【黄泉帰里編16】 スロー・ザ・リング
焼き鳥、イカ焼き、たこ焼き、お好み焼き。思わずお腹が鳴りそうになるいい香り。できたてほやほやのあっついそれらは、無限に等しい許容量を誇る冒険者の胃袋でさえ、しっかりと満足させていた。
もちろん、甘いお菓子の屋台も忘れちゃいけない。
お祭りの定番であるチョコバナナにりんごあめ。暑い夏の夜にはぴったりなかき氷。地方ではともかく、あまり見かけることの少ないレインボーアイス。にこにこと微笑み嬉しそうにはしゃぐ子供たちは、そのすべてをその小さいお腹の中へと収めていった。
「しっかし、本当にたくさんの屋台があるな……!」
なんとなくソフィとレイアの手を引きながら、ミナミは思わずつぶやいた。
この園島西高校の夏祭り──島祭にはたくさんの種類の屋台があった。おおよそミナミたちが思い浮かべられる全ての屋台が揃っており、ちょっと探せばすぐにでも目当てのものが見つかる次第である。
もちろん、ミナミが知らない屋台もたくさんあった。昔懐かしい一口サイズのカステラの屋台やキュウリの一本漬けの屋台までもある。どれだけの種類があるのかわからない……というか、これほど多くの屋台があるというのに、中身が被っているところがほとんどない。祭りであると同時に、屋台の博覧会が開かれているかのようであった。
「わ、このアイスクリーム、すっごくカラフルでおいしいね。……色が違うのに、なんで味は同じなんだろ?」
なぜだかやたらとレンが勧めてきたレインボーアイスをソフィがぺろりと舐める。元々のクオリティが高いのもそうだろうが、甘味の存在しない異世界に住む彼女にとって、それは今までにない衝撃をもたらすものだったらしい。いつもはどんな時でも子供たちに目を光らせているというのに、すっかり夢中になっている。
うっすらと緑色になった舌がちろりとそれを舐める。少し溶けかけたアイスに触れたそれがきらりと一瞬光を反射した。その瞬間をついつい目で追ってしまったミナミは、なんだかとっても恥ずかしい気分になった。
「……ミナミくん? もしかして食べたいの?」
「ん、ありがと」
ずずい、と口元に突き付けられたそれを、ミナミは恥ずかしさを誤魔化すようにして一口だけ食べた。ミナミが先程まで食べていたものと変わらないはずなのに、心なしさっきよりも甘い味がする。というか、なんかすっごく恥ずかしい。
「あっちでも作れないかな……」
「レシピはあるからなんとかなるんじゃないか? 材料を向こうで調達できるかわからないけど」
「どのみち、ミナミくんがごろちゃんに魔法を使ってもらわないといけないんだよね。氷の魔法を使える人、全然いないし」
ミナミはドキドキしてしまったが、ソフィのほうは特にそんな様子もない。もうすっかり気にしなくなったのか、あるいは家族のくくりだからセーフだと認識したのか。もしかしたら、本当にアイスに夢中になっていて自分でやった事を気づいていないだけかもしれない。
「こっちのじゃがバターは簡単に再現できると思うけど……。どうして蒸かしたイモにバターを乗せただけのものがこんなにおいしいのかしら……?」
ソフィの反対側。ミナミの左側を歩いていたレイアがつぶやいた。
彼女が器用にも片手で食べているのはエディがやたらと勧めてきたじゃがバターだ。どこにもであるそれと同じように、蒸かしたジャガイモをぱっかーんと割って、バターを乗せただけの代物である。
だというのに、それは今までジャガイモを浴びるように食べてきた異世界人全員を驚かせるほどにおいしいものであった。特別珍しい調理法をしているわけでもないし、見た目はどこにでもあるジャガイモを使っているというのに、明らかにそんじょそこらのものとは格が違ったのである。
「私が今まで食べてきた蒸かし芋ってなんだったんだろ……あ、もしかしてこれって見た目はそっくりなだけのイモじゃないなにかだったり?」
「いや、ごくごく一般的なイモのはずなんだけどな……」
レイアがずずい、と突き出してきたじゃがバターをミナミはぱくりと口にした。ホクホクでほんのり甘いイモの風味と、食欲を刺激する、程よく塩味の効いたバターの風味が口いっぱいに広がっていく。食べごたえはもちろん、思わず頬が緩んでしまいそうになるくらいに素晴らしい味わいだ。
