところにはいないようだった。

 ――めん、な……さ――

「お、おい、ちょっと待てよ!」

 まだ場所が掴めていないのに、聞こえてきた声がついに途切れてしまった。もう悠長なことはしていられない。

「くそっ!」

「ちょ、ちょっと集くん!?」

 集一郎は持っていた傘を道に投げ飛ばすと、茂みに飛び込んだ。

 突飛な行動に驚きながら、美奈も集一郎の後を追った。

「はぁ、はぁ、はぁ、どこだ?」

 もし声の主がこの雨の中で気を失っているのなら、のんびりとしていられない。

 集一郎は服が濡れるのも気にせずに、茂みの中を必死に探し回る。

 五分ほど走っただろうか、集一郎は茂みを抜けて丸く拓けた場所に出た。そこの中心には銀色の毛をした一匹の大きな犬が倒れていた。

「はぁ、はぁ、……お前か?」

 犬にゆっくりと近づいて様子を見る。

 長い間雨の中にいたのだろう。毛が泥でべっとりと汚れていた。

 近づいて集一郎が話しかけても、犬は気を失っていて目を開かない。

 肩で息をしながら、美奈もやっとの思いで集一郎に追いつく。

「集くん、ちょっと待ってよ! はぁ……って、その犬、どうしたの!?」

「わからないけどかなり弱ってるみたいだ。……美奈、悪いんだけど鞄持っててくれないか?」

 集一郎は鞄を美奈に手渡すと、しゃがんで犬を抱える。

「どうするの?」

「このままほっとくわけにもいかないし、とりあえず部屋に連れて帰ろうと思うんだけど……だから悪い! おじさんにバレないように協力してくれ」

 美奈は少し考えた後、集一郎の頼みを笑顔で了承してくれた。

「……はぁ、しょうがないなー、わかった、私に任せて」

「本当にすまん」

「いいよ、いつものことじゃない。それより急ごう、このままじゃこの子が可哀想だよ」「ああ、急ごう」

 犬を抱えて集一郎と美奈は家路を急いだ。


「お父さん、まだ帰ってないみたいだから、今のうちに急いで」

「了解」

 集一郎達はアパートに戻ると、大家が不在であることを確認した。まだ仕事から帰っていないのだろう。

 集一郎の部屋は二階の角部屋、美奈の住む部屋の真上にある。

 集一郎は犬を抱えたまま、部屋に向かうために階段を上った。

「私も着替えたら様子見に行くから」

「わかった」

 そう言うと、濡れた服を着替えるために、美奈は自分の部屋に入っていった。

 集一郎は廊下の手すりからそれを見届けて、自分の部屋のドアを開ける。

 すると外から車のエンジンの音が聞こえてきた。美奈の父だ。

「やばいっ!?」

 集一郎は急いで部屋に入る。

「あ、危なかった~」

 少しでも、帰るタイミングが遅かったら見つかっていたかもしれない。そう思って集一郎は冷や汗をかいた。

「よっと」

 部屋に上がると集一郎は、いつも座布団代わりに使っている四角いクッションの上に犬を寝かせる。

「まずは体を拭いてやらないと……」

 風呂場の脱衣所からタオルを持ってくると、集一郎は犬の体を丁寧に拭いていく。

「それにしても大きな犬だな」

 体の大きさはレトリーバー並みだろうか、抱えていた時はかなり重かった。

「よし、こんなもんだろ」

 泥などの汚れが取れると、部屋の明かりで銀色の毛が綺麗に輝いて見える。

「あとは……頼むから灯油残っててくれよ」

 集一郎は犬の近くに、片付けずにあった灯油ストーブを置いてスイッチを入れた。

 少しの時間がたって灯油ストーブはボッという音を立て、段々と暖かい空気が部屋を満たしていった。

「うしっ」

 小さくガッツポーズをして見せた後、集一郎は犬の顔をのぞき込む。

 とりあえず犬からは、さっきまでの寒がっていた様子はもう感じられない。

「よかった」

 安堵の息を吐いて、集一郎は立ち上り、今度は別のタオルで自分の濡れた体を拭いて、いつもの部屋着に着替えた。

「ふぅ」

 集一郎はベッドに腰掛けて、犬を眺める。

「首輪……というかは首飾りかな?」

 犬の首には金属製の円い板の付いた首飾りが掛けられてあった。板には見たことのない模様が彫られている。

「どこかの飼い犬かな? なんて犬種だろう」

 今までにいろいろな犬を見てきたが、この犬はそのどれにも当てはまらなかった。

「そうだ、目が覚めたときになんか餌をやらないと」

 つい先日まではドッグフードを置いていたが、この前拾った犬の飼い主に全部あげてしまったので今はもうない。

「他に何かあったかな」

 部屋にあるこぢんまりとした台所に向かい、冷蔵庫を開ける。

 中には飲みかけのジュースのペットボトル、昨日買った総菜、いつ作ったか分からないカレーの入ったタッパーが入っていたが、どれも人間の食べ物で、やはり犬が食べられそうなものは何一つなかった。

