第一話
私の大切な人達はみんな弦楽器を弾いていた。
ヴァイオリン、ギター、チェロ。
みんな楽器を愛していて、みんなが奏でた音は今も私の耳に残っている。
彼女が弾いたヴァイオリンの澄み切った音、先生が奏でる優しい響き、
そして、彼が弾く正確な音階。
もう一度、聴きたい。そう思う。
でもそれはもう叶わない。みんな、いなくなってしまった。私を残して。
音だけを、私に残して。
初めて私が弦楽器を奏でた日、というか、先輩に出会った日、
私は覚悟をしなければならなかった。彼は私の大切な人になる事、
そして近い未来に彼が私の前からいなくなってしまう事を。
もしかしたら気づいていたのかもしれない。
でも、あの日は春で、すべての生き物が輝いていて、
それに少なくとも彼は、はかなさとは対極に位置しているような人だった。
だから、気づかなかった。違う、気づけなかったんだ。
太陽が輝いている間、私たちは夜を忘れる。それと同じ事だ。
「ギターでも種類があってね、うちの部活ではクラシックギターを使ってるんだ」
そういうと目の前で彼が音を出した。良く知っている、ギターの音。
弾いてみる?そう尋ねられて私は首を縦に振った。
彼が私にギターを渡した。私は恐々それを受け取った。
初めてのギターの感触。ぴんと張られた弦。どう奏でればいいのだろう。
「まず、足を組んで、その上にギターを乗せて・・、そうそう、それでいい」
彼が私の手を取った。
「ここ押さえて、この弦を弾いて」
言われた通り、弦をはじいた。ぼろん、となんとも情けない音が出た。
彼が笑った。初めてだから仕方ないよ、そう言って。
「えっと、もっと指をこっちに動かして・・、はい、もう一度」
指でもう一度弦を弾く。知っているギターの音がした。多分、ドの音だろう。
「そうそう、今のがドの音。で、次は・・・」
彼は丁寧にド、レ、ミ、ファ、ソを教えてくれた。
その時の彼の横顔が美しかったことを私は今でも覚えている。
その後私は何度も彼の横顔を見ることになったけれど、
それでも一番最初に見たあの横顔が一番美しかったと今でも思う。
伏せられた瞳、二重の薄いまぶた。ギターの音階。春の日差し。
私の知らない世界がそこにあった。
白い教室には相変わらず日差しが差し込んでいる。
そうだ、私は何をしていたんだっけ。
半分夢心地のようにギターを弾いていた私はふと現実に引き戻された。
私は見学に来ただけだったんだ。
たまたま掲示板にポスターが貼られているのを見つけて、なんとなく来ただけだ。
まだ他に見学をしたいサークルは他にもある。
「この後、部活があるんだけど、来てみない?」
数秒間、私と彼の間に沈黙が流れた。ついてったら、もう戻れないだろう。
けれど、このまま帰るのもいやだった。
もうちょっと、彼を見てみたい、そう思ってしまっていた。私は覚悟を決めた。
「行きます」
「よし、じゃあ、部室まで案内するから」
多分、もうその時には私は先輩を好きになっていたのだろう。
誰かを好きになった瞬間、それは終わりへと向かい始めるという。
それが速いか遅いかの違いだけがそこにあって、永遠はない。
でも私は、先輩と出会って失うまでの一年間が永遠だったと思う。
永遠が限りなく続くものだとするなら、私の中であの一年はまだ続いている。
たぶん終わりはこないだろう。