普通のもののはずなのに明らかに普通じゃないという事態に、ミナミの脳みそはついていけない。最高の腕を持つ人間が最高級の素材を使えばあるいは可能性があるかもしれないが、それにしたって美味しすぎるのだ。
「それもやっぱり、園芸部で採れたジャガイモを使っているらしいよ。作っているのは調理部って話だし。この高校、部活にはすんごく力を入れているみたいで、普段から実力を培う機会がいっぱいあるんだって」
一葉が焼きトウモロコシを食べながら説明してくれた。どうやらすでにかなりこの高校を気に入っているらしく、先程からちょくちょくリサーチをしているところをミナミは見ている。
高校全体の雰囲気も良いし、部活も活発、それでいて生徒同士の仲も非常に良いように思える。こうして普通の高校にはないイベントを毎年開いていることからも、その校風がうかがえる。
この高校に入学したのならきっと楽しい高校生活が送れるのだろうと、誰であってもそう感じることだろう。
もし自分が殺されずに高校三年生になれていたらこんな生活を送れていたのだろうかと、ふと、ミナミはそんなことを考えた。
「……いや、ないな」
ミナミの通っていた高校では、生徒同士の仲こそ悪くはなかったものの、先生と生徒の間での信頼感と言うものがまるでなかった。ついでに他クラスや他の部活の人間とはほとんど関わりが無かったし、クラスの中であってもしゃべらない人間は少なくなかった。朝の挨拶くらいはするが、私事で積極的に話しかけたりはしない……という距離感の人間が一定数はいたのである。
「どうしたの?」
「いや……」
それにしても、である。
「なんか、ずいぶんいろいろ食べたなって。正直ここまで満足できるとは思わなったよ」
「そうなの? 日本でのお祭りってこれが普通じゃないの?」
きょとんとするレイアとソフィを見て、ミナミは思わず苦笑いしそうになった。
ここのお祭りで出展されている屋台はどれもこれもが凄まじいクオリティを持っている。いかにも冷凍っぽい、業務用を温め直しただけとわかる食べ物は一切ないし、どれもこれもがそれだけで店をやっていけそうなくらいに味が良い。
これだけならまあ、ちょっとした名物屋台で終わってしまうだろう。すごいのは、そのほとんどがあり得ないほどお得な価格設定であることだ。
「普通のお祭りだと、出てくる食べ物はもっと安っぽかったり、値段がすごく高かったりする。お祭り価格って言ってさ、明らかに相場の倍以上してたりもするんだよね。この特有のテンションに飲まれてそれでもついつい買っちゃうことが多いんだけど」
「ああ……その辺はあっちのお祭りとそんなに変わらないのね」
「あれ? でも、ここのってびっくりするくらい安いよ?」
「それがすごいところだよ。普通のお祭りだったら、あれだけのお金でここまでお腹いっぱいに食べることは出来ないさ」
なんせ大きな焼きトウモロコシが一本五十円で売られているのである。見間違いだろうとミナミは思ったし、桁が一つ違うだろうと叫びたくもなった。念のため、いかにも保健室の先生っぽい女性の売り子に間違っていないか確認したものの、あっているというから驚きである。
そんなわけで、今のミナミたちのお腹はパンパンに膨れている。いくら少しずつ分け合って食べているとはいえ、どこもワンコインするかしないかの値段で大盛りで売っているのだ。目につく屋台を片っ端から巡っていれば、それはある意味当然のことと言えた。
……時折、通常のお祭り価格で売られている、いかにも安っぽいお祭りの屋台があったりしたのだが、もちろんそれは全部スルーしていた。
「…けふ。もうまんぞく」
「い、いっぱい食べました……!」
「にーにーちゃぁ……あたしもう歩けないぃ……! おんぶしてぇ……!」
「しょうがねえなあ!」
女の子たち──クゥ、メル、ミルの三人もすっかり満喫したらしい。ぽんぽんとまん丸になったお腹をさすり、満足そうな笑みを浮かべている。メルに至っては自分が思ってた以上に食べ過ぎてしまったからか、五樹の背中から降りようともしなかった。
