第五話 幸せになってもいいんだよ?
叫び声も上がらなくなるまで、叫びつづけても……誰ひとりとして外に出てくれる人は居なかった。
公園に近づくにつれて、殺人鬼への恐怖が込み上げる。
……なんで、戻ってきたんだ?
あと数m行って右に曲がれば公園だというのに……俺の足は止まった。
俺なんかが空倉を助けられるわけない。
少し遠いけど、公衆電話から警察に通報したり出来ることはある。
そう言い聞かせて……俺は公園の方角に背を向けて走りだそうとした。
「いやあああっ!!」
微かにだったが、空倉の悲鳴が聞こえた。公園の方からだ。
あいつは運が良いから……だから、逃げ切れたんじゃないか?無事なんじゃないか?
そう心のどこかで思っていたのに、俺は空倉の悲鳴を聞いてしまった。
……これで逃げたら、俺は一生このままだ。
低身長、童顔、小さい手足、変声期も迎えていないような高い子供声。
それがコンプレックスなら、尚更……
「ここで逃げたらッ……男じゃねぇぇぇぇっ!!」
言い聞かせるように叫び、俺は全速力で
公園に向かった。
「キヒヒッ」
公園にはまだあの殺人鬼と、空倉がいた。
ただ空倉は既に、満身創痍。
身体に斬られた痕跡はないが、今まで必死に生きぬいて来たのだろう。肩で呼吸をしている。
そして今まさに、髪の毛を捕まれて鎌のようなモノで切り付けられようとしていた。
「……?……シシッ」
殺人鬼は掠れた高い声で笑う。
俺を見つけたらしい。
ただそれで空倉への攻撃は中断された。
「時……崎くん……!?……あうっ!!」
不意に髪の毛を離されて、地に倒れ込む空倉。
何をしたら殺人鬼相手にここまで生き残れたのか解らないが、空倉が無事で本当によかった。
「……さようならさようならさようなら……」
同じ言葉だけを繰り返しして言うこの殺人鬼はどこか機械じみていた。
灘と鋸はどうしたのかしらないが、新しく鎌とハンマーをもった殺人鬼がこちらに走ってくる。
だが。……何故かこの時の俺の意識に“恐怖”はなかった。
追い詰められて、気がおかしくなったのか?
そう思えるほど軽快なステップで殺人鬼の斬激の応酬をかわす。
「……キシッ!?」
「見えてるんだよっ!!」
とか言いながら、実は自分が1番驚いていたりする。
斬激をかわす際に俺が動いたのは無意識だ。咄嗟に動いた結果、正解の動きだったに過ぎない。
動態視力が高いわけでもない俺には、殺人鬼の斬激の軌道を読むこともできない。普通なら。
今の俺が何故普通ならかわせない斬激をかわせたのか。よく解らないが今の俺は普通なら絶対にたよらない“直感”と“運”に身を委ねて行動をしていた。
つまりそこに違いがあるらしい。
いや……よく解らないが。
現金かもしれないが、精神的な余裕がうまれると調子が出る。
「……人様に……迷惑かけるんじゃねぇッ!!」
再度襲いかかって来たのをかわしながら、肘鉄を脇腹に食らわせた。
「……グッ!?」
初めて殺人鬼の声に苦しみの色が見えた。
「……時崎くん!こっち」
今なら、殺人鬼を倒せるんじゃないかなんて思っていると後方から空倉の声がした。
逃げようということらしい。空倉は思ったほど外的な傷は少ならしく、殺人鬼が膝を付いているうちに公園の出口へと俺を誘う。
「…………。」
無茶に戦うことを勇猛とは言わないということか。
確かに相手は凶器を保持している。
そして俺の調子は裏目に良く出る。ここは神の愛娘の指示に従おう。
ウーーーッ!ウーーーッ!
遠くでサイレンも鳴りはじめた。誰かが通報してくれたらしい。
「……わかった!」
サイレンを警戒したのか殺人鬼は逃げる俺達を追う様子はなかった。
「……あのさ。ごめん」
学園まで逃げて学舎に入ると俺はまず空倉に謝った。
ただ、非常事態を切り抜けた空倉は、いつものように少し頭の回転が悪い子みたいになってしまって
「……なにが?」と首を傾げている。
「必死だったとはいえ、一人で逃げちゃって……」
「……謝らないで。……だってそのあと、時崎くんは助けに来てくれたもの」
!!!
