67 反撃の狼煙
「こっちはまかせろ。すぐに掃除も終わるじゃろうて」
「わかりました……よろしくお願いします。……おい、おまえ、ここで盾代わりになっとけ。いいか、ここにいる人間のいうことをよく聞くんだぞ」
ディアボロスバークゾンビに命令し、ミナミは城門に背を向ける。姿かたちを変えたギン爺さんやいぶかしげな目で見つめてくるギルドマスター、そして一級の冒険者らしい女性──イザベラに見送られながら彼は戦場へと走り出していった。
矢や魔法が頭上を飛び交い、人々の怒声と魔物の咆哮がひっきりなしに響いている。獣くささと煙の臭いが鋭敏になった鼻を容赦なく刺激し、その中に混じる血のにおいがミナミのゾンビとしての本能を滾らせた。
走るミナミとすれ違うようにして冒険者が撤退してくる。魔物に背負われているものもいれば、まだそこそこ元気そうなのもいる。おそらく魔物たちが同士討ちをし始めたのを見て様子見として下がることにしたのだろう。
「そらよっ!」
ガァッ!
ミナミは手始めに向かってきたウルフゴブリンに爪を突き立てた。強化された身体能力により放たれたそれは丈夫なはずの毛皮をたやすく切り裂き、しなやかな筋肉をも貫いて致命傷を与える。
傷を負ったその場所からウルフゴブリンは急速な勢いでゾンビ化していき、瞬きを二回するころには忠実なミナミのしもべとなった。
濁りきった目はうつろで、口からはよだれがぽたぽたと垂れている。これをゾンビと言わずして、一体なにをゾンビというのだろう。
「やれ!」
ゾンビ化したそいつにミナミは命令をした。
──人間を守れ、魔物を殺せ。
たった二つのシンプルな命令はゾンビの頭でも理解しやすいものであり、ゾンビと化したそいつは近くにいたゴブリンに容赦なく牙を突き立て、もがくそれを無視して顔の肉をおいしそうにくちゃくちゃと咀嚼する。
哀れな獲物の絶叫は、されどこの戦場では雑音に等しいものであり、わざわざ気にかけてくれるものもいない。顔が半分ほど喰われたところでそいつはまっとうな生き物としての存在から外れ、喰らったものと同じ存在──ゾンビとなって獲物を求めてさまよい始めた。
「らぁっ!」
ミナミは駆け、目につく魔物を手当たり次第にひっかいていく。この大乱戦においては一撃で相手を仕留め、そして味方にしていくゾンビ化能力はとても使い勝手が良い。
どんなに強い相手でも、傷をつけることさえできれば一瞬で片が付き、そして頼もしい味方としてよみがえってくれるのだ。加えて、ゾンビとなったそいつらも敵を傷つけることで相手をゾンビ化することができる。
ゾンビ化したというだけで魔物は不死身に近い身体能力を獲得し、味方は指数関数的に増えていく。相手が多いければ多いほどこれは効果的であり、数の差など一瞬とまではいかなくとも、あっという間に埋まってしまう。
「はぁっ!」
ミナミは片足で大きく踏ん張り、地面を蹴って中空へと飛び立った。その勢いを殺さずに体をぐるりと回し、渾身のかかと落としを飛んでいたフォルティスガルーダに叩きつける。
突然のことに全く反応できなかった真紅の怪鳥は地面に叩き落された。胸にはミナミが穿った穴が大きくぽっかりと空いており、もう長くないことは誰から見ても明らかだ。
「よっと」
だがしかし、魔物は魔物。最後の抵抗で火を噴こうとしたのを見て、ミナミはすかさずきゅっと首を絞める。万力のような力で締め付けられたために目玉が飛び出しそうになり、くぇぇ、と奇妙な音が胸の穴から響き渡る。
「ん、まずくはない」
翼も折れて飛べそうもなかったので、ミナミはそのまま首をもぎ取って、おいしそうな胴体に喰らいついた。
炎を操るからか、その鳥の血は妙に熱く、舌にピリピリと残る感じがする。とはいえそれはどことなくクセになるかんじでもあり、引き締まった肉に絶妙に合うソースのようにも感じられた。
ぷちぷちと筋繊維が弾けていく歯ごたえは筆舌に尽くしがたく、胸肉はジューシィで見た目以上のボリュームもある。内臓は思った以上に甘く、つるんとしたのど越しは奇妙なことにゼリーを彷彿とさせるものであった。
「ふぅ……」
血にまみれた口元をぬぐい、ミナミは再び立ち上がる。途中ろくに休憩も挟まず、魔法で追い風を作ってかなり無茶して飛んできたのだ。お腹だって空くし、これくらいのつまみ喰いぐらいは許されるはずなのである。
気力も満ちたところでミナミは冷静に状況を分析することにした。
ォォォォォ!
