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「逃げろ! 早く!」

 叫びながら剣を振り下ろし、宙を飛ぶ白蛇の胴体に斬りかかった。鋼の剣が白い胴体を両断する。今まさに村人に襲いかかろうとしていた頭部は、白い糸へと変じ、風に舞って消えた。

「くらえ!」

 崩れかけた姿勢から体をひねり、振り下ろした剣を無理やり振り上げた。そして剣の腹で蛇の胴を殴りつける。跳ね上がった胴体の先には、早くも新しい頭部が形作られようとしていた。

(やっぱり剣じゃ無理か!)

 再生する白蛇を、いくら剣で斬りつけても倒すことはできない。本体を打たねば意味はなく、頭部との戦いは徒労ですらあった。そのことを、セイムは身をもって知っていた。

(でも斬り続ければ、再生の間は動きを止められるはずだ!)

 それを繰り返せば、村人が逃げる時間は稼げるかもしれない。そう自分に言い聞かせ、セイムは体勢をなおした。

「セ、セイム君……っ!?」

「早く!」

 へたりこむ村人に怒鳴りながら、再び白蛇に斬りかかる。天に頭部が向き、無防備にさらされた胴体を斬り捨て、

「……っ!」

 白糸に変じた胴体を突き抜けるようにして、別の頭部がセイムに襲いかかってきた。洞のような暗い穴、縁に光る牙。瞳に映るそれらは一昨日の再現だ。剣を持った右腕が激しく痛み、

「セイム君!」

 誰かが叫び声と一緒に、横から体当たりをしてきた。突然の衝撃に体が突き飛ばされ、地面をゴロゴロと転がる。回転する視界の中、獲物を仕留め損ねた蛇の頭部が、民家の壁に激突するのが見えた。その傍らには再生を終えた白蛇がいた。宙に浮かぶ二匹の白蛇。その向こうから、男の悪態が聞こえた。

「こっちへ!」

 声が聞こえた場所を探すよりも先に、誰かに体を引っ張られた。そのまま引きずられるように走らされる。セイムが自分を引っ張る者の顔を確認できたのは、近くの民家の中に引きずり込まれてからだった。

「アルザー……」

 扉の脇の壁に寄りかかり、息を荒らげて座り込んでいるのはアルザーだった。

「いったいなにしてるんだよ……」

「急病人の連絡を……受けまして……それで治療に行った……かえ、りに……」

「そうじゃなくて! 俺を助ける暇があったら逃げればいいだろ!」

「先に助けてくれたのは……セイム君ですよ……」

 ようやく息を整えたアルザーが、顔を上げて言った。そこで初めて、白蛇から助けた村人がアルザーであることに気づいた。

「……それを言ったら、最初に助けくれたのはあんただろ……」

 怪我を治し、自分を最初に助けてくれたのはアルザーだ。その借りを返したようなものだと、セイムは言外に告げた。

 そう言われ、アルザーは宙を見上げ考え込み、

「それでは……お互い様ということで」

 言って、いつもの柔和な笑顔を浮かべた。

 その答えに、セイムも笑った。半分苦笑が混じった笑みであったが、確かにアルザーに笑いかけた。

 だが二人の笑みは、外から聞こえてきた悲鳴にかき消された。

「くそっ、あいつめ!」

 悪態をついて外に飛び出ようとするセイムを、アルザーが腕を引いて止めた。

「待って下さいっ、あんな魔物を相手にするのは無茶です! 戦わず、刺激しないようにして逃げないと……」

「魔物じゃないっ、あれは人だっ!」

 セイムの叫びに、アルザーは目を見開いていた。

「人、なんですか……あれが……」

 信じられないという口調で、アルザーが言った。

「……そうだ、人だ。魔力の暴走によって変異してしまった化け物じゃない……いや、魔力を抑えきれていないんだから、あれも一種の暴走かもしれないけどな……」

 言って、セイムは皮肉の笑みを浮かべようとした。だがそれは失敗し、唇の端が痙攣したように動いただけだった。

「だけど、いくら魔力を抑えきれていなくても、あの蛇は魔物じゃない。人の魔術によって生み出され、操られているものだ。あれを操っているやつは、確かな意志で俺たちを追い、そして今この村を襲っている……戦わなければ、逃げることだってできないっ……」

