エピローグ
遠い昔のことを思い出す。
遠い昔のこと、少女と初めて会ったときのこと。少女と出会ったその場所は、砂の上だった。
エーベルス王家で行われた儀式のことを、セイムはよくは知らない。王家がなにを求め、父と母がなにをしようとしていたのか。それをセイムは知らない。
知っていることは、覚えていることはただ一つだった。少女の泣き声にひかれ、城の門を潜った先で、その少女を見つけたのだ。門の内はすべて砂に変わり、その中心に銀髪の少女は浮かんでいた。自分と変わらない年頃の少女の泣き声に、セイムの心は締めつけられ、泣きやませたい一心で駆け、少女に手を伸ばしていた。そこで意識が途切れた。
次に気がついたとき、少女をまた見たのも砂の上だった。広大な砂漠の上にセイムと少女はいて、どこを見ても自分たち以外の人を見つけることはできなかった。
瞳に映る砂漠が、エーベルスの成れの果てであることは、なぜかすぐにわかった。少女と出会ったそのときから、長い長い時間が過ぎてしまったことも。その時間に反するように、少女の年齢が下がってしまっていることも。初めて見たとき同年代だった少女は、目覚めたときは十歳にも満たない姿に変わってしまっていた。
昨夜見た夢を思い出すように頭の中を探ると、知らない知識を見つけることができた。生物に宿る魔力の存在。それを操ることで行使する魔術という力。少女はこの世界の者ではなく、儀式によって召喚されてしまった異界の少女であること。そして、少女こそ、この世界の魔力が活性化した原因であり……少女の存在がなくなれば、魔力はまた不活性化するということを。
(そして、俺は旅に出ることを決めた)
少女が魔力活性化の原因なら、その身を狙うものがきっと出てくるだろう。そいつらから少女を守り、彼女を元の世界に帰す。そして、故郷を砂に変えた危険な魔術もこの世から消す。その誓いを胸に、セイムは旅立ちを決意した。少女に思い出の名前を――フィーリスという名を与え、砂漠に落ちていた誰かの荷物を拾って、エーベルスから旅立ったのだ。
それから一月がたった。旅の中出会い、協力できると思ったファー教団は、フィーリスの命を狙っていた。危険な魔術を消すという目的は同じでも、フィーリスの命を奪えばいいという彼らに協力できるわけもなく、セイムは教団から逃げ出していた。
そして旅は続き、フィーリスの身を狙っているのは教団ばかりではないことを思い知らされた。「そいつら」なんてものではない。世界のすべてが、フィーリスを狙っていると言っても過言ではなかったのだ。
(それでも俺は……フィーリスを守り続ける。そして、必ずもとの世界に帰してみせる!)
フィーリスをこの世界に召喚し、彼女を傷つけ、泣かせてしまったのは王家の人間だ。その唯一人の生き残りとして、フィーリスを守り、もとの世界に帰すことは、セイムの義務でもあった。
フィーリスの小さな手を握り、セイムは山道を歩いていた。ホルン村はすでに遠い。村の半分が砂に変わり、アルザーも失った村。残された人たちはなにを思うだろう。消えたセイムたちのことを、どう思うだろうか。
浮かびかけた気持ちを、セイムは打ち消した。悔やむ気持ちは捨てなくてはならない。それはセイムばかりではない、フィーリスも傷つけることになるのだから。
セイムの手がぎゅっと握られた。視線を向けると、フィーリスが微笑んでいた。それは無理やり浮かべたような笑みで、寂しげな影を宿していた。それでもフィーリスは、笑みを浮かべていた。
セイムもまた、笑みを浮かべた。無理やり笑顔を浮かべ、その小さな手を強く握り締める。
自分たちがどこに行けばいいのか、セイムにはわからない。フィーリスをもとの世界に帰すためには、なにをすればいいのかも。それでも進む足は止めず、握ったその手を離しもしない。
(俺にできることがそれだけなら……)
それだけは守ってみせる。セイムは胸中で強く呟き……そして二人は、すべてに背を向けて歩き続けた……。
……砂漠の最奥にあったのは、小高い砂の丘だった。それは城の成れの果て。エーベルスの王城が砂となって崩れ、積もり、できた丘がこれなのだろう。その丘の麓に、男は立っていた。
忌々しい砂の丘。すべてが砂に変わりながら、それでもかつての栄光を示さなければ気がすまないのか。城の砂と混じる王家の者たちに、侮蔑の視線を男は向けていた。
消し去ってよいのなら、今すぐにも消し去っていたことだろう。それができるだけの力を男は持っていた。
だが、今はできない。忌々しいこの砂の丘に埋もれているはずの、高貴な輝きを見つけ出さなければならないのだ。その任務が自分に命じられたことこそ、王女の信頼の証。その期待を裏切ることがどうしてできようか。
そう、すべては王女様のため。そのためならば、この汚れた砂にまみれることも厭いはしない! いっそ歓喜と言ってもよい気持ちとともに、男は丘を登り始めた。黄土色の砂に足が埋もれる。砂が隙間から靴の内部に入り込んでくる。舞い上がった砂が服の中に忍び込み、フードの下の髪の毛にまとわりついてきた。王家の城、そこで富を貪っていた貴族たち、そればかりか無謀な夢を抱いた愚かな王族たち、それらが混じり合った汚らわしい砂に、男は傷つけられた。そして傷つけられる度に、それに耐えられる心を誇り、その心を遠き地にいる王女に捧げた。
やがて丘の頂上に辿り着き、男は視線を下に向けた。鋭い眼光を砂の丘に向け、その中に隠された輝きを探す。
輝きの在処を見つけるまでは、一瞬だった。汚れた砂の中でも、輝きの美しさは損なわれていない。いやむしろ、周りが汚らわしいからこそ、よりいっそう美しさを増しているかのようだった。
王女の名前を叫び、男は剣を抜いた。切っ先を砂の丘に刺す。次の瞬間、砂の丘は爆ぜて飛び散った。砂煙が舞うことはなく、丘の跡に下りた男の周りは輝きに満ちていた。
男の手には、小さな指輪が握られていた。銀の輪についた銀の花。砂の中にあったはずのその指輪は気高く輝き、汚れの一つもついていない。それを見て、男は当然だと思った。あの方の指輪に、汚らわしい砂がつくはずがない。
「ようやく見つけ出せました……必ずやお届けします、フィーリス様!」
男の誓いの叫びに答えるように、銀の指輪は一際強い輝きを天に放っていた。周りの砂を圧倒するその光は神々しく、そして禍々しかった。




