東方妖々夢 二話
雪がしんしんと降り積もる中、博麗の巫女こと、博麗霊夢はというと―――炬燵でぬくぬく過ごしていた。
「はー、こんな天気じゃ参拝客も来るわけないしねぇ…。まぁ、境内の掃除をしなくていいのは良いことだけどねぇ。」
そうぼやきながらみかんを一つ手に取り、皮を剥く。
今日の霊夢は、自堕落を満喫していた。
いつもではないか、よくそう言われる。
そんな訳はない、と霊夢はいつも否定はするが、こんな天気では境内の掃除はできなかった。雪かきをする気もなかった。
「ん?」
外から漏れる風の音が、少し強くなった気がした。
来客か、巫女の勘は告げていた。
今、霊夢がいる場所は縁側側の私室だった。
その目前に、降り立つ音と、雪を踏みしめる音が聞こえた。
縁側に設置された部屋ではあるが、ここに普段霊夢が居ることは、特定の人物しか知らない。
参拝客ではないのか。と霊夢は内心で舌打ちをする。
縁側から、声が聞こえた。
「霊夢、居るか?」
「居ません」
「ふむぅ…じゃあ、帰るのみか。辛いな、態々ここまでやってきたというのに、辛いなぁ。文が。」
「そうですね、めっちゃ辛いです。羽が、凍える。」
八雲 麗水の声である。
烏天狗の声も聞こえた。
「わかった、わかりました。博麗の巫女は、居ますよっと。」
麗水の声が聞こえただけで少し気が高揚するが、口調で表すようなことはしなかった。
襖越しに会話は続く。
「何かありました?」
「いいや、別に。いや、何もなかったわけじゃないのだが…なぁ?」
「そうですね。一言では表しづらいですね。本当に。」
麗水にしては珍しく、歯切れが悪い。
特に用事がないときは、用事がない、と言って入ってくる。
何か用事があれば、単刀直入に話し始める。
泰然自若とはしているが、明確な男。麗水は、そういう男だった。
「取り敢えず、こちらへどうぞ。寒いでしょう?文も。」
「んむぅ、すまんな。」
襖を開け、彼を招き入れる。
しかし彼女は、襖を開けて驚愕した。
「ぇ?」
麗水はただ外套を羽織り立っているだけだ。
それは別におかしなことではない。
しかし、湯気が立っている。誰とはもちろん麗水から。
頭から、肩から。
彼の体に舞い降りた雪が、その場で瞬時に溶けているのが、簡単に見て取れた。
「ふふん…すまないが、汗とかを拭く布巾などをくれると、嬉しいが?」
「あ…え、ええ、今用意します」
彼特有の、鼻から出すような笑いと共に出された頼み。
そばにあった、未使用の手拭いを渡した。
がしがしと、自らのあちこちを麗水は掻き始めた。
その間、文は、自分が被った雪を丁寧にほろっていた。
麗水が、掻き終えてから、麗水は文の羽を拭き始めた。
文の羽は、誰かが触ると、不快感を隠そうとはしなかった。しかし、麗水に対してだけは、反応は違った。表情は、満更ではなかった。
その様子に、ほんの少し、霊夢は腹が立った。しかし、すぐに忘れることにした。
向こうはそのことに対して、特別な意識を持っていなかった。自然だった。
それに、自分が過剰に反応するのも、馬鹿馬鹿しいと感じただけだ。
事を終えてから、二人は霊夢の部屋に上がった。
二人共、滑るように炬燵に入った。それにも、腹が立った。
ため息が、漏れずにはいられなかった。
「それで、何があったの、文。」
あえて、文に聞いた。
どちらが説明がうまいかは、明確だった。
曲がりなりにも、新聞記者だ。第三者の視点から、客観的に説明することは、巧かった。
麗水が下手というわけではない。ただ、麗水の説明には、私情が入ることもある。
「麗水の薪が盗まれた。」
「薪を…盗まれた?」
「んぁ、そして薪をたった今調達してきたところだぁ」
麗水は霊夢の対面に位置している。たまに足が触れ合うのが、気恥しかった。
大きな吐息と共に、その大きく引き締まった体を炬燵の上に預けた。
湯気は、もう出ていない。
「それは、災難でしたね」
「いや、実はそれほどでもなかったかもしれんな」
「へぇ、どうしてです?」
「ん?」