これは面を喰らった。あの天然無表情娘が……嬉しそうに笑ったのだ。
笑わないことだけが欠点だと思われた彼女が笑ったのだ。しかも嬉しそうに。
普段見れないものが見えるからこそエロいという桟原の理論で考えれば、あの笑顔は彼女の裸よりも価値のあるモノだ。
「……どうしたの?」
「えっ……いや……。……それより、何であんな時間にあんな所にいたの?」
笑顔に見とれてました。なんて言えないから適当に話を逸らしたが……、この質問はいずれしようと思っていたのだ。
今朝も空倉は異様に俺が通り魔に会うことを気にかけていたし……
そしてそれがまるで予言だったかのように的中し、さっきは通り魔に襲われたのだ。
「………………。」
あれ、なんだか歯切れがわるい。
空倉は言葉数こそ少ないが、歯に衣は着せない。
「…………さ、……散歩……?」
うわ、嘘下手だなぁ……。目が泳いでるし、最後疑問形だし。
「今、……考えたの?」
嘘がばれたのが恥ずかしいのか、顔を赤らめて斜め下に焦点を合わせて、コクりと頷く空倉。
今日は本当に色々な空倉が見れる。写真にすれば、云万円の値段で売れそうだ。
なんだか話すのをためらっているようなので、深くは追求するのはやめておこう。 恩人を困らせても面白くない。
「まあ理由はどうであれ、本当に助かったよ。空倉さんが来てくれなかったら、今頃俺……」
本当に、大袈裟じゃく空倉は俺の命の恩人だ。
思い返すと先程までに俺の身体を張った冷たい何かがまた背筋を通った気がした。
あの時……靴紐が切れた時には、流石に死んだと思った。
「…………ねぇ、時崎くん」
「な、何?」
「私達、小学校の一年生の頃からずっと一緒の学校で、一緒の学年で、一緒のクラスなんだよ?」
「あ、それは知ってた」
確かにずっと一緒だった。小学校の頃は32クラス、中学の頃は16クラス、高校では15クラスだから全部一緒だとなると確率は…………。 計算が面倒臭い。
とにかく低い確率だ。
「……私、時崎くんをずっと見てたよ」
「え!?……そ、それって…」
「……ずっと見ていて、気が付いたの……、……時崎くんって……」
なんだこれ!?
これなんてエロゲ?
この流れってまさか……!?
「……時崎くんって……運が悪いよね」
あー。そっちに気付いたかぁ。
てっきり、俺の中の男の子に魅力を感じたのかと…………って、そんな恥ずかしいことを考えていた俺がむかつく。首を絞めてやりたい!
「う、うん。……それに引きかえ空倉さんは運が良いよね」
「そう……いわれる」
不満そうな顔を、そんな表情をした。
これだ……、俺がひがむ理由は。
何でこんなにも幸せなのに、そんな顔をするんだ?
「………………それで、ね。時崎くん。」
何だろう。さっきから空倉は話しを誘導しているような気配だ。
「なに?」
何を話そうとしているのかは解らない。
ただ、逆神に俺が気に入られてから空倉は俺を意識するようになったと思われる。 多分何かを聞き出そうと俺に話しを掛けているのだろうが……
天然で可愛い顔して、中々狡猾である。
「…………わ、私の家に来ない?」
「……え?」
「時崎くん、家燃えちゃったんでしょ」
そういうことか。……いや、びっくりした。いきなり話しがふっとんで同居を持ち掛けられたから。
「でも……どうせ俺と一緒にいると今日みたいに空倉さんも辛い目にあうよ?」
「……どうして?」
「だって、俺運悪いし……。空倉さんにまで迷惑かけちゃうよ。」
殺人鬼の狙いは俺だったのに、俺に関わるから空倉さんもひどい目にあった。
やっぱり、この悪運は人に迷惑をかけてしまうモノなんだ。
「……迷惑はかけていいんだよ?」
「……えっ……?」
「だっておかしいよ。……時崎くんだけが不運を背負うだなんて
時崎くんだって……幸せになったっていいんだよ?」
不運を背負うだなんて……そんな大仰なことを考えたこともないが……空倉の目には俺の姿がそう思えたのかもしれない。
ただまあ……、そうか。
俺も幸せになってもいいのか……。
他人に不幸を押し付けてまで得る幸せの味なんて、味わいたくなかった。
けれど俺と一緒にいてくれる人を頼らず、一人不幸にならなくていいんだなと思った。
まあ、心に響く一言と言えば言い過ぎだが……、全く響かないわけでもなかった。
「……ありがと……。空倉さん」
その言葉のおかげか。或は神の愛娘の幸運をもってすれば、俺の不幸も抱擁してくれるとでも思ったのか。
俺は……空倉の優しさに甘えてしまった。
その選択が短いスパンで見れば、完全に失策かもしれない。
しかし、長いスパンで考えれば正解だったかもしれない。
…………なんて、今の俺には全然解らないんだが。