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ハートフルゾンビ  作者: ひょうたんふくろう
ハートフルゾンビ
65/88

65 劣勢


「アル中ロリコン野郎が、でかい顔してんじゃないよっ!」


 イザベラはたまりにたまった鬱憤を晴らすかのようにして、その巨大な槌を勢いよく振るう。渾身の力が込められたそれは、風の刃をまとって防御を固めていたはずのスラッシュホースの脇腹に正確に喰らいつき、鈍い音をたてた後に彼の者の内臓を叩き潰した。


「ああもう、消えるくらいなら端っから出なきゃいいものを!」


 いつも通りのごにゃりとした感覚。されど視界は赤く染まらず、スラッシュホースの亡骸は虚空に溶けるように消えていく。


 イザベラの武器は巨槌だ。先端部分をちょっと丸めて錘代わりとしているだけの、いわばでっかい鉄の塊のようなものである。


 当然、それには切れ味なんてないし、用途としても力づくで殴るだけのひどく単純なものでしかない。されど、生まれつき大雑把なイザベラにとっては小手先の技術をはるかに凌駕したパワーを生み出すこの武器はシンプルでかっこよく、そしてなによりも自分に合うと思っていた。


 ──ほかの武器が扱えなかっただけともいえる。


「ほらほらアンタら! アタシに続きな!」


──うぉぉぉ!


 イザベラの声に応じて彼女の後ろから屈強な戦士が何人か飛び出し、せまりくる魔物の群れに勇敢にも飛び込んでいく。《鬼雪崩》というパーティネームを体現したかのように、彼らは目につく魔物を切り、突き、刻み、穿ち、そして蹂躙してく。


 怒涛の勢いはとどまることを知らず、ただ数が多いだけの低級の魔物を次々と屠っていった。


「邪魔なんだよぉ!」


 イザベラはその巨槌をもって、群がってきたグリーフサパーをまとめてふっ飛ばした。


 彼女は《鬼雪崩》のリーダーだ。荒れ狂うオーガのように棍を振るって突っ込んでいくさまはまさに雪崩のようであり、そして力任せというひどく単純な暴力は畏怖の対象でもある。そんな彼女の姿にパーティーメンバーは鼓舞され、さらにその勢いを増していくのである。


「どけ! どけ! どけぇぇぇぇぇ!」


 ばん、ばん、ばん、と地響きのリズムと共に、どこかで魔物が潰れ、ひしゃげ、吹き飛ばされていった。


「新人! あんたらもっと下がりな!」


「はぃ!」


「アンタはもっとやれるだろうが! ビビってんじゃないよ!」


「へ、へぃ!」


 怒涛の勢いで戦場をかけるイザベラは、魔物を狂ったように撲殺しながらも周囲への観察を怠らない。


 無理して前に立ちすぎている新人は後ろに。へっぴりごしのうだつの上がらない中級の尻を叩いて。手こずりそうな魔物の密集地帯へは、自ら突っ込んでいく。


「どぉぉぉぉっ!」


 直前で踏ん張り、思い切り跳ね上がる。空中で巨槌を両手で握り直し、これでもかと言わんばかりにそれを振り上げ、折れるのではないかと周りが心配するほどに腰をそらせる。曲げた足と振り上げた腕が背中でくっつきそうなほどであった。


「せぇぇぇぇいっ!」


 ギリギリと張りつめた弦のように力を貯めたイザベラは、何かを開放するように今度は体をくの字に曲げた。跳ね上げた、といったほうがその躍動感が正しく伝わるだろう。


 胸も筋肉もカチカチのくせに体は柔らかいらしく、太ももと頭がほとんどくっつくほどである。ぶおんと大きな風切音が遅れて響き渡った。


 全身をばねとして振り下ろされた巨槌はとてつもないエネルギーを伴っている。荒れ狂うそれは魔物の密集地帯にブチこまれ、地鳴りがするほどの衝撃をイザベラは容赦なく叩き込んだ。


ギャァァァァ!


