【黄泉帰里編15】 夏夜の本格お面屋さん
幻想的に揺らめく提灯の光。心の底からワクワクするような特有の熱気。甘辛い香りがふわりと頬を撫で、ここがどんな場所であるのか、五感を通して伝えてくる。
「あっまいね~!」
「これ、ほんもののわたみたい!」
そんなさなか、子供たちは嬉しそうに白くて大きい綿──ではなく、わたあめを食べていた。お祭り経験者としては歴戦の強者であるミナミや一葉から見てもなかなかにそのわたあめは立派で、その大きさはどれも子供たちの頭と同じか、それ以上ある。『わたあめ』を想像したらまさにこの形が思い浮かぶような、ステレオタイプなわたあめだった。
「さっきの、なんだったんだろう……?」
「ソフィ、気にするな。世の中には知らなくてもいいことがあるんだ」
「兄ちゃん、それ、気にしろって言ってるようなもんだよ?」
先ほどの白髪の老人の謎の演説からしばらく。ミナミたちはそそくさとその場から離れ、人がいくらか少ない場所でわたあめを食べていた。
恐ろしいことに、あの文化研究部を名乗る老人は屋台を出していた。定番である飴玉やラムネ、黄粉餅なんかはもちろん、もはや絶滅危惧種と言ってもいいくらいのミルクせんべいやカルメ焼き、さらには七輪を用いた本格的な手焼きせんべいと言った、駄菓子を扱う屋台である。
当然のことながら、駄菓子以外にも懐かしのおもちゃ──ビー玉やおはじき、水笛などが売られていて、その場にいた誰もが、その時代を過ごしていなかった子供や異世界人のみんなでさえ、なにか郷愁のようなものを感じざるを得ない雰囲気を放っていた。
そんな屋台で扱われていた一つが、このわたあめだ。今となっては非常にクラシカルな見た目のわたあめ機を使って、あの老人がにこにこと笑いながらミナミたちにサービスしてくれたのである。
「すっごいわよねえ……! あのカラクリもそうだけど、まるで雲を食べているみたい!」
「ううう……! あれ、王城に持ち帰ることってできないでしょうか……! エリックにも、リティスにも食べてもらいたいです……!」
ミナミにとってはあの老人との会合は非常に胃が痛くなるものであったが、それ以外のメンバーにとっては特別意味のあるものでもない。迷子のレンを保護し、その上さらにこんなにおいしいわたあめをサービスしてくれた気のいい好々爺でしかないのである。
「なんかよくわかんねえけどさ、こうして無事に合流できたんだからいいじゃねえか。あとはもう、はぐれないように気を付けてゆっくり祭りを巡ろうぜ?」
「……だね」
五樹の言葉を肯定し、ミナミはぺろりと目の前のわたあめを平らげた。なんだかんだでけっこうおいしく、食べきるのに三分とかけていない。久しぶりの日本の、それも懐かしい味を無意識に求めていたのだろう。異世界では日本の味は、特に甘味に至っては類似品すらないのだから。
同じように平らげた子供たちから割り箸を受け取り、ミナミはこっそり手の中で砕いて燃やし尽くす。どうせあちこちから火と煙の匂いが立ち込めているのだ、ちょっとくらいズルしてもさして問題はない。
誰かの言葉じゃないが、バレなきゃ問題ないはずなのである。
「よし、じゃあどこに行こうか?」
ミナミはぐるりとあたりを見渡す。
レイア、ソフィ、四人の子供たちにお姫様が一人。いつの間にか合流していた《クー・シー・ハニー》の三人に、五樹と一葉。それに加えて中型犬に化けたごろすけと、こちらはいつも通りの姿のピッツがいる。
総勢十三人と二匹。聊か人数が多すぎる気がしなくもないが、二度と迷子にならないためにも固まって歩いたほうが無難だろう。
「ぼく、もっとおいしいものをたべたいっ!」
つい先程まで迷子だったというのに、元気いっぱいにレンが答える。実はこのメンバーの中で一番屋台を巡っていたりするのだが、本人はまだまだ遊び足りないようだ。いったいその小さな体のどこにそれだけ物が入るのかと、ミナミは不思議に思わずにいられない。
「あたし、いろいろゲームとかしてみたい!」