「駄目だ」

 自分の部屋には餌になる物が何もないことがわかり、落胆する。

「仕方ない、美奈が来たら何か買いに行くか……」

 財布にお金がない集一郎は、机の引き出しから通帳を取り出す。

 生活費用の通帳だが、背に腹は代えられそうにない。

「はぁ、生活費……」

 集一郎にとっては衣食住に関わる大事なお金だ。少し気が迷う。

 だが犬のために仕方が無いと覚悟を決めた。

「美奈、遅いな」

 父親が帰ってきたので何か用事でも出来たのだろうか。美奈は部屋にやってこない。

「もう少し待ってみるか」

 集一郎はテレビを見て、美奈が来るのを待つことにした。

テレビの電源を入れると、昼前という時間もあってか、最近流行の男性俳優が食レポをしている。特に見たい番組もないので、集一郎はそれを何も考えずに見ることにした。

 ゴソッ

「お?」

 数分ほどテレビを眺めていると、意識を取り戻したのか犬の方から物音がした。

「気がついたか、ちょっと待ってろー、もうちょっとしたら何か食べ物買ってきてやるから、うぉっ!」

 集一郎が犬の方を向こうとした時だった。

 何かに押し倒されて、集一郎は思いきり床に頭をぶつけてしまった。

「いってぇ……何が、うごっ!」

 両手で頭を押さえて起き上がろうとしたが、今度は腹の上に何かがのしかかってそれを邪魔する。

「なんだよ一体!」

 頭と腹に華麗なツーコンボを食らった集一郎は、涙を浮かべながら目を見開くと、そこには見知らぬ少女が、腹の上に馬乗りの状態で彼をじっと見つめていた。

「君……誰?」

 年齢は集一郎と同じぐらいだろうか、整った顔立ちで、銀色の紙と青い瞳がとても綺麗だった。どこか神秘的な魅力すら感じる。

 少女は集一郎の質問に口を開こうとしない。瞬き一つせずに集一郎のことを注意深く観察していた。

 だがそんなことよりも集一郎が気になったのは少女の格好だった。

「てか君! ふ、服は?」

 少女は一糸まとわぬ、生まれたままの姿、つまり全裸だった。少女の透き通るような白い肌は健全な男子高校生には刺激が強い。集一郎は慌てて目をそらした。

「……あなた、誰ですか?」

「え? な、何?」

 自分の格好のことを気にもせずに、少女は集一郎に話しかける。

 しかし集一郎は問いを問いで帰されて余計に頭が混乱してしまった。そもそも、その質問をするのは、立場的に彼女ではなく集一郎だ。

「いや、だから君誰? いつ俺の部屋に入ったの?」

「ふざけないでください、あなたが私を連れてきたんじゃないですか!」

「え、俺?」

 彼女は一体何を言っているのだろう。集一郎はなるべく首から下を見ないようにして、少女の顔を見る。

 見覚えない顔だし、これだけ綺麗な女の子なら忘れるわけがないだろう。悲しいことに集一郎と仲の良い異性など、片手で足りるくらいしかいない。

「君は何を言って……」

 ふと、少女の首に何か見覚えのある物が掛かっているのに気づいた。それは拾ってきた犬が掛けていた首飾りだ。

 集一郎は少女の正体の、一つの可能性にたどり着く。