 中心地帯にいた魔物は全身を縦にプレスされた。近くにいたものは体をばらばらにしながら吹き飛んでいった。ちょっと遠くにいたものは五体こそ無事なものの、吹っ飛ばされた衝撃で目を回しており、《鬼雪崩》のメンバーや近くにいた冒険者が好機とばかりに武器を急所へとお見舞いしている。


「ふぅ! やっぱ一気にブッ飛ばすとすっきりするね!」


 彼女が通った道には魔物の死骸が積み上げられている。

 彼女が通った道には人間ですら存在しない。

 彼女が止まった場所は、半径三メートルはえぐれている。


 否。


 道を彼女が通ったのではない。彼女が通った場所が道になるのだ。


 ぐるんぐるん、と大きく槌を振り回した彼女は獰猛に笑みを浮かべ、次の獲物を探す。せっかちでもある彼女は、じっとしているのがとにかく嫌いだった。


 獲物というのは、待ち伏せるものではなく狩りに行くものである。だからこそ、こうして無謀ともいえる怒涛の突撃を繰り返す戦闘スタイルになったのだろう。


「姉御! ちっとは休ませてくだせぇ!」


「バカ言ってんじゃないよ! 戦場で足を止めたら死ぬだけだ!」


 しかしとて、そんな無茶ぶりは彼女にしかできないことであり、彼女の戦い方にほれ込んだパーティメンバーでさえも濃い疲れの色が見て取れた。


(やっぱ回復しきってないか……!)


 普段ならば起きない事態にイザベラは心の中だけで舌打ちする。いくら彼女が一級パーティーといえど、二日も続くこんな連戦では体力なんて簡単に尽きてしまうのである。むしろ、イザベラ個人としてはこれだけ持ったパーティメンバーに惜しみない拍手を送りたい気分でもあった。


「死にたくなけりゃ、さっさと下がりな!」


「で、でも姉御!」


「アタシが死ぬわけないだろうが!」


 しゃべりながらも氷の牙を光らせて突っ込んできたアイスクラッシャーの頭蓋を真正面からカチ割るイザベラ。


 正直なところ、無駄死にしたり足手まといになるくらいなら、さっさと体力を回復させたうえで応援に来てもらったほうが互いのためになると彼女は思っていた。


「さっさと、いけ!」


「……すんません!」


 謝りながらも武器を振り回して帰還するあたり、彼らも《鬼雪崩》の一員だ。当然のことながら、帰還経路途中にいた魔物は背後からの一撃でみんななかよくミンチになっている。このままいけばイザベラの後ろにミンチの道ができるだろう。


 一級なのだ。これくらいの余力は残しているし、転んでもタダじゃ起きない図太さがある。


「さて……意外と紳士的なんだね。ちょっと見直したよ」


……ォォ……ォ……!


 イザベラは疲れたように笑い、ずしん、ずしんと迫りくる巨影をにらみつけた。


 なんのことはない。彼女がパーティメンバーを逃がしたのは、こいつから逃げてほしかっただけだ。


「まさか、タイマンでこんな大物とやる羽目になるなんてねぇ……!」


 遠目からでもわかる巨体。ロックゴリラよりも大きいことから、ちょっとした物見台と同じかそれ以上はあるだろう。


 イザベラのおよそ女性らしさの欠片もない胸板以上にごっつい胸筋は黒光りしており、まるで鋼鉄と思わんばかりの光沢を放っている。


 筋肉でパンパンの体はそれでいてどこかスマートであり、そのすべてが実用的で無駄の一切がないことを黙したまま語っている。


 反面、頭は体に対して明らかに小さく、洞のようにぽっかり空いた三つの眼窩からは青い瞳を四つももった目玉がぎょろりと輝き、額には爛れた口があった。


 そして、その最大の特徴というべき巨大な四対の腕は、たくましい胴体が子供のものに見えるほどにいかつく、悪魔の彫刻のようである。それが近づくにつれビキビキという奇妙な音がイザベラの耳に届くようになり、よくよくみれば手と腕の血管が盛り上がり、脈動していることがわかった。


 あの腕にかかれば王都の城門でさえ、握りつぶすことができるだろう──そう思わずにはいられない腕だ。


(実物は、初めてなんだよね……!)


