【黄泉帰里編14】 Congregate on the top of wayward palma!
待たせたな……!
三作同時更新。
「レン君が、迷子になっちゃったの!」
泣きそうな表情で一葉はミナミに告げる。子供たちも一葉の不安が伝播したのか、落ち着きなくあたりをキョロキョロし、ソフィやごろすけのそばから離れようとしなかった。
なんでも、一葉とソフィはあの後子供たちを引き連れて焼き鳥の屋台に行ったらしい。そこで親切な高校生と一緒に焼き鳥を楽しんだ後、さて、次はどこへ行こうかと思案していたら、いつの間にかレンの姿が消えていたそうだ。
「ごめん……! 私がちょっと目を離したから……!」
「それを言ったら私も一緒だから……」
幸いにもいなくなったこと自体にはすぐに気付いたため、いくらレンと言えどもすぐに見つかると思っていたらしいのだが、いかんせんこの人ごみの上、あたりは薄暗い。結局、ずるずると時間だけが過ぎ去り、にっちもさっちもいかなくなってしまったらしい。
「大丈夫だ。確かに心配だけど、お守りは持たせてある」
ミナミはあえて気丈に振る舞った。本心ではめちゃくちゃ心配で今すぐにでも飛び出したいところだったが、ただやみくもに探しても効果は薄いだろうし、ここで保護者である自分が取り乱したら余計に子供たちが不安がると思ったのだ。
「三波、さっきの気配探知っての使えないのか?」
「子供の気配ってのはわかるけど、個人の特定までは無理なんだ」
不運なことに、この場にはレンと同じくらいの年ごろの子供たちがたくさんいる。これでは気配探知などまるで役に立たない。しらみつぶしもできないことはないが現実的じゃないだろう。
なにより、そんなことしてまた誰かがはぐれたら元も子もない。
「ふむ……エディたちも連れてきとけばよかったですね」
「しょうがないよ。とりあえず、今いるメンツだけで探さないと。ええと、連絡できるように携帯持ってる人と組んで探そうか?」
日本には実に素晴らしい文明の利器がある。ちょうど、三条家の三兄妹がそろっているためこの場にある携帯電話は全部で三つだ。単純に考えて、探索班を二つに拠点……というわけじゃないが、集合場所としての一班ができる。
「ソフィは子供たちと一緒にどこか適当なところで待っててくれ。ええと……うぉっ?」
「おっと……」
と、ミナミがあたりをキョロキョロしながら歩いた時だった。よそ見していたのいけなかったのか、はたまた通りのど真ん中で固まっていたのがいけなかったのか、うっかり前から歩いてきた男とぶつかってしまう。
さすがにミナミのほうはそれでびくともしなかったが、男のほうは思いっきりよろけ、何とも香ばしい香りを漂わせる大きなおせんべい──おそらく手焼きだろう──を落としそうになった。
しかし、ミナミがとっさに体を支えたおかげで、男はそれを手のひらにキープすることに成功する。
「すみません、大丈夫ですか? こちらが不注意だったばかりに……」
「いや、こちらも前方の注意を怠っていた。むしろ、そちらこそ大丈夫か? ひどく顔色が悪いようだが……めまいがするなら、保健室へ案内する事もできるが」
「よく言われるんですけど、これ、平常なんです」
眼鏡をかけた、理知的な印象を持つやつだった。大人っぽく見えたが、どうやらミナミと同じくらい、それもこの高校の生徒だろう。浴衣を着こみ、ご丁寧に下駄まではいて、すっかりお祭りを楽しんでいるようである。
さらに悔しいことに、その隣には浴衣姿のかわいい女の子もいた。きっとお熱いデートでもしていたに違いないと、ミナミは場違いにもそんな考えを抱く。
「……なあ、不躾で悪いが、どこかであったことがあるか?」
「いや……ないと思いますけど」
その男は妙な質問をしてきた。いきなりのことに、ミナミは一瞬すべてを忘れ、思わず素で質問に答えてしまう。