「いや、そんなまさか……」

 集一郎は喉から出かかったあまりにも現実離れした答えを胃に戻して、もう一度少女の顔を見る。そして少女の頭に付いている物に気づいた。

「……その耳、本物?」

 それは耳だった。人間の耳ではない。テレビで女の子達がコスプレしている時などに付けているような動物の耳だった。どちらかといえば彼女のは犬の耳のように見える。

 しかも時折小刻みに動くその耳は、作り物とは思えない。

 集一郎は犬を眠らせていた場所を見る。そこに犬の姿はない。

 そして馬鹿な考えだと思いながらも、集一郎は戻したはずの答えを口から漏らした。

「ひょっとして君、さっきの犬?」

 自分でも馬鹿らしいと思いながら、集一郎は少女に問う。

「……犬?」

「え? い、いや、そんなわけないよね。犬が人になるなんて、そんな漫画みたいな事。ごめん、変なこと言って」

 可笑しな質問をして少女を怒らせてしまったと思い、謝罪する集一郎。

「私は犬なんかじゃありません! ちゃんとした狼です! ……確かに他の仲間よりかはす、少しだけ体が小さいですけど……」

「お、狼?」

 少女は腹を立てて、集一郎に怒鳴る。

「それで、あなたは何者ですか? なぜここに私を連れてきたの」

「なぜって……」

「ひょっとして、あなたもハンターの仲間なんじゃ……」

「ハンター?」

 ハンターという言葉を発した少女から段々と血の気が引いていく、集一郎の肩を押さえている腕も少し震えているように感じた。

 ハンターが何なのかは分からないが、彼女にとって、とても恐ろしいものなのだろう。

「……とりあえず、僕はハンターってのじゃないよ。君が山の中に倒れていたから、ただ助けるつもりでここに連れてきたんだ」

 集一郎は怯える少女をあまり刺激させないように、優しい口調で犬……ではなく狼を助けた経緯を話した。

「たす……けた?」

「そう、だから落ち着いて、俺は何も君に危害を加えるつもりはないから」

 そう言うと集一郎は安心させるために、彼女の頭を撫でようと手を伸ばすが、少女の頭は糸の切れた人形のように集一郎の胸の上に落ちた。

「え?」

 よく見ると少女はまた気を失ってしまったようだった。さっきまではかなり無理をして起き上がっていたのだろう。

 集一郎は宙をさまよっていた手を、静かに寝息を立てる少女の頭に乗せた。

「かなり無理してたんだな……それにしても、本当にこの子がさっきの犬……じゃなかった、狼なのか?」

 少女の顔をのぞき込む。

 とても綺麗な女の子だった。十人に聞けば十人が美人と答えるだろう。

 親戚である美奈も身内贔屓抜きにして綺麗だと思うが、この少女からはどこか可憐なお嬢様的な雰囲気が漂っていた。

 集一郎は今頃になって、そんな少女が自分の胸の上で眠っているという状態に気づいてしまった。

「ていうか、ヤバいなこの状況……」

 考えてみればこの美人の少女は裸だった。それに集一郎は健全な男子高校生だ。今の状況は俯瞰的に見ればいろいろな意味で危険である。

「こんなところ誰かに見られでもしたら……」

 ガチャ!

