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【黄泉帰里編2】 旅支度

「ってなわけで、四日間ほど留守にします」


「ちょっとまて」


 王城のとある一室。シンプルながらもところどころに上品な意匠が見受けられる事務机に、手をついて身を乗り出す男が一人。部屋の奥の窓からは健やかな風が吹き込んでおり、書類仕事でうんざりした彼の気分をいくらか晴らしてくれていた。


 中年ながらも燃えるような瞳を持つ彼──王は、面倒だといわんばかりに机の上の書類をがさっと片付け、羽ペンとインク壺を棚へと戻す。


 王は、目の前にいる顔色の悪い少年に向かって、もう一度確かめるように声を発した。


「帰る? お前の世界に?」


「ええ」


 神様との対談の後、ミナミはすぐさま里帰りを報告しにこの部屋にやってきた。王様がいるから当然ではあるのだが、ここは王の執務室である。いくら顔見知りとはいえ、本来ならばたかだか冒険者程度のミナミがそうやすやすと入れる場所のはずではない。


 しかし、ミナミは王様とはいろいろな意味で仲が良くなっている。あれから何度も顔を合わせて愚痴に付き合ってもいるし、王様もミナミの大きな秘密を知っている。


 それがあるからこそ、近衛兵もミナミと王様を二人きりで会うことを許しているのだ。もちろん、扉の外では事情を知っている近衛兵が部外者を入れないようにその周囲をしっかりと警備していた。


「おまえ、死んでるんじゃないの? そもそも、そんな簡単にできるのか?」


「死者が里帰りするっていう行事があるんですよ」


 にっこりと笑うミナミの顔を見て、マジかよ、と王は呟いた。


 いくら異世界とはいえ、その発想はなかなかのクレイジーだ。逢いたくなるその気持ちはわかるが、誰が好き好んでアンデッドとして堕ちた家族と相対したいと思うのだろうか。


「って言っても、あくまで建前上──宗教儀礼的にそうだってだけで、本当に死者が来るわけじゃないんですけどね。なんか、神様が帰ってもいいよって」


「なんか軽いノリだよなぁ……」


 王は神に対する意識をいくらか変えねばならないと直感した。彼が今まで生きてきた中では、神とはもっと威厳があって敬うべき存在だった。ところが実際に話を聞く限りでは、近所の気のいいおっちゃんみたいではないか。


 まだ若くやんちゃしていた頃、王は城下町でそんなおっちゃんにあったことがある。屋台を営む彼から軽~いノリで奢ってもらった串焼きの味は、今でも鮮明に覚えていた。


 国庫から全力で支援しようとして、当時の財務大臣から拳骨を貰ったこともしっかり覚えている。結局城から抜け出すたびに串焼きを買うくらいしか支援はできなかった。


 ふぅ、と息をつきながら、王は話を進めた。異世界人がやることにいちいち驚いていたら日が暮れてしまう。


「で、俺は具体的にどうすればいいんだ? 帰郷のための儀式でもすればいいのか?」


「いや、留守にするからお知らせしただけなんですけど……。それと、煙か出るそうですから期間中はあの部屋を立ち入り禁止にしてもらいたいってことくらいですかね。あ、時間が空いているなら一緒に来ますか?」


「……はい?」


「何人連れて行ってもいいみたいなんですよね」


「おいおいおい……」


 やっぱクレイジーだ、と王様は頭を振った。ミナミはそんな王様の様子を不思議そうに見るばかりである。


 これでも王は王なのだ。異世界とはいえ現世に死者が、それも団体さんを引き連れてやってくるのがいかに問題があるかくらいは簡単にわかる。


 自分一人ならばまず間違いなく後先顧みずについていったかもしれないが、そういうわけにもいかない。王はこれでも常識人なのだから。


「やめとくよ。せっかくの里帰りにオッサンがついていったら楽しめないだろ?」


「そうですかね? 王様ですよ?」


「そっちに行ったらただの中年だろ?」


「まぁ……そうですね」


 王はニヤッと笑った。王はミナミの、丁寧でありながらもどこか不遜な態度が好きなのだ。


 こう、王を王と思っていないというか、王に対する認識の低さというか、ともかく王を王ではなく、個人としてみてくれるミナミが好きなのだ。それでいて最低限の礼儀があるのだから、友達としてこれほど素晴らしいものはない。