「おかしいな……。たしかにどこかで見た覚えがあるんだが……。割と最近、少なくとも一、二年の間に。暑い時期だった気がするんだが」
男は顎に手を当て、じっくりとミナミを観察する。しかし、ミナミのほうはまるで心当たりがない。だいたい、ついこの間まで異世界にいたのだ。町で通りすがったってこともありえないだろう。
「おれ、一年ぶりにこっちに戻ってきたばかりですから。勘違いじゃな──」
「ああ! パソコン部の人!」
「……そういうことか」
一葉が声を上げた。眼鏡の男は合点が言ったかのように深くうなずく。どうやら、この二人は面識があるらしかった。
「キミのお兄さんか。道理でなんとなく見覚えがあるわけだ」
「一葉、この人は?」
「この前の学校見学の時に会った、パソコン部の部長さん。……どうも、お久しぶりです」
「おう。ずいぶんな大所帯だが、祭りは楽しんでもらえて……いない、みたいだな。……迷子だな?」
眼鏡の男──園島西高校パソコン部部長の穂積は不安そうにミナミやレイアの手を握る子供たちを見て言い切った。『組合……じゃなさそうだ』とボソッとつぶやくのがミナミには聞こえたが、その意味はわからない。
「な、なんでわかったんですか?」
「穂積くんは迷子探しのプロだからだよ! 毎年毎年、学校紹介とかで迷子になった人たちをすぐに助けてくれるんだから!」
「そういえば、八島先輩たちがそんなことを言っていたような……!」
隣にいた女の子がどこか自慢げに声をあげ、一葉が目を輝かせる。迷子探しのプロだか何だか知らないが、ミナミにとっては渡りに船だ。助けてもらえるなら、それに越したことはない。
「穂積先輩、いきなりですみませんが、放送室で迷子の呼びかけをしてもらえませんか?」
「残念ながら、それはできない。ついでに言うと迷子センターのようなものも存在しない。実行委員会本部もあるが、現状役に立つとは言い難い」
「そんな……」
「な、なんで迷子センターの一つもないんですか!?」
ミナミはつい、少し強い口調で問いただしてしまう。が、穂積は表情を一切変えずに言葉をつづけた。
「そう悲観することはない。迷子センターがないのはそれが必要ないからだ」
必要ないわけないだろう、と言いかけるが、あまりに堂々と言い切られてしまったため、ミナミは口をはさむことができなかった。
「門には係の生徒がいるから、少なくとも一人でフラフラ外に出ることは不可能だ。また、そこらじゅうに関係者がいるから、泣いて一人で歩いている子はすぐに保護されることになる。現状で周囲に変化がないところを考えると、すでに保護され、誰かと一緒に行動している可能性が高い」
「そんな都合の良い話が……」
「いや、兄ちゃん。ここに限って言えばその通りだと思う。むしろ、なんかすごく納得した。ソフィさん、レイアさん。安全面だけは完全に大丈夫です。間違いありません」
一葉までもが言い切ってしまうものだから、ミナミもレイアもソフィも、なぜかそういうものだという確信が湧いてしまう。
「とはいえ、保護者の立場からしてみれば心配なのも無理はない。……三条さん」
「「はい」」
「……一葉ちゃん」
「あ、イツキさんもミナミくんも三条なんだっけ……」
ソフィのつぶやきを、穂積は聞かなかったことにしてくれたらしい。
「なるべく正確に、いなくなった時の様子とその子の特徴、および現状までの経過を教えてくれ。それで見つける」
「……ええと、正確な時間はわかりませんけど、少し前に八島先輩たちと私、ソフィさん、こっちの子供たちでアサカワさんの屋台の焼き鳥を食べました。その後、八島先輩たちと別れてどこへ行こうか悩んでいたら、子供の一人がいなくなっていることに気づきました」
「……」