「え?」

 集一朗が危機感を感じたその時、ベストタイミングというのか、間が悪いというのか、急に玄関のドアが開き、部屋に上がる足音が近づいてくる。

「こらっ! 集! お前また部屋にいつを連れ込みやがったな! 何度もいてるだろうがうちはペット禁止だ……って……」

「ごめん! 集くん! お父さんに問い詰められて隠しきれなかったの! 急いで犬を連れて逃げ……て……」

 アパートの大家であり集一朗の叔父の充とその娘の美奈が、ほぼ同時に叫びながら部屋に飛び込んできた。しかし集一郎と少女が重なり合って倒れているのを見て、その場で銅像のようにぴくりとも動かなくなってしまったた。

 その呆然と口を半開きになっている姿はどこか似ていて、さすが親子だと自分の置かれた状況を忘れて、集一郎は少し感心した。

「お、おじさん? 美奈? これには深~い理由が……」

 冷や汗を掻きながら集一郎はこの状況の説明をしようとするが、何と言えば良いのか、全く良い言葉が出てこない。

 拾ってきた犬が実は狼で、その狼が女の子になりましたなんてことを誰が信じてくれるだろうか。

 部屋には、テレビの音だけが虚しく流れるだけで、集一郎も美奈も充もただ黙ってその場で固まってしまう。

 その沈黙を最初に破ったのは充だった。

「しつれいしましたー」

 充は、今まで集一郎が聞いたことのないような棒読みの敬語を使って後ずさりすると、静かにドアを閉めようとした。

 集一郎は少女を床に寝かして、猛スピードで、閉まるドアの隙間に足を入れる。

「ちょっと待っておじさん! いや、違うから! 決しておじさんが考えているようなことではないから、お願いだから話を聞いてくれ!」

 ここで勘違いされては、今後の有効な親戚づきあいがとても気まずくなってしまう。集一郎は弁明するために必死で充を呼び止める。

「いやー、邪魔して悪かったな。お前も年頃だし気にするな」

 充はにこにこと満面の笑みを浮かべる。完全に勘違いしているようだった。

「だから! 違うって言ってんのに!」

「あーいいからいいから、おい美奈、まだそんなとこで固まってんのか? 集の邪魔しちゃ悪い、部屋に戻るぞ……美奈?」

「……み、美奈」

 二人が美奈に話しかけるが返事がない。よく見ると何故か少しだけからだが小刻みに震えている。

 不安になった充が美奈の肩を叩いた。

「お、おい」

「へぁっ!? な、何?」

 美奈は間抜けな短い悲鳴を上げて我に返った。

「何やってんだ、集の邪魔だから帰るぞ」

「あ……うん、そうだね。それじゃあ、またね集くん……犬は邪魔だろうから、何とかして私が預かるよ」

 すごく落ち込んだ声で喋る美奈、笑顔だが何故か目が虚ろな気がする。

「だから違うって言ってるだろう! 信じられないだろうけど、この子がさっきの犬なんだって、……本人は狼だって言ってたけど」

 集一郎は自分でも馬鹿らしいと思いながら、さっきの出来事を二人に話した。

「馬鹿だなー、そんなの信じると思う? 漫画やアニメじゃないんだから、ねぇ、お父さん」

「……狼?」

「お父さん?」

 美奈は集一郎の話を信じられないと、充に同意を求めようとしたが、彼は真剣な面持ちで眠っている少女を見る。

「集、あの子の耳は本物か?」

「た、多分」

「本当にあの子は自分が狼だって言ったんだな?」

「お、お父さん急にどうしたの?」

「うん、確かにこの子は自分のことを狼だって言ったけど……」

 充は集一郎に何度か質問すると、俯き黙ってしまった。

 しばらく考えた後、充は顔を上げて集一郎をまっすぐと見る。

「よし、信じよう。美奈、とりあえずその子に何か着せてやれ」

「ちょっと、お父さん! さっきの話信じるの?」

「ああ、信じるよ。お前達は知らないだろうがな。実は昔、俺も会ったことがあるんだ」「「え!?」」