パッと手を上げてメルが主張する。言われてみれば、お祭りに来たというのにその手の屋台は型抜きくらいしかまだ巡っていない。それも、実際にやったのはメルじゃなくてレイアだ。遊びたくなるのもうなずける。
「ボクはおおぶたいをみてみたい。さっきかくしげいたいかいがあるっていってた」
屋台ではなく、舞台に興味を示したのはイオだ。カラオケ大会や腕相撲大会はともかく、かくし芸大会にはその知的好奇心を大いに刺激されたのだろう。変な人たちがたくさんいる高校だし、正直ミナミも少し興味がある。
「……クゥは、おかいものがしたい、かも」
控えめにそう告げたのはクゥだ。さっきからチラチラと、道行く子供たちが身に着けている簪やお面、さらには綺麗な柄の入った団扇を見ている。今どきのお祭りにしては──というか普通のお祭りにしても珍しいことに、この【島祭】ではこの手の民芸品も多く扱っているようだった。
「わ、私はどこでもいいです……!」
お姫様はどこでもいいらしい。本当かどうかはわからないが、どのみち異世界人である彼女にとっては目に映るものすべてが珍しく感じるはずなのだ。むしろ、どれも珍しすぎて決められない、といったところが正解だろう。
「俺たちも適当についてくぜ。さっき腕相撲大会出たし」
「私もそうするわぁ。あなたたちについていった方が面白そうだものぉ」
「優秀な案内人を頼らない理由がないですからね」
エディ、フェリカ、パースもまた適当でいいらしい。念のためミナミはちらりとレイアとソフィを見るが、やっぱり二人とも子供たちを優先させて、とアイコンタクトを取ってきた。
となると、あとはもうミナミの判断次第だ。
とりあえず、留まっているのも気が引けたため、適当にぶらぶらと歩を進める。ペット入場可能エリアから出ないよう注意を払いつつ、その手はしっかりとレンとクゥの手を握っていた。ちなみに、背中にはメルがひっついている。イオは五樹に肩車されていた。
「一葉、例のかくし芸大会っていつから始まるんだ?」
「ええと……もうちょっと時間があるみたい。なんかいろいろ準備するみたいだね。それまでにいくつか見て回れそうだよ」
「──なあ、あれなんていいんじゃないか?」
と、五樹が何かを見つけたらしい。その場にいた全員が、五樹が指を指した方向を見る。
「あれは……仮面、でしょうか?」
「ああ……そういや、これもお祭りの定番だっけ」
その指の先にあったのはお面の屋台だ。二本の棒の間に何列かに分けて紐を張った、いかにも手作り感あふれるアレ──御籤掛けをよりグレートにしたようなそれに、何種類ものお面がかけられている。
隙間なくみっしりとそれは陳列されているものの、どうやら売れ行きは好調なようで、今見ている間にも二枚、三枚と売れてゆく。その度に売り子の浴衣姿のほんにゃりした笑顔の女の子がいそいそとお面の補充をしていた。
しかし、ミナミたちの眼を惹きつけたのはもっと別の所である。
「なんつーか……」
「いや……お面はお面なんだけど……」
「いちいちガチすぎるな……」
そうなのだ。件のお面の屋台には、昨今のお面屋さんで見られるいわゆるキャラクターもののお面が一枚たりとも無い。戦隊ヒーローものはもちろん、巷じゃ知らない者はいない黄色いネズミもいない。これはあまりにも異様な光景と言えるだろう。
代わりに並べられているのは、いかにもそれっぽい感じの、本格的なお面だ。見るものを威圧するかのように迫力のある赤鬼の面に、目元に赤い縁取りのある、漫画やアニメに出てくるような和風のキツネのお面。天狗のお面もあれば、能面のそれに近いものまである。コミカルな──それでもクオリティが異様に高い──ひょっとこのお面だけが妙に浮いていた。
あまりにも出来が良すぎるから、まるで本物の生首が並べられているかのような錯覚すら覚えてしまう。題材が題材なだけに、不気味な禍々しささえ感じるほどだ。ともかく、一種異様な、奇奇怪怪とした雰囲気を放っていることだけは間違いない。
「あれー、おきゃくさんー? 美術部のお面屋さんにようこそー」
