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 激痛に耐えきれず、セイムはその場に膝をついてしまった。食いしばった歯の隙間から、うめき声が漏れる。

(くそっ……なんなんだくそ……っ)

 痛む右腕を左手で掴む。湿った感触に視線を向ければ、包帯を真っ赤に染める血が目に映った。

「な、んで……」

「困るんですよ、セイム君。魔術を消し去るなんて、そんなことをされては」

 優しげな声が聞こえた。いつの間に近づいていたのか、すぐ隣に人の気配がした。顔を上げて確認するまでもない。声の主は、

「ア、ルザー……」

「……すみません。傷、痛みますよね」

 アルザーはセイムの前に移動し、しゃがんで視線の高さをあわせた。すぐ目の前のアルザーの顔には、いつもの柔和な笑みが浮かんでいた。怪我人を労るあの笑顔が、震えるセイムに向けられている。それは今までと同じ。一つ違うのは、今のアルザーに、セイムの傷を癒そうという意志がないことだけだった。

「なんで……いったい、なにを……」

「白蛇でしたっけ? あの男を倒せた今、セイム君は放っておいたらこの村を出て行ってしまうでしょう? フィーリスちゃんを連れて。それは困るので、傷口をまた開かせてもらいました」

 アルザーの言葉に、セイムは愕然とするしかなかった。助けてくれたと思っていた。自分の怪我を治し、フィーリスを休ませてくれたと。それはアルザーが治療師だからであり、悪意もなく自分たちのためにしてくれたことだと思っていた。だがそれは、最初から利用するためだったのか。白蛇と戦うために、自分たちを助けたというのか。

「ああ、それはちょっと違いますよ」

 セイムの表情から内心を察したのか、笑いながらアルザーが言った。

「白蛇の正体までは、私も知りませんでしたよ。ただ、セイム君たちを狙っている者がいて、それが強力な魔術を扱えるということぐらいしかわかっていませんでした。様子から、どのみち敵になるとは思っていましたけれどね。でもまさか、ファー教団の人間だったとは……セイム君の傷を治しておいて、ほんとによかったですよ」

 白蛇が魔術師で、私と協力できれば一番よかったんですけど。そう言いながら、アルザーは血に染まった包帯に手を伸ばした。痛みのあまり、セイムはその手を振り払うことができなかった。包帯越しに、深く抉られた傷口に触れられる。激痛に口が大きく開いた。だが叫びは、喉に引っかかってしまったかのようで出てきてくれなかった。ただ痛みに、全身を震わせるしかなかった。

「そういうわけで、白蛇の正体や目的はちゃんとわかっていませんでした。最初からきちんとわかっていたことは、一つだけですよ。それはね、セイム君の正体ですよ……エーベルス王国、王位第一継承者、セイム・ウェル・エーベルス……あなたのことだけです」

 激痛に支配された中でも、その言葉ははっきりとセイムに聞こえていた。セイム・ウェル・エーベルス。今では知る人はいないはずの、自分の正式な名前だ。

「な、ぜ……それ、を……」

「知らないわけがないでしょう」

 出来の悪い生徒を教え諭すように、アルザーは優しく言った。

「セイム君が思っているよりもずっとね、世の中の大人というのは賢いものなんですよ。百年前突如砂漠へと姿を変えたエーベルスと、百年前突如活性化した魔力。関係していないと思う方がどうかしています。エーベルスが滅びた直後から、各国の調査は始まっていたのですよ。エーベルスのすべては砂に変わっていても、エーベルスの周りの国々はそうではないですしね。当時の記録はいくらでも見つけられます。エーベルスの王家のこと、貴族の家系図や肖像画、出入りしていた有力大商人の名前、取引されていた物資……そして、エーベルスの王家が秘密裏に魔法の儀式を試みていたという噂話、なんてものもね」

 血を失いすぎたためか、セイムの体から力が抜けた。アルザーの前で、倒れ込んでしまう。体を打ったはずだが、痛みは感じなかった。右腕の激痛しか、もう感じなかった。

「砂漠に変わったエーベルスの調査も、もちろん行いました。もっとも、どういうわけか調査隊は一人として戻ってくることはありませんでしたが。そのためエーベルスの砂漠、その最奥がどうなっているかは今もわかりません。危険を避けるため、今は砂漠の周りを監視することがせいぜいでしたが……その監視網に、一月前、セイム君たちが引っかかったのです」

 目の前が暗くなり、セイムの意識が朦朧とする。はっきりしない意識で、それでもアルザーの言葉だけは変わらず聞こえていた。

「滅びたエーベルスの砂漠から、当時と変わらない姿で出てきた王位第一継承者。そして、当時の記録をいくら調べても見つからない一人の少女……あなたたちが魔力の秘密に関係していることは、誰もがすぐ連想しましたよ。そして、世界があなたたち二人を狙い始めたのです。世界中の国家、魔術学院、研究所。更には白蛇みたいなのがいるファー教団や、犯罪結社までも。もちろん、私みたいな個人の魔術師も、ね」