 だから、王は友達としてのミナミにお願いをすることにした。


「代わりと言っちゃなんだが、ミルを連れて行ってくれないか? ……おいミル、いるのはわかってんだ」


「……き、気づいてたんですか」


「当たり前だ。気づいていないのはお前だけだよ」


 扉をきぃ、と開けて十歳くらいのドレスを纏った女の子──ミルが部屋へと入った。開けられた扉の向こうから困ったように笑うリティスが会釈をしてきたのをミナミは見逃さない。


 王の言う通り、ミナミもゾンビの生命探知で部屋の前に新しい人が来たことくらいは気づいていた。流石に誰かまでかはわからなかったが、近衛兵が追い返せない人物となるとこの王城には数人しかいない。それに、盗み聞きのために扉がこっそり開かれたので、そこから誰がのぞいているのかもわかったのだ。


「……すみません、盗み聞きしてしまって」


「リ、リティスは悪くないです! 私が無理を言ったんです!」


「いや、どうせ後で聞きに行くつもりだったから」


「「えっ?」」


 王と姫がそろってあげた声に、ミナミはしてやったりといわんばかりの笑みを浮かべた。


「いやさ、子供たちが旅行に行くならミルと一緒がいいって言っててさ。……ほら、エリックは今お勉強の旅とやらで出かけてるだろ?」


 グラージャ第一王子のエリック・グラージャはミルの弟だ。彼は父親似なのか非常にわんぱくで元気であり、いたずらが好きである。正義感も強いといえば強いのだが、良くも悪くも元気な悪ガキだ。


 それゆえ、今は勉強のために諸国漫遊の旅に出されている。旅といっても観光旅行に近いものではあるが、各地で見聞きしたことを後にまとめて教育係に提出するという課題付きだ。


 エリック自身が全力で抵抗するほどのお勉強旅行だったが、元から勤勉なミルからしてみればうらやましい以外の何物でもない。


「ついていけなくて残念そうにしていたって聞いてな。王族扱いはできないかもしれないけど、おれの故郷だからそこそこ楽しいと思うぞ」


「で、でも部外者が同行するなんて迷惑ではありませんか?」


「安心しろ、勅命で同行させることだってできるんだ」


「お父様は黙っていてください」


 つーん、と言い放った姫様の一言に王は机につっぶした。大襲撃後の尋問以降、なんとか口を利いてもらうくらいには機嫌を直してくれたものの、未だに親子間の感情は冷め切っているのである。


 ミナミもショッキングな部分を伏せて自分のことや尋問のことを説明したものの、結局彼女は王を許すことをしなかったのである。


 いわく、もっと適切なやり方があっただろ、とのことだ。


「子供が一人増えるくらい、どうってことないよ。リティスさんも、さすがに異世界で王族が狙われるなんて言わないですよね?」


「まぁ、確かにそうですね……。これもいい機会ですし、姫様をお願いしてもよろしいでしょうか?」


「えっ? リティスもついてきてくれるんじゃないんですか?」


「エリック様は勉学のために旅に出ているのですよ? 姫様も一応はそういう名目で出かけられるのですから、普段から一緒にいる私がいたら意味がないでしょう? ……これも経験です。今回は一人で行動してみて下さい」


「リティス……! ありがとう!」


 黄泉人かつ教育係の彼女はそういってふわりと微笑む。魔晶鏡がきらりと光り、少し高圧的な雰囲気を纏いながら口を開いた。


「ただし! あちらで一切の迷惑をかけないように! 特に朝! 眠いからって二度寝したり、着替えるのを面倒くさがらないように!」


「それをこの場で言わないでぇぇぇぇぇ!?」


「おまえ、まだ一人で着替えらんねえのか!? リティス、聞いてないぞ!」


「口止めされていたのですよ」


 こっそり教えてもらったが、ミルは未だに朝はリティスに着替えさせてもらっているらしかった。なんでも朝にかなり弱いらしく、寝起きはかなり甘えてくるそうである。


 羞恥で真っ赤になったお姫様がぼふんとその場にうずくまる。


「ミナミ様、何か持っていくべきものなどはありますでしょうか?」


「えーっと、下着と着替え、あと洗面器具くらいっすかね? まぁ最悪、あっちでもいろいろ用意出来ますんで。三日後の朝……いや、念のため前日の夜にウチの部屋に来てください。そうだ、食べさせちゃまずいものとかあります?」