ギャァァァァァ!
目をうつろにした何匹もの魔物がゆらゆらと蠢き、まだ正気を保っている魔物に一斉に群がっていく。標的にされてしまったブルータルスクイッドは群がるゴブリンゾンビどもをそのたくましい触手で薙ぎ払ってはいるが、彼らは堪えた様子もなく立ち上がり、よだれを垂らしながら歩を進めていく。
その数は三十を超えており、いくらなんでも一匹で対処できる量ではない。善戦したそいつもやがて圧倒的な物量に飲み込まれ、その巨体がゴブリンゾンビの肌に隠されていく。
ミナミにはそれが、砂糖の山に群がる蟻のように見えた。
絶叫と肉を引きちぎる音が騒がしい戦場に少しだけ染みわたり、砂糖の山がぶるりと震えて触手を歯型でいっぱいにした新たなゾンビが現れた。
そこかしこで似たような惨状が繰り広げられ、ミナミのゾンビとしての直感がじわじわと魔物の気配が減っていくことを知らせてくれる。
ゾンビの増殖はまさに浸食と言っていいほどであり、地平線すら拝めないほどの魔物の大群でさえも、それが瓦解するのはもはや時間の問題であった。
「よっし」
ならば、ミナミがやるのは一つだけ。
どうせ、雑魚は勝手に死んでくれるし、負傷者だって数に任せて救護されるはず。
ならば、自分はゾンビでは対処できない大物を仕留めるべきなのだ。
人が減り、相対的に魔物が増えた平原にそいつらはいた。お膳立てされたかのようにミナミにとって都合のよいことだったが、そいつらにとっては間違いなく不幸なことだろう。
もっとも、この段階でそいつらは自分がこれからどうなるかなんて、これっぽっちもわかっていなかった。
ォォォ……!
グァァァァ!
シィィ……!
屈強な肉体と怪力を持つ凶逸の幽鬼、ディアボロスバーク。
邪気を孕み、すべてを腐らせる吐息を吐く邪龍、フォーリンドラゴン。
ミスリルの甲殻をまとう精霊の化身、ミスリルウォーム。
それがスーパーのバーゲンセールかのように二匹ずつもいる。まるで徳用セットのようであり、これにオウルグリフィンまでつけたら特級クラスの魔物の役満であっただろう。
もちろん、肩書上は学者であり、獣使いであり、孤児院の職員であり、冒険者としても一級でしかないミナミに敵う相手ではない。それどころか、特級のエディたちでさえ死を覚悟しなければならない相手だ。
ォォ……!
「ほらよっ!」
圧倒的な重量と圧倒的な速度を持つ剛腕の一撃を、ミナミはその病人のようなか細い腕で迎え撃った。
およそ拳と拳がかち合ったとは思えない炸裂音があたりに響き、それに伴う衝撃が風のように一面に響いていく。近くにいた小型の魔物は余波で吹っ飛ばされ、衝撃に耐えきれなかった幽鬼の大樹のような腕も引きちぎれてどこかへ飛んでいった。
「やっぱすごいわ、このカラダ」
喘ぐ幽鬼を無視してミナミは跳ぶ。狙いは邪龍の翼。退化して飛ぶのには役に立たないといえど、あまりにも巨大なその翼は薙ぎ払われるだけで多くの命を刈り取る代物だ。
グゥゥァァァ!
