54 鏡
「うぉぉ……!」
暗い遺跡のさらに奥。輝く遺跡の一番下。ミナミたち三人は見事な輝く装飾がなされている舞台の前にいた。
その舞台の中央はややくぼんでおり、全体として祭壇のようになっている。舞台の隅にはそれはもう煌びやかな柱が立っており、部屋全体に荘厳な雰囲気が漂っていた。
ミナミとレイアは辺りを警戒しながらも一歩その祭壇へと足を進める。間違いなく、これが古文書にあった祭壇であろう。ならば、この祭壇にはお宝が眠っているはずなのだ。とらない道理は、ない。
「ちょっとまって。罠がないか調べるわよぉ」
ききぃ!
フェリカの言葉に二人は足をとめた。暗い遺跡にあった侵入者撃退用の罠ならミナミがその体を張って無効化することができるのだが、今ここに罠が仕掛けられているとするならば、それが必ずしも侵入者に向けられたものであるとは限らない。
お宝そのものになにかしらの作用を行う罠だって存在するのだ。手に取ろうとした瞬間、お宝がワープして消えた、なんて話もある。
フェリカと泥猿は手分けしてその周囲を調べ始めた。じっくりと周りを観察し、怪しげなところを棒で突き、不自然な箇所がないかを目を皿のようにして探っている。泥猿は柱の一つによじ登り、上から何かないかを探しているようだった。
「大丈夫そうねぇ。ここにも何もないみたいだわぁ」
少なくとも私には見つけられなかった、とフェリカは言う。特級冒険者でトレジャーハンターのフェリカが見つけられなかったのなら、どのみち他の誰にもわからないだろう。
ミナミはもう一度ゾンビの能力で周囲の生命の気配を探る。周りにそれらしき反応がないことを確認し、仲間にその旨を告げた。
二人はそれに満足そうにうなずき、武器を納めて舞台に上る。念のためミナミを先頭にして、その中央の窪みを覗き込んだ。
「なんだ、これ?」
「丸くてぴかぴか?」
「これがお宝なのかしらぁ?」
その窪みにあったのは、何やら丸い円盤状のものだった。あった、と言うよりかははめ込まれたいたと言うほうが正しい。この遺跡の壁と床を構築する不思議な輝く素材とは違う、ほぼ透明なそれは周りの光を受けて輝いていた。
大体半径一メートルほどだろうか。その表面は丁寧に磨いたかのようにつややかだ。枠のようになっているところにはこの遺跡特有の装飾がなされており、やはり文様が刻み込まれている。
よくよく見るとそれと枠の接合部のところは黒く曇り、微妙に歪んでいるように見えた。そのためそれに映し出された三人の顔がわずかに黒く歪んで見えている。
「……きれいだけど、そこまで良い物ってわけでもなさそうねぇ」
「そもそも、これが“たいせつなもの”なの? お宝の台座って言われたほうがしっくりするわ」
「どっちかっつうと鏡だろ、これ。ま、どのみちお宝じゃないよな」
そう、三人が口々に諦めにも似た感想を述べたときだった。
「!?」
「な、なんだ!?」
先ほどまでは周囲の光を受けて輝いていたそれの表面が白く輝きだし、三人の顔がその光に照らされる。つややかだったその表面は嵐の海のように波打ち、渦巻き、荒々しく動いた。
やがてそれが収まると同時に光も弱くなり、透明だったそれは蝋を混ぜ込んだかのように白濁した色合いになっていた。
そこには、先ほどまでにはなかったものがある。
「……メル、レン、イオにクゥ?」
「ソフィもいるわ。それにこの建物……間違いない、これ、エレメンタルバターよ!」
その鏡の中に、楽しそうに笑っている子供たちとソフィがいた。庭先でみんなでボール遊びをしている。それはまるでケータイの動画のように動いており、少しミナミを懐かしい気分にさせた。
「……!?」
じっと見ていると、やがて画面が切り替わる。次の瞬間ミナミは目を見開いた。
そこには、もう二度と見ることのできないはずのものが映し出されていたのだ。
「一葉!? それに五樹兄ちゃん!? 父さんに母さん、じいちゃんまで!?」
懐かしい我が家。ちょっと古びた居間に最新式のテレビがある。三人でお小遣いを出し合って買った家庭用ゲーム機がテレビに繋がれていた。
居間の柱には水平に付けられた傷と八ケタの数字。身長の記録を取った跡だ。
カズハもイツキも笑いながらテレビを見ている。普段は山にいるはずのじいちゃんはテレビに