おんぶしている五樹も満更でもなさそうである。基本的に三条家は子供好きなのだ。
「ぼくもっとたべられるよ!」
「……やきとりもっとたべたい、かも?」
レン、イオのほうはまだまだ入るらしい。先程じゃがバターをペロリと平らげたというのに、すでに次の獲物を定めようと頭を働かせていた。
「腹ごなしも兼ねて、そろそろなにか遊戯の屋台でも寄らないか?」
「あら、いいわねぇ! 実は私ぃ、いってみたいところがあるのよぉ」
五樹の提案に乗ったのはフェリカだ。彼女もすでに焼き鳥や串焼き、アユの塩焼きなどワイルドなものをたくさんお腹に収めている。合流してからずっと食べ続けていたし、もう食べ物は十分満足したのだろう。
フェリカが先導し、人混みをかき分けて道を進んでいく。ピッツがその肩に乗り、皆がきちんとついて来ているかどうか、チラチラと後ろを確認していた。人の波でミナミたちとの距離が開くとききぃ、と鳴いて合図を送る。いつのまにやら、新たなコミュニケーション手法を確立したらしかった。
「ここよぉ!」
フェリカに導かれたそこ。【射的&輪投げ】と大きく描かれた看板があった。もしかしなくとも、その二つが体験できる屋台なのだろう。実際、何人かの子供たちが銃を構え、輪を投げて悔しそうにしている。
「さっき射的したっていってませんでした?」
「そうだけどぉ。もう一回やりたくなっちゃったのよぉ。あの時あまりゆっくりできなかったしぃ」
そう言って、フェリカはにこにこしつつ屋台の受付をしている少年と少女にコインを渡そうとした。
が、フェリカの顔を見たその二人は、さっと顔を引きつらせ、おそるおそる言葉を放った。
「お客さん、もしかしてだいぶ前にここで遊んで行かれました?」
「ええ! からかいがいのある子たちと遊んでぇ、いっぱい、いーっぱいいろんなものを頂いたわぁ! あまりに楽しかったから、また来ちゃったのよぅ!」
「えと、その、ものすごく言いにくいんですけど、お姉さんは要注意人物リストに入ってます。プレイすることは出来ますが、その、景品は渡せないという規定になっていまして……」
「ええええっ!? そんなぁ……!」
がっくりとフェリカはうなだれた。どうやら再び荒稼ぎするつもりだったらしい。まるで目の前でお預けを喰らった子供のようにいじけている。
「おいフェリカ。お前いったい何やったんだよ。要注意人物リストに入れられるって相当だぞ?」
「大したことしてないわよぉ……遊戯の景品、根こそぎ持っていこうとしただけよぉ……」
「出禁にされないだけマシですよ、そんなの。……本当に申し訳ありません、私たちの連れがご迷惑をおかけしまして」
エディが呆れたように言い放ち、パースは恥ずかしそうに頭を下げた。
「いっ、いいえ! こちらこそ、ご期待に沿えなくてごめんなさい。その、一応は子供たちみんなが楽しむために景品は用意しているので、お姉さんみたいに実力がある人が何度も挑戦できないようにって規定で決まってるんです」
聞けば、今まで同じ屋台に何度も挑戦して荒稼ぎしようとした人間はいないために、このルールが実際に適用されたことはなかったらしい。そもそも祭りの屋台でそれだけの腕を持つ人間が集うこと自体が珍しいし、仮にそんな人がいたとしても、大抵は一回やったら満足する。当然と言えば当然のことであった。
「うう……あのお菓子の詰め合わせ、もういっこ欲しかったのよぉ……!」
「…クゥもほしい」
「あたしも!」
「私もほしいな……なんて」
クゥ、メル、ソフィが声を上げた。先程──といってもだいぶ前にフェリカが取ってきた戦利品の味を覚えていたのだろう。あのお菓子の詰め合わせに入っていたお菓子はミナミたちが見てきた限りでは屋台で売られていないものであったし、気になってしまうのもうなずけた。
「……ま、俺たちがやる分には問題ないんですよね?」
「それはもちろん! お詫びと言ってはなんですけれども、お姉さんも撃つだけならばご自由にどうぞ!」