 すべては自分たち二人を捕まえるためだったのか……暗闇の中で、セイムは絶望の呟きを発していた。怪我を治し、優しくしたのも自分たちを逃がさないため。もし白蛇と戦うことになったら利用するため。そして自分たちを、手元に置いておくため……すべてはそのためだったのだ。

「……俺たちが、早く逃げ出していた、ら……どうするつもりだった……」

 掠れた声を放ち、セイムはそう訊いた。用意されていた旅支度を思い出し、アルザーの言葉を信じたくないという気持ちが疑問を口にさせていた。

「逃げるわけはないと信じていましたよ。だって私の魔術がかかっているのですから」

 そんなセイムの気持ちを、笑いながらアルザーは踏みにじっていた。

「ちょっとした魔術ですよ。ごく簡単なものです。患者の緊張をほぐし、気持ちを少しだけ和らげるよう心に働きかけるという、ね。人の心を操るなんて大げさなものではないですが、患者の信頼を得るにはそれで充分なんです。これでも治療師ですから。頑固な怪我人をどうすれば治療所に通わせられるか、薬嫌いの子供にどう言えば薬湯を飲ませられるか。その程度のこつはちゃんとのみこんでいるんですよ。それを少しばかり応用すれば、この通り、です。あの旅支度もよい演出だったでしょう? ああすれば、セイム君ならきっと逃げずに来てくれると思いましたよ」

 続けられた言葉は、どこまでも残酷なものだった。唇を噛みしめ、思い出す。アルザーの家で目覚めたとき、腕を触られ、心が落ち着いたことを。あのとき見えた手の輝きは、涙に反射した日の光ではなく、魔術の輝きだったのだ。そしてあの優しい手も、その後の言葉も、すべて罠だった。こちらを気遣う態度も、セイムたちのために用意されたと思っていた旅支度も。すべて罠だったのだ。

「一つだけ誤解して欲しくないのですが……私は魔術を自分のために使おう、などとは思っていませんよ。私の魔術は、すべて人のためにあります。言ったでしょう? 魔術は人を助けることのできる力だと。普通なら決して治せない怪我も、病も、魔術の業なら治すことができます。私はそのために、魔術を使っていきたい……だから魔術を消されては困るんですよ。どんな手段か知りませんが、セイム君がそれを目指しているのなら、私は世界の人々のためにもそれを止める義務が……」

「セイムを傷つけた」

 力をなくしたセイムの口が動き、言葉を紡いでいた。はっきりとしたその声に驚いたのか、アルザーの言葉は不自然に途切れていた。

「セイムを傷つけた……セイムを……私が一番守りたいと思っている人を……傷つけた……」

 口が動き、言葉を紡ぎ続ける。自分の意志とは別に動き続ける口に、セイムはこの場に誰が来たのかを悟った。

「来ちゃダメだ、フィーリス」

 澄んだフィーリスの声が、セイムの耳に届いていた。遠くから、燃え落ちる家の音にも邪魔されず、その声はセイムに届いていた。

「フィーリスちゃん、村の人と一緒に逃げて下さいと……」

「村の人を守りたいと思ってた」

 アルザーの言葉を、またもセイムの声が遮っていた。アルザーにそれ以上喋ることを許さなかった。

「村の人を守りたいと思ってた……今だって思っている……でも、守りたいと思っていた人が、セイムを傷つけるのなら……なら私は……」

「ダメだ、フィーリス……今それを使うのは……」

 セイムの力をなくした唇が動き、確かな口調で言葉が紡がれる。そして喋れないはずのフィーリスの口が動き、弱々しい声を発していた。尋常ではない二人の会話に、アルザーは後ずさってしまっていた。

「いったいなにを……あなたたちはなにを……」

 アルザーの言葉を無視して、セイムの口が開いた。同時にフィーリスの口が叫んでいた。

「私はセイムを守る!」

「ダメだフィーリス!」

 二つの叫びが重なった瞬間……目映い光がセイムとフィーリスを包み込んでいた。


 瞳を開けば、目の前にアルザーがいた。恐怖のためか目を見開き、その場に立ち尽くしている。手を伸ばせば届きそうな距離だった。そう考えた矢先、セイムの右腕が動いていた。

 アルザーが小さな悲鳴を上げ、その場から飛び退いていた。だがアルザーの背後には、まだ燃え続けている家がある。それ以上はさがれない。せめてもの抵抗なのか、アルザーは両手を持ち上げていた。

「そ、その銀髪は……まさか、フィ、フィーリスと融合した……? 魔術なんですかっ、それも魔術だというのですかっ!?」

 アルザーの問いには答えず、セイムは一歩前に踏み出していた。足下の感触が変わっている。見るまでもなく、地面が砂に変わっていることに気づいた。

(セイムを守る……守るためにやっつける……この人をやっつける!)