麗水はみかんの皮を剥き、一つ口に含む。
甘味をしっかりと体に染み込ませるかのように、じっくりと咀嚼したあと、麗水はまた話を再開した。
「最近は雪ばかりで、外に出ることもなかったからな。体が相当鈍っていたんだろぅ?確かに薪が奪われたのは口惜しいが。」
自己鍛錬につながった、それで良い。というつもりらしい。
「お人好しですよね…麗水さんも。」
「今更だなぁ。」
「今更ですね。」
少し心配にもなったが、麗水は口調を保っていた。
精神が揺れ動いている時と、酒に酔ったときは、口調が変わる。
付き合いの比較的短い霊夢でも、知っていた。
切羽詰ってはいないのだろう。麗水は今も、蜜柑に、目を奪われていた。
霊夢はひとまず胸をなでおろし、お茶を差し出す。
「はいはい、本当にご苦労様でした。粗茶ですけどどーぞ。」
「何回目の出涸らしだ?」
「今回は、一回目の新茶です!」
「今回、は、ね……」
「ぐぐ、ぐ……」
「いや、ありがたく頂戴しよう。なんだかんだと、巫女の茶の淹れ方には、才能を感じるからな。」
「才能?技術とか、センスじゃないんですか?」
「それはお前…お湯の温度、淹れ方、注ぐ時期、注ぎ方を、どうしている?」
「勘」
愚問だった。即答で返した。
麗水は破顔した。
「だろぅ?ならば才能だろぅ?褒めるのは技術ではないだろぅ?それを巧いと褒めてしまっては、本職の茶人たちが可哀想ではないか。うむ、そこらの茶人のお茶より、旨いな。」
「そ、そうですか…ありがとうございます…?」
褒めているのか、貶されているのかは、わからなかった。
風が、変わった。三人は気づいた。誰かが来た。
言葉に出す必要はなかった。
「うわぁ!雪積もりすぎだろ。」
声が漏れてきていた。
その声は、通りやすく、わかりやすい。
知らず、三人が同時に茶を啜っていた。
「おぉい霊夢!!境内の雪かきぐらいしろっての!」
盛大に襖が開け放たれた。霧雨魔理沙だった。
「げっ、あんたもいるのかよ。」
麗水を見かけ、顔が歪む。魔理沙には、あまり好かれていなかった。
その理由は、麗水は知っていたが、別にどうしようとも思っていなかった。
人間なのだ。好き嫌いくらいはある。矯正して関係が深められるほど、安易な生き物ではないということも、麗水は知っていた。
「よぉ。」
返事を返したが、一瞥されただけだった。
気にはしなかった。
「なによ、魔理沙。あいにくだけと、炬燵は狭いわよ。」
「いいよ、そんなもの。それどころじゃないって知ってるだろ。」
「なんのことよ。」
「博麗の巫女ともあろうものが、この異変を黙って見過ごして置くのかってことだよ!明らかに異常だろ!こんな天気!!」
魔理沙がまくし立てた。
文と麗水は、もう一度お茶を啜った。
「あー、そのことね。別にいいじゃない。きっと誰かが解決してくれるわよ。私はここでゆっくりできるし、構わないわ。」
「ああんもう、見損なったぜ、霊夢。お前も、そこで弛れてるおっさんみたいで居るっていうのかよ。」
「なによ、麗水さんは関係ないでしょ。」
「いーや、あるね!実力も才能もあるのに、意識が低い奴を、私は大っきらいだ。霊夢もそうだったんだな。もういい、この異変は、この霧雨魔理沙が、一人で、解決してやるぜ。」
引き合いに、名前を出された。
やはり、気にはしなかった。茶が、なくなっていた。
無言で、急須から茶を足された。文だった。
魔理沙はこちらを一度睨みつけたあと、飛び立っていた。
忙しない娘だ。そんな感想しか浮かばなかった。
「ごめんなさい、麗水さん。」
「いや、まったく気にしていない。年頃の娘だ。多感な時期なのだろう、多少荒れることもあるだろうさ。反抗期かな。それよりも、魔理沙の言っていたことは、良いのか?」
「異変の事?」
「ああ。」
これは明らかな異変だった。
それは言うまでもないことだった。
「あのままでは、魔理沙、帰ってこなくなっても知らんぞ。」
遠まわしに、危険を伝えた。
言霊は存在する。麗水はそう信じていた。
