【黄泉帰里編13】 ゾンビの天敵
※ちょっと宣伝
少し前から文系・理系ならぬ魔系学生の友人の日記を新作として公開しています。安心の毎日更新です。よろしかったらどうぞ!
「やぁぁぁぁっと見つけたぞゾンビィィィィ!」
目の前で叫ぶその高校生は狂ったかのように笑っている。明かり一つない暗がりだというのに眼だけは爛々と輝き、体勢を整えつつあるミナミを決して視界の外にはずさないように睨んでいた。
歓喜の笑い声は奇妙な息漏れの音を伴い、なにか根源的な恐怖を聴覚から与えてくる。これでは、ミナミよりもむしろそいつのほうがゾンビのように思えてきてしまう。
しかし、そんなことなど決してありはしないのだ。この平和な現代日本にゾンビなんて存在しないし、超常の存在もあってはならない。ミナミと言うイレギュラーだって神様による反則によってはじめて存在し得るものなのだから。
だとしたら、この少年はいったい何者なのだろうか。
「ゾンビがこれくらいでへばってんなよォォォ!?」
「チィッ!?」
少年が跳んだ。
一瞬でミナミとの距離を埋め、鋭い蹴りを放ってくる。体の使い方そのものはとても荒いのに、そこから滲み出る迫力──否、殺気だけは異世界ですら感じたことのないほど禍々しいものだ。
「ぐっ!?」
「ひひひィィ……!」
とっさに腕でガードをする。が、勢いを殺しきれずに弾かれ、がら空きの胴体に一発いいものをもらってしまった。
痛まないはずの体が痛む。ゾンビであるはずのミナミの体が、ズキズキと傷む。
「おいミナミ! なんで手こずってるんだ!?」
「こ……こいつヤバいやつだ! オウルグリフィンよりも、ミスリルウォームよりも強い!」
ミナミはかつて、これほどまでの恐怖を感じたことはない。もしこの場に誰も居なかったら、さっさとしっぽを巻いて逃げだしていたことだろう。冷や汗は止まらないし、足もガクガク震えている。対面している今この瞬間も、チビりそうになっているのを必死にこらえているのだ。
だが、エディたち冒険者組は不思議そうに首をかしげるばかりだった。
「……そんな強くないよな? 動きはでたらめだし、せいぜい中級レベルに行くかどうかってところだろ?」
「私たちだったら片手で相手できるわよ、ねぇ……?」
そんなバカな、とミナミは叫びたくなった。叫べなかったのは迫りくる拳のラッシュを夢中で避け続けていたからだ。
「こんのッ!」
「ぐひィ!?」
さすがに命の危機が迫っている中で手加減なんてしていられない。驚異的な動体視力でそいつの攻撃を見切ったミナミは、拳をそいつのみぞおちにぶち込んだ
全力……とはいえないまでも、それなりの力を込めた一撃だ。ゴブリン程度なら簡単に腹をぶち破ることができただろう。もしこの乱入者がそうなってしまってもミナミはなんら困ることはないし、この医療大国なら重傷は負っても死にはしない。
「いいねェ……! そうこなっくちゃ張合いがねェよなァ……!」
「嘘だろ!?」
そう思っていたのに、そいつはぴんぴんしていた。ダメージは負っているだろうけど、それだけ。金属バットで殴ったほうが遥かに効果があった……と思わせる程度のもの。
「……ああ、こっちに合わせて手加減しているんですよ。ほら、あまりに圧勝だと不自然極まりないですし」
「そんな余裕があるように見えるのかッ!?」
誰にもわからない事実をあえて解説するのだとすれば、ミナミとこの少年は致命的なまでに──いや、運命的なまでに相性が悪かった。たとえミナミがどんなに強くとも、ミナミの攻撃である以上この少年には一切通用しないし、逆にこの少年の攻撃は、どんな攻撃でもミナミにとっては強烈な一撃となって襲ってくる。
不可解な戦闘は止まらない。ディアボロスバークをバラバラにできる暴力を秘めた拳を少年は受け、流し、喰らう。しかし倒れない。逆に高校生のお遊戯レベルの少年の拳をミナミは受けられず、流せず、強烈な一撃としてもらってしまう。
「くっそぉぉぉ!」
痛みはあるし、攻撃は効かないし、まるで勝てる気がしない。本格的に命の危機を覚えてしまったミナミは、ついうっかりやってはいけないことをやってしまった。