 イザベラでさえゴクリと唾をのみ、緊張せざるを得ないこの魔物。大地の悪夢とも呼ばれる凶逸の幽鬼、ディアボロスバークである。本来ならば一級パーティーが複数掛りでないと対処できないとされている、特級クラスの魔物だ。


 ──万全の状態ならまだしも、今のイザベラでは逆立ちしても勝てない相手だった。


「じゃあかしいんだよッ! このロリペド野郎がッ!」


 さりとて、イザベラのやることは変わらない。


 彼女は勇敢にも、あるいは無謀にも、先手必勝とばかりに飛び出してこの巨大な幽鬼の頭に巨槌を容赦なく叩きつけた。





 セーラは焦っていた。


 魔物との乱戦の中でパーティメンバーを見失ってしまったのだ。ランベルは爆撃にハマってゆうゆうとどこかへと飛んで行ってしまうし、ヴェルのバカは自分勝手に好きなほうへとフラフラと行ってしまった。


「アン、サン、ヤン、《行け(ゴー)》!」


 獣使いとしてのコマンドを繰り出すと、三匹のセンシングウルフがインセクトキマイラに襲い掛かる。小さなころから一緒に過ごしてきた一人と三匹だったから、普通の獣使い以上に以心伝心であり、彼女が命令を口にしようとした時点ですでに三匹は行動に移っていた。


 センシングウルフの超感覚によるコンビネーションはただでさえ驚異的だ。彼らは自らの体臭を用いてある一定範囲にフィールドを張ることができ、そのフィールド内では視覚や聴覚以上のなにかを用いて意思の伝達を行えるのである。


 その原理上、興奮状態や思考を新陳代謝による汗のコントロールで表し、それによるにおいの強弱で互いの情報を伝え合っているのだとされているが、それだけでは説明しきれない部分もあり、詳しいところはわかっていない。


 もっとも、多くの冒険者にとっては結果がすべてであり、そんな魔物の詳しい特性なんてどうでもいいことなのである。


ガァウッ!

グゥゥッ!

バゥァッ!


 魔物としての特性に獣使いの統率が加わったことにより、誤差コンマ一秒以下の精度でインセクトキマイラの腹に鋭い牙が突き立てられた。


 三方からの攻撃にインセクトキマイラは反応できるはずもなく、半ばパニック状態になったところでようやく頭上を覆う影に気付く。


「せいやぁぁぁっ!」


 オオカミの陰から空へと飛び出したセーラが、そのごつごつした片手斧をインセクトキマイラの複眼と複眼の間に叩きつけた。


キィィィ……!


 斧はめりめりと眉間に食い込み、頭を半分ほどかち割ったところでセーラの手から固い手ごたえが消えた。


「もうっ!」


 獣使いとしてかなり高度なコンビネーションを発揮した割に、セーラの顔は暗い。さっきから倒しても倒しても、敵がどんどんと湧いてくる。何匹も何匹も倒しているというのに、数が減らないどころかより面倒で強力な魔物すら現れるようになってきているのだ。


 インセクトキマイラだって中級でもそれなりに手こずる相手ではあるし、そんなやつらと一人(と三匹)で相手取る自分は一番の功労者なのではないか、とすこしイライラしかけた頭でセーラはそんなことを考える。