「麗水さんは、どうするんです。」
「儂の事情は、関係ないだろう。」
「じゃあなんでここに来たんです?」
博麗の巫女は、何か異変に心当たりがあるのではないか。
なかったとしても、彼女の勘に少し頼ろうと思っていたふしも、あった。
自分は、無力で、情報音痴だった。
「儂は、無力だ。」
「はい。」
「だから、自分の出来ることを、無力なりに成し遂げようと思っただけだ。人間とはそういう生き物だと思う。」
「私が今できることは、なんだと思います?」
問われて、気づいた。
彼女も、現状を、心苦しく思っているのだと。
「友達を、死なせぬことだと、思う。人間は、支えあって生きるものだ。」
死なせぬ。その言葉に、言霊が宿れば。そう思った。
「そうですよね。恥ずかしくて言えないけど、魔理沙は大切な友達です。」
霊夢が立ち上がった。
彼女は少し、面倒臭がりなだけで、芯は真っ直ぐで柔らかだ。たおやかと言っても良い。
そんな彼女に惹かれる人物は多い。自分もその一人だった。
「その素直さ、これからも大切にしろよ。」
「それは、あなたもですよ。」
「素直なだけでは生きられない時代だ。だが、お前は若い。せめて歳を喰うまでは真っ直ぐであってくれと、儂は思う。」
「女性に、歳の話は厳禁ですよ。」
そう言って、霊夢は笑った。
魔理沙を追うように飛び立った霊夢を見送り、急須を片付けた。
「儂に、出来ることをしようか。」
「はいはーい。お次はどこでしょうか?」
「取り敢えず、泉だ。妖精が集まる。」
珍しく、文は黙って話を聞いていた。
「なに、出来ることをしているのだ。なにも恥じることはないぞ、文。」
「今は、あなたを補助するのが、私の出来ること、ですから。」
「その息だ。お前の翼、借りるぞ。」
文に抱えられ、空を飛ぶ。
そういえば、厚着していた魔理沙はともかく、霊夢は寒くないのだろうか。
そんなことを、頭をよぎった。
八雲紫は、この異変には、無干渉だった。
無干渉だが、事の全てを把握してもいた。
「紫様、麗水は博麗神社から移動したようです。」
式神の藍には、麗水の足跡を逐次調べさせていた。今回の異変は、彼が思う以上に、彼の動きに機敏でなければなかった。
「そう、どこに向かいそうか、わかる?」
「まだはっきりとは、しかし、私の予想では妖精泉かと。」
「そう、だったらまだ大丈夫そうねぇ。」
ひらひらと手を振ると、藍は一礼の後、辞した。
藍の予想は、外れることはなかった。
確実に、自信があってから、予想を挙げるのだ。
狡い性格だ、と麗水に言われた事もあったらしいが、藍本人はそれを気にしてはいないようだった。
紫は、悩んでいた。長い時間を生きていても、これほど悩むことはあまりなかった。
睡眠時間も、日の半分から、四半に減っていた。
減った時間の分だけ、悩んでいた。
もう一度、確かめる必要がある。それが、紫が出した、最初の考えだった。
異変の首謀者に、異変を止めるつもりはないのか。
今回の異変は、幻想郷に大きな影響は及ぼさない。それはよく知っていた。
精々、冬が異常に長くなるだけだった。しかし、それももうすぐ終わる。
あと少し経てば、普通の春が訪れ、夏が訪れる。そしていずれはまた冬が来る。
「藍、少し出かけてくるわ。」
「白玉楼ですね。」
黙って頷いた。
藍の察しの良さは、好きだった。
妖精達が、よく戯れている泉に着いた。
雪も多少は収まり、視界が遮られることもなかった。
目的の妖精は、すぐに見つかった。
「おぉい、チルノ。」
「あ、ししょー!!」
氷の妖精、チルノだ。手に、剣を遣っていた。
安直だが、わかりやすいところから、調べるしかなかった。
「剣の稽古をしてくれるの?!」
「稽古はまた後でつけてやる。今日は少し聞きたいことがあってな。」
「なになに?」
「この、天気に、思い至ることはないか?」
単刀直入に、聞いた。他の聞き方は、知らなかった。
「うん、知らない。」
「だろうな。」
妖精は基本的に裏表がない。あえて悪く言うが阿呆だった。