「……説得は無理なんですか。セイム君たちを追ってきた理由も、村を襲う訳もわかりませんが、あれが人だというのなら……」

「……無理だ。あいつは……白蛇は、ファー教団の人間なんだ」

 セイムの言葉に、アルザーは黙り込んだ。絶望のあまりか、深く俯いてしまっている。

 ファー教団。古来からの秩序を重んじる神ファーを信奉する教団だ。魔力を操ることは秩序に反すると考え、魔術の根絶を目指している。今では半ば秘密結社と化し、その行動は暗殺教団と大差ないものとなっていた。彼らは魔術を使う魔術師ばかりか、魔術の恩恵を受けた人間の存在も許していない。話し合いが通じる相手ではなかった。

「白蛇の目的は俺たちだ……でも魔術師の存在を知った以上、あいつはこの村を放ってはおかない。魔術師であるあんたも、あんたに助けられた村人たちも……」

 喋り続けながら、セイムは自分の言葉に愕然としていた。

(なにが、恩を返したいだ……)

 もとから自分たちのせいではないかと、セイムは自分を責めていた。自分がアルザーに助けられ、そして村に泊まったために、白蛇はホルン村の、アルザーの存在を知ったのだ。自分がアルザーに助けられなければ、せめて昨日のうちに村を出ていれば、こうして白蛇に襲われることもなかったかもしれない。最初から自分たちの責任だったのだ。

(だったら尚更だ……俺たちが絶対に助けないと……!)

 扉を開けようと手を伸ばし、だがその手を、またアルザーが止めていた。反射的に、セイムはアルザーを睨みつけていた。その瞳を、真正面からアルザーは受け止めた。

「セイム君が行って……あれを止めることができるんですか……」

 勝算もなくただ無謀に戦おうというのなら、ここから行かせるわけにはいかない。アルザーの瞳はそう語っているように見えた。

「……わからない……いや、きっと無理だ……」

 その瞳に嘘はつけない。セイムは正直に答えていた。

「あの白い蛇は、白蛇が魔力を使い、自分の髪の毛を変化させて生み出したものにすぎない。いくら斬っても再生するし、術者が傷を負うこともない。蛇に繋がるあいつの本体を……白蛇自身を倒さなければ意味はない……」

 そしてその白蛇本人は、どこにいるのかわからない。蛇の胴体は長く伸び、複雑に曲がって体の在処を巧妙にくらましていた。今自分が行っても、再生する頭部相手に剣を振るうことしかできないだろう。そして生み出される蛇が一匹だけではないことは、さっき思い知らされていた。

「俺が行っても、白蛇を倒すことはできないと思う。時間を稼ぐ自信だってない……それでも、この村が襲われているのは……」

「自分に責任があるから、行かないと、と?」

 アルザーの言葉に頷き、

「……いや、もし俺たちに責任がなかったとしても、俺は村の人を助けに行きたいと思う。俺とフィーリスを助けてくれた人たちを、俺たちは見捨てたくない」

 すぐにセイムは言葉を足した。責任を感じているから尚更、という気持ちはある。だがもし責任はなくても、それでも自分は村人を助けに行く。フィーリスとの言葉が脳裏をよぎった。助けたいという気持ちに嘘はない。

 セイムは真っ直ぐにアルザーを見つめた。アルザーは黙って視線を受け止め、一つ頷くと、口を開いた。

「……わかりました。なら助けましょう。二人で、ホルン村のみんなを」

 そう言って、アルザーは不敵な笑みを浮かべた。自信に満ちた、強い表情。アルザーの力強い顔を、セイムはそのとき初めて見た。


 セイムは道を駆けていた。剣は腰の鞘に収め、代わりに小石を手にして。

 作戦があると、アルザーは言った。白蛇を倒す作戦が。それを実行するために、セイムは道を駆けていた。

『蛇と戦わず、相手を引きつけながら、逃げて下さい』

 言われた作戦を思い出し、セイムは手にした小石を、白蛇の頭部目掛けて投げつけた。当たらなくても、注意を引ければそれで構わない。白蛇の頭部がセイムの方を向くと同時に、無防備な背をさらして駆け出す。追いかけてくる気配に恐怖を覚える。振り切ってしまいたいという誘惑を抑えながら、セイムは道を駆けた。

