9 イグニッション
「今更だけど……わたしにもちょっとお肉分けてくれる? ちょっと手持ちの食糧さびしくなってきちゃってるのよ」
レイアがお願いをしてきた。キングウルリン一匹丸々食べるのはできないわけではないが、あれだけの大きさだ。そこまでしなくても十分に空腹感は癒せる。出来るからといって全部食べきる必要はない。
一応、ミナミとレイアの取引内容は『調理してあげる代わりに質問に答える』といったものではあるが、ミナミ自身、女の子の前で一人で食べるつもりはない。食糧に不安があるというのならなおさらだ。断る理由はない。
了承すると、彼女はさっそく薪を組み、その周りに棒に刺した肉を並べだした。
「魔物の肉って火を通さないと危険だし、味もそんなによくはないけど、強い魔物だと食べると強くなるって説があるのよ。弱いのよりおいしいし。噂だけど、なかにはとびっきりおいしいのもいるらしいわ。
あ、焼きあがるまでちょっと時間かかるから、そこらへんの毛皮とか集めてても大丈夫よ?」
「火はどうやってつけるんだ?」
「どうって魔法しかないでしょ? 火をつけるくらいなら冒険者なら誰でもできるじゃない」
「そうなの? 見ててもいい?」
レイアはあきれた目でミナミを見ていた。というのも、このセカイの人間はみな大なり小なり魔力をもっており、冒険者である以上たとえ前衛であったとしても、火をおこす程度のごくごく簡単な魔法は普通は覚えているものなのだ。
それを覚えていないということは、半人前の新人の証だった。
「あなた……それでよくここまで生きていられたわね。そのへんも含めて、あとできっちりお話しましょうか。ま、見てなさい」
そういうとレイアは薪の前に立って軽く腕を払った。腕の動きと同時になにか風のようなものが薪にまとわりつかたかと思うと、一瞬で薪に火がついた。おそらくあれが魔力と呼ばれるものなのだろう。
ミナミが想像したような詠唱だとか、魔法陣だとか、そういったものは必要ないらしい。ごくごく自然な動作でレイアは魔法を使ってしまった。
「どう? これで満足? あなたも練習すればたぶん出来るわよ」
「どうやってやるんだ? 手を払ったようにしか見えなかったけど」
「気合い?」
「……」
気合いで何とかなるのなら、世界中の人間が出来るようになっているだろう。
「いや、ホントのことだって!」
「イマイチ信じられない」
「あなた、手の動かし方とか、瞼の閉じ方とか人に説明できる? 魔法だって自分の能力なんだから人に具体的に説明できるほうがおかしいのよ。“できて当たり前”ってかんじでなんとなくやり方を覚えるのが普通なの」
言われてみれば心当たりがある。巾着も【感染】もなんとなく気合いでどうにかなった。一回コツさえつかめばそれこそ手を動かすかのように扱えた。
どうやらこのセカイはだいたいのことは気合いでどうにかなってしまうらしい。
「さっき手を払っていたのはどうして? ああしないとダメなのか?」
「私の家の近所のおっちゃんがたき火でお芋を焼くときああしてたのよ。私はそれが普通だと思っていたから、ついつい癖でやっちゃうだけ。別に動作は重要じゃなくて、自分の感覚で出来るのだったら、それこそなにもしないでもできるわよ」
「本当におれにもできるのかなぁ?」
「とりあえずやってみなさいよ。数をこなしていけばきっとできるようになるわ。理論上はみんなできるはずなんだから!」
レイアに励まされミナミはやってみることにした。さっきのレイアと同じように手を払ってみることにする。
彼女が近所のおっさんで覚えたように、成功例をそのまま真似すればできるかもしれないといった簡単な考えからだ。
「そぉいっ!」
「きゃっ!?」
掛け声とともに手を払う。一瞬の後、まるで当たり前のことかのように薪に火がついた。むわっと火気がミナミの頬を撫で、キャンプの匂いが鼻をくすぐる。
しかし、ただ火がついただけではなかった。レイアのよりもかなり“火加減”が強かったらしく一瞬ですべてを炭にしてしまった。
それもそのはずだ。ミナミには神様にもらった『すごい魔法の才能』がある。
「うぉぉっ! できた! おれにもできた! ねぇねぇ見てたレイア? おれにもできたっ!」
ミナミは自分が魔法を使えるということをすっかりと忘れていたようだ。子供が初めて自転車に乗れた時のようにはしゃいでいる。
実際、ミナミのセカイで「見て覚える」ことの典型といえば自転車に乗ることだ。初めて自転車に乗れた子供は相当喜ぶだろう。そういった意味でミナミの喜びようは正当なものだと思われた。