知らないのだから、知らないのだろう。
「わかっていたことですけど、役に立ちませんねー。」
文がチルノに聞こえない声で、呟いていた。
「え、今日は本当にそれだけ?」
「うむ。」
「本当の本当にそれだけ?」
「…うむ。」
「そっかぁ。」
ちらりと、文を見る。
文は体を竦ませ、苦笑した。
それは、了承の意味だという事を、麗水は知っていた。
「わかった。一刻(30分)だけだぞ。剣の稽古をつけてやる。」
「本当に!やった!!はい、ししょーの竹棒。」
チルノに渡していた、稽古用の竹棒を受け取る。
お互いに構えた。手始めに、構えの隙を見つけ、軽く叩いた。脇腹だった。
今度は、踏み込もうとした時にできた隙に、打ち込んだ。肩だった。
何度も打たれていると、隙がなくなった。そうすると、また違うところに隙ができる。今度はそこを叩く。そうして、稽古をしてきた。
こうなったのも、最初は、チルノから喧嘩をふっかけられた事から始まる。
最強を目指しているらしい。最初に出会った時に聞き取れたのは、その程度だった。
弾幕ごっこはできないので、軽く竹棒で打ち据えた。泣きながら帰り、次の日、また挑まれた。
いつしか、自分の言うことに従順になり、ししょーと勝手に呼び、喧嘩を稽古と呼ぶようになった。そんな言葉を教えたことはない。
裏表のない妖精だ。麗水が教えることを、スポンジのように吸収した。
技術を教えたことは一度もない。心持ちを教えただけだった。
妖精は、その精神力を姿かたちに大きく左右される。
大妖精も、精神力を高めた、一種の逸材だった。
成長したのか、チルノは最初に出会った頃よりも、背丈が伸びていた。肉付きも、多少は女性らしくなっている。久方ぶりにチルノを見かけた霊夢が、その変容にひどく驚いていたのも、記憶に新しい。そして、麗水を真似た剣の成長も、顕著だった。
チルノの成長を見るのが楽しみでない。そういえば嘘であった。
「そろそろ時間ですよ。」
文の声で、気がついた。もうそれほど稽古をしていたのだ、と。
最後の隙を見つけ、先程より強く、打った。
それが稽古の終了の、合図だった。
「ありがとうございました!」
チルノが礼をした。
最初では考えられなかったことだった。
「おう。少しささくれた、手入れをしておけ。」
竹棒を返した。
稽古をしてもらう、準備もある。チルノに教えたことだった。
「うん!!」
随分と叩かれた筈であるのに、笑顔で応えた。
彼女の最強への思いは、多少幼いが、本物だった。
紫は、白玉楼の主と、向かい合っていた。
「紫、珍しわね、いつもなら寝ている時間じゃない?」
「ちょっと桜についての話をしようと思ってね。」
「あら、またその話?」
紫の向かいに座る女が扇を広げた。
西行寺幽々子。この白玉楼の主であり、今回の異変の首謀者だった。
幽々子は一声上げると、彼女の庭師がお茶請けを持ってきた。
彼女は、話をするときは必ずと言っていいほど、食べ物を欲しがった。
紫は、あまり手をつけたことがなかった。
「本当に、西行妖を、咲かせるのね。」
「ええ、私は、あの下に誰が埋まっているのか、とても興味があるの。」
幽々子がそばにあった巻を、持ち上げ、ひらひらと振った。
そこには西行妖について書かれているという。紫は中を見たことがなかった。見せてもらう必要もなかった。
西行妖は、白玉楼に生えている桜だ。その桜は、人間の精気で汚れていた。少なくとも、綺麗な木ではない。紫はそう思っている。
西行妖に、目を向けた。六分、といった所だった。
「この煎餅美味しいわぁ。紫もどう?」
「遠慮しておくわ。」
幽々子との付き合いは、長かった。麗水を除き、彼女より親しい存在はいないと言える。そういう関係だった。
「春集めはどうかしら?」
「滞りなく。」
紫は茶請けを用意した庭師に、声をかけていた。
帰ってきたのは、簡素な返事だけだった。
魂魄妖夢という庭師で、刀をよく遣う。しかし、つまらない半人半霊だった。生真面目すぎるのだ。しかし、からかい甲斐はあった。