そんなミナミの狙いを悟ったのか、フォーリンドラゴンは空中に無防備な姿をさらしている獲物に禍々しい瘴気のブレスを放った。
腐敗臭に近い刺激臭をまき散らすそれは黒く濁って淀んでおり、ちょっとでもふれたものを忽ち腐らせてしまうという恐ろしいものだ。こいつが川の上流にいるだけでそのブレスの影響が現れ、下流の村がまるごと全滅したなんて話もある。
それゆえフォーリンドラゴンの周囲には腐った死体しかなく、本当は新鮮な肉が喰いたいというのに邪龍は腐体しか食べられないらしい。そして腐体に込められた怨念と瘴気を取り込み、ブレスはよりその凶悪さを増していくという仕組みだ。
黒の瘴気に飲み込まれた獲物も、同じようにグズグズに腐り果てるだろう。邪龍は本能の片隅でそう思っていた。今までそうならなかった生き物はいないし、目の前のひ弱な生き物が万が一にもブレスに耐えられるはずもない。
ただ、それは普通の生物だけに言える話であって──
「おれにはそのブレス、きかねえんだよ!」
もともと腐っているゾンビがそれ以上腐るはずもない。
ブレスから飛び出したミナミはその勢いを持って邪龍の翼を両断する。快刀乱麻という言葉にふさわしいほどに見事に切れたそれは、よくよく観察すると断面がずたずたになっており、彼の鋭い爪で無理やり切り裂かれたということが見れとれた。
ギャァァァ!
これで痛くないはずがない。黒みがかった血がちょろちょろと傷口から流れ、大地を濡らしていく。幸か不幸か、ずたずたになった傷口は血管を押しつぶしており、それ単体で止血の役割を果たしているようだった。
……ァァ……ァァ……!
そして、ミナミにひっかかれたそいつはゾンビとなる。苦悶の叫びはいつしか抑えきれない食欲をはらんだ呻き声になり、唐突に、予備動作の一切を捨てて隣にいた同種の首元へと牙を突き立てた。
ァァァァァ!
もがく。邪龍がもがく。
しかし、きっちりと食い込んだ牙がその程度で外れるはずもなく、むしろかえって深く深くその牙は沈んでいくことになる。巨体が暴れまわり地面を揺らすが、ゾンビ化して筋力もましたフォーリンドラゴンゾンビは不動を貫き、一心に獲物を咀嚼する作業に没頭した。
改めてみると、けっこうエグい。けれどミナミにはそれを止めるつもりは毛頭ない。
「次はおまえだ!」
渾身の力を込めてミスリルウォームをけっ飛ばす。解き放たれたばねの様に水色が弧を描き、無事なほうのディアボロスバークと激突した。
怒り狂った二匹と冷静なミスリルウォームがやたらめったらと突撃し、拳を打ち付けてくるがミナミはちょこまかと動いてそのすべての攻撃をかわしていく。
本来ゾンビ化できない魔物はミナミの苦手とするところであったが、十分に体の使い方を覚えた今、ゾンビ能力を使わなくてもミナミは戦える。
なんたって神様からすばらしいプレゼントをもらっているのだから。
「そぉいっ!」
ディアボロスバークの拳を受け止め、そ力任せに引きちぎる。絶叫があたりに木霊し、ミナミはそれをバックミュージックにして露出した筋肉とわずかな脂肪に唇をつけた。
ぐちゅぐちゅ、ちゅぱちゅぱと気味の悪い音が小さく響く。
ディアボロスバークの肉は見た目通りかなり固い。だが、それがかえって絶妙な歯ごたえをもたらし、口を動かすという楽しさを与えてくれる。こりこりとした食感はほかの魔物ではあまり類を見ないものであり、噛めば噛むほど味が染み出てくる、するめのような感覚がした。
二口、三口と楽しむうちにそいつもゾンビになった。
……ォ……ォォ……!