(ダメだ! フィーリス、ダメだ!)

 胸中に響いた声に、セイムは呼びかけた。だが、融合したフィーリスに言葉は届かなかった。セイムの意識が弱っていたために、体の主導権を奪われてしまっているのだ。自分の体に宿ったフィーリスを、その魔力を抑えることもできず、動く自分の体を内から見つめることしかできなかった。

「くっ……そんな魔術、所詮ははったりでしょう!」

 叫び、アルザーが両手を突きだした。その手に宿った光が飛び、背後で燃えさかる民家の炎に溶け込む。アルザーの魔力を宿した炎が、アルザーの意志を受けて炎の矢となった。

 迫り来る矢に対し、セイムの体は右腕を軽く振っただけだった。それだけで、セイムの体を包む光が伸び、炎の矢を呑み込む。矢は一瞬で砂の固まりに変わり、勢いを失って地面に落ちた。砂へと変じた土に、炎の砂が混じって消えた。

「そ、それは……!?」

 恐怖に顔を引きつらせながらも、アルザーは魔術を使い続けた。魔力の光が飛び、炎に宿り、赤い矢となってセイムに襲いかかり……次の瞬間には砂へと変わっていた。ただの一矢も、セイムの体に届きはしなかった。

 セイムの体が歩を進める。アルザーは火に阻まれ、さがることができない。せめてもの抵抗とばかりに火の矢を放ち、そのすべてが砂へと変わっていく。

 セイムの歩みとともに、セイムの腕の動きにあわせて、周りのすべてが砂に変わっていった。

「そ、それが……それがエーベルスを砂へと変えた魔術なのですか! それが……っ」

 セイムの右腕が伸び、手がアルザーの顔を掴んでいた。口元を塞がれ、アルザーはもう言葉を放つこともできない。

(セイムを守る! ずっと守る!!)

(やめろ! やめるんだフィーリス!!)

 心の内のフィーリスが叫び、セイムも同時に叫んでいた。二人の叫び声が胸中で響き渡り、また目映い光が世界を覆っていた。


 気がついたとき、セイムとフィーリスは砂の上に倒れていた。フィーリスは目を閉じ、気絶してしまっているようだった。起き上がったセイムは、慌てて手を伸ばし、フィーリスに触れる。感じた温もりに安堵し、周囲に見えた砂に絶望した。

 セイムたちの周りは砂だった。砂だけしか、存在していなかった。大地も、燃えていた民家も、木々も草も、収穫を控えていた農作物も。白蛇の死体もなくなっている。そして、アルザーも……村のおよそ半分を、セイムとフィーリスの魔術が砂へと変えてしまっていた。

「これが、俺たちの力なんだな……」

 魔力体となったフィーリスを身に宿し、その魔力を操ることがセイムの力だった。強大な魔力。その力の余波は、周囲のすべてを砂へと変えてしまうのだ。百年前に滅びたエーベルスと同じように……。

 あの夜も、白蛇からセイムを守るために、二人は融合した。だがその魔力に怯えたセイムがすぐに融合を解除したために、白蛇を倒すことはできず、右腕の傷を塞ぐこともできなかった。

 今は右腕の傷は塞がっている。アルザーも倒すことができた。周囲のすべてを砂に変えながら行使した力は、セイムを守り、フィーリスの望みを叶えていたのだ。

 セイムの腕の中で、フィーリスは寝息をたてている。目が覚めたとき、フィーリスはなにを思うだろう。魔術の影響のためか、セイムの気持ちはフィーリスに伝わり、その口がセイムの気持ちを言葉にすることもある。だがフィーリスの気持ちは、セイムの方にはほとんど届くことはなかった。セイムの口を通じてフィーリスが喋ることもまれだ。フィーリスの気持ちはわからない。フィーリスの本当の名前すら自分は知らないのだ。だが自分の気持ちはフィーリスに伝わり……セイムの後悔に、フィーリスはきっと傷つくだろう。自分のせいだと嘆き、そのためにまたセイムを守る気持ちを強くするだろう。

「俺が君を守ったことなんて、ほんとは一度もないんだろうな……」

 自分こそフィーリスに守られているのだろう。セイムは思った。敵からばかりではない。その心も、だ。ホルン村の滞在も、ひょっとしたらそうなのかもしれない。疲れたセイムを休ませたいと思い、心を癒すためにフィーリスは明るく振る舞っていたのではないか。フィーリスのためにと思ったセイムの気持ち、それを察したが故のフィーリスの気遣いであったのではないだろうか。

「本当に、俺は……」

 セイムはフィーリスを抱きしめた。腕の中のフィーリスの温もり、体を照らす朝日の温かさ。砂の上で感じるそれらは、絶望の中の救いのようで、それに甘えてしまう自分を、セイムは嫌悪していた。

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