「幽々子、私からは特に邪魔もしないし、あなたのしたいようにすれば良いと思っているわ。」
「ええ。」
「でも、下に埋まっている人物は封印されている。と同時に西行妖も。その意味をしっかりと、考えておいて。」
「わかってるわよ。ただ、ほんのちょっとだけだから、ね?見るだけ、見るだけ。」
興味本位であることは、隠そうともしていなかった。
彼女は紫の忠告を、お節介か小言と勘違いしているのだろう。
かっと熱くなる物が自分に流れ込んだのを、紫は感じた。
悩んでいたことだったが、それももうなくなった。
「それだけよ、じゃあね。精々お花見を楽しみなさい。」
「お気遣いありがとうね。」
自分が知っていることを、麗水に告げよう。紫は決めていた。
私は幽々子を邪魔しない。邪魔をするのは、麗水だ。
幽々子との、付き合いは長かったが、麗水との付き合いは、もっと長かった。
情報は、まったく、集まっていなかった。
麗水は、愚痴がてら、香霖堂に立ち寄っていた。
「お前、この天気どう思うよ。」
「商売上がったりだね。」
「だよなぁ。」
店主、森近霖之助がこちらに目をくれず答える。手には、外界の本が握られている。
「で、君はこんなところで暇を潰してて良いのかい。」
「ここは、暇を潰すには最適でなぁ。」
「店主としては、お客以外はあんまりたむろして欲しくないんだけどね。」
「客がいないくせに、よく言う。」
「それは君の鬼泣堂もそうじゃないかな。」
「違いない。」
霖之助とは、馬が合った。
数少ない男友人でもある。
売れない店主という同じ立場も、馬が合う要素なのかもしれなかった。
これでも、持ちつ持たれつの関係であったりする。
妖怪退治に必要な道具を、求めることがあれば、向こうが危険な道具の入手を依頼してくる事もあった。
「情報収集に、難儀しているようだね。」
「ああ、そりゃぁもう。」
「魔理沙には会ったかい?今朝、異変を解決してやると意気込んで来店したけど。」
「おう、会ったぞ。全くつれない反応であったぞ。年頃の娘とは、本当に難しい。」
「魔理沙は君のことが嫌いだからね。」
正面からそう言われると、心にくるものはあった。
霖之助には、そういう物言いがあった。しかし、それを嫌ったことはなく、むしろ好ましいとも思う。
「まぁでも、いつかは君も、宴会に参加できるようになれば良い。そう思うよ。」
「流星祈願会のことか。」
「そう。」
霖之助達が開く、流星祈願会に参加したことは、なかった。
魔理沙が居るからだ。
二人の不和が、全てに響くことだって、あるのだ。
「いずれ、そうなると良いな。」
魔理沙がなぜ、麗水を嫌っているのか。その理由を、麗水も霖之助も知っていた。
しかし、そのことについて、語ったことはなかった。
わざわざ語ることではない。ましてや、魔理沙に訴えることでもなかった。
だが、いつかは自分を、魔理沙も理解してくれる。麗水はそう信じていた。
店内を見渡した。
文が店内のものを物色していた。
「麗水さん、これ、すごくないですか?回すと音が鳴りますよ!」
「子供か、お前は。」
文は、はしゃいでいた。
知的好奇心をくすぐられるのは、よく理解できたが。
「そうだ、なにか掘り出し物が、ないかな?」
「どの分野でかな?」
「得物だな。儂向きの、得物だ。」
「それならちょうど、興味深いものがあるよ。」
霖之助が、立ち上がり、顎を軽く外に向けた。
外の小屋に来い。そういう意味らしい。
霖之助と共に、小屋に向かった。文も遅れてついてきた。
「ほら、これだよ。」
小屋で手渡されたものは、剣だった。巨大な、片刃の剣だ。
「おお。」
奪うように受け取り、吟味する。
多少重いが、それくらいがちょうどよかった。
切れ味は格段良さそうではなかったが、研げば問題はないし、そもそもこの重量だ。
重さで断ち切ることが、真髄だろう。
「この剣には、少し特徴があってね。」
「む。」
「その取っ手を手前に引き出してごらん。」
「おお。」
刃から、刃が取れた。片手で振るに、ちょうど良い、片刃の剣だ。