そんなわけで、ミナミは全員分のプレイ料金を支払う。もちろん射的と輪投げの両方だ。どうせお金はたくさんあるし、変にけちけちしてももったいないだけなのだから。
「輪投げに関しては、子供はこの線から、大人はこの線からになっています。射的に関しては子供も大人も一律で同じ線ですけど、弓や射撃の経験者はこっちの線からです……尤も、自己申告制なんですけどね!」
「……あの、私は子供でしょうか? それとも大人でいいのでしょうか?」
遊園地での身長制限のことを思い出したのだろうか、ミルが不安そうに受付の人に聞いていた。
「うーん、どっちがいい? 実は中学生からは絶対に大人のラインからやらなきゃいけないんだけど、それ以下の年齢の……キミくらいの子たちなら、どっちからやってもいいことになっているんだ。大人の仲間入りをしたい年頃だもんね」
受付の少年がにっこりとほほ笑みながら語る。
聞けば、小学校高学年くらいの子たちは子供用ラインではなく、大人用ラインからプレイしたがるらしい。それゆえに、特に損にもならないことから自由に選ばさせているとのこと。
「俺、子供で通るかね?」
「エディ。せめてその顎鬚をどうにかしてから言いなさい」
「つれねえなぁ」
「ねえミナミ。私子供で通るかしら?」
「コメントは差し控えさせてもらいます」
そんな軽口を叩きつつ、さっそくミナミたちは順番に銃を構えていく。
手渡されたそれは、どこにでもある射的用の銃だ。まずは五樹がお手本としてコルクの弾の込め方を見せ、しっかりと狙いをつけて引き金を引く。
「やっぱ難しいな」
が、弾は五樹が狙ったであろう的の右斜め下を通過し、ぽすんと小さな音を立てるだけに終わってしまった。ころころと転がってきたそれをピッツが拾い上げ、ご主人様であるフェリカに渡す。
「まだまだねぇ」
「初見で出来るフェリカさんがすごいんですよ……」
結局、五樹は大きな的──点数としては一番低いものだ──を撃ち抜くだけに終わってしまった。もちろん、それでもらえる景品など残念賞の飴玉と大して変わらない。
「ああっ、くそ! 全然当たらねえ!」
「……魔法でこっそり倒したりとかは」
「ズルはやめましょう」
エディもパースも射撃の腕はよくないらしい。惜しいところまでは行くものの、せいぜいがちょっと掠める程度である。撃ち抜いて倒さなければ得点として認められないため、彼らの成果は文字通りゼロであった。
「……」
「……もうちょっと?」
「これ、なんかすきかも」
「…おもいよぉ……!」
四人の子供たちもまた、見よう見まねで銃を構えた。子供からしてみればだいぶ大きいサイズであるため、うまく支えられずに銃口がフラフラしている。もちろん、弾を込めるのはミナミとレイア、ソフィの役目だった。
ぽん、ぽん、ぽぽん!
「「ああっ!」」
「惜しかったね! はい、残念賞の飴玉だよ!」
当然、子供たちが的に弾をあてられるはずもなく。ポンと言う小気味のいい音と弾がカラカラと転がる空しい音、そして残念そうな悲鳴だけがミナミの耳に聞こえてきた。
「やったぁ! あたったぁ!」
「コツさえつかめばいけるわね」
「ミナミさんっ! 私にも出来ました!」
器用さも兼ね備えているレイアはともかくとして、意外なことにミルもソフィも射撃の才能がいくらかあるらしかった。シガレットチョコとロリポップの的──奇妙な人形が挑発したポーズをとっているやつだ──を見事に打ち抜き、その勝利の栄光を手にしている。
なお、ミナミの成果はゼロだった。いくら肉体や感覚が強化されていると言えど、この手の間接的な道具の扱いまではカバーしきれないらしい。
「あら? でも、こっちには例のお菓子の詰め合わせ、ないみたいだけど?」
「あ、そちらでしたら輪投げの景品になっています」
「尤も、一番難しい、超極悪難易度の景品ですけどね」
ここで少し振り返って見よう。
フェリカが、あるいは子供たちが欲しがったお菓子の詰め合わせ。それは買い物かご一つ分くらいはありそうな大きな袋の中に、飴玉やおせんべい、チョコレートにゼリーといったお菓子の定番がこれでもかと詰め合わされたものである。
