6 ゾンビのお食事
太陽の高さを見る限り、時刻は昼を少し回ったくらいだろうか。森の緑の特有の匂いと、豊かに実っている果物を見れば今は夏の終わりから秋にかけての時期だということがわかるだろう。さんさんと降り注ぐ太陽の光の中、森は生命力にあふれていた。
(……)
ミナミは今、二匹で行動している魔物の背後に潜んでいた。相手はさっきと同じ、ウルフゴブリンだ。本来ならウルフゴブリンは最低でも五匹程度で群れているものだが、ミナミは少数で行動しているものを見つけたのだった。
もちろん、ただ闇雲に探しだしたのではない。狩にでたミナミはある程度体がこなれて来るうちに、自分が他の生命を感じ取れるということに気づいたのだ。
ある程度の範囲内ならば、どこにどれくらいの生命があるのか本能的に理解できた。それが具体的にどういったものなのかまではわからなかったものの、大まかに虫や獣程度くらいなら判別できる。
(そういやゾンビ映画って、どんなにうまく隠れていてもゾンビが群がってきたっけか?)
ミナミのゾンビについての知識はだいたい最近の映画やゲームからのものだ。その知識を基にして今のゾンビとしてのミナミはできている。
ゾンビについてちょっと明るい人間ならば先ほどの【感染】の説明を見た段階で
そこに疑問を覚えるだろう。
本場(?)のゾンビは呪術等で動けるようになった死体というだけで、別に襲った人間をゾンビにできるわけではない。先ほどのくっつけて直すというのも、昔ミナミが映画でみたものだったりする。
さて、ミナミがわざわざ単体ではなく複数で行動しているものを狙ったのは理由があった。
獲物の群れを襲うという考えは真っ先に却下となった。たしかに【感染】能力を使えば簡単に獲物を狩ることはできるだろう。何匹か逃しても必要数狩れられればなんの問題もない。
しかし先ほど【感染】能力による命令で倒した魔物は霧散してしまった。そうならない方法があるのかもしれないが、今のミナミにはわからない。霧散してしまうのなら狩に来た意味がない。少なくとも【感染】を使わずに倒す必要があった。
かといっていきなり殴り合いの一対一のタイマンも気が引ける。まだそこまでこの体を使いこなせているわけではない。何より殴り合いの経験がない以上、確実に勝てるとも限らない。
そこで考え付いたのは囮作戦だ。一匹をゾンビ化させて囮になってもらっている間に隙を見て殴りつけるという寸法である。いくら喧嘩慣れしていないミナミでも、それくらいならできる。
それには二匹で行動しているやつらがちょうどよかった。三匹以上になるとちょっと不安が残る。不確定要素は少なければ少ないほうが確実なのだから。
(……まだ、だ)
ミナミは息を殺してタイミングをうかがっていた。生きていないのに息を殺すも何もないのだが、体に染み付いた癖なのだろうか、ついしてしまうのだ。
魔物は二匹ともこちらに気づいてはいない。生きていないのだから気配が出てないのだろう。ゾンビとはもしかして究極の猟師になれるのではなかろうか。
──まさか自分がやる側になるなんてな。
何度かゾンビに襲われてそれを切り抜ける妄想をすることはあったが、ゾンビとして襲うことは、ミナミは考えたことがない。
そっと背後から忍び寄る。ゾンビらしくスマートにやっちまおう、と覚悟を決めた。
(もらった)
──ッ……!
後ろを歩いていた一匹の首筋に手をかけ爪を食い込ませる。軽くうなるような声がしたと同時にそいつがゾンビになったことがわかる。ここまではいい調子だ。
ちらりともう一匹を見るがそいつは前ばかり気にしてこちらに気づいていない。こんな近くにいるのに気づかれないとはゾンビは本当に便利なもんだと一人で感心する。
(おまえはあいつを後ろから羽交い絞めにしろ)
ミナミは小声でささやいた。せっかく気づかれていないのだから、わざわざ囮にするより不意打ちで押さえ込んでもらったほうがいい。
傷つけないないようにな、とも心のなかで命令しておく。そいつは軽くうなずくと同胞の下へと歩いていった。
ガァァァッ!?