霖之助に言われるがままに、その工程を四度続けた。
どうやら、六本の剣が合体して一本の大剣になるらしい。
小屋の床には、六振りの剣が横たわっていた。
「すごい。すごいな。格好良い。」
「子供ですか、あなたは。」
文に、指摘された。
さっき、文に言ったことだった。
「こんな武器だ。少なくとも、僕には使い道も、使いこなせもしないからね。渡すなら、麗水、君かな。そう思って取っておいたよ。」
それぞれの剣が、形状が違う。刃も違った。それぞれの役割があると思って、違いなかった。
それが、ひとつに束ねられ、一つの大剣となる。感動だった。
これは、一つの芸術。そうとしか思えなかった。
「買う。買うぞ。何が欲しい。」
「今はこれと言って、欲しい物が、ないんだよね。それが。」
「なに、では儂は何をすれば良い。」
「あげるよ。」
拳を振り上げた。二度三度、拳を震わせた。
「嬉しいぞ、霖之助。」
「日頃のお礼だよ。お得意様でもあるし。」
「これからも、よろしく頼むぞ。信頼している。」
「ああ、僕もだよ。ちょっと待っててくれ、その剣を入れるものを持ってくるよ。」
霖之助が持ってきたのは、大きな鞄であった。拾ってきたものではないのは、わかる。
「全部ひとつにしている時は、そのまま入れればいい。六つに分けているときは、中にあるしきりに、一本づつ入れればいい。」
「わざわざ作ったのか。」
「そのまま持って帰らせるわけにもいかないしね。」
「何から何まで、すまんな。」
「ところで、名前をつけたりは、しないのかい?」
「名前?」
武器に、名前をつけたことはなかった。槍だ、斧だと、その武器がどのような武器なのか、名称をつけたことがあるだけだ。
「武器に、名前をつける意味があるのか?」
「付喪神って知っているかい?」
「無論。」
万物全てに宿るであろうという、九十九【ツクモ】の神だ。
物は、道を違えれば、妖怪になることもある。
そんな妖怪を、見たことはあった。
「名前をつければ、愛着が沸く。相棒だと思うこともできる。そういうことじゃないかな。」
「愛着か。」
武器は、確かに相棒だった。
普段遣う大刀も、相棒だ。しかし、名前をつけようと考えたことはなかった。
そもそも、自分には、得物とは体の一部のような考えがある。
自分の体にわざわざ名前を付けるのも、おかしいとは、思う。
「しかし、せっかく貰った剣だ。名前をつけても、良いかもしれんな。」
「そうするといい。あげた僕としても、大切にしてもらったほうが、良い。」
「良いのか、俺が大切にするということは、戦いの中で酷使する、そういう意味だぞ。」
「道具とは、なにかしらを成し遂げるために、存在する。麗水の言うそれは、道具として幸せなことだと、僕は思うよ。」
少なくとも、骨董好きに手渡し、芸術品として飾られるよりは。
霖之助は、そう付け加えた。
「名前は、決まりましたか?」
「六陣刀、陸姫。陸の姫と、書く。」
文の問いに、答えた。
「どういった意味か、聞いていいかい?」
得物とは、陣である。麗水が、長い年月を経て出していた、答えだった。
得物の達人に近づけば近づくほど、その陣形は尖がり、切れ味は増していく。
槍は、長く、疾い。それが槍の強さである。
小刀は、短いが、槍よりも、もっと疾い。
組み付けば、槍になす術はない。
達人同士の槍と小刀は、相手をいかに斬るかではなく、いかに近づかせぬかと、いかにして近づくか、その点のみだ。結果など、後からついてくるものだった。
そして、この剣には六つの刃がある。それぞれが違う役割を持ち、違う強さがある。
六つの陣形を持っている。麗水には、そう思えた。
戦いとは選択肢の、重ね合いだ。選択肢が、多いに越したことはなかった。これも、麗水が出した、答えの一つだった。
「陸姫の、意味は?」
「一陣を、一人とした時、六人の姫が、儂を支えてくれる。男として、これほど頼もしいことはない。」
「な」
文が、口を開けた。