「おお?」
「やっべ!?」
少年の腕に一筋の赤。ミナミの爪にこびりつく赤。
──ゾンビは人間を引掻いてしまったのだ。
「やっぱゾンビはそうこなくっちゃなァ……!」
最大の禁忌を喰らってしまった少年は、どこか嬉しそうにその傷口を眺めていた。
あと数秒もすれば彼の全身にミナミのゾンビ因子が行き渡り、理性は消え失せ、悍ましい怪物へと変貌してしまうことだろう。
治療法と言えば因子が行きわたる前に腕を切り落とすぐらいだが、もう遅い。
「わ、悪い……! そんなつもりはなかったんだ!」
「いいっていいって、謝らなくて。ゾンビとの戦闘なんだ、それくらいは覚悟している。それに──」
あと何秒もしないうちにある意味では死よりも無残な結末を迎えるというのに、その少年は臆した様子もない。それどころか、にっこりと笑ってミナミに近づいてきてさえいた。
「ゾンビ対策部がゾンビになるはずねえだろ!?」
「ぐあああっ!?」
ミナミは吹っ飛ばされた。殴られたのか蹴られたのかもわからない。ゾンビになるはずのその少年は、今も元気よくその二本の足で大地を踏みしめている。
「ミナミ!?」
楽観視していた冒険者組も、さすがにその様子には危機感を覚えざるを得なかった。無敵のはずのゾンビがぶちのめされ、おまけに敵は引掻かれてもゾンビ化しない。
つまり、これまでミナミが行っていたのは決して演技ではなく本気であったということであり、そうなると特級が三人束になっても勝てるかどうかかなり怪しくなってしまう。
「くっそ!」
彼らが取った行動は実に合理的なものだった。
パースは懐に忍ばせておいた短杖を構え、魔法の詠唱に入ろうとする。フェリカはどんな事態が起きてもサポートできるように腰を低くし、ナイフを隠してある太ももへと手を伸ばした。
「やってやるぞオラァ!」
エディは走った。いつもの大剣を持たずに敵へと突っ込む。
エディは直感を信じている。ミナミに倒せなくても、自分がこの敵に負けるビジョンが全く見えない。敵の実力は明らかに自分よりも劣っているように見えた。つまり、勝てるってことだ。
もしその直感が外れても、ミナミが体勢を整えるくらいの時間は稼げる。
「うおおっ!? なんだこの人!?」
エディの拳がその少年に迫る。並みのチンピラなら三日は寝込む、下手な拳闘士よりも強力なパンチだ。こんな子供が食らったら世界を超えてジシャンマあたりまで吹っ飛ばされるに違いないとエディは確信する。そうでなくとも、この暗い夜を仰ぐことになるだろうと思った。
「貰ったぁ!」
「《一本──」
「──え?」
割り込んできた大きな黒い影。腕を取られたと思った時は、もう遅い。
「──背負い》ぃぃぃぃ!」
暗闇を仰いだのはエディの方だった。
「いい年した大人がガキにどんだけ殺気をぶつけてんだ!?」
共に地面に伏したエディとミナミは、その黒い大きな影を見た。そいつは日本の伝統的な衣服──ひらひらが涼しげで動きやすそうな甚平を着ていた。全身が筋肉の塊であり、腕も足も首も太い。スキンヘッドが特徴的な、大男だった。
「てめえ、どう見たって実力は──!」
「フェリカ、パース、やっちまえ! こいつならいける!」
痛む背中を意識の外に追い出し、エディは叫ぶ。目の前の大男は明らかに中級程度。妙な体術に不意を突かれて一撃を貰ったが、明らかに自分より実力は劣っていると判断したのだ。
増援が現れた以上、無視しておくことはできない。いても居なくても変わらない程度の実力だが、はるかに厄介なのがあと一人いるのだから。
「早くやっちまえ!」
が、フェリカもパースも全く動かなかった。いや、動けなかった。増援は一人だけじゃなかったのだ。
「そこの女二人。一歩でも動いたら実力行使に踏み切る。多少手荒な真似をすることになっても文句は言わせない」
長剣よりも少し短いサイズの棒──五樹はそれが警棒だと見抜いた──をもった少年がぴったりとレイアとフェリカの後ろに付き、いつでも致命的な一撃を居られる位置取りを取っていた。