それにはお祭り特有のお菓子はもちろん、どこの屋台でも売られていないお菓子やそもそもお祭りには一切関係ないお菓子など、実にバリエーションに富んだお菓子が含まれている。
そう、そんな量も種類も凄まじいそれらが簡単に取れる景品でないことは明らかだ。
「一番難しいって……まさかあれ!?」
「いやいやいや……」
ミナミと一葉は思わず声を漏らした。
距離にしておおよそ五メートルと言ったところだろうか。明らかに一つだけ、場違いのようにポツンと離れた棒がある。しかも小憎たらしいことに、それなりの速度で動いてさえいる。貨物列車の形をした電車のオモチャを使って動かしているようだ。
距離があって、動く棒。こんなのにどうやって輪を投げ入れろと言うのか。
「フェリカ、マジであれやったのか?」
「楽勝よぉ。トレジャーハンターなめんじゃないわよ。今までもっと厳しい条件のトライなんていくらでもあったでしょぉ?」
「そりゃまあそうだけどよ……」
エディが半ばヤケクソ気味に輪を投げる。当然のことながらすべて外れた。自分の腕では無理だとわかっているのか、パースは近場のそれなりの景品を狙う。こういうところは易しい設計になっているのか、三つも輪を投げ入れることに成功していた。
「てぇい!」
「そぉれ!」
子供たちもまた、強く意気込んで輪を投げる。しかし、遠くまで投げようとするあまり力み過ぎ、輪は明後日の方向へと飛んで行ってしまった。良い具合に投げられたものも、動く棒には掠りさえしない。そもそも、輪が地面と水平にならず、物理的にどうがんばっても入らない角度になっていることもあった。
当然のごとく、全員撃沈である。
「あーん、惜しい!」
「うう……絶対あんなの無理だよ……」
一番よかったのはやはりレイアだろう。最後の一回だけ、動く棒に当てることだけは出来たのだ。もちろん当てるだけでは景品はもらえないが、掠りすらしなかったエディや、棒の位置まで投げられなかった子供たちに比べれば十分上出来と言える部類だった。
「で、後はおれだけか」
「兄ちゃん、責任重大だからね」
そして最後に残ったのはミナミ。当然ながら、ミナミには輪投げの心得などあるはずがない。近場にあるものならともかく、極悪難易度の棒に投げ入れることなど夢のまた夢だ。
「フェリカさん、なんかコツとかありますかね?」
一応、ミナミは最後の悪あがきとしてプロの意見を聞くことにした。
「慣れね。あとは、今までどれだけ道具を使ってきたか、だわ。私たちみたいな人種はね、どんな道具であっても最初からそれなりに使えたり、あるいはすぐに使いこなせるようになるの。それは、装具を扱うっていう概念的なそれを理解しているからなのよ。上手く言えないけど、道具と感覚を共有するというか、出来ないと出来るの境をはっきりと知覚し、【出来ない】を【出来る】にするその感覚を理解する……あるいは【出来る】ことそのものを疑わないとでもいうのかしら? ともかく、その神髄に触れることよ」
いつになくフェリカは真面目くさって教えてくれた。が、そのアドヴァイスが今すぐ役に立つわけでもない。むしろ、その内容は長年練習するのみだ、簡単な近道など存在しないという事実をミナミに突き付けた。
「ミナミくぅん……!」
「にいちゃあ……!」
「…おねがい、ね……?」
「……う」
うるうるとした瞳で見つめられて、ミナミの緊張は最高潮になった。ここでビシッと決めなければ大人としての、エレメンタルバターの大黒柱としての尊厳が著しく損なわれてしまう。
しかし、無事に事をなせる確率はあまりにも低い。そして、こんな風な表情をしている子供たちやソフィの期待を裏切ることは、何としてでも避けたいところであった。
ミナミの手元には六つの輪がある。これを最低一つでも通すことが出来ればミナミの勝ちだ。言い換えれば、五回までなら失敗してもいいのである。
「よし──!」
ミナミはぎゅっと輪を握り、気合を入れ直した。鋭敏になった感覚を極限まで研ぎ澄ませ、棒の速度と輪の入射角を頭の中でシミュレートする。同時に存在するかもしれない第六感を活性化させ、生物としての本能から最適解を導こうとした。