「慌てて探すも見つからず、別行動していた兄ちゃん……五樹兄さんと三波兄さん、パースさんの三人に合流。指針を話し合っているときに、穂積先輩と兄さんがぶつかった次第です。いなくなった子供の名前はレン。外国人で、こっちの子と同じくらいの背丈で、髪の色が……」
「……明るい茶髪? いや、これは小麦色が近い、か? 服装は青のTシャツに黒のズボン。好奇心旺盛なタイプでどちらかというとやんちゃな印象を受ける」
「な゛っ……」
ミナミもレイアも絶句した。穂積が言ったのはまさしく、レンの特徴だったからだ。
「あー……焼き鳥屋の屋台の方角から歩いてきて……近くのお面を被った人と、おそらく福引の景品らしきおもちゃにみとれてフラフラ歩いている。時間的にも地理的にもまず間違いないだろう」
「な、なんでそんなのわかるんですか!?」
「該当する時間に俺が見たものを思い出しただけだ。たまたま偶然、その近くを通りかかってたからな。そうしたら都合よく、俺の視界の端にその子が写っていた。見たことを見たままに思い出すくらい、別にどうってことないだろう?」
「んなバカな……」
もしその話が本当なら、この穂積という男は自分の頭の中に防犯カメラを仕込んでいるようなものである。それも、自動的に作動して後でいくらでも確認できる超高性能なやつだ。パソコン部長というよりも、本人がパソコンみたいなものである。
「兄ちゃん、ここはそういう人たちの集まりだから。気にしたら負け。むしろ、これくらいならまだ許容範囲」
「一葉、それおかしいからな?」
「いや、俺は普通だ。この高校には化け物みたいなやつらがいくらでもいる。……とにかく、その子はあっちの区画に行ったはずだ。行動傾向的に考えて、おそらく、型抜きや輪投げと言った屋台の周囲を通っているだろう。時間が時間だけに、いつ保護されたかはわからないが、彼が通った後を辿るのが一番見つかる可能性が高いと思う」
「ありがとうございます! これでなんとか目途が立ちました!」
「なに、気にするな。こちらもそれとなく探しておこう。そうだ、文化研究部のじいさんはわかるな? 綿あめ等の屋台をやっているから、最終的にはそこにいけ。保護した者も、そこにその子を連れて行こうとするはずだ。何手かにわかれ、合流地点をそこに定めるといい」
一葉が頭を下げたので、ミナミもつられるように頭を下げる。隣にいた女の子がばいばーい、と子供たちに手を振った。穂積はそれを見届けてから背を向け、歩き出す。
「──そうだ」
「はい?」
くるりと振り向いた穂積は、悪戯を思いついた子供のような笑顔を浮かべていた。
「一番確実な方法がある。なに、迷子を捜していると大声で叫ぶだけだ。どうしようもなかったらそうするといい」
「えっ、穂積くん、それは……」
「じゃ、そういうことで」
それだけ言って、二人は去って行ってしまった。何がなんだかよくわからない人ではあったが、少なくともレンの安全が保障できただけ御の字だろう、とミナミはポジティブに考えることにする。少なくとも、さっきよりかは物事が進捗しているはずなのだから。
「ねぇ、結局どうするの? あの人の話だと、今すぐ叫べば問題ないみたいだけど」
「でも……なんか含みがあったような」
レイアは今すぐ叫びだしたいようだったが、ミナミはそうは思えない。少なくとも、最後の瞬間に見せた笑顔をそのまま信じることはできない。それに、どうしようもなかったらすればいいと言われた手段なのだ。つまり、どうしようもない事態でもなければ使わないほうがいい手段ってことでもあるのだろう。
「──よし。とりあえず、言われたとおりの場所を探そう」
「集合場所は?」
「ここで。その文化ナントカ部の屋台がどこにあるかわからないから」