 充の予想外の言葉に、二人は驚いて顔を見合わせた。


「あ~、さて、どこから話そうか」

 集一郎、美奈、充の三人は、集一郎の部屋の丸いテーブルを囲い座っていた。

 狼の少女は美奈の寝間着を着させて、集一郎のベッドで眠り続けている。

「昔、俺が登山に行って帰ってこなかった事あったよな。覚えてるか?」

「忘れたりなんかしないよ。俺達が確か五歳だったから……もう十一年くらい前?」

「お父さんが帰ってくるまで、私は集くんの家に一ヶ月くらいお世話になったよね」

 集一郎は当時の出来事を思い出す。

 趣味の登山に行った充は、帰る予定の日を二日過ぎても戻ってこなかった。そのことを心配した集一郎の両親が警察に連絡を入れた。しかし捜索隊を出したが一ヶ月を過ぎても見つからず、もう生存の確率は薄いだろうとまで言われていて、葬式の話まで出てきたときのことだった。充は何事もなかったかのように帰ってきた。

 集一郎は美奈を見る。

 母親が早くに亡くなってしまい、家族は充だけだった美奈は、充が帰ってくるまでよく泣いていた。集一郎はそんな美奈を元気づけるために、いろいろな場所に遊びに連れて行って元気づけたことを、集一郎は思い出した。

「実はあの時、足を滑らしてしまってな、怪我をして歩けなくなったんだ。さすがにあの時は焦ったよ」

 そう言うと充は頭を掻いて苦笑いした。

「そして夜になって、腹は減るし体は寒いしで、もう駄目だ、ここで死んじまうんだと考えていたときだった。茂みの億から一匹の大きな狼が現れたんだ。……もちろん俺だって狼が日本にいないことは分かってる。だがどう見てもあれは狼だった。体の大きさもそうだし、何よりあの風格のある佇まいで、犬じゃないことは一目で分かった」

 まるで童謡を聞く子供のように、集一郎と美奈は充の話に引き込まれていった。

「それで狼がゆっくり近づいてきて、俺の周りをぐるぐると見定めているみたいに二周すると、その狼が何か黒い靄みたいなものに包まれてな、それが無くなったかと思うと、狼がいた場所に一人の男が立っていた」

 集一郎と美奈は息をのんだ。

「じゃ、じゃあその人がこの子と同じ……」

「ああ、その男にもこの子みたいに犬みたいな耳……いや、この場合は狼か、その子みたいに、頭に付いてたよ」

「それで、その後どうなったの?」

 続きをせかす美奈。父の知られざる過去が気になるのだろう。

「まぁ、そんなに慌てるな。……それでその男は俺を黙って担ぎ上げると、小さな集落に連れて行ってくれた。そこに着くなり家の中から沢山の住民が出てきて俺のことを珍しそうに見てたな。そうだ、あとその住民達にも狼みたいな耳が着いてたよ」

 その集落というのは、そういった一族の集まりなのだろうか。集一郎は自分のベッドで気を失っている少女のような存在が沢山いるということに驚いた。

「その後、俺は男の家に連れて行かれて足の怪我を治療してもらった。その時に男は初めて名乗ってくれたんだが、確か名前はクーヤって言ったかな。そのクーヤさんに

『一月もしたらまともに歩けるようになる、だからそれまでここで泊まっていけばいい。そのかわりこの里のことは誰にも喋らないでくれ』

って言われてな。それで今まで黙ってたんだ」

 集一郎と美奈は顔を見合わせる。お互いにまだ信じられないといった顔をしていた。

「そ、それで、そのクーヤさんってどんな人だったの?」

 初めて知った父の恩人が度運な人物だったのか気になって美奈は充に問う。

「……とても不思議な人だったよ。落ち着いてるのに好奇心旺盛というか、とにかく俺の住んでいる場所の風景とか、どんな風に暮らしているのかとか、普通の人の日常に凄く興味を持っていて、すごく沢山の質問攻めに遭ったなよ。歳は俺の二つ下で……そういえばお前達と同い年ぐらいの娘さんがいたな。確か名前は……」