「なんだ、意外とあっさりしたもんだ」
さすがに同胞に襲われるとは思っていなかったのだろう。勝負は一瞬でカタがついた。
多少機械的ともいえるゾンビ的な動きで背後にたったそれは命令どおりがっちりとその魔物を羽交い絞めにしてみせたのだ。背後からの襲撃はゾンビの十八番だ。
異変に気づいた魔物は抵抗したがその腕はピクリとも動かない。どうやらミナミのゾンビになったことでいろいろと強化されたらしい。もともとが同じとは思えないくらい、筋力の差ははっきりとしていた。
「抵抗したって無駄だぞ、っと。……なんか悪役になった気分だ」
魔物はうまく体を捻って腕に噛み付いたりもしたが、牙はその毛皮に阻まれて食い込むことはなかった。そもそも痛覚のないゾンビにそんなことをしても意味はない。
結果として抵抗し続け疲れ果てた魔物は、高みの見物をしていたミナミに恨みのこもった視線を飛ばすことしかできなくなっていた。
「どうやって食べようか……おまえ、わかったりする?」
さて、捕らえたはいいが食べ方がわからない。とりあえずこのセカイの先輩である味方ゾンビ君にダメもとで聞いてみると、彼は胸元にそのままかぶりつくような
ジェスチャーをして見せた。
ガゥッ!
ナマでむしゃむしゃ、だ。
ゾンビとなった今ならそれが可能だろう。むしろゾンビとしてはそれが正しい食事の仕方とも言える。別にその食事方法に忌避感はないのだが、人としての最後のプライドがなんとなくそれを認めたがらない。
──とりあえずシメるか。
ミナミは昔、じいちゃんの家に遊びに行ったとき鶏をシメるのを見たことがある。あのときは生き物を平気で殺したじいちゃんを怖がったものだが、夕飯にでた鶏鍋を食べて、その恐怖はコロッと消えた。
いまでは家畜を殺すことの意味もわかっているので別に怖がることもない。なるべく苦しまないよう、できるだけ手早く済まようと考える余裕すらある。
「ほら、あんま動くな」
あのときのじいちゃんと同じようにミナミは首に手をかける。魔物は最後の抵抗で暴れようとしたが、動く前にミナミは渾身の力を籠め、一気に首をへし折った。ゴキッという鈍い音と共にその魔物は動かなくなる。
「それじゃ……いただきます」
ミナミはそのまま手をあわせる。調理道具はおろか火種すら持っていないから、こうやって直接食べるほかない。捌くためのナイフすらもっていないから、綺麗に解体することも出来ない。
結局はゾンビらしくナマでむしゃむしゃするしかなかったのだ。
「ちょいと失礼をば」
胸元に口を近づける。ぴくりぴくりと最後の痙攣をおこしているここが一番やわらかくておいしそうだった。ゆっくり口を開け、勢いよく喰らいつく。
ぶちっ、ぐしゃ、ぺしょっ
普通の精神をしていたなら自分の食事の音だけで気絶してただろう。だが、ゾンビとなった今はそんなもの気にならないし、なにより喰う喜びで満たされたいるのでそんな音がしたことにも気づいていない。
──うまい。
ナマの肉がこれほどうまいとはミナミはまるで思わなかった。多少独特の臭みがあるが気にならない程度であり、むしろ慣れてきたらクセになる。
この魔物特有のものなのだろうか、絶妙な舌触りと程よい歯ごたえ。その醜悪な見た目からは想像できないほどの絶品だ。
開けた胸に頭を突っ込み、かきむしるようにして内臓を無我夢中で喰い散らかす。人間のときと比べかなりの量を食べているが、まったくもって問題なかった。今ならいくらでも入りそうだった。
「ほい、ごほうび」
途中で味方ゾンビが物ほしそうにこちらを眺めていたのに気付き、足を一本へし折って渡した。労働の対価だ。
そのゾンビもまたぽろぽろと肉片──もちろん獲物の、だ──を零しながらむしゃぶりつくようにして骨を綺麗に舐めた。くちゃくちゃ、ぴちゃぴちゃとした咀嚼音がデュエットとなり、まだ昼間のはずの森に陰鬱な空気を作り出していた。
「うむ、絶妙にうまかった」
十分もしないうちに食事は終わる。そこには肋骨を晒してぐちゃぐちゃになった魔物の亡骸があるだけだ。
綺麗に食べられたとは言い難いが、食べられるところはできるだけ食べた。後は他の生物の餌になるだろう。そのまま土に還るのかもしれない。満腹にはなっていないものの、空腹は十分に満たされた。
「ごちそうさまでした」
今日という日ほど、「いただきます」と「ごちそうさま」という言葉の意味を理解した日はない。弱肉強食のセカイでもこれだけは絶対に忘れたくない。というか、異世界でゾンビでも心は日本人なのだ。たとえ忘れても体が覚えてしまっている。
名も知らない魔物に感謝を捧げたミナミはやはり名をしらないゾンビをともなってその場を後にした。
20150425 文法、形式を含めた改稿。