浴衣姿の、ちょっと小柄な女の子がミナミたちをみてほんにゃりと笑う。あまりにものんびりとしたその緩い空気にその場がぱあっと明るくなった気がした。
「もしかして組合の人……じゃないねー。やー、今年は外国人さんがいっぱいだー」
「は、はあ……」
「今の一番人気はこのキツネのお面だよー。この手のお面、有名だけどお祭りで売ってることってほとんどないからねー。多感なお年頃であろう中学生の男の子の食いつきがすごいんだよー」
「お、おう……」
ミナミも五樹も、そういうことに憧れた時期はある。なんだかいたたまれなくなったので、それ以上深くは考えないことにした。
詳しく聞くと、このお面の屋台で売られているお面は全て、この園島西高校の美術部を中心として作られたものらしい。この日のためにわざわざ素材を集め、部員の総力を挙げて作ったそうな。
とても高校生が作ったものとは思えないほどのクオリティ──観光地で目玉が飛び出るくらいの値段で売られているそれと遜色ないほどの出来である。一瞬冗談だろと思ったミナミであったが、ここはそういうところだから、と一葉はひとりで納得しているし、美術部部長を名乗ったその女の子もとても自慢げだ。
「外国のお土産にじゃぱーんのお面は人気高いよー。売り切れる前に買うのがべりーじーにあすよー?」
「あ、日本語はわかりますので大丈夫ですよ?」
「おーう、いえー!」
「い、いえー?」
パースが勢いに任されてハイタッチしてしまった。げに恐ろしきコミュニケーション能力である。
「どうする、買うか?」
「「うんっ!」」
子供たちの返答は聞くまでもない。各々気に入ったお面を物色し、ああでもない、こうでもないと試着しては戻していく。その様子を女の子はほんにゃりと笑いながら見つめていた。もしここに普通の──キャラクターもののお面があったのなら大変平和的な光景だったかもしれないが、いかんせんラインナップがラインナップなだけにシュールな光景にしからならない。
結局、みんなが選んだのはそれから五分も過ぎたころだった。レンは勇ましい猿のお面を、メルは神秘的な猫のお面を、イオは厳つい表情の天狗のお面を、クゥは自分と同じミステリアスでどこか妖しげな白いキツネのお面を、そしてミルはクゥと色違いの黒いキツネのお面を選んだ。
「……なぁ、本当にそれでいいのか? その、なんか怖いというか、もっと別なものでもいいんじゃないか?」
「これかっこいいもんっ!」
「み、ミステリアスな感じが素敵だと思います……!」
お祭りで被るにしてはやる気がありすぎる逸品ではあったが、子供たちはすっかり気に入ってしまったらしい。きゃあきゃあと騒ぎながらお面をかぶり、時折互いに交換して遊んでいる。
「……おっ! これ、なんかギン爺さんに似てねぇ? 土産に買っていこうぜ!」
「毎度ありー!」
エディが手に取ったのは力強い顔をした、されどどことなく表情の優しい赤鬼のお面だ。まるで実物を見てきたかのように精巧に作られている。
「なるほど……たしかにそっくりです。いや、もしかしたら師匠が若いころは本当にこんなかんじだったのかもしれません」
「皺をいくつか付ければ今と同じ顔になりそうねぇ」
見れば見るほど、ギン爺さんにそっくりなお面だ。エディがそれを被ると、そこに顔だけ本人が現れたんじゃないかと思えるほどのクオリティである。もし夜中の暗い道でいきなりこの顔が浮き上がってきたのだとしたら、おそらく大半の子供は泣いて漏らすのではなかろうか。
「おにーさんたち、それお気に入りー? 実は美術部が売り出している商品の中にこんなのもあるけどどうー?」
売り子の女の子が取り出したのは木製のストラップだ。木を丸く削ったものの表面に鬼が飾り彫りされている。艶やかで透明感のある色調をしていることから、何度も丁寧に鑢掛けとニス塗を繰り返したことが見て取れた。
もちろん、ここに彫られている鬼もそのお面の鬼と同じ表情──すなわちギン爺さんとそっくりであった。
「……根付か」