そうと決まれば話は早い。ミナミたちはすばやく分かれ、レンを捜索する。冒険者としての身体機能、魔物との戦いで培った洞察力。そのすべてを活かして、彼らは人ごみの中からたった一人の人物を見つけるために走り回った。
結果として、ミナミたちはレンを見つけることはできなかった。
「こっちもだめだった……」
「そっか……」
結局、探索に乗り出た誰もレンを見つけることができなかった。穂積に教えられた場所を重点的に探してみたはいいものの、やはり誰か親切な人に保護されたらしく、レンの影はどこにも見当たらない。
幸いというべきか、ミナミたちが探したのは集合場所から出口側にかけてだ。つまり、これから奥のほうへと探索をすれば、行き違いになることだけはないはずなのである。
「ねぇ、ちょっと思ったんだけど……」
「どした?」
ソフィが、少し不安そうに声を出す。
「レン、助けてくれた人を振り回してあっちこっちをフラフラしているんじゃ……」
「……ありえる」
ミナミには容易にその姿を想像できる。下手をしたら、助けてくれた人もミナミたちを探して──そしてレンのリクエストにこたえるままに祭りを巡っているかもしれない。もしそうだとしたら、穂積の推測はあてにならないということになる。
「やっぱり例の屋台を見つけるのが先か……!」
「もう最後の手段ってのを使っちゃいましょうよ! それなら確実に見つけられるって言ってたじゃない!」
「……だな」
これ以上時間をかけるわけにはいかないし、保護してくれているであろう人に迷惑をかけるわけにもいかない。なにより、ミナミ自身、このあまりにも多い人ごみの中、本当にレンが無事なのかどうか不安になってきてしまったのだ。
「よし、じゃあ──」
「すみませーん! 迷子を捜していまぁぁぁぁぁす! どなたかお心当たりはありませんかぁぁあぁ!」
すぅっと息を吸い込んで叫ぼうとしたら、せっかちなレイアが一足先にと叫んでしまった。さすが現役冒険者というべきか、その声は祭りの喧騒を切り裂き、敷地全体に響いたのでは、と思わせるほどに張りがある。
あまりの大声だったからか、近くにいた人はすっかり驚き、ただでさえ目立つミナミたちに注目が集まってしまっている。一瞬、すべてが静まり返り、大舞台のほうからの音楽と、定期的に打ち鳴らされる太鼓の音だけがその場を包んだ。
そして──
「ん?」
おかしい、とミナミは感じる。一瞬静まったのはいいとして、喧騒が戻らない。よくよく周りを見れば、『まってました!』と言わんばかりに顔を輝かせるものや、『ああ、今年もか』とでも言わんばかりに悟った表情をしたものでいっぱいだった。
大人も、子供も。屋台の店主から遊びに来たであろう小学生まで、みんなそんな表情なのだ。不思議そうにきょどきょどしているのなんで、それこそミナミたちを覗けばほんの数人しかいない。
そう、これだけ人がいるのに、ほんの数人しかいないのだ。
「あの」
「迷子か?」
若干喰い気味に、いかにも野球少年な顔立ちの、甚平姿の男子高校生が声をかけてきた。
「え、ええ」
「迷子なんだな? マジで迷子なんだな?」
「そ、そうで──」
『迷子が出たぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!』
「「うひゃあ!?」」
レイアが返事をするより早く、その高校生は叫んだ。部活で鍛えられたのだろうか、先ほどのレイアよりもはるかに大きな声だ。しかも──
『迷子だ! 迷子が出たぞぉぉぉぉ!』
『あっちで迷子が出たってよぉ──ッ!』
『みんな聞けぇぇぇぇい! 迷子が出たってぇぇぇぇ!』
『どこだ!? 場所はどこだぁぁぁぁぁ!?』
『特徴教えろぉぉぉぉぉ!』
『作業中断ッ! 迷子を捜せッ!』
その雄叫びが、どんどん伝播していく。男も女も子供も大人も、のどをつぶさんばかりに叫び始めた。幼稚園くらいの子供も声の限りに叫びながら走り回っているし、さっきまでたこ焼きを焼いていたお兄さんも、道具をほっぽって躍り出てきた。