 そして、ふんす、と鼻を鳴らしている間にも新手が──


「……え?」


ほぉ──ぅ


 金色の瞳と目があった。びくりと身がすくむ。あるいは運がよかったのかもしれない。


「え、ちょっとまってちょっとまって。うそでしょ? いや、いるってのは聞いてたけど、なんで今? このタイミングとか、え?」


 さっき倒したインセクトキマイラと同じ類である、半鳥半獣。されど威圧感はその比でなく、セーラの額からはだらだらと冷や汗が吹き出ている。


「うん、おちつこう、おちつこう、わたし。まだおそわれない、まだおそわれないはずなのよ」


ほぉ──ぅ


 梟の上半身。しなやかな豹の下半身。全体的に黒く、胸羽だけはすっと白い。


 見るからにたくましい体つきだが、意外にも魔法を扱い、小癪にもそのかぎ爪には麻痺性の神経毒があることをセーラは知っている。


 獣使いに憧れる幼少時代、本でこのシルエットに一目ぼれし、冒険者になって現実を知り、チビりそうになってあきらめたやつだ。


「オウルグリフィン……! 一番会っちゃいけないやつだ……!」


 最強の魔物じゃないかとされる、特級でさえ複数人いても返り討ちにされかねない夜の暗殺者、魔法使い殺しとして有名な凶悪な魔物。


 セーラは獣使いとして、オウルグリフィンの奇妙な習性のことをある程度知っていた。だからこうして会話を引き延ばして時間を稼いでいたが、連戦と緊張でのどがカラカラに渇き、とうとう言葉が途切れてしまった。


 そして、こういう時に限って普段はやかましくてちゃらんぽらんなヴェルも、不愛想でおっかないけど実は優しくて頼りになるランベルもいない。


「ヴェルのバカぁ……私の幸運返せよぉ……!」


 ヴェルが自分の幸運まで全部持ってきやがったんだ、とセーラは脳裏に浮かぶへらへらとした顔にべーっと舌を突き出した。


 たぶん、命はないだろう。最期にこれくらいはしたって許されるはずだ。


「ツいてない……!」


 次の瞬間、主を守ろうとしたアンの右足が嘴で貫かれ、同じく前に飛び出たサンの左足が鉤爪で切り裂かれた。




「まったく、ツいてねぇ……!」


「おまえ、昨日はツいてたじゃねえか!」


「二人とも、軽口叩く余裕はないですよ……!」


 エディ、パース、ヴェルは目の前にそびえる水色に笑い出しそうになった。直径三メートルほどのその管はパースが作り出した水のチューブとどことなく似ているが、あいにく水にはこんなキラキラとした光沢はない。


 ついでに、キチキチ、シィシィいいながら蠢ている。体は竜巻のように回転しており、ぼけっとそれを眺める三人の前でその先端が花のようにほろほろと開いていく。


 ギチギチと耳障りな音が強くなり、非常に鋭く痛そうな何枚もの牙が三人に向かってこんにちはをした。


「ミスリルウォーム?」


「ああ」


「ですね。倒せればミスリル取り放題ですよ? ラッキーじゃないですか」


「ホンモノなら、の話だろ?」


 そのミスリルの甲殻はとても丈夫であり、ヴェルの短剣ではとても歯が立たない。ミスリルの性質上、パースの魔法の威力も大半がそがれる。エディのミスリル製の大剣なら少しはダメージが与えられるかもしれないが、それでも焼け石に水だ。フォークで彫刻を彫るようなものである。


「おまえら、昨日倒したって言ってたろ?」


「ええ、エディが囮になって、その隙に口の中へ爆弾をポイってやりました」


「よし、今日もそうしようぜ。はやく爆弾だせよ。ジャンプしろよ。ほら! もってんだろ!? なぁ! もったいぶらずにだせよ!」


「ないんだな、これが」


 ツいてねえ、とヴェルは再び愚痴った。爆弾さえあれば楽勝とは言えないまでも簡単に倒せる相手なのに、たかだか物資の一つがないだけでこのザマなのだ。


「ははは……でっかいなぁ……。このまま逃げ出してぇなぁ……」


「その前に俺がお前の足を切り落としてやるよ」


「無駄に治療の手間がかかるのでやめてください」


 巨大な敵を前にしてパースたちは動かない。動けない。冗談抜きに、打てる手がないからだ。動き出した時に注意をひきつけるのがせいぜいだろう。


(しかし、本当にまずい……!)