一回やって感覚がつかめればいいのだ。最悪、魔法を使ったっていい。
子供たちの笑顔のためなら、ミナミは喜んでイカサマをする所存だった。自分の実力である魔法を使っちゃいけない理由なんてないと開き直ってさえいる。実に冒険者らしい発想と言えるだろう。自分が先程パースを注意したことなど、すっかり頭の中から消え去っていた。
そして──
「まって、にーちゃ!」
制止の声。レンだった。
「どうし──?」
「ども」
レンが、誰かを連れていた。より正確に言えば、その人物はレンに裾を引っ張られ、否が応にも引きずられてきた形になっていた。
男子高校生──それもこの高校の生徒だろう。雰囲気から見ると一年生だろうか。在校生にしては珍しく、浴衣や甚平ではなく自前のポロシャツを着ていた。どこかひょうひょうとしていてつかみどころがない雰囲気で、その表情から何を考えているかが良く読み取れない。
「あ、あはは……また会っちゃったね」
その男子生徒は浴衣姿の女の子を連れていた。ヘアセットをバッチリと決めていて、浴衣姿もたいそう似合っている。その準備にどれだけ気合を入れたのか、どれだけ時間をかけたのかなんてミナミには一生かかってもわかることはないだろう。
ミナミが振り向くほんの一瞬、視界の端でささっと手元が動いたことから、また妙に照れくさそうに、かつどことなく顔が赤くなっていることから、その男子生徒と女の子は二人で仲良く──まあ、いわゆるデートとして手をつないで祭りを巡っていただろうことがうかがえた。
「清水先輩! 田所先輩!」
「あっ、さっきの……!」
聞けば、この二人は一葉が数日前にこの高校に学校見学しに来た時に世話になったほか、ちょっと前──ミナミたちがこの高校に潜む魔物を探索していた際に子供たちの面倒を一緒に見てくれもしたらしい。
ミナミにとってはほぼ初対面ではあるが、一葉やソフィにとっては本日二度目の会合である。奇妙な縁もあったものだろう。
いや、あくまでここは高校が主催するお祭りなのだ。開催地もあくまで敷地内限定てある以上、こうして何度も会い見えるのも不思議はないのかもしれない。
「レンくんだっけ? 迷子になったのにまたフラフラしちゃダメでしょ?」
「な……なんでぼく……じゃなくてみんながまいごになったのしってるの!?」
「あれだけデカい声でみんな叫んでたからな。それに、じじさまの演説の時おれたちも近くにいたぞ。……まあ、そんなわけで、またこいつがフラフラしていたので連れてきた次第です」
「本当にすみません……!」
「いえ、これも在校生としての仕事の一つです。お気になさらず。それに、こいつとは肩車をした仲ですから」
どうやらレンはこの二人が歩いているのを見つけ、ここまで引っ張ってきたようだ。ミナミは必死に頭を下げるが、レンも男子高校生──田所も、特に何も気にしていないらしい。浴衣姿の清水のほうはちょっとだけ残念そうな表情をしていたが、それもすぐに書き消え、にっこりと人当たりのよさそうな笑顔を浮かべていた。
「で、どうしておれは連れてこられたんだ?」
「おねがい! ぼくたちあのおかしのつめあわせがどうしてもほしいの!」
「なぜ、おれに?」
「フェリカおねえさまいがいで、いちばんできそうだったから!」
「……」
たどたどしい言葉でレンは状況を説明する。
「フェリカおねえさまがやればいいじゃないか」
「フェリカおねえさまはできんくらったの! ようちゅういじんぶつにしていされてるの! だからにーちゃのかわりにやってほしいの!」
「そうか」
「そうなの!」
満足げなレン。淡々と受け答えをする田所。高校生男子が幼児と真面目くさって会話をするというあまりにもシュールな光景に、なぜだか清水のほうが真っ赤になっていた。
「要するに、なんとかしてあのお菓子の詰め合わせが欲しいのにここのメンツじゃそれだけの実力がなく、唯一それを成しえるフェリカおねえさまははしゃぎすぎて出禁を喰らった、と」
ほぼその通りである。子供の拙い説明をここまで淡々と要約するその姿に、なんだかミナミは少し面白い気分になった。
とはいえ、だ。
「ごめんなさい。うちの子が迷惑をおかけしまして。あんまり気にしなくていいですよ」