「な、なにこれ……」
さすがにこれにはレイアもビビる。不安げな視線をミナミに向けるが、そんなことされてもミナミだって困る。
「おい嬢ちゃん! どんな子探してるんだ!?」
「えと、青いシャツと黒いズボンで……」
『青いシャツと黒いズボンだぞぉぉぉぉ!』
『そんだけじゃわからねぇぇぇ!』
『青い迷子がいるってよぉぉぉぉ!』
情報が一つ増えるたびに、周囲にいた人間が叫ぶ。そして、こだまのように遠くから反応が返ってくる。流行りのバンドがゲリラライブを開いていたってこうはならないだろう。周りにいた人間はみな熱狂したかのように声を張り上げ、なんかもうよくわからない状態になっていた。
「おい、それだけか!? もっとこうなんかないのか!?」
「あーっと……外国人で小麦色の髪の毛で五歳くらいの……」
『五歳くらいの外国人だってよぉぉぉぉ!』
『それならさっき見たぞ!』
『型抜きンとこにいた!』
『ヨーヨーすくってたぞ!』
『綺麗な人とアイス食べてるの見たよ!』
『じーさんとこに向かってたぞッ! 保護されてるから問題ねぇッ!』
祭りの喧騒が、すっかりその様を変えていた。恐ろしいことに、この祭りに参加しているほとんどの人間が、この奇妙な迷子探索に協力している。しかも、すぐさま有力情報が出てくるという始末である。
「お、おみみいたぁい……!」
「オーガのハウリングくらいはありそうですね……」
いったい何処までこの絶叫が続いているのか……と聞かれれば、この敷地全てだ、とミナミは確信をもって言い切ることができる。強化された聴覚は、いくらか離れたところから遅れて誰かが大声を発するのを正確にとらえていた。
下手な拡声器よりも、音声アナウンスよりもはるかに効果があることは疑いようがない。むしろ、やりすぎなくらいだ。
「おい、あっちにいるってよ! さっさといってやんな!」
「ど、どうも……」
「いいってことよ! 毎年恒例だしな!」
毎年こんなことをやっているのか、とミナミは口に出しそうになる。野球部っぽい高校生は、すごくいい笑顔でサムズアップをし、さっさと行けと言わんばかりに──実際にそう言ったのだが、ともかく部活仲間に接するかのように楽しげにミナミの背中をたたいてきた。
「と、とにかく行こうか」
ミナミたちは群衆に導かれるままに歩を進める。歩いているそばから『あっちに行ったのを見たぞ』とか、『きっと大丈夫だから心配すんな!』とか、温かい言葉をかけられまくった。そう、やりすぎなんじゃないかってくらいに思えるほどに。
「うわぁ……なんかモーゼみたいに人が道を開けていくぅ……」
「これまた珍しいですね。こっちはこれが普通なんですか?」
「断じて違う。おれが死んでる間に変わってなければ、だけど」
「安心しろ、変わっていない」
通りゆく人すべてが例の屋台の場所を教えてくれる上、大名行列に遭遇したかのように道を開けてくれる。人ごみがぱっくりと割れていく様子は壮観ですらあった。あつかいのそれがもう普通じゃない。
「なんなんだよこの高校……」
ミナミのつぶやきは、迷子情報を全力で叫ぶ雄叫びによりかき消されてしまった。
そして、周りの奇妙に暖かい眼差しに見守られながら歩くことしばらく。噂の文化研究部の駄菓子の屋台……よりちょっと手前。甘辛いトウモロコシの匂いが漂うそこで、ミナミたちはとうとう、その声を聴いた。
「そりゃあそうさ。これは私たちの娯楽なんだ。本来あり得ないはずのことを、自分の思い通りに、最高に楽しい形で仕上げているんだ。言うなれば、好きな小説を覗き見て、その中に自分たちが想像した最高の演出と展開を挟み込んでいるんだよ。その上、大好きで愛おしいそのセカイに……そのセカイに入り込んで、一緒に物語を楽しんでいるんだ。むしろ、こうでなきゃ困るんだよねェ」