「いえ、特にはありませんね。好き嫌い言っても無理やり食べさせてください。向こうにいる間はレン君たちと同じように扱ってくださいな。王族じゃなく、一個人としての常識をたたきこんでいただけるとうれしいです」


「もう立派なもんだと思いますけど……」


「あらやだ、外面がいいだけですわ。……お土産、期待していますよ?」


「はは、適当に見繕っておきますよ」


 そしてミルがメンバーに加わることになった。帰り際、王がこっそり『あいつを頼む、ついでにご機嫌取りもな』と密命を発したのを、ミナミは軽く敬礼することで応えた。



▲▽▲▽▲▽▲▽



「なるほど、里帰りか……」


「何事かと思いましたが、とても興味深いですね」


 ところ変わって鬼の市。例の常連専用の秘密の部屋でミナミと《クー・シー・ハニー》、そしてギン爺さんが集い、テーブルを挟んで歓談していた。


 いつもならその大きな机の上には魔物の素材でいっぱいになっているはずであり、またギン爺さんもルーペもどきや秤を用意して鑑定の準備をするが、今回に限っては何の用意もされていない。


 もちろん、ここに来たのは里帰りの話をするためだからだ。


「急な話で悪いんだけどね。その間は呼ばれてもこれないから伝えておこうって」


「なぁに、さすがにまたあの規模の襲撃はなかろうて。それに、今はガルーダのゾンビがおるしの」


「あの子たち、とってもお利口さんなのよぉ?」


 ギン爺さんはくぁっくぁっくぁと大きく口をあけて笑う。


 ミナミが──より正確に言えばフェリカが迷宮から連れ帰ってきたフォルティスガルーダゾンビは今では鬼の市で管理する使い魔として登録されている。単純にその飛行能力が高く、高い場所へと人を運んだり、また運搬能力に長けていることから、鬼の市では結構重要な役割を持ちつつあるのだ。


 同時に、裏では非常事態用の戦力としても認識されており、万が一王都に前回のような魔物の大襲撃があった場合、これらのゾンビが先行して魔物を叩くことになっている。


 このことを知っているのはギルドマスターや騎士隊長といったミナミの尋問に居合わせた人間やその関係者といったごく一部の人間だけであり、一般の人から見れば鬼の市のフォルティスガルーダはマスコット的存在だ。


「んでさ、何人でも連れてきていいって神様は言ってたから、時間さえあれば一緒にどうかなって」


「俺行く!」


 真っ先に手を挙げたのはエディだった。冒険者らしいわくわくした笑顔を輝かせている。もし彼が獣人であったのなら歓喜のあまり尾っぽをぶんぶんと振り回していたことだろう。


「私もお邪魔でなければご一緒したいのですが、本当にいいのですか? あなたを含め──エディを入れたら九人にもなってしまいますよ?」


 パースがおずおずと手を上げる。彼の懸念通り、すでにこの段階でかなりの人数に膨れ上がっており、ミナミの家の許容量を考えるといささか心もとないのは確かだ。


 当然のことながら現代日本のミナミの家は異世界であるこちらの住宅ほど広い面積を持っているわけではなく、全員を泊めるとなるとかなり窮屈な思いをするのはまちがいないだろう。


「でも、せっかくの機会だぜ? ちょっと狭いの我慢してもらえれば、ウチとしては問題ないよ」


「では、お言葉に甘えさせてもらいます。……なんだか、すごくわくわくしてきますね!」


 パースは一応学者でもある。話だけでしか知ることのできなかったミナミの故郷を実際に見れるとなって、興奮が抑えきれないのだろう。


 ひいき目に見てもこのセカイと比べれば日本には面白いものであふれかえっており、どんな人間であろうとも楽しめるのは間違いない。学者なパースから考えてみれば、目に映るものすべてが研究対象になるだろう。


「あたしもいいかしらぁ?」


「そりゃもちろん」


「うふ、ありがとぉ。……この子はどうしようかしらぁ?」


 ききぃ!