田所の方はともかく、ホットなデートを楽しんでいたのであろう清水を邪魔するわけにはいかない。ちょっと顔見知り程度の子供に声をかけられ、傍から見れば変わった外国人集団に囲まれた今の状況ではとてもデートとかそんな気分にはなれないだろう。
ミナミはゾンビだ。体は冷たいし心臓も動いていない。だけど心はあるし空気は読めるのである。
「──いいですよ。子供の期待に応えるのが大人ってもんです」
「そうだよ。ミキ、あんたこういうときくらい役に立って見せなよ。普段無駄に器用さを自慢しているくせに」
「なんという言いがかり」
しかし、田所は妙にやる気を見せ始めた。ポカンとしている異世界組なんか歯牙にもかけず、ミナミの手からわっかを一つ手に取った。
「げ……!」
「そういえば……!」
うめき声を上げたのは受付の生徒。明るい声を上げたのは一葉だ。
「えっ、ちょっと待ってキミ……! そのミサンガ、まさか……!」
「田所先輩の部活って……!」
「「超技術部じゃん!」」
──超技術部。園島西高校にある部活の中でも、とりわけ奇妙でぶっ飛んだ部活だ。
「知ってるのか、一葉?」
「うん! 田所先輩はすっごく器用でなんかめちゃくちゃすごい人! ほら、なんか物理法則を無視したトランプタワーを作ってた人がいるって言ったじゃん! その人だよ!」
「毎年毎年、遊戯屋台を荒らしていく超技術部……! 一年生の新入り……ッ! 気付かなかった……ッ!」
「解説ありがとう。まあ、それほどでもある」
彼の実力は、見学生と在校生の二人が語ってくれた。いや、具体的な話は一切ないのだが、そのあからさま過ぎる態度だけでその実態がわかろうというものだろう。少なくとも、ミナミは参加を決めただけで受付の人を般若の形相にする人種なんて見たことが無い。
「えっと、本当にできるんですか?」
「ええ! こいつ普段から変な事いっぱいしてますから! ボール投げたり棒投げたり!」
「ジャグリングと言ってくれ。……補足しますが、このようなリングもジャグリングの範疇ではあります。まあ、片手でつかめるものであれば何でも扱えますけどね」
念のため確認したミナミであったが、本人もそれを認めている。自分が出来るということに一切の疑いが無いらしい。自信満々を通り越して、その事実を当たり前のことだと受け入れている。
「い、一回だけだかんな! 絶対一回だけだかんな! あと超技術部はその一番遠くの線からだぞ! こっちも商売だ、身内だからって甘くはしねえから!」
「問題ないっす。──つーか、ここで十分」
ぽい、とそれが投げられた。
特に力んだ様子もない、構えすらない自然体。何気なくゴミ箱に丸めたティッシュを捨てるかのような、そんな感じ。
今一度確認しよう。田所はミナミに近づき輪っかを受け取った。ミナミがいた位置は、直前にレイアがプレイしていた関係上、例の一番遠い線よりもちょっと離れた受付に近い場所である。
その上、田所は輪を投げる直前に受付の男子生徒と話していた。つまり、体は完全に棒に対して横を向いていたのである。
だのに、だ。
「楽勝」
「うそぉ……っ!?」
まるで吸い込まれるかのように、輪は動く棒に落ちていく。放物線にしてはスマートな軌跡を描き、少しの風切音を轟かせ、当然のようにそこに収まった。
からんからん、と電車のオモチャが輪を引きずる音だけがミナミの耳に届く。輪が棒にぶつかる音は一切しなかった。
「任務完了。これで晴れてお菓子の詰め合わせはお前のものだ。よかったな」
「ありがと、かたぐるまのにーちゃ!」
レンがにっこりと笑って田所にしがみついていた。どうやら、レンには実力者を見抜く鋭いカンが備わっているらしい。
「ありがとうございます、田所先輩!」
「いいってことよ! これで少しはこないだの埋め合わせになったらいいな!」
「待て史香。なんでお前がやった気になっているんだ」
「ん? ミキの手柄は私の手柄でしょ?」
「なんという理不尽」
「そう言いたいのはこっちだよ……! 誰も取れなかったら食べようと思ってたのにぃ……!」