付けるならば、女の名前だ。それは、名前を付けると決めたとき、最初に決めたことだった。その女が六人だっただけだ。
「いずれ、全てに、名前をつけようとは思う。」
「まったく、麗水、君らしいね。」
「儂らしさを失ったら、それは儂ではないよ。」
「待ってください、なんですかその名前は。遊郭じゃないんだから、おかしいと思います。」
文が食ってかかった。
「情欲を満たすだけの、花魁なんぞと一緒にするな、文。彼女たちはこれから、儂の命を支え、共に闘ってくれるのだ。言うなれば戦巫女か戦乙女だ。」
自らの命を支えるものに、女の名前を与えることは、古来から、ある。
それは決して男の色欲だけではなく、女の温もりを求める男の生理的欲求だ。
その最たる存在は、母親だ。母親の名前を叫び、死んでいった朋達を、麗水は何度も見ていた。
「だ、だからって。」
「もし現実に、儂を支える六人の姫達がいるとしたら、そのうちの一人は、お前だと思うぞ、文。」
「え。」
文は、今度は口を閉じ、黙った。
「つまりは、そういうことだ。情欲だけではない、それをわかってくれ。」
「は、はい。」
「ありがとう、麗水。それほどの名前を、剣につけてくれて。」
「いや、それほど気に入ったということでも、あるぞ。」
「それじゃあこの話はおしまいだ。どうだい、奥でお茶でも飲んでいくかい?」
霖之助の誘いは、断った。
流石に、時間を喰いすぎていた。
時間を無駄に潰したとは、思わなかったが。
「麗水。」
この場の三人の、どれでもない声がした。
声は、上からだった。
「紫か。」
天井にスキマがあった。中から紫が見下ろしている。
「話があるんだけど、来てくれない?」
「いきなりだな。急な話か。」
「急な話よ。」
紫の態度は、いつもと変わらない。ゆったりとしたものだ。
故に、急いでいるとは伝わりづらかった。
「お前の家にか。」
「私が連れて行ってあげるから。」
紫の家が、どこにあるか、それは秘匿されていた。
麗水ですら、紫に送られる以外で、行き着いたことはない。
紫が、家の存在を歪めているからだ。
「文は?」
「駄目よ。貴方が、一人で来るの。」
有無を言わせない。そういうつもりらしかった。
「文、今日はここでお別れらしい。」
「私ができることは、ここまでなんですか?」
「そういうことに、なるな。」
剣は、もう鞄にしまってある。
「準備は良い?」
「ああ。頼む。」
浮遊感が、体を包む。
スキマに落ちたのだということは、わかった。
八雲家の、床に足をつけた。
自然な足で、紫の部屋に向かう。
普段は、橙が擦り寄ってくるが、橙は見当たらなかった。
藍が、紫の部屋の前に佇んでいた。
「待っていた。」
「そうか。」
「中には、饅頭も用意してある。」
「気が利くな。」
それだけ言って、部屋に入った。藍はついてくる気はないらしい。
「ここまで直接送ればいいものを。」
「ここは、私の部屋。入れるのは、その戸からだけよ。」
紫は、そういう縄張りというか、住み分けに関しては徹底している。
八雲家には、麗水の部屋もある。
最近はめっきり使っていないが。
「それで、話というのは?」
「この異変、首謀者について教えるわ。」
顔が引き締まるのを、感じた。
「今更だな。」
「私も、気が変わるのよ。それに、あなたには伝えなければいけないと思ったしね。」
「そうか。では教えてもらおうか。」
部屋の中央には卓がある。そこに胡座をかき、饅頭に手を伸ばした。
紫も、腰を下ろしていた。
「首謀者は冥界にいるわ。白玉楼、という場所よ。」
「道理で、地上を探しても見つからないわけだ。」
「そういうこと。」
饅頭を口に押し込んだ。餡子が入っており、甘かった。甘い饅頭も、もちろん好きだった。
「冬が続く原因は、一本の、桜よ。名前を、西行妖というわ。」
「なに。」
喉が詰まりかけた。たまらず、茶を飲み干した。
「その桜に春を集め、満開にしようというのが、今回の目的。春が訪れないのはそのせいね。」
「西行妖、あの汚れた桜か。べっとりと、血に染まった、あの汚い桜か。」