「……はしゃぐのはいいけど、これでどうやってお肉を焼けばいいのかしら?」
「……あっ」
どうやら頭の中も子供になっていたらしい。
結局多めに集めておいた薪を巾着から取り出すことで問題は解決した。なにもないところから薪を取り出すミナミをみてレイアは驚いたようだが、後でまとめて全部聞く、といってその時は何も聞かないでくれた。
今度は慎重に火をつける。おいしくやけるちょうどいい火になりますように、とミナミは心の中で神様に祈る。実物を少し前に見てきたばかりだからか、いつもより信心深くなれたような気がいした。たかだか肉のためだけに祈られる神様も堪ったものじゃないだろう。
「よっしゃ」
一度できたことだからだろうか。今度は簡単に自分のイメージ通りに火がついた。
パチパチと薪が音を立てて燃えていく。あたりはだいぶ暗くなってきていて、焚き火以外に明かりはない。中学校の時のキャンプファイアをミナミは思い出していた。
「ほいほいっと……こんなものでいいかしら?」
レイアが串に刺した肉を火の周りに並べていく。ミナミに肉の良し悪しを判別する目はなかったが、どことなく霜降りの肉に似ていて、味には期待できそうだった。
「おおお……!」
しばらくするとおいしそうな香ばしい香りが漂ってきた。焼鳥屋さんや焼き肉屋さんの前を通った時のあれだ。
「もういい?」
なんだかんだいって、ミナミは結構な時間お預けをくらっている。腹の虫はさっきからずっと鳴いているし、口の中には涎があふれ出ている。
「まだダメ」
今すぐにでも食べたいが、横でレイアが目を光らせているのだ。彼女が許すまで食べることはできない。
解毒の魔法は解体のときにかけたそうだが、やはり火が完全に通るまでは用心するものらしい。さっき串に手を伸ばしたときぴしゃりと叩かれて説教された。
それからもうしばらく。いいかげん我慢の限界に近付いていたミナミに、ようやくレイアからの許しが出た。
「もういいわよ、しっかり火は通ったから」
「ひゃっほう!」
これだけの言葉にあれほど心を動かされたことは今までになかった。四時限目の終わりのチャイムがなったときよりもうれしいとミナミは頭のどこかでぼんやりと考える。
さっそく近くにあった一本を手にとる。てかてかとしている肉から脂が滴った。ワイルドな焦げ目が食欲をそそり、肉らしい赤茶色の繊維が揺れる火によって影のダンスを作り出している。
どうみても、どう考えてもこいつはうまいだろう。もう待ちきれない。
「いただきます!」
かぶりつく。じゅわっとした肉汁が口いっぱいに広がった。
肉特有の生臭さは感じられない。レイアの言った通り、しっかりと火が通っていた。
それだけではない。火が完全に通っているはずなのに、固くなっておらず、むしろ柔らかくさえある。
柔らかくて噛むと肉汁がじゅわっと広がって、香ばしくて、どれだけ食べても入りそうな気がした。
絶対に胸やけなんかもしそうにない。まさに理想の肉だ。あまりのうまさに我を忘れそうになる。
魔物はおいしくないとのことだったが、コイツはあきらかに当たりだろう。もしかしたらゾンビだからおいしくいただけているのかもしれない
ふと横を見れば、レイアもとろんとした顔でおいしそうに食べていた。ミナミが見ていることにも気づいていないようだ。どうやら彼女もミナミと同じ場所にいるらしい。
「うっめぇ!」
このおいしさを、幸せを共有するというのはどこか喜ばしいことのように思えた。一人で食べるよりもみんなで食べるほうがおいしいってやつなのだろう。家族みんなで行ったバーベキューもこんな気持ちになっていたと、なんとなくミナミは懐かしい気分になる。
──あの時はカズハと兄ちゃんが野菜を押しつけてきたんだっけか。シイタケも人参も玉ねぎもおいしいのに。
「……何か言った?」
「いや……ナマはナマでおいしいけど、しばらくは火を通すかなって」
ちょっと気恥ずかしくなったミナミは、誤魔化すように串焼きを貪る。ぷい、と少し顔をずらしてあからさまに怪しいことこの上ないが、レイアは首を少しかしげるだけでそれ以上は言及しなかった。
もう家族には会えないが、あの時の行動に後悔はない。今夜は食べて忘れてしまおうとミナミは焼けつつある肉に次なるターゲットを求める。幸いにも量はそれなりにあり、まだまだ楽しめそうだった。
「あ、水、飲みたい。魔法でも出せるかな?」
「やってみたらどうかしら?」
暗闇に満ちた森を照らす焚き火のあかりは、二人の周りだけすこし明るいように感じられた。
20150426 文法、形式を含めた改稿。