「武器を捨てて手を上げろ。俺は気が長いほうじゃないんだ」
「襲ってきたのはあっちよ! なんであなたにそんなこと言われなきゃいけないの!?」
「無手の人間と武装した人間。武装した人間の仲間がここにいる以上、危険なのはお前らの方だ。……ナイフをさっさと捨てろ」
「こいつ……!?」
「特殊部隊がナイフを持って襲撃に来る……まさに学校テロだ。これでも温情をかけているのだと気づけ」
少年は無言で棒を首に突き付けた。レイアは観念したかのように太ももと懐に隠し持っていたナイフを地面の上へと投げ捨てる。
「女、お前もだ」
「あらぁ、私だって捨てたじゃないのよぉ? なんなら、私の懐調べてみるぅ?」
フェリカがくねりと体を揺らして色目を使う。が、少年の声は冷たいままだった。
「内股」
「あらぁ?」
「内股に二本。胸の下に一本。胸の間に超小型のが一本。腰には長い針が三本だな。ゆったりした服装の人間が複数の暗器を仕込んでいるのは常識だ」
「……触って調べていいって言ってんのよぉ? 身体検査なら誰も文句なんて言わないわぁ? もしかしてあなた、大きいのよりも小さいほうが好きなのかしらぁ?」
「ぬかせ。色仕掛けするならまずその下品な言動をどうにかするんだな」
「このガキ……!」
フェリカも隠し持っていた暗器をすべて地面に置いた。思っていた以上に大きいナイフが、言われたとおりの場所から言われたとおりの数だけ出てきた。
「私は武器なんて持ってないんですが……。こんな小さな杖が武器になると思っているんですか?」
パースの後ろにはサバイバルジャケットを着こんだ少女がいた。傍らにはすっかり忘れ去っていたグラスウルフが控えている。
「おにーさん、この場で一番影響力があるよね。なにかはわからないけど、一番大きなことができるよね」
「……なんのことやら?」
「あたしさ、危険なものには敏感なの。あたしはおにーさんとその杖が何よりも危険だと思う。ナイフよりも銃よりも、はるかに危険なものだと思う。でも、おにーさんはそれが武器じゃないっていう。だったら、信頼の為にも預かってもいいよね」
「そう簡単に首をふれると──」
「ラズちゃん。《攻撃準備》」
グラスウルフが足を曲げ、いつでも跳びかかれるように構えた。この距離と位置なら、一瞬でパースの首か腕に噛みつくことができるだろう。
少女の方もその右手をパースの肩に優しく添えた。
「この子ね、猟犬なの。こないだその《命令》を教えてもらったんだ」
「《命令》? まさか……!」
「黙れ」
「……ッ!?」
少女のものとは思えない迫力に、パースは思わず口をつぐんでしまう。
「おにーさんが口を開くのも危険な気がする。まぁ、例え何かをされても、あたしはただではやられない。最後の瞬間が訪れる前におにーさんの首を噛み千切る。相打ちだろうと絶対におにーさんも道連れにするから、そこのところよろしく」
事態は完全に膠着してしまっていた。フェリカとレイアは武装を奪われ、後ろを取られてしまっている。パースは得体のしれない少女に背後を取られ、いつ何かをされてもおかしくない状態だ。ミナミはボロボロで、とてもこの状況で動けるとは思えない。
エディだけはまだ動けそうだが、だからといって仲間が人質に取られている状況で、しかもそれなりには実力がありそうな大男がにらみを利かしている状況で無事に事を為せるとは思えなかった。
唯一の希望は──
「一つだけ、いいですか?」
「いっこだけなら」
パースは慎重に言葉を選ぶ。下手を打てば、次の瞬間に首を折られていてもおかしくない。
「彼に、誰も付かなくていいのですか?」
彼とはもちろん、五樹のことだ。二転三転する事態にどう動くべきか、考えあぐねて結局下手に刺激しないという道を取っている。
うまくいけば、このまま見逃してもらって助けを呼びにいかせることができるだろう。そうでなくても、この中の誰かの注意を一瞬でもひきつけてもらうことができる。みんなが動けない中、五樹の存在はミナミたちにとってかなり重要な一手となるはずだった。
「いいよ、べつに」
