幕間 英雄、色を好む
幕間です。短編です。
幕間が本編になっても知らぬぞ。
朝餉を終え、書を読んでいた。
以前、紅魔館に立ち寄った時に、そこの魔法使いから借りたものだった。
魔法への興味はあった。
人知れず、その努力をしていたに過ぎない。
魔法には、簡単に二種類の分別があることも知った。
あらかじめ用意されている術式に、魔力を流し、実行する。
多量の魔力を、術式を用いず、自らに流す方法。
今読んでいるのは、その前者の方だった。
自分に合っているのは後者だという考えではあったが、それを実行する魔法使いが、周りにはいなかった。
借りた者も、自身は虚弱体質であった。
そして、後者に関する魔法書も、蔵書にはなかった。
系統が違うのだから、しょうがなかった。
諦めるのは、得意だった。
「想像する、想像が全てである、か」
想像力に、自信はなかった。
見てきたものしか、信じられなかったからだ。
いきなり目の前で黒炎があがることなど、想像できなかった。
魔法の才能はない、そう言われたこともあった。
しかし、暖炉で火がつく様子は容易に想像できた。
火にも、種類があるのだ。
その想像から、一度囲炉裏に魔法をかけてみたことがある。
囲炉裏が軽く爆発し、煤が部屋中に舞っただけだった。それ以来、囲炉裏に魔法をかけたことはなかった。
「やはり、向かないのであろうなぁ。」
しかし、書を読むのを止めることはしなかった。
知識だけでも、という躍起になっている。
扉が叩く音が聞こえた。来客である。
「はいよ。」
「私だ。」
慧音だった。気配は二つ感じた。
「妹紅も一緒か。」
言いながら、扉を開けた。言った通りに妹紅も一緒だった。
「以前の依頼の、報酬に来た。」
時刻は既に、昼前となっていた。
それほど、書を読みふけっていたらしい。
「やった。」
部屋に招き入れた。魔法書は、既に片付けていた。
慧音の手には、風呂敷が握られている。
妹紅の手には、酒だった。両手に持っていた。
「ちょっと待っていてくれ、確か干肉があったはずだ。」
妖怪ではない山の生き物は、たまに捕らえて潰していた。
猪の肉が、残っていた。
「いやぁ、わざわざすまんなぁ、これはうまそうだ。」
重箱に入れらていた料理が姿を表した。
豪華ではなかったが、丁寧に作られているのはよくわかった。
饅頭もある。
「いや、これが報酬になるかは疑問であるが、食べてくれると助かる。」
「それじゃあこっちも。」
言って、妹紅が瓶の酒の口を開けた。
酒の匂いが、こちらに届いた。
「随分と、強そうだな。」
「今日は、倒れるまで飲みたかったからね。」
「妹紅と飲むのも、久しいな。」
その言葉に、多少心が躍った。
まずは、饅頭を口に入れた。肉入りの饅頭だった。
饅頭は昔から好きだった。
腹持ちもよく、もたれないからだ。
家でも、外でも、何か食べるときは饅頭を食べることが多かった。
慧音は、麗水が饅頭が好きなのを知っていた。寺子屋に顔を出した時、間食で食べたことがある。その時に教えたのだ。
不安そうな顔で、慧音はこちらを見ていた。
「饅頭、旨いぞ。」
「よかった。」
慧音の饅頭は、世辞ではなく、本当に旨かった。
妹紅は、麗水が出した干肉を、囲炉裏で炙っていた。
肉が、嬉しいのか、妹紅も笑顔だった。
どうやら弁当に手を付ける気は、ないらしい。
ならば、遠慮もなくなった。
惣菜に、手を伸ばした。
野菜料理が主ではあったが、饅頭と共に食べると、食が進んだ。
それも考えられてのことだろう。
最初は口から出まかせ、ではあったのだが、これほど旨いのならば、慧音への報酬はこれから先、弁当一辺倒でも、悪くはなかった。本当に、そう思えた。
「ほらほら、酒も持ってきたんだから、飲みましょう。」
妹紅が酒をお猪口に入れ、差し出してきた。