 フェリカは困ったように眉を下げ、肩をうろつく相棒を示す。ピッツはい──っと歯茎をミナミに見せつけ、カリカリとミナミの指をひっかいた。普段肉に爪を立てる機会がなくてストレスがたまっているらしい。その点、人間ではないゾンビのミナミならひっかいても問題ないというわけだ。


「連れていけばいいんじゃない?」


「でもあなたのところ、魔物がいないんでしょ?」


「なんとかなるって。ごろすけも連れていく予定だし。それに、本当にどうしようもないときは神様がなんとかしてくれる!」


 たぶんなんとかしてくれる。

 きっとなんとかしてくれる。


 だって神様なのだ。


 そもそも、ミナミが適当に魔法でも使えば姿を変えることくらいはできるし、基本的にはおとなしく、人間は絶対に襲わないように命令してあるので万が一ということも考えられない。


 それに泥猿はミナミのセカイのサルと見た目はさして変わらない。ちょっと珍しいペットの猿だと思われる程度で、よもや魔物だとは気付かれないだろう。


 だいたい、そんなこと言ったらミナミだってゾンビなのだ。ゾンビが町をうろつくのに比べたら魔物の一匹や二匹、どうにかならないわけがない。


 現代日本にゾンビがうろついているなんてわかる人、それこそお話の中くらいでしか存在しないのだから。


「ギン爺さんはどうする?」


「行きたいのはやまやまじゃが、やめておくとするよ。こっちでの仕事もあるし、行ったら帰りたくなくなるかもしれぬ。それに、若人の楽しみに爺が邪魔するのも無粋なものじゃ」


 少しだけ悲しそうに笑うギン爺さんを見て、ミナミはお土産は奮発することを固く誓った。


 おそらく、誰よりも異世界に行きたいのはギン爺さんのはずなのだ。昔世話になったという忍者の故郷を見てみたいを思わないわけがない。


 きっとミナミが思っている以上のいろんな思惑をもって断ることにしたのだろう。


「では、三日後に王城のあなた方の客室に行けばいいのですね?」


「いや……できれば前日の夜には来てほしい」


「と、いいますと?」


「お盆って行事はさ、迎え火ってのを焚いてから始まるんだ。一応、この煙に招かれて死者の魂が里帰りするってことになっている」


「なんか問題あんのか?」


「その時間帯が問題でさぁ……。向こうが焚いたタイミングで呼び出されるらしいんだけど、これ、本当なら夕方に焚くのが慣例なんだ。ただ、神様曰く、ウチの家族にはもう帰るってこと知らせてあるらしくって、もっと早いタイミングで焚かれる可能性があるんだよね」


「慣例を無視しちゃっていいのかしらぁ?」


「別に必ずそうしろってわけじゃないから。神様の話を信じるにしろ信じないにしろ、やるだけならタダだし。もしおれが逆の立場だったら朝イチでやるだろうなって」


 ミナミが一番懸念しているのは何らかの拍子に誰かしらが置いてけぼりをくらうことだ。さすがに神様が絡んでいる以上召喚の失敗はないだろうが、それでも不安はできる限り除去しておいたほうが賢明ではある。


「それじゃ、旅支度、ちゃんと整えといてくれよ!」



▲▽▲▽▲▽▲▽



 そして、当日の早朝。


 少し広めとはいえ十一人が居座る客室はいささか圧迫感があり、子供たちと女性陣がベッドを占有したおかげで男性陣は屋内なのに床で雑魚寝をするという奇妙な状態になっている。


 冒険者的に考えてみれば雨も風も心配がなく、ふかふかの絨毯の上で眠れるだけありがたいが、そんな冒険者の実態を知らないミルお姫様は終始申し訳なさそうに頭を下げていた。


「ほい、ちょっと早いけど準備しとけよー」


「「はーい!」」


 まだ早朝だというのに子供たちはすでに元気いっぱいであり、きゃいきゃいと騒ぎながら着替えを引っ張り出して着替えていく。ボタン付けだけはミナミとソフィの仕事だが、最近はそれ以外はしっかりこなせるようになってきているため、手はかからなくなってきていた。