「どうして?」
「だってあの人、一番弱いもん。危険じゃないのに付く意味ないよね」
その言葉を聞いて、五樹は自分が侮られているという事実よりもこれからどうするべきかということに考えを巡らせ始めた。少なくとも、この奇妙な乱入者たちは自分に危害を加えるつもりはないらしく、自由に動いても何も咎めないときている。
しかし、だからと言って五樹自身がさっそうと仲間を助けられるかと聞かれれば答えは否だ。異世界の特級冒険者と言う化け物染みた人間たちがどういうわけかあっという間に無力化されたのに、たかだかいち大学生の五樹がどうにかできるはずもない。
助けを呼びにく……にしても、ナイフだのなんだのを持っているのを見られた以上、いらぬ疑惑を持たれるのは自分たちの方であると五樹は認識している。そうでなかったとしても、警察の貧相な装備で何とかなるとも思っていない。
幸いにも、相手は話が分かる人間らしい。ならば、五樹が取れる手段は一つだけだ。
「なぁ、交渉しよう」
「交渉?」
女の子が復唱する。
「その猟犬、実はすっごく危ない生き物なんだ。だから俺たち、親切心でここから然るべき場所に連れて行こうとしただけなんだ。そこにちょっと不慮の事故があって拗れてるってわけで、君たちが思うような危険人物なんかじゃないんだよ」
「ほお。学校に凶器を持ち込む人間たちが危険人物でない、と」
「本当だ! 信じてくれ! 俺たちが用があるのはその狼だけなんだ!」
「この子を始末しようってこと? だったらなおさら見過ごせないよね」
ミナミも五樹もぎりっと歯を鳴らす。困ったことにこの人たちはこの魔物を魔物と認識していないらしかった。
「……狼? お前、今こいつのことを狼って言ったのか?」
スキンヘッドの大柄な男が訝しげに五樹を見る。警戒心がいくらか解けたのをエディは見逃さない。が、指ぬきグローブの少年がしっかりとにらみを利かせていた。
「おいお前ら。こいつらもしかして──」
「そうだおっさん! 俺と勝負しよう! 俺が勝ったら狼をこっちに引き渡す。俺が負けたらそっちがこの場を好きなようにしていい! それでどうだ!?」
「……なんでそうなる。まぁ、闘うのは構わねえけどよぉ」
「兄ちゃん無茶言うな! この人だって相当強いぞ!」
不意打ちとはいえエディが一撃貰ったのだ。そして、ミナミは五樹がそれほど運動できるタイプでないということも知っている。体育の実力はせいぜい中堅上位ってところだろう。
「大丈夫だ! このおっさんは柔道の使い手! 俺よりも実力は低い!」
「……ほう?」
実は五樹、ミナミが死んでから柔道を学んでいたりする。いざってときの護身術のために、この一年間でみっちりと鍛え上げていたりするのだ。真剣に取り組んだからか、一流とは言えないまでもチンピラや不良程度なら三人くらい纏めて相手取ることができるくらいの実力はついている。
「必殺の《山嵐》を喰らって立っていたやつはいない! さぁ、かかってこい!」
「そこまで言われて受けねえのは男じゃねえよなあ?」
五樹と大男はにらみ合い、じりじりと半円を描くようにして互いの間合いを測る。ぴりぴりとした空気があたりに立ち込め、風の音さえも鳴りやんだ。
「「いざ! 尋常に──!」」
「そこまでにしときなさいな」
いつのまにやら、彼らの真ん中に黒衣の老人が立っていた。髪は真っ白で、男だか女だかよくわからない特徴的な声をしている。忍者服にも見えるような──作務衣をしっかりと着ているところを見ると今日の祭りの参加者だというのは想像に難くない。
「い……いつの間に?」
何よりも不思議なのは、ミナミの生命気配探知に全く引っかからなかったことだろう。本当に、何の痕跡も残さずにこの張りつめた空気の中に割って入ってきたのだ。
その老人はぐるりと辺りを見渡し、はあ、と小さなため息をつく。顔だけはにこにこしているのに、酷く怒ったような声音で呟いた。
「……あれほど注意をしろと言っておいたのに。あとでお仕置きしなきゃならんねェ」
ゾク、とその場の全員が鳥肌を立てた。