ゾンビになったディアボロスバークはミナミの思念を正確にくみ取り、がっちりとミスリルウォームを押さえつけた。
ただでさえ怪力の化け物で通っているというのに、さらに強化されたその力はたとえミスリルウォームと言えど簡単に振りほどけるものではなく、甲殻を振るわせてびったんびったんと前口部を地面にうちつけることしかできない。
「さて、どうすっかね」
弩級のゾンビが四匹。邪龍が前足と全身の体重を使って組伏し、幽鬼はたくましすぎる腕で直接押さえ込んでいた。
物理的に倒すこともできなくはないが、ミスリルの甲殻はなかなか侮れない。時間の惜しいミナミはぜんぶまとめてふっとばすことにした。
──どうせゾンビだ。代えはいくらでもいる。
「しっかり押さえとけよぉ!」
六匹をすべてつつめるほどに巨大な水球を魔法で作り上げる。それはパースが作ったのよりかははるかに小さいものであったが、極限にまで圧縮され、濃厚な魔力の香をあたりにまき散らした。
水球は轟々と唸りをたてており、洗濯機の様に中にあるものをかき乱す。普通の魔物ならこの段階で体がバラバラになっていただろうが、魔物の中でもとりわけ頑丈な六匹にはこの程度は屁でもない。
そして、雷鳴。
ミナミの上等の魔力が雷に変換され、紫電がこれでもかと水に叩きこまれる。みるみる水が蒸発し──否、分解されていき、滝のそばのような、一種独特のイオンのにおいがあたりに満ちた。
ミナミの無尽蔵ともいえる魔力は雷を途絶えさせることもなく、戦場ににわかに閃光と乾いた音が響き続ける。
「仕上げだッ!」
こぶし大の小さな炎。それだけで十分だった。
ドォォォォォ!
種火は水素爆鳴気に燃え移り、水素爆鳴気は巨大な爆発となる。通常ならばお目にかかれないほどの体積を誇っていたためか、その爆発の規模は理科の実験室で見られるものの何倍も大きく、大地を揺るがしクレーターを作り上げた。
当然、爆心地にいたものはゾンビも含めて粉々に吹き飛んでいる、長い管上のものや、ゆらゆらした赤いもの、人形のようにちぎれた首や四肢を見れば、その事実は疑いようがない。あまりにも多すぎるはらわたはそれだけで物理的な障害になりうるものだったが、鏡の魔物の特性上、その死臭でさえも掻き消えていく。
──本来ならば別にこんな回りくどい真似をせずとも、無尽蔵で上質な魔力にものを言わせてミスリルウォームだろうと直接吹っ飛ばすことができるのだが、ミナミはそのことをしらない。
せっかくもらった魔法も、風呂焚きくらいにしかろくに使っていないのだから。世の魔法使いがこれを聞いたら、悔しさのあまり血の涙を流すことだろう。
「さて……」
ミナミはぐいっと伸びをする。
ちょっとあたりを見回せば、血を血で洗うようなスプラッタな光景がそこかしこにあった。生きたまま喰われ、ゾンビになったものがさらに同胞を襲い、肉を喰らっている。
かと思えば、魔物の攻撃から身を挺して冒険者をかばい、負傷者を救護したり、冒険者と一緒になって戦っていたりするものもいる。
「魔物どもなんて……」
実はミナミはかなり怒っている。
ギン爺さんからエレメンタルバターが、愛しのわが家がちょっと壊され、あまつさえかわいい子供たちやソフィが魔物に襲われたと聞いたからだ。
ゾンビらしく邪悪に笑い、びきびきと腕をならし、こきこきと首を振るう。
そして血走った目で高らかに宣言した。
「皆殺しだ!」
一匹が二匹に、二匹が四匹に、四匹は八匹に。ゾンビは加速度的に増えていき、とどまることを知らない。前線は浸食するゾンビにより確かに押し上げられていく。
──反撃の狼煙はあげられた。
20160809 文法、形式を含めた改稿。