それを一口で、流し込む。熱いものが喉を通り、息を吐き出すと、熱いものが吐息と共に吐き出てきた。
強い酒は、この感覚が素晴らしかった。病みつきになる。
「ほらほら。」
「俺にばかり飲まそうたってそうはいかんぞ。」
妹紅から酒をぶん取り、杯を満たして、返す。
妹紅も、杯を一口で飲み干した。
「お猪口、もう二つ、持ってこようか。」
「「頼む」」
慧音の提案に、二人は答えた。
二人共、もう酒を飲むのに、夢中だった。
日が暮れ始めていた。それほど長く、飲んでいた。
慧音は二刻ほどで、酔いつぶれていた。酒には、強くないのは知っていた。
それを、妹紅が潰したのだ。
自分も、体がふわふわとしているのを感じていた。
こんなに飲んだのも、久しぶりだが、心地が良かった。
妹紅が持ってきた酒は、既になくなり、蔵から自分の酒を引っ張り出していた。
持ってくるときに、転んだ。酔っていたからだ。
酒を庇うようにして転んだため、右肘が赤く腫れてしまった。
放っておけば治る。これは。
酔った勢いで判断しているのではなく、経験からそういうものだとわかっていた。
「それでね、この前も、竹林に人が迷い込んでね。」
妹紅は酔うと、自分のことをよく喋った。
酔うと、自分はあまり喋らなくなるらしい。以前に、妹紅本人から言われたことだった。
それは違う、と反論した。
言いはしなかったが、しゃべっている妹紅が好きだったのだ。
妹紅の話を聞くのが好きだった。
妹紅の話は続いていた。
妹紅の口調は、普段はもう少し苛烈らしい。慧音から聞いたことだった。
妖精や妖怪相手の時は、特にそうらしい。
しかし、自分と話すときは、そうではなかった。自分には、苛烈な口調の妹紅の方が、想像できなかった。
彼女の口調や物腰は、確かな気品が感じられる。育ちは良いのだろう。
本人の美しさもあり、時に、とても魅入らされることがある。
自分はやはり、好色なのであろうな。そう感じた。
しかし、魅力的な女性がここには多いというのも、間違ってはいないだろう。
一口で杯を飲み干す。
熱いものは、もう感じなくなっていた。深く酔うと、あることだった。
「あれ、もうこんな暗いの?」
「そろそろ帰ったほうが良いな。慧音を送っていこう。」
「これじゃあ、運ぶ、ね。」
「そうだな。」
慧音をおぶった。
彼女はとても軽い。運ぶのは容易かった。
人里の近くなので、あまり送るのに時間はかからなかった。
慧音の家の前で待たされ、妹紅が慧音を家に寝かせた。
女性の家だ、外で待たされることに反感は、なかった。
「妹紅、お前も送ろう。」
「大丈夫だって、私は。」
「お前も、女性だ。それに、俺もお前も、酔っている。」
「…わかった。ありがとう。」
返事をして、妹紅は黙った。
用心をするに、越したことはなかった。
帰り道、無言の時間が続いた。
この時間が、妹紅とは、苦ではなかった。
妹紅が、横に揺れた。咄嗟に支えていた。
「酔って、少し曲がっただけだって。」
「そうだろうな。俺も曲がりそうだ、このまま歩こうぜ。」
口調も、酔うと素が出る。これも妹紅に言われたことだった。
妹紅の家に着いた。家としては、麗水の家よりも幾分か小さかった。住みづらい、とは思わなかった。
「今日はありがとうな。楽しかったよ。じゃあな。」
帰ろうとして、右腕を掴まれた。顔を顰めた。
「こんなに腫らして。どうせだったら、ここで手当していきなさい。」
掴んだところは、転んで、腫らした右肘だった。
「いや、この程度は」
「どうせ帰ってもそのまま寝るでしょう?」
反論は、できなかった。寝れば治る。そう思っていたからだ。
その見立ては、間違っているとは思っていない。
「こういう怪我は下手をすると悪化するの。手当するなら、今、していきなさい。自分で右肘の手当はしずらいでしょう。」