『引きつけながら逃げて、途中、多くの建物を通り抜けて下さい。入るときと出るときは、なるべく別のところを使って……』

 背のすぐ後ろに気配を感じるまで白蛇を引きつけ、そこでセイムは側の民家の扉を蹴り開け、中に飛び込んだ。そのまま走り、裏の戸口を蹴破って外に出る。白蛇の気配はまだ後ろにある。セイムは農地に隣接した家畜小屋の中を通り抜けた。

『白蛇に複数の蛇を生み出す力があり、そして村人全員を狙っているのなら……生み出す蛇は一匹ではないでしょう。なるべく多くの蛇を集めて下さい。できることなら、一匹残らず集めて下さい』

 悲鳴が聞こえた方に走り、村人に襲いかかろうとしている蛇目掛けて石を放った。狙い過たず石は当たり、だが蛇はそれを無視していた。道に倒れた村人は、まだ起き上がってない。

「くそっ」

 石を捨て、剣を抜き、蛇の前を駆け抜けながら斬りつけた。

「白蛇! 俺はここにいるぞ! お前が一番憎んでいる国の末裔が、ここにいるぞ!」

 同時に叫んだその言葉に、白蛇が反応した。浅い傷を修復した二匹目の蛇が、セイムを追いかけてくる。

『セイム君が白蛇を引きつけている間に、私が村人を誘導し、避難するよう促します。フィーリスちゃんのことは村人に頼みますから、セイム君は白蛇を引きつけることだけを考えて下さい』

 視界の端に別の白蛇を見つけた。牙を向けられているのは見覚えのある少女だった。フィーリスに服を渡してくれた少女だった。

「……っ!」

 距離は数メートル離れている。投げる石は手放した。

「だったら!」

 考えるよりも先に手が動き、思考がまとまったときには既に鞘が投げられていた。硬いなめし革が当たり、蛇の頭部がセイムを向いた。挑発するように剣を振るう。三匹目の蛇がセイムに襲いかかってきた。

『先程白蛇から逃げたとき、男の悪態が聞こえたのを覚えていますか?』

 アルザーの言葉を思い出しながら、セイムは道を駆け続けた。途中石を拾い、見つけた白蛇に投げつける。声を上げ、挑発し、時には剣で斬りつけた。蛇を引きつけながら、セイムは村の中を駆け続けた。

『白蛇は、この村の中にいます』

 数が増えれば、背を追いかけてくるばかりではない。時には前方から襲いくる白蛇を、剣を振るって薙ぎ払う。

『いくら遠くまで蛇を伸ばせても、村の端から反対側の端まで伸ばしていては、憎むべき村人を逃がしてしまうかもしれない。確実に村人全員を襲うためにも、白蛇は村の中に入り込んでいるはずです』

 足が少しでも鈍れば、その隙を白蛇は見逃さない。勢いを増して襲いくる蛇を、セイムは民家の中に転がり込んで避けた。

『そこに気がつけば、白蛇を倒す方法は思いつきます』

 倒れたままでいる余裕はない。セイムは転がりながらどうにか身を起こし、窓の板戸を蹴って外へ飛び出す。そこで足がもつれ、セイムは地面に倒れ込んでしまった。

 起き上がろうとしたところでまた足がもつれ、バランスを崩した体を蛇の胴体に殴りつけられた。踏み止まることもできず、セイムは地面に全身を打ちつけた。痛みと衝撃に意識が朦朧とする。起き上がる力がわかず、できたことはうつ伏せからあお向けへと体の向きを変えることだけだった。

 明るい星空が目に映る。その下に、無数の白蛇の頭部がいた。大きく口を開け、光る牙をセイムに向けている。星と見分けがつかない輝きが、セイム目掛けて降りそそごうとしていた。

(できることはやった……)

 あとは、アルザー次第だ……そう思った瞬間だった。燃える炎の矢が夜空を駆け、民家の一つに突き刺さった。


『私が魔法で、村の建物に火を放ちます。建物を燃やす火は蛇に移り、白蛇へと到達するでしょう。蛇が通り抜けた建物は、そのまま白蛇への枷にもなります。動きを封じられ、逃げることはできない。一カ所に多くの蛇が集まれば、互いの体もまた枷となる。村の中にいるのなら、火が白蛇自身を襲うのもすぐでしょう。熱と煙が混乱を招く中、果たして髪の根元を切って逃げればいいことを思いつくかどうか……』