どこか聞き覚えのある、男のようにも女のようにも取れる声。人混みがぱっくりと割れ、その向こうに白髪の老人と、茶髪の優男、さらには色黒のおっかない大男に、浴衣姿の小さな女の子がいる。
そんな彼らの真ん中に、探し続けていた小麦色の髪。その姿を認めた瞬間に目が合い、レンは老人から飛び降りてミナミに抱き付いた。
「にーちゃ!」
「レンっ!」
ようやく出会えたその温かい重さに、思わずミナミはレンの体を強く抱き締める。別に命の心配はなかったし、時間にしてもそうたいしたものでもなかったのだが、なぜだかすごく長い間会えなかったような気がして、ミナミは思わず泣きそうになってしまった。
「心配、したんだぞ……っ!」
「ぼ、ぼぼ、ぼくだってみんながまいごで……!」
「……ばか、迷子はお前の方だ」
「うう、うわぁぁぁぁぁ!」
レンがミナミの腕の中で思いっきり泣いた。ミナミだって泣きだす一歩手前である。衆人環視の中、男としての最後のプライドがそうさせているだけであり、もし周りに人がいなかったのだとしたら、気持ちのままに大声をあげて泣いていただろう。
「ミナミくん、目が赤いよ?」
「……あんた、意外と涙もろいわよね」
「ほっとけ」
レイアとソフィが、ミナミを見て軽く微笑んでいる。ミナミは照れるようにしてレンの背中をポンポンと叩いた。優しい二人は見なかったことにしてあげたのか、釣られるように泣きじゃくるレンの背中を叩く。
ミナミは今まで、迷子になったことはあるものの、迷子を迎える立場になったことはない。この言葉にできない安心感と言うものを、味わったことが無い。
故に、保護してくれた人にお礼をしなくては、という考えに思い至ったのは、再会からいくらかの時間が経った後だった。
「すみません、うちのが迷惑をおかけしま──」
その時のミナミは、周りがまるで見えていなかった。とりあえず、一番近くにいた頼りになりそうな人が保護してくれたのだろうと、ろくに顔も見ず言葉を紡いだのだ。
その人を見て、言葉を失った。
「なぁに、いつものことさ、慣れているよ」
「あ、ああ、あなたは……!」
「ひどいねェ? さっきぶりだってのに、もう忘れちまったのかい?」
間違いない。ついさっきのいざこざに介入してきた、あの白髪の老人だ。あの、いかにも訳ありな──というか、その正体はまず間違いなくアレな──老人が、にこにこと笑顔を絶やさず、あまりにも場違いなそこに立っているのである。
「う、ううう、嘘だろ? え、まて。だって、保護してくれているのって文化研究部のじいさんって人だって……!」
「…この人、こう見えて生徒だぞ?」
「はぁっ!?」
色黒の男の言葉に、ミナミは思わず声を上げる。
ありえない。よりにもよって、一番あり得ない。いや、ちょっと遊びに来ていた、くらいならまだわかるし、納得もできるのだ。しかし、ミナミの正体を知っている、かつミナミと神様の会話さえ知っているこの老人が、生徒として学校に存在することなど、本来は不可能であるはずなのだ。
「あ、おじいさん! お久しぶりです!」
「やぁ、一葉ちゃん。元気そうで何よりだ」
しかもこの老人、一葉のことまで知っている。一葉の方も、この老人を知っている。これにはさすがのミナミも驚きを隠せない……というか、さっきから開いた口が塞がっていない。
「一葉!? お前この人知ってるのか!?」
「こないだここに学校見学しに来た時に会った人だよ? ほら、スイカとかメロンとかくれたって言ったじゃん」
「この人が!? ホンットにこの人が!?」
「だからそう言ってるじゃん」
しかも、一葉と仲良さげに話しているという始末である。どうやら、かなり前からこっちのセカイをエンジョイしているらしい。