妹紅のお世話に、なるしかなかった。
居間に通され、右肘を晒す。
妹紅は隣室から手当箱を持ってきた。
「不死身なのに、その箱は要るのか?」
「竹林に迷い込む人は、怪我をすることもあってね。」
得心がいった。案内人が、けが人を案内だけしてさようならとは、手厳しい。
こういう道具も必要になるのだろう。
妹紅の手際は素晴らしかった。
よくわからぬ薬を塗られたが、腫れは少し引いた。
聞きはしなかったが、永遠亭の医師の薬だろう。
彼女に永遠亭の話題は、こじらせると不興を買った。
「すまないな、楽になった。」
「どういたしまして。」
酔いは、まだ引いていなかった。それほど、深く飲んだらしい。
「少し、ここで休んでいって構わないか?」
「え、構わないけど。」
「いや、帰るのも今日はもう面倒だ、泊めてくれ。」
送り狼、そんな言葉が脳裏をよぎった。
酔った勢い。否定はできなかった。だが、帰るのが面倒だったのも、嘘ではなかった。
自分は、好色である。しかし、反省はしなかった。
元来、男とはそういう生き物なのだ。
この主張に、不安もなかった。
「べ、別に、良いわよ?」
お許しも、出ていた。
布団は一式しかないと思っていた。しかし、二式あった。
なぜ、と問うと、たまに慧音も泊まりに来るらしかった。少し、残念だった。
ちなみに、麗水の家には布団は一式しか、ない。ここに他意はないのを明言しておこう。
布団を敷いて、すぐに横になった。
その隣で妹紅も横になっていた。
「なぁ、妹紅」
「なに?」
「今日の饅頭、お前が手解きしたものだろう?」
妹紅の饅頭も食べたことがあった。
慧音の饅頭も旨かったが、妹紅の饅頭は更にそのひとつ上にいた。
妹紅の饅頭は香料も使う。風味が違うのだ。きっと、香料の塩梅は難しいから、妹紅が教えなかったのだろう。
「よ、よくわかったわね。」
「わかるさ、味付けは妹紅の味付けだったしな。それに、俺が最初に食べた饅頭、あれはお前の作ったものだろう。」
あれにだけは、香料が入っていた。二つ目を食べた時に全てを察した。
「ばれちゃった、か。」
「ばれるよ、お前は俺の胃袋を既に捕まえているからな。」
妹紅は、料理が巧かった。妹紅との馴れ初めも、食べ物だった。
眠気が、襲ってきていた。
横になったからだ、そう思った。
「あなたは、私の心を捕まえて離さない、のにね。」
「俺の心にも、お前は居るよ。お前は、美しい。」
言って、意識が眠気に引きずられていった。抗おう、とは思わなかった。
麗水は眠った。眠る時も、美しい男だった。
麗水の眠り姿は、実はあまり見たくはなかった。
死んだように、静かに、眠るからだ。安らか、と言ってもよかった。
彼が死ねば、こうやって眠るのだろう。そう思えてしまうから、嫌いだった。
妹紅は、人間に興味はなかった。いずれ、死ぬからだ。
それもとても短い時間の中で、死ぬ。
不死身の自分とは、根本的に生きる時間が違う。
関わりを持っても、いずれ、別れる。相手が先に。
辛い思いをするだけだった。
それならば、最初から関わりを持たない方が、至極楽に思えた。
これは彼女なりの処世術でもある。
しかし、麗水は、違う。一緒に生きたいと、思えた。
麗水は、寿命では死なない。それだけだ、自分のように、不死身ではないのだ。
別れは、きっと来る。死ぬのは変わらない。相手の方だ。
しかし、死ななければ、死なない。それが麗水だった。
居ようと思えば、いつまでも居られる。妹紅にとって、それは、この上ない魅力と喜びでもある。
右肘の怪我は、気にも留めることはないただの腫れだ。そんなこと、妹紅ですらわかる。
多少過敏であろうとも、手当はしたかった。くだらない怪我が原因で死ぬなど、それこそ許されなかった。