 立ち上がり、民家を燃やす炎を見つめながら、セイムはアルザーの言った作戦を思い返していた。火は狙い通りの効果を上げているようだった。赤い炎の中で、蛇の影がのたうち回っている。

「うまくいったんだな……」

 だがセイムの声に、喜びの響きはなかった。重く沈んでいる。作戦がうまくいったことを、むしろ悔やんでいるような響きすらあった。

 火が民家を燃やしている。一軒だけではない。白蛇が通った家、そのすべてを燃やしていた。セイムが白蛇を引きつけている最中、アルザーが呼びかけてくれたお陰で、村人は皆逃げてくれているようだ。それでも、白蛇の犠牲になった人は一人や二人ではすまないだろう。怪我人はもっと大勢いるはずだ。そんな傷ついた村人を迎えるべき家は燃えて、彼らの持ち物も炎に焼けた。明日から彼らはどう過ごせばいいのだろう。失ったものを考えれば、喜ぶことはできなかった。

「セ、イムゥ……」

 セイムの後悔に答えるように、呪詛の声が聞こえてきた。驚きに後ずさり、炎の中から歩み出てくる人影に恐怖した。

 やがて姿を現したのは、ボロきれを体にまといつかせた痩せぎすの男だった。その男が白蛇であることを、セイムはすぐに気がついた。意志を持ったように波打ち動く白い髪が、男の正体をセイムに教えていた。

「白蛇……」

 白蛇の姿はひどいものだった。身にまとうのはボロのみで、炎に焼かれたそのボロが、もとはどんな服だったのかはもう想像もできない。露出した肌は焼け爛れ、肉の焦げる嫌な臭いを発していた。それでもまだ動けるのは、その身に宿った過剰な魔力のためだろうか。

「セイムゥ……お前の、せいで……俺は……お前がぁ……っ!」

 セイムの手前で倒れた白蛇は、それでも顔を上げ、セイムを睨みつけた。白蛇の魔力は、彼が操る髪の毛にもっとも濃く宿っているのだろう。消し炭のような顔の上、乱暴に切られたと思われる白髪は、それでも炎に焼き尽くされてはいなかった。

「俺は……お前を……お前たちをぉ……許さ、ないぃぃっ……!」

 最後の気力を振り絞り、白蛇は叫んだ。それは紛れもない呪詛の叫びだった。

 呪いの言葉を正面から受け、セイムは瞳を閉じた。白蛇の憎しみを噛みしめる。そして瞳を開けたとき、白蛇は既に事切れていた。倒れた体はもうぴくりとも動かない。放たれる嫌な臭いだけが、命の名残であった。

 ファー教団の男。自分たちを狙い、襲ってきた白蛇。本当の名前もわからないこの男の、憎しみの理由は想像することができた。ファー教団は魔術を認めていない。信者が魔術を学ぶことは当然許していない。だが、自分に宿った過剰な魔力を抑えきれず、望まないのに力を手に入れてしまう人間がいる。そんな人間がファーの信者であり続けるためにはどうすればいいか……方法は一つだった。命に代えても、

「この世界から魔術を消し去ること……」

 そのために、白蛇はセイムたちを追いかけてきた。信じた神に見捨てられないために、そうするしかなかったのだ。

「魔術が嫌いなのは、俺も同じだよ……」

 動かない白蛇の体に、セイムはそう言った。この世界から魔術を消し去りたいとも思っている。だが、そのためにファー教団がやろうとしていることを、セイムは認められなかった。

 魔術を消し去る。この世界の人間が魔術を使えないようにする。そのために、生物に宿った魔力を不活性化させる。そこまではいい。だが、そのための手段が、セイムとファー教団では違った。決して相容れないほどに。

「白蛇……お前たちのやり方を、俺は認められない……でも、俺は俺のやり方で、いつか魔術をこの世界から消してみせる」

「それは困ります」

 優しげな声が、セイムの言葉を打ち消した。驚きに目を見張り、セイムが振り向くよりも先に……激痛が、右腕を襲っていた。

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