「ほれ、お前たちも警戒を解きなさい。この人たちは危険人物なんかじゃあない。お祭りに遊びに来たお客さんさ。……どうも、うちの連中が迷惑かけてすまなかったねェ」
老人はミナミの手を取り、ぐっと引き上げる。パンパンと優しく体を叩き、土をすっかり払ってくれた。
「いやでも、このナイフは……」
「義雄。この人たちは組合の連中と似たような場所の出身だ」
「…………だが、それでも持ってきていい理由にはならない」
「担当のバカがそのことをすっかり失念していたんだ。そいつはあとでキッチリ絞めておく。だから離しなさい」
「……今回だけだ」
警棒を持った少年がゆっくりとフェリカたちから離れる。レイアはすぐさまナイフに飛びつき、油断なく構えて少年をにらみつけた。
しかし、警棒の少年は全く持って動じない。老人のことを完全に信頼しているらしかった。
「でも大じじ様! こいつゾンビだぜ!? おまけにラズを殺そうとしてきたんだ!」
「晴喜」
「う……! でもホントなんだよ! ぜぇったい間違いないって!」
やれやれと首を振った老人はミナミの手を握り返す。そして、ミナミの指をキュッと握って自分の手の甲に突き付けた。
「ちょいと失礼」
「あっ……!」
小さなひっかき傷が刻まれる。が、老人の様子には全く持って変化がない。
「晴喜、これでわかったかね? ゾンビがここにいるはずがないだろう?」
それもそうだ。普通ならゾンビがこんなところにいるわけない。それはファンタジーやホラーの住人で、夏祭りに家族そろって観光しに来るわけがない。
尤も、ゾンビだと見抜ける人物がいた段階でその前提もあやふやになってくるのだが。
もうミナミは、ここがどこなのか、この人たちはいったい何者なのかすっかり判らなくなってしまった。
「もしそうだとしても、お前はまず話を聞かなければいけなかった。最初の攻撃を防げたのなら、敦美ちゃんや義雄のように相手を無力化して話を聞くべきだった。自分の興味を優先して一方的とも取れる殴り合いをしたのは決して褒められることじゃあない」
──これは楽しませようとした私にも責任があるがね。
老人が小さくつぶやいた。ミナミの耳はそれを聞き逃さない。老人はどこかすまなさそうにミナミに笑いかけながら、人差し指を唇に当てる。
「そんなこと言ったらこいつらの行動だってそうじゃないか! 武器云々はともかく、一方的にラズを殺そうとしたのは間違ってるだろ!?」
「それが、一方的じゃあないんだよねェ」
老人はラズ──グラスウルフを口笛で呼び寄せる。そして、ひょいと持ち上げて足にはまったある物を晴喜と呼ばれた少年に見せつけた。
「そ、それ……!」
このセカイにあるはずのない、使い魔の証の金輪がそこにあった。
「この子が危険な生物の一種ってのは間違いない。そして、彼らはそれを見つけ次第処理する義務がある。ただ、この金輪を着けているものは飼い主がいて、きちんとした訓練の元で認可を受けたって証なんだ。草むらでそれが見えなくて不幸な事故に繋がっちまったのさ」
「ほら見なさい! 私たち何も悪くないじゃない! 仕事しようとしてこんな目にあわされて踏んだり蹴ったりよ!」
それ見たことかとレイアが噛みつく。老人は苦笑いを浮かべながら、優しく言い聞かせるようにレイアを諭した。
「いや、知らなかったとはいえ武器を持ち込むのはこの国じゃ犯罪さ。だから、今回はどっちも悪い。みんなの善意のすれ違いで起きた不幸な事故さ。しいて言うなら、きちんと対策をほどこさなかった担当が悪い」
にこやかな老人のこめかみに、似合わない青筋がピキッと入った。
「──あいつが悪い」
この明らかに物事に精通している老人にミナミは好奇心を隠せない。上手くはぐらかしてはいるものの、明らかにこの老人だけは魔物の事も冒険者の事も、何もかもを知っている。さらに、担当だのなんだの、かなりそれらしいことを言っている。
「もしかしてあなたは──」
「おっと」
思いっきり口をふさがれた。そして、耳元でささやかれた。
──そいつを言ったら、強制ログアウトになっちまうんだろう?
