第二話
少なくとも、と目の前の友人が言った。
「先輩には彼女がいる。誰かは知らないけどさ」
「そう、やっぱり」
「仕方ないよ、普通にかっこいいし」
部室の中には友人と私しかいない。友人はテレビの画面を見つめたままだ。
手がせわしなく動いている。野球のゲームをしているらしい。
友人はやけに明るく彼とも仲良しだった。
私より後に部活に入ってきたはずなのにこの違いは何だろう。
仲良しということは、何か彼の事を知っているのかもしれないと、
自分の気持ちというものを思い切って打ち明けてみた。
「避けてほしいのは部活の雰囲気、気まずくすることだね」
「分かってるよ」
少し痛い言葉だった。
けれど、自分の気持ちを伝えるほどの勇気をあいにく私は持ち合わせていない。
部活に入って一ヶ月。ギターの腕は随分ましになった。
彼、というか先輩の事も少しずつ知ることができた。
お酒が弱いこと、経済学部だという事、甘いものが好きだということ、などなど。
そして私は相変わらず、先輩のことを好きだった。
私はギターを取り出した。基礎練を繰り返す。
指先が硬くなり始めている。私もいつか、先輩のように弾けるようになるのだろうか。
「今日部活出るの?」
友人が私に尋ねた。
「出るよ」
「頑張れよ」
「何が」
「ギターの練習」
「言われなくても頑張る」
「恋してるね」
「からかってる?」
「うん」
友人は相変わらず画面を見つめたままだった。
なんか悔しくなって私はギターをケースにしまった。
指先が痛い。心も少し痛い。
―馬鹿みたい。
心が呟く。
たかが、彼女。されど、彼女。
先輩が私を見てくる日は、この先ずっと、やってこないかもしれない。
彼を通して存在する彼の彼女。
たった一人の不在が与える影響は痛いほど知っているけれど、
たった一人の存在がこんなに影響を与えることを初めて知った。
誰かを好きになることは、きっと悲しいことなんだ。
心臓は一生のうち何回鼓動を刻むか決まっているという。
だとしたら、私はきっと長生きできないだろう。
先輩が隣に座る。指の動きを見られる。指を触られる。
先輩にしてみたら何もない事だろう。
私だって分かってる。だけど脳と心は繋がっていないらしい。
今日の部活で私は何年寿命を縮めてしまったのだろう。
今日の部活で、コードを初めて習った。
しかも先輩が隣に座っていた。
二年は一年の指導のため一年の隣に座ることになっているのだ。
一気に弦を押さえられない私に、彼はいろいろとアドバイスをくれた。
フレットに垂直に指を立てること、手首を内側に入れること、など。
もし、私が先輩に何も感情を抱いていなければ、それはただの指導。
でも、違う。
私は、先輩が好きだ。
だから、一つ何か私にしてくれる度、心臓の音が大きくなる。
体いっぱい響くこの鼓動は、当たり前だけど、先輩には聞こえない。
もう一度私は弦を押さえた。相変わらず、音はきれいにでてこない。
「どうして音が出ないと思う?」
「えっと・・・、あ、小指」
指に目を向ける。1弦に小指が触れているのがわかった。
「あたり」
先輩が私の小指を軽くフレットから離した。心臓の音が一段と大きくなる。
サウンドホールの前の弦を彼が一弦づつ弾く。
鼓動に塞がれた耳に響く音色はとても綺麗な音だった。
「コードなんて慣れだからさ、練習すれば押さえられる様になるから」
「あ、はい。ありがとうございます」
例えコードには慣れても、先輩に慣れることはしばらくない気がする。
先輩を好きになってからだ。
客観的に見ればどうでも良い事が、酷く輝いて美しく見える。
恋というものはそういうものだ、そう言われればそれまでだけど、
だとしたら私は、きっと夢を見ているのだろう。
この現実の世界がこんなに美しいはずがない。
目をあけたまま、私は夢を見ているんだ。
それが覚める時は何時やってくるのだろう?