お礼を言う一葉。自慢げな清水。がっくりとうなだれる受付の生徒。最高の景品がこうも簡単に取られたことが信じられないのだろう。余りにもショックだったからか、ポロッと本音を漏らしてしまっていた。
「…にーちゃ」
「……ん?」
そんな中、普段は引っ込み思案で人に自分から声をかけないクゥが、なんとミナミの後ろからとてとてと歩み出て、レンと同じく田所の足にぎゅっと抱き付いたのだ。
「…おかし、ありがと」
「おう」
「…あとね、さっき、『なんかやだ』っていってごめんなさい」
「気にするな」
「…クゥのこと、かたぐるましてもいいよ?」
「welcome」
ミナミは絶句した。あの人見知りで、特に初対面の男にはまず懐かないクゥが自分以外の男に気を許しているってだけでも驚きなのに、自ら肩車することを許可したのだ。そして、田所の方も顔色一つ変えずにそれを受け入れている。
ミナミはまるでクゥがボーイフレンドを紹介してきたかのような衝撃を受けると同時に、将来食べ物につられて誘拐されるんじゃないかとすごく心配になった。
「やるわねぇ、あなた」
フェリカがにやにやと田所とミナミを見ながら笑う。それはいったいどっちの意味なのか、ミナミは聞くのがとても怖かった。
いいや大丈夫だ、と強く信じることにする。そう、一葉とソフィが言っていたではないか。レンが迷子になる前の、焼き鳥屋さんでの出来事を。これはあくまでその延長線上の話なのである。むしろ、そうでなきゃミナミは困るのだ。
「あなたも同じくらいできると思いますが」
「んふふ、ありがとぉ。……ねえ、ちょっと私と勝負してみなぁい?」
「いいですけど、俺は一投だけと言われています──どのみち、する意味ないでしょうし」
「……どういう意味かしらぁ? 私とあなたじゃ勝負にならないって言いたいのぉ?」
フェリカの目つきがにわかに剣呑になる。意外とこの手のプライドは高いらしい。負けず嫌いという奴だろうか。あるいは自分の技術に自信を持っているのだろう。
「俺は絶対に外しません。あなたも外す気なんてないでしょう。だったら、決着なんて付くはずがないじゃないですか」
「……それもそうねぇ」
フェリカは何気なくミナミの持っていた輪っかを手に取り、そして投げた。
──寸分違わず、それは動く棒へと収まった。
「……何か専門にやってるんですか?」
「やぁねぇ。どこにでもいる、通りすがりのきれいなおねーさんよぉ?」
おそらく二人とも、先程フェリカが語った道具の扱いの神髄を理解しているのだろう。多くは語らず、互いに何かを納得しあっている。持てる者同士だけがわかる何かだ。もちろん、それが何なのかはミナミにはさっぱりわからない。一生かかっても理解できる気がしない。
それよりも、ミナミはクゥを肩に載せている田所を見て、どうしようもない敗北感を覚えずにはいられなかった。大黒柱としての威厳も見せられなかったし、なにかもう、いろんな意味でいろんなものに負けている気さえする。
「まさかこっちにこんなにすごい人がいるとは思わなかったぁ。世界が違えば、あなた、きっと大成できたはずよぉ? ……あっちで半年鍛えれば、道具の扱いだけなら中級クラスの盗賊かトレジャーハンターになれそうねぇ」
最後の台詞はごくごく小さいものだった。ミナミの超強化された聴覚でようやっと聞こえるかどうかのものだ。どのみち祭りの喧騒でにぎやかだったため、普通の人じゃどう頑張っても聞こえなかったことだろう。
「いえ、おれなんてまだまだです。世界は本当に広い。おれよりもすごい人なんて腐るほどいます──そうだ」
クゥを頭にしがみつかせたまま、田所は表情を変えずにただ淡々と言い切った。
「もうすぐ大舞台でかくし芸大会があります──我が超技術部部長の最高のショー、もしよかったら見ていってみませんか。退屈なんてさせませんから」
なぜかやたらとレンが勧めてきたレインボーアイス。
なぜかやたらとエディが勧めてきたじゃがバター。
……スウィートドリームファクトリーを見てね! (露骨な宣伝)
一葉の学校見学。
焼き鳥屋さんでの出来事
……楠先輩の不思議な園芸部を見てね! (露骨な宣伝)