 パースはこの場にいる二人よりも事態を重く見ていた。


 爆弾の供給はとっくにとまり、わずかではあるが戦線は少しずつ下げられてきている。王都の中まで魔物が侵入していることで支援物資の生産も輸送も追いつかなくなってきているのだ。


 それに伴う戦力の低下により撤退を余儀なくされた冒険者は少なくなく、帰還した冒険者の対処でただでさえキャパシティオーバーの支援本部がさらに酷いことになる……という悪循環をたどっている。


 魔物が強力になっているのもまた事実。前衛であった二人は気づいていなかったが、後衛でありいくらかの余裕があったパースは、ディアボロスバークの影とオウルグリフィンの鳴き声を確認している。


 物資も尽きかけ、連戦で疲弊している冒険者では、そう遠くない未来に崩されていくのは火を見るよりも明らかなことだった。


(どうしたものでしょうか)


 かといって、王都の戦力をこちらに回してもらうのも難しい。城壁では今も必死になって魔導騎士隊が空から侵入しようとする魔物を撃ち落しており、王都内では本来非戦闘員であるはずの鬼の市の職員たち──ギン爺さんやミレイ、さらには姫の護衛であるはずのライカまで戦っていると聞く。


 正直なところ、余剰な戦力なんてないし、そして自分自身も助けに行く余裕はないとパースは冷静に考えていた。


「で、マジでどうすんの? なんかこっちと目があったっぽいんだけど」


「……逃げるしかあるまい」


「あれ、おっさんいつのまに?」


「……爆撃ができなくなったからな。上でそのまま戦っててもよかったが、三人よりかは四人のほうが生き残れそうだろ? どのみち勝てはしないが」


「ま、そうですね……」


 羽をぼろぼろにしたランベルがいつの間にか加わっていたが、彼自身が言った通り、生存率は高くなっても勝利には至らない。


「……特級の参謀の意見を伺いたいんだが」


「……冒険者の先輩の英知をお借りしたいのですが」


 各パーティーの知恵袋が同時に声をだし、そしてお互いが深くうなずいた。


「……三日目、だよな?」


「三日目、ですね」


「ならばその時まで……」


「ええ……逃げながら雑魚を巻き込み片付けましょう。倒せないなら、せめて他のを潰すのに役立ってもらうほかありません。なに、ダメだったらあの世で反省会ってだけですよ」


「「うぉいっ!?」」


 言葉と同時に四人ともがミスリルウォームに背を向け、ネズミもビックリな速度で走り出す。さすがは上級冒険者というべきか、逃げ足もまた見事なものだった。群がる魔物の脇を見事にすり抜け、足をもつれさせることなく、かつ互いが離れすぎることなく逃げていく。


シィィィ!


「なるべく魔物を巻き込むように逃げてください! 負傷者の近くの、危なそうなやつを優先的に!」


「無茶苦茶言うんじゃねぇッ!」


「特級行くならこれくらいできねぇとなっ!」


「……特級試験、受けるのやめようかな……」


 四人は走る。一匹が追いかける。進路上にいた魔物は皆例外なく押しつぶされ、すりつぶされ、そしてミンチになり、ものによっては鋭い牙でミキサーにかけられていった。


 四人もそうなるかどうかは、まだ誰にもわからない。彼らの妙にへらへらした態度は、逆にその余裕のなさを表していた。







「ちっくしょう……!」


 ボロボロになった内着を素手で引きちぎり、イザベラは血の塊をペッと吐き出した。満身創痍で動けない、とまでは言えなくとも全身は傷だらけだし、ディアボロスバークの驚異的な怪力はたとえ直撃を避けてガードしたとしても、少なくないダメージをイザベラに与えていた。


「三発でこのザマか……!」


 イザベラはすでに膝をついている。


 最初の一回目はその巨大な拳での一撃だった。右わき腹を掠めただけだというのに、鎧のその部分は粉々に吹き飛び、イザベラの目はぐるぐるとまわってしまった。


 二回目はその図体に対して小さな頭のヘッドバッドだった。巨体ゆえに小回りの利かないディアボロスバークに高速で接近したイザベラは、その三つの目のうちの二つを叩き潰すことに成功したのだ。


 青い血が迸り、何度も感じたことのあるぐりゅぐりゅとした手ごたえから、致命傷に近いダメージを与えたと確信したイザベラだったが、凶逸の幽鬼はひるむことなく、その頭で攻撃してきたのである。


 この段階で胸当てはひしゃげ、使い物にならなくなった。イザベラの胸が年相応にやわらかかったら、この時点でイザベラは胸をつぶされ死んでいただろう。マッチョもびっくりするイザベラの女らしくない胸板は、肝心なところで彼女を守ったのだ。