数日前の神様の言葉がミナミの頭にフラッシュバックする。
──それと、あまり大きな騒ぎは起こさないで下さいよ? ちょっとくらいはいいですが、あまりに影響を与えることならその時点で強制ログアウトさせますので。
「みんな……この人の言うことには逆らわないほうがいい……! さっさと撤収しよう……!」
「え、でも……!」
「いいから早く! すみません、こっちもいろいろお手数おかけしました!」
ミナミはがるる、とむき出しの敵意をぶつけるレイアをなだめ、五樹をひっぱり、落ちているナイフをかき集めて、ついでに少し荒れてしまった地面をこっそり気づかれないように魔法で直した。
「何もそんなにびくびくしなくても……」
「いえ! ホント畏れ多いというか、なんとお礼をいったらいいことか……!」
「私は私の都合で動いているさ。別にそんな畏まる必要はないさね」
とはいえ、その言葉を紡げる人にどうして普通に接することができるというのだろうか。推測が正しければ、ミナミが最も偉くてすごいと思っていた存在のさらに上の立場の存在なのだ。
「一応言っておくが、ここは普通の高校さ。ちょっと変わり者も多いが、生徒はみんないい子ばかりだ。こないだなんて、みんなで夏のキャンプにも行ったんだ。旅行会社の名前は──」
「ま、さか……」
──カミヤ、なのだろう。神様がこないだ高校生の団体さんのキャンプに付き合ったとか言っていたのをミナミははっきり覚えている。
「私だって普通さ。こないだだって、部下にキュウリとナスを送ったんだ。結構俗っぽい、だろう?」
──神様、こないだキュウリを上司におすそ分けしてもらったって言っていた。
「お願いします、どうかお口にチャックをしていただけると……!」
もうここまで来たらバカでもわかる。この人の正体を間違えるはずがない。そして、絶対に失礼なことをしてはいけないし、気分を損ねてもいけない。というか、目の前のそれは絶対にわかっていてミナミに話している。
「あっはっは! そうそう、それでいいんだよ! 今の私はただのおせっかい焼きなんだから!」
「三波、どういうことだ!? ちゃんと説明してくれよ!」
「家帰ったらゆっくりするから! ええと、お爺さん! いろいろとありがとうございました!」
「はいな。最後までお祭りをゆっくり楽しんでくれるとうれしいさね。そうそう、私の屋台では綿あめなんかをやっているから時間があったら来るといい。特別にオマケをしげあげるからねェ」
ミナミは失礼にならない程度にフランクな挨拶を交わし、ささっとその場を離れた。途中でエディとフェリカが別行動をするというので別れ、提灯の光と人ごみの中を縫うようにしてソフィたちの元へと向かう。
レイア、パース、五樹は不思議そうな顔をしながらも、ゆっくりと足を進めていた。にぎやかな空気と焼き鳥のいい香りやリンゴ飴の甘い香りを楽しむうちには緊張もすっかりほぐれ、元の楽しい気分になっている。
「あの大男も冒険者かと思いましたが、柔道の使い手である以上、外国人の観光客の線が強そうですね」
「でも、使い魔の証はあったし……。あれ? 魔物がいたのは驚きだけど、よく考えてみれば私たちがいるんだから不思議はないのなぁ?」
「高校生の方は全然わかってなさそうだったけどなぁ。というか、あれって本当に高校生なのか? ゾンビにダメージ与えるし、引掻かれても大丈夫だし。ここ、変な高校ってレベルじゃないだろう?」
「うん、今回は何も見なかったから。おれたち、なにもしらないから。それでこの話はおしまい!」
一応は問題はすべて解決し、これでようやく平和になったとミナミは思った。だから、人ごみの中、見慣れた家族がみんなそろってオロオロとしているのを見て、また何か問題が起きたのかと思わず天を仰ぎたくなってしまった。
「おい、どうした?」
「あっ、兄ちゃん……!」
泣きそうになっていた一葉ははっきりと告げる。
「レン君が、迷子になっちゃったの!」
20150417 誤字修正
20150418 誤字修正