「そうだよー。美術部の活動の一環として、お面だけじゃなくこの手のアクセサリー作りもやったんだー。ほかにもいっぱい種類があるよー」
「へぇ……この鬼の根付はキミが?」
「んーん。それは別のひとー。製作協力してくれた文化研究部のさくひんー」
「……」
また、その名前が出てきてしまった。いくらなんでもエンジョイしすぎだろうとミナミは頭が少し痛くなる。顔がそっくりであるのは偶然であると信じたい。
「良いデザインだし、買いましょうか。なに、どうせお金はたくさんあります」
「……うん。たぶんそれ、凄いご利益あるよ」
パースがそれを購入する。もう何も用はなくなったミナミは足早にそこを去ろうとして、五樹に止められた。
「……おい、ミナミ」
「どしたん?」
「いや……おまえ、なんでもいいからお面買っとけよ」
いつになく真剣な表情だ。よくよく見れば、ほんの少しの焦りの様なものも見て取れる。その少し異常な事態に、子供を除く全員の注目が五樹に集まった。
「思ったんだけどさ、この祭りってこの辺じゃ一番デカいんだ。だから、いろんな連中がやってくる」
「まあ、これだけ人がいるしなぁ。一葉みたいに学校見学のつもりで来ている受験生もいるだろうし」
「……素顔晒して歩いているの、まずくね?」
「……あっ」
公的には──というか、公的でなくともミナミはすでに死んでいる。葬儀も実際に行われているし、死亡届だって出ている。それはすなわちこうして日本のお祭りに呑気に参加しているはずがないということでもあり、同時に今この世にいるのはかなりのイレギュラーだということを示している。
そして、このお祭りには人がたくさん集まる。もしかしなくとも、ミナミの知り合い……あるいは直接の知り合いでなくとも、ミナミの顔を知っている人はいるだろう。時期が時期とはいえ、本来死んでいるはずの人間が歩いているとわかったら、いったいどうなってしまうのか。
「兄ちゃん……もしかして、もう手遅れなんじゃ……!」
「だ、大丈夫だろ? 俺、特徴のない顔ってよく言われるし」
幸か不幸か、ミナミは先ほどの迷子騒動でかなり目立ってしまっている。おまけに特徴的な顔立ちではないと言え、今は誰からも心配されるくらいに顔色が悪い──つまりは目立った様相をしている。誰かの記憶に残っていたとしてもなんら不思議はない。
「……す、すみません。やっぱり鬼のお面もう一枚買います」
「毎度ありー! いっぽんつのー? にほんつのー? それとも思い切ってさんほんづのいっちゃうー?」
「……いっぽんつので」
気にしてはいない……と口では言いながらも、ミナミは新しいお面をすぐさま購入し、そのまま顔が見えないようにしっかりと装着した。いくらか視界が悪くなったと言えど、超感覚を持つミナミなら問題ないし、お面特有の息苦しさもゾンビであるから問題ない。まさにベストフィットしていたと言えよう。
「あら、けっこうカッコいいじゃない! なんか表情がしゃきっとしたわよ!」
「なんか雰囲気が変わって、ちょっと不思議な感じだね!」
「それ、褒めてる……のか?」
レイアとソフィが面白そうにミナミのお面を上げ下げし、そのギャップを楽しんでいた。子供たちに引っ付かれているミナミはなされるがままである。その凛々しい鬼の表情とは裏腹に、その背中からはどことなく情けなさがあふれている。内心、かなりびくびくしている証拠だろう。
「ねぇ、次はなにかおいしいものでも食べなぁい? 私、おなかぺこぺこよぉ。……この子たちも、食べたいって言ってるわぁ」
おぅ!
ききぃ!
ごろすけとピッツが吠える。彼らもまた、ちょっと前にたくさん焼き鳥を食べていたのだが、その事実をミナミやフェリカが知る由もない。獣である上にゾンビなのだ、食い意地が張っているのはある意味では当然と言えた。
「よし、じゃあ次は──」
十三人と二匹が次なる屋台を求めてさ迷い歩いていく。
後に自分がこの園島西高校の新たなる七不思議──【祭りを楽しむ幽霊】になることを、この時のミナミはまだ知らない。
いえー!