「ミル、着替えるの手伝おうか?」


「だ、だいじょうぶです!」


「ミナミくん、女の子のお着替えなんだから男の子はあっちむいてないと……」


「おっと」


 ソフィに窘められ、ミナミは慌てて向こうを向いた。その先ではすでに──寝る前からがっちりと装備をしていた冒険者たちが最後の荷物の点検をしており、里帰りだというのにどこか物々しい雰囲気を醸し出している。寝起き直後でこうして行動できるあたり、彼らは根っからの冒険者なのだ。


「水……携帯食料……ちゃんと全部あるな」


「予備の魔石、インク壺、羊皮紙、護身用の短剣っと」


「マッピングツールもサバイバルキットも問題なしよぉ」


 どうやら彼らはミナミの故郷を少し誤解しているらしい。おもしろいのでミナミは黙っておくことにした。こっちのほうが異国情緒あふれて向こうでウケがいいだろう。


 ちなみにレイアも装備を整えたままベッドで眠っていた。彼女もまた昨晩から準備は万端であり、大きな荷物はミナミの巾着の中であるため、この中で唯一いまだにまどろみの中にいる。


 ねぼすけは後で起こそうと心に決め、ミナミは子供たちを捕まえた。


「メル、トイレは平気か?」


「だいじょうぶ!」


 エレメンタルバターで一番おねしょ率が高いのはメルである。ミナミはほっと息をついた。


「レン、忘れ物はないな?」


「おみやげコレクションもってきてない!」


 それは別に必要ない。向こうの基準で考えれば本物のお宝になってしまう。


「イオ……は、大丈夫だな」


「たぶん」


 着替えも済ませ、自分のポーチをしっかり持ってイオは準備万端だ。惜しむらくは、寝癖がひどくて頭が爆発していることくらいだろう。


「クゥは……念のため、にーちゃんと手をつないでおこう」


「……うんっ!」


 おそらくいちばんそわそわしているのがクゥだろう。白い狐の耳がぴょこぴょこ揺れ、さっきから妙に落ち着きがない。なにかあっても困るのでミナミは手を握っておくことにした。


「今日は特別に、ブレスレットつけてていいからな」


「「やったぁ!」」


 せっかくのお出かけなのだから、少しくらいおめかししてもいいとミナミは判断する。いつぞやの《絆の灯》をはめ込んだブレスレットを巾着から取り出し、子供たち一人一人の手にパチンパチンと留めていった。


 おそろいのブレスレットは黄色く輝き、子供たちは久しぶりの感触にきゃいきゃいとはしゃぐ。普段できないことをするのがうれしいのだろう。


 おまじない程度の効果とはいえ、迷子防止にもなるので付けない理由はない。それに、こっちではそれなりに高価なものであるが、日本の価値観で見てみれば子供用のおもちゃのブレスレットにしか見えないのだ。


 ほぉ──う


 ききぃっ!


「おまえらも、向こうじゃおとなしくしてるんだぞ」


 ごろすけとピッツは当たり前だといわんばかりに金の輪っかを見せつける。使い魔の証はその魔物が安全であるという証拠なのだ。とはいえ、半獣半鳥のごろすけは目立ちすぎるのでミナミは後で魔法で姿を変えてやろうと思っている。


「ほらレイア。いい加減起きろって」


「もうちょっと寝かせて……。どうせ、呼ばれるのは夕方なんでしょ……」


「いや、そんなことを言ってると──」


 その瞬間だった。


「わっ、なにこれ……!?」


「霧……いえ、煙ですね」


「どこから来てるのかしらぁ……?」


 もくもくと、どこからか白い煙が湧いてくる。最初はうっすらと霧のような状態であったのに対し、だんだんと、しかし確実に濃くなっていく。部屋の隅にあった蝋燭の光はぼやけていき、もう部屋の向こうの壁ですらよく見えないくらいになっていた。


「なによこれっ!?」


 あまりの異常事態にレイアが飛び起きた。いきなりのことに驚く子供たちの手を一瞬で引き、ミナミの傍によってくる。ソフィもまたミルの手を引きながら、ミナミの背中から抱き付くようにしなだれかかった。