そのために、あの永遠亭の医師から薬品の一式を受け取った。
最初は、気が進まなかったようだが、麗水の名前を出しただけで、快諾した。
彼女も、麗水の怪我については敏感だったのだ。
その点では、頼りになる。それ以外で、頼りにはしたくなかったが。
守りたい、妹紅の麗水への思いは、この一言に集約される。
妹紅は、麗水の布団の中に潜り込んだ。
麗水は深く眠っている、起きる素振りはなかった。
麗水の胸に頭を寄せる。麗水に抱かれているような、格好だ。
胸に耳を当てると、鼓動が聞こえた。彼が生きている証拠だった。
妹紅はこの音を聞くと、ひどく落ち着いた。
この音を聞いたまま眠ろうと思った。
よく眠れるだろうということも、思った。
昔のことだった。
そばに家が出来ていた。民家にしては、場所が不自然すぎる。
妹紅は不審に思ってその頃は、毎日様子を伺ったものだった。
外に出て、薪割り、キセルをふかしたり、素振りなど、毎日やることは違った。
しかし、怪しい様子はなかった。ただの人間だった。
精々、見てくれは綺麗な男だ、と思った程度だった。様子を伺うのをやめた。
ある時は、小さな畑を耕そうとして、失敗していた。次に作った畑は、作物を実らせていた。
またある時は、小さな犬を拾ってきて、いつしかその犬の亡骸を埋葬していた。
苗木を育て、その果実を収穫していた。
妹紅はようやく気付くことになる。
男が歳を重ねていないことを。
気付いてしまってからは、興味が年嵩と共に増していった。
更に五十年が経ち、初めて声をかけた。
男が、素振りをしていた。腹が減った、と言いながら。
披露する機会もない、と思っていた料理の腕を振舞った。
そうでもしなければ、話しかける話題がなかったのだ。
その頃は、不器用だった。男には、そもそも苦手意識もあった。
旨い、と言われた。素直に、嬉しかった。
笑った時に、笑窪ができる男だった。初めて、笑窪が可愛いのだと、思った。
それが馴れ初め、それから長い時をかけて、理解し合うことになる。
無駄な出会いなどでは、決してなかった。
心から、そう思う。
慧音に、翌朝叩き起されていた。
どうやら送ってもらったお礼を、妹紅に言いに来たらしかった。
そこで、慧音が見たものは、抱き合って寝る、麗水と妹紅。
軽い顰蹙を、慧音は起こしていた。
間違いは起こっていない。そう取り敢えず言うしかなかった。
まさか女性を襲った記憶がなくなるほど、飲んでいたとも思いたくなかったからだ。
頬を叩かれた。
取り敢えず謝ると、また頬を叩かれた。
「妹紅助けてくれ。」
「こちらの話を、聞け。」
「はい。」
今の慧音には、有無を言わせぬ迫力があった。それは、妹紅の方も同じようだった。
助け舟を出す気は、ないらしい。どこ吹く風で、胡座を組んでいた。
そして、慧音の説教が始まった。こうなると、諦めるしかなかった。
途中、また何度か頬を叩かれた。腫れ始めていた。
腫れを見た瞬間、妹紅が手当を始めた。
断ろうとすると、慧音に今度は腹を叩かれた。話を聞け、ということらしい。
自慢にもならんが、慧音は麗水にだけは、顰蹙を起こしたり怒ると、時に叩いた。
愛情の裏返しだ、そう思い込むことにした。
そして、妹紅の手当がまた始まった。
新手のいじめか。そうなのか。
何が悲しくて、女性に叩かれて、女性に手当されなければいけないのだ。生き地獄か、ここは。
いたたまれなくなって、逃げ出した。全力で逃げた。
家に帰って、無心で、木を割った。むしゃくしゃしたときは、よくそうしていた。
どんなに割っても、心の奥底の惨めさは、消えなかった。
英雄、色を好む。
麗水は、色を好むが、英雄ではなかった。
ただそれを実感した。
慧音回かと思わせた、濃厚な妹紅回。
ハクタクの子、可哀想。