目眩が、した。饅頭のせいでは、決してない。
「ええ、そして、その首謀者は冥界の管理者にして、白玉楼の主、亡霊西行寺幽々子よ。」
「おい。」
「そう、生前はあなたと、想い人だった存在。」
「待て。」
「動機は、ほんのちょっとした好奇心らしいわよ。西行妖に、誰が埋まっているのか、というね。」
「ふざけるな。」
紫の、両肩を掴んでいた。目眩はひどくなる一方だった。
「色々、聞きたいことがありそうね。」
「当たり前だ。幽々子だと。あの幽々子か。」
遠い昔の話だ。
幽々子は、死んだ。目の前で、桜の下で。今では、顔すらはっきりと思い出せない。
ただ、彼女を愛したという、想いが残っているだけだ。それは、今でも消えていない。
それが、亡霊になり、冥界に住んでいたなど、知りもしなかった。
「どうするの?時間は、刻一刻と迫っているわよ。見た限り、明日の夜には、満開ね。」
紫は、知っていた。全てを。
麗水と幽々子の生前の関係。西行妖の封印について。その全てを。
紫に、殺意が、沸いた。
「そこまで、知っていて、俺に彼女と戦わせようってのか。」
俺、自分をそう呼んだ。本来の一人称は、俺、だった。
「戦え、なんて言っていないわ。ただ、異変について教えただけよ。どうやら、色々調べて回っているみたいじゃない。」
紫を、押し倒した。抵抗はなかった。
「お前は、悪女だ。最悪だ。」
「そうかもね。」
「俺が、お前に手をかけられない事も、知っている。」
「抱いても、くれないけどね。」
紫から、離れた。
怒りから、抱くことだけは、してはならなかった。
そんなものは人間では、ない。獣のすることだった。
しかし、あのままでいたら、自分が獣になりそうで、恐ろしかった。
「それで、どうするの?言うまでもないことだけど、幽々子は、あなたのことは覚えていないわよ。あなたの知っている幽々子は、確かに死んだわ。」
「今晩、考えさせてくれ。明日の朝に、会いに来い。」
「わかったわ。じゃあ、送るわね。」
紫に背を向けた。これ以上、紫を見ていたくなかった。
「私は、悪い女よ。ここまで貴方に黙っていたツケが、回ってきたのよ。」
「黙れ。早く、送れ。」
また、体に浮遊感が生まれる。
目眩が収まる気配は、なかった。
家に帰り、薪を割った。新しい得物、陸姫で嫌というほど、割った。
この剣の癖を、掴みたかった。しかし、それだけではない。
落ち着かせる時間が、自分には必要だった。ほかでもない、自分自身を、だ。
幽々子が、亡霊として、存在している。
信じたくは、なかった。
彼女の亡骸は、西行妖の下に、封印されている。
西行妖が、咲く。それは、封印が解かれることだ。
亡霊の幽々子は、亡骸の開放とともに、成仏するだろう。
彼女を、冥界につなぎとめているのは、桜だ。
止めるのか、止めぬのか、麗水にはどちらが正しいのかなど、わからなかった。
幽々子はどんな顔をしていたか、紫とどのような交友関係だったのか。
様々な考えが頭に浮かぶが、それらを全て斬って捨てた。
そうしなければ、自分が壊れそうだった。
一際大きな木を、薙いだ。木が倒れてくる。それに陸姫を叩きつけた。木の中ほどで刃が止まり、割れなかった。
木が、自分を押しつぶしてくる。麗水は、吼えていた。
すると、体が、横に飛んでいた。雪の中に、飛び込むことになった。
「危ないじゃない!!麗水!!」
文が、自分を抱え、木の下から抜け出したのだろう。顔が、赤かった。
文の口調も、素が現れていた。こちらの口調の方が、少女らしく、好きだった。
「すまない、文。加減を間違えた。」
「加減って…、そんな大きさの木じゃないわよ!もう少しで、押しつぶされる所だったじゃない!!」
あのまま押しつぶされたかった。そんなことは、口が裂けても言えなかった。
文を抱きしめた。
「れ、麗水?」
「すまない、少しだけだ、こうさせてくれ。」
今は、温もりが、欲しかった。こうすれば、少しは救われる気がした。
陸姫に、温もりは、なかった。