「だ、大丈夫なんだよね……?」


「あなたのとこ、こんなに煙を焚いて迎えるの?」


「いや、焚き火と大して変わらないくらいのはずなんだけど……」


 ミナミは子供たちを全員抱きかかえ、レイアとソフィの肩も抱き寄せる。もう互いの顔すら見えないほどに煙は濃くなっており、とくとくと伝わってくる心音だけがその存在を知らせてくれる。


 よくよく目を凝らすと、薄ぼんやりと《絆の灯》の黄色い光が見えた。気のせいと疑うレベルの儚いものだが、確かに見えるのだ。子供たちの腕にある四つと、ソフィとレイアの胸にある二つと、自分の胸にある一つである。


「ミナミ、います?」


「こっちこっち」


 パースたちがずりずりとこちらへ近づいてくるのが感じられた。おそらくはそのわずかばかりの黄色い光を頼りにして来ているのだろう。十秒もしないうちに男にしてはすこし細めなパースの指がミナミの首に触れる。


「みつけた」


「この状況だとすっげぇホラー」


 神様による現象だとわかっていなければみんなパニックになっていただろう。白一面が視界を覆い、五センチ先にあるはずのパースの指ももう見えない。子供たちがぎゅっと抱き付いてくるのがミナミには感じられた。


「どれくらい続くんだ?」


「さぁ? でも、迎え火ならそう長くは続かないはずだよ」


 これだけ濃い煙だというのに全く息苦しくないし熱くもない。煙特有の匂いもするのに、なんとも不思議な感じだ。まるで雲の中に迷い込んだかのような気分である。


 そしてやっぱり、朝イチでの召喚だった。おそらく先導したのはカズハだろうとミナミはあたりをつける。


「……」


 やがて誰もがひっそりと息をひそめ、その瞬間を待ち続けるようになる。わずかな呼吸音だけが白のセカイに響いていた。


「お……?」


 時間にしておよそ二、三分くらいだろうか。やがて煙が少しだけ薄くなり、そして少しの風をミナミは感じた。視界の向上につれて日光が差していることも判明し、足元の柔らかな感覚も砂利交じりの地面の硬い感覚になる。


 煙の臭いは薄くなり、朝露の匂いが全員の鼻を突いた。


「ぁ──」


 煙が晴れていく。


 ミナミは顔を上げた。そして絶句した。


 十七年間毎日見てきた建物が目の前にある。電信柱に雀が止まり、ちゅんちゅんと朝のメロディーを奏でている。自然に慣れた鼻はわずかに車の排ガスの混じった空気の有害物質を敏感に感じ取り、ミナミの目頭にいくらかの刺激を与えた。その直後に感じられた懐かしい味噌汁の良い香りも、どうやら有害物質らしかった。


「お、お兄ちゃん……?」


「み、三波……?」


 懐かしい声。


 朝の日差しを受け、その足元からは長い影が伸びている。その影の先は『三条』という表札に被っていた。


 立ち尽くす青年が一人。少女が一人。夫婦が一組。老人が一人。


 誰かの持っていたライターがポトリと地面に落ちる。火消をするためにもってきたのであろうバケツがばしゃりと手から落ちて少女の足もとを容赦なく濡らした。


 驚愕。慟哭。歓喜。


 その人たちはほうろくの傍で固まって腰を落としている少年を見つめ、めまぐるしく表情を変えた。


 十一人もいる中で、その家族は少年だけを見つめていたのだ。否、その少年しか目に入らなかったのだ。


 白い煙をわずかに纏ったミナミは、ごしごしと目をこすった。煙は晴れたはずなのに、なぜだか視界が悪くなっていたのだ。


 そして──




「お兄ちゃん!」


「三波っ!」




 もう二度とみることはないと思っていた二人が駆け寄ってくる。


 まだまだ小さいと思っていた妹はいくらか大人っぽい顔つきになっており、頼れる兄は髪型が変わってよりいっそうオトナな感じになっていた。


 見た目は少しだけ変わっていたけれど、面影は全く変わっていない。むしろ、最後に見たあの日と何一つとして変っていなかった。


 ミナミは立ち上がり、震える声で言い放った。




「──ただいまぁっ!」


 もう二度と会えなかったはずの兄妹三人が泣きながら抱擁を交わした。

20170108 文法、形式を含めた改稿

20180408 誤字修正

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