「レラ……です」

「えっ!?」

「ふぇあっ!?」

「っ!?」

 突然発せられた第三者ならぬ第四者の声に三人は驚いて、声のしたベッドの方を見る。

 先ほどまで眠っていた少女は、ゆっくりと体を起こして集一郎に深々と頭を下げた。

「先ほどは取り乱してしまってすいませんでした。助けていただいたのにとても失礼なことを……」

「い、いや、気にしなくていいよ。それよりさっきレラって」

「盗み聞きしてしまって申し訳ありません。クーヤは私の父の名です」

「そ、それじゃあ君はあの時の」

「はい、私は娘のレラと言います」

 充は目を見開いて少女を見た。

 何という偶然なんだろうか、集一郎の助けた少女、レラは充の恩人の娘だった。

「そうか、……言われてみれば確かに面影がある。クーヤさんは元気にしているかい?」

 レラはその質問に首を振って俯いた。

「すいません……実は五年ほど前に病気で亡くなりました」

「……そうか」

 レラの言葉に恩人の死に充はショックを受けて黙ってしまった。

 部屋に一瞬、重い静寂が流れた。

「……ところで君は何であんなところに倒れてたの?」

 沈黙に耐えきれなくなった集一郎がレラに尋ねた。充の話を聞く限りでは、彼女の住んでいた場所はかなり遠くにあるはずだった。しかし彼女が倒れていたのは学校の近くにある山の中だった。

「それは……」

 集一郎の質問に、何か言いにくそうな態度をとるレラ。

「ひょっとして君が言っていたハンターってのが関係しているの?」

「ぅ!?」

「何? そのハンターって?」

 集一郎がハンターという単語を出したとたん、レラは拳に力が入り、怯えたように震えだした。

 美奈も集一郎の言葉に興味を示してくる。

 レラは俯いたまま喋らなくなってしまった。

 そんな彼女に充が優しく話しかける。

「……もし、よければ話してくれないか?」

「でも、これは私の問題です。ひょっとしたらご迷惑をおかけすることになるかもしれません」

「そんなこと気にしないでよ。俺が君を見つけた時……いや、おじさんが君のお父さんに助けてもらったときから、俺たちは多少なり関わってるんだしさ。迷惑かどうかを決めるのは、君の話を聞いてからでも遅くないだろ?」