 そして、今しがた喰らった三発目。二対の腕が繰り出した平手打ち。


 鋼のように固い肉体に何度も何度も槌を打ち付けていたイザベラは自分が思っていた以上に体力を消費しており、四連撃のうちの最後の一撃を喰らってしまったのだ。とっさにガードをし、急所を外せたといえど、これほどのパワーの前ではそれはあまり意味をなさなかった。


 防具はぐにゃりと曲り、とても使い物になりそうにない。


 つけていても邪魔なだけだと判断したイザベラは、鎖を編み込んだ内着を引きちぎり、そのギリギリ妙齢の女性にしてはたくましすぎる胸を外気にさらした。女らしい柔らかさはないので、誰かがそれを見ても誰も得をしないことは明らかだった。


「くっそ……!」


 ずしん、ずしんと巨人が近づいてくるが、イザベラは槌を杖にして立ち上がるので精いっぱいだ。ほとんど壊れてどこかへ行ってしまったというのに防具がやけに重く感じ、肺の中いっぱいに広がる新鮮な血の香から、内臓かなにかを傷つけてしまったことは疑いようがない、


……ォ……ォォ……!


 対するディアボロスバークはほとんど傷を負っていない。イザベラが必死の思いでつぶした二つの目玉も、彼は気にしていないようだった。


「抱かれるなら、ハンサムな男のほうが好きなんだけどね……!」


 イザベラは槌を両手で担ぎ直し、なおも怪物へと立ち向かう。傷だらけでなお衰えない戦意とギラついた眼は修羅のようであり、それがディアボロスバークの興味をわずかに引いた。


……ォォォォ……!


 四つの腕をぎちぎちさせ、彼はただでさえ太くたくましい腕にぼこぼこと力こぶを作り上げる。


 ディアボロスバークは獲物を握りつぶしたり抱き潰したりすることに至上の喜びを感じるようであり、これらに襲われた冒険者はみな、とても直視できない形で遺族のもとへと送られることが多い。


 彼らの死体はぐちゃぐちゃすぎて、でも強く握られすぎていて、どんな魔物でも食すことができないほどがちがちに固められているのだ。


 イザベラにとっても、ディアボロスバークにとっても幸いなのは、今この場に彼女らの決闘を邪魔する魔物がいないことだろう。うろちょろしていた魔物はディアボロスバークがイザベラをつかもうと空振りし、うっかり握りつぶしてしまったか、イザベラ自身が勢い余って叩き潰すかしてしまったからだ。


「げっへェ!」


 たいそう上品でない音をたててイザベラは再び血を吐いた。そして、酷使していた体がゆっくりと傾くのを感じた。


 いけると思っていたイザベラだったが、彼女の想定以上に彼女の体は傷を負っていたのだ。


(あー……一発ブチかましておきたかった)


 視界がどんどん黒くなってゆく。ごつごつしたそれは、ディアボロスバークの手のひらに違いない。何度も何度も見てきたから見間違いようがなく、あと数秒でイザベラをやさしく握りしめ、天国へと連れて行ってくれるだろう。


……ォォ……ォォ……!


……ぉぉぉぉぁぁぁっ!?


 その耳障りな、風吹き洞窟の音のような声ともおさらばだ。



(せめて、まともなオトコを最期に見たかったもんだ)



 死の瞬間のちょっとセンチメンタルな気分。最期に見たのが目玉の潰れた怪物だなんて、イザベラの照れ屋でシャイなオトメ心が許さなかった。いくら男勝りとはいえ、一人の乙女としてそんなの嫌すぎる。


 そして、彼女のお願いは意外な形で叶うことになる。



「ぉぉぉぉぉっ!」


「あんたっ!?」



 目の前が真っ暗になる直前。彼女の体がどん、と突き飛ばされ、天上の太陽が彼女の顔を照らした。


 反射的に背けた顔で彼女が見たのは、自分を突き飛ばした病人のような土気色の顔をした少年の足が、ディアボロスバークに握りつぶされ、そしてちぎれるところであった。



20160809 文法、形式を含めた改稿。

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