いくらなんでも、はっちゃけすぎじゃあなかろうか。ミナミの中のイメージが、どんどん音を立てて崩れ去っていく。
「なんて恐れ多いことしてるんだお前! というか、そもそもなんであなたみたいな方が……!」
一葉は正体を知らないとはいえ、ミナミは正直気が気でない。いつ変な事をやらかさないかと、内心冷や汗ものである。動いていないはずの心臓が悪い意味でバクバクと動いているような気さえしていた。
「えと、大丈夫ですか? 顔色悪いみたいですし、保健室でちょっと落ち着かれた方が……」
「大丈夫ですよ、八島先輩。ウチの兄貴、これが平常ですから」
「そ、そうなの? 本当に大丈夫?」
あまりにもミナミの様子が酷かったからだろうか、浴衣姿の小さな女の子が気を使って保健室を勧めてくる。残念ながらそれじゃあ根本の解決には至らないのだが、まともでごく普通の問いかけをしてきてくれたというその事実に、ミナミは少しだけ落ち着くことができた。
よくよく見れば、老人は何か心の底から面白いことがあったかのように、からからと笑っている。そして、自分と同じように困惑している人たちがこの場には何人もいることに気づいた。
「ほれ、そういう話は置いといて。……夢一、楠、華苗ちゃん。それにミナミにレイアちゃんにソフィちゃんも。ああ、アミルもシャリィもこっちに来な」
逆らえない。逆らっちゃいけない。もとより逆らうつもりもないが、ミナミは言われるままにレイアとソフィの手を引いて老人の元に一歩足を進めた。
「え? どうしたんですか?」
「なに、ただの私の我儘だ。どうしても、お前たちがこうしてそろっているのを見たかった……それだけだよ」
「……じいさん、とうとうボケたか」
「…最近奇行が多いとは思っていたが……」
この世の中、知らなくていいことがあることを、ミナミは痛いほど理解した。もし彼らが老人の正体を知ってしまったとしたら、いったいどういう反応をするのか。
「あ、あんたたち! なんてことを言ってるんだ!? この人が誰だか、わかっているのか!?」
「…うちのじいさんだな」
「年齢不詳の嘘つきジジイ?」
終わったと思った。特に優男の方。実際、その通りでもあるのだが、不敬罪的な意味でいろいろ手遅れだろう。いい意味であれ悪い意味であれ、ただじゃあ済まないはずだ。
レイアやソフィが浴衣の女の人や先程の女の子と話していることなど、ミナミは気づきすらしなかった。ただひたすら、この何も知らない男子高校生がこれ以上変な事を言わないように、強く願っていただけである。
もう、本当に何が何だかわからない。老人の方も、ミナミがこれだけ慌てているというのに、何が面白いのかずっとからからと笑っている。笑い過ぎたのか、目元に涙さえ浮かべていた。
「なぁ、お前たち。今は幸せかい? これまでのことを全部含めてなお、今この瞬間が幸せだって言えるかい? 自分たちの出会いは、繋がりは、その思い出は──最高のものだったって、思えるかい?」
唐突に発せられた言葉。いきなりだったというのに、それはミナミたちの心にすとんと落ちていく。
何をしたいのかはさっぱりわからないミナミであったが、その答えだけはわかりきっていた。
だって、みんな──自分でさえも、いつの間にか笑っていたのだから。
「──よかった。私は、それが一番気になっていたんだ。やっぱり、人は幸せじゃなきゃあダメなんだ。物語は、幸せでなきゃあダメなんだよ。──お前たちはこれからもまだまだ物語を紡いでいく。それでいいんだ」
「「……」」
特徴的な声と共に、その言葉がミナミの心に響いていった。
「幕間は終わりだ。私の我儘に付き合ってくれてありがとう。もう物語に戻る時間さね。──さぁ、飛び切り楽しい物語を、何よりも素晴らしい夢を紡いできな!」