 話すのを拒んでいたレラだったが、集一郎の言葉で、顔を上げる。

「とても……とても長い話になるんですが」

 レラは覚悟を決めて話し始めた。


「まず私が一体何なのかということから話さないといけません」

 レラのその言葉から話は始まった。

「私、いえ、私達のように狼に姿を変える種族をホルケ族と言います」

「ホルケ族?」

 集一郎がオウム返しのように聞いた。

「はい、……ところで、皆さんは神話や物語に出てくる空想上の生き物をどれくらい知っていますか?」

「……あれだよね。天使とか吸血鬼とか竜……あと狼男とか?」

 レラの問いに、美奈は挙手をして思いつく空想上の生き物をいくつか答えた。

 漫画を描かないといってもさすがは漫研、そういった知識はそれなりに詳しいらしい。

「はい、そういった生き物は長年語り継がれていって、だいぶ形は異なりますが存在します。そういった生き物、そして私たちホルケ族を総じてレプンクルと呼びます」

 レラは当たり前のように三人に話した。普通なら信じられないような話だが、ここに狼に姿を変えられる少女が実在して、その少女が言うのだから信じるしかない。

「私たちレプンクルは、信じられないかもしれませんが、こことは違う世界、つまり異世界から遙か昔にこちらの世界にやってきました」

「異世界!?」

「うぉっ! びっくりした」

「こら、うるさいぞ美奈」

「えへへ、ごめんなさい」

 異世界という単語に胸を躍らせたのかオタクな美奈が目を輝かして叫んだ。

 集一郎と充はそれに驚いて美奈を睨む。

「……あー、ごめん。昔に異世界から来たっていったけど、理由は?」

 脱線しかけた話を戻すために、集一郎がレラに質問を投げかけた。

 レラも美奈の反応に驚いたのか、話し出すのに少しだけ間があった。

「……あっ、は、はい、えっと、私たちがなぜこちらの世界に来たかですね? その異世界にレプンクル達は暮らしていたのですが、そこに世界規模の大きな災害が襲ってきたんです。レプンクル達は悩んだあげく、災害が収まるまでの間、この世界に住まわせてもらうことにしたんです」

「なるほど、それで君たちがこの世界に来た理由はわかった。でもなんで君はあそこに倒れてたんだ?」

 レラという存在が何なのかは理解することが出来た。しかし彼女がなぜ山の中で倒れていたのかは、まだ聞いていない。集一郎はそのことをレラに問う。

「レプンクルはこの世界に来て、極力この世界に元からいた存在には迷惑を掛けないように生きてきました。しかし、それでもレプンクルを嫌って捕まえようとしている人たちが現れたんです。それが――」

「ハンター」

 集一郎は唐突にその言葉を口にした。

 レラは静かにうなずく。

「はい、そのハンターが数日前に私の里を襲ってきました」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、確か俺があの里に行ったときには五十人ぐらい住んでいたと思ったが、その人達はどうなったんだい?」

「……みんな、私を逃がすためにハンターに向かっていきました」

 仲間を置いて一人で逃げたのが、よほど悔しくてたまらないのだろう。レラは拳に力を入れて震わせている。

「仲間の意思を守るために、私は必死でこの街に向かって逃げました。しかし、あと少しというところで力尽きてしまって……」

「それで、あそこに倒れていたのか」

「はい、これが私があの場所にいた経緯です」

 レラの話に、三人は黙り込んだ。しばらくの静寂の後、ふと、集一郎はあることに気がついた。

「ん? 待てよ。君はさっき“この街に向かって”って言ったよね? ということは最初からこの街に来るつもりだったのか?」

 レラの口ぶりでは、彼女はこの街をはじめから目的地と決めていたように聞こえる。ただ逃げるだけなら、ハンターの目さえかいくぐればどこに逃げてもいいはずだ。

「何か目的があるの?」

 美奈もそのことに気づいたのか、レラに尋ねる。

 レラは数秒ほど悩んで、口を開いた。

「実は……私はこの街に人を探しに来ました」

「人?」

「はい、その人がいればきっと私たちホルケ族、それだけでなくレプンクル全てをハンターから救ってくれると思うんです」

「でも、救うってどうやって?」

「……昔から私たちホルケ族に伝わる伝承なのですが。レプンクルがこの世界に来た時に先導した王がいました。その王は言葉だけで争いを止める力があったそうです」

「でも、それはかなり昔の話なんだろ?」

 言葉で争いを止めることが出来るのなら、ハンターに襲われる問題も解決するかもしれない。しかし最初にレラが話したとおりなら、それはかなり昔の話だ。今も王とやらが生きているわけがない。

「確かに、王はその伝承でも亡くなったと教えられています。しかし王は亡くなる前にこう言ったそうです。

 ――私が死んだ後、また私と同じ力を持つ者が、レプンクルの中から生まれてくる。その時は、銀の髪を生やした狼がその子を見つけ出して、王として導いてくれ――

 ……それから数え切れない年を経て、ホルケ族の里に私が生まれました。伝承に語り継がれていた銀の髪を生やした狼です」

「でも、本当に君がその伝承にある狼で間違いないのか?」

 ひょっとすればただ偶然に、その伝承と彼女の誕生がたまたま重なっただけかもしれない。まだにわかに信じられない集一郎はレラに問う。

「本来ホルケ族の髪の色は黒か茶色です。銀色の髪の毛をしたのは私が初めてでした」

 レラは自分の長い髪を撫でながら話した。

「それに、私が十六になってから、時々この街がある方角から、何か強い存在を感じるようになったんです。私は何となく、そこに王がいるんだと思いました。」

「それでこの街に?」

「……はい」

 レラは力強くうなずいて見せた。

 三人はまたもや固まってしまう。レラの壮大な話を聞いた後に、どんな対応をしてのか戸惑ってしまっているようだった。

 集一郎たちが黙っていると、レラはベッドから立ち上がり、玄関に向かって歩き出す。だが体はまだまともに動ける状態ではなく、壁にもたれながらでないと歩けていない。

「ちょっと! まだ動いちゃ駄目だよ」

 美奈が慌てて転けそうになるレラの体を支える。

「でも、街のみんなのためにも早く見つけないと、それにやっぱりこれ以上は迷惑を掛けられません」

「だからって、ここを出てどこに行くんだよ!」

「そうだよ! それに人を捜すって言っても、そんな体じゃ無理だよ」

 集一郎もレラを説得する。まだ外は雨が降り続けている。それにこの街で、彼女が頼れる人がいるとは思えない。

「大丈夫だよ。誰も迷惑なんて思ってないから、ねぇお父さん」

「……おじさん?」

 美奈が確認をとろうと、充に話しかけた。しかし彼は目をつむり、腕を組んで黙っているだけだった。

 集一郎がそんな充を見て、レラを見捨てるんじゃないかと心配になった。

「おじさん、ここで見捨てたりしないよね?」

「……」

「おじさんの命の恩人の娘だよ? 今すごく困ってるんだよ? おじさん!」

「やかましいっ! 誰が見捨てるといった!」

「うぉっ!?」

 説得しようと集一郎が近づくと、充は目を見開いて突然怒鳴った。

 集一郎はそれに驚いて、今日二度目の尻餅をついてしまった。

「たくっ、俺は人数が増えたから今日の飯を何にするか考えていただけだ」

「おじさん!」

「お父さん!」

 集一郎と美奈の顔が安心して緩んだ。

 充が美奈の負担を減らすために、時々食事を代わりに作るのだが、どうやら今回は充が昼飯を作るらしい。

「よし、買い出しをしてくる。その間二人はレラちゃんの看病をしててくれ。あと集、お前も今日は食って帰れ」

 充は立ち上がると大きく伸びをして、玄関へ向かい靴を履き、レラの方を振り返った。

「まぁなんだ、体が治るまででも、どこか行く当てが出来るまででも好きなだけここにいてくれ。それくらいしかあの時の礼は出来ないが」

「でも、これ以上迷惑は――」

 レラは申し訳ないと、充の申し出を断ろうとするが、美奈が言葉を遮った。

「大丈夫だよ! お父さんもこう言ってるし、さぁ今はゆっくり休んで」

「きゃっ!?」

 美奈はレラを強引にベッドに寝かせた。

「い、いや、でも――」

「いいからいいから、さぁ、体が弱ってるんだから、寝た寝た!」

 美奈がにこにこと笑いながら、戸惑うレラをベッドに押さえつける。

 それを見届けると、充は静かに外へ出て行った。

「おじさん!」

 後を追って集一郎も外に飛び出した。

「どうした?」

「ありがとう、おじさん。あの子を助けてくれて」

 充に深々と頭を下げる集一郎。

「何を言ってんだ、助けたのはお前だろ。それに感謝するのは俺の方さ、あのときの恩返しをするチャンスを、お前がこんな形でくれるとは思わなかったからな。まぁ、仲良くしてやってくれ」

 充は振り返らずに、そのまま階段を降りていった。その背中には男らしさすら感じる。

 充を見送ると、集一郎は美奈が騒がしくレラを看病している自分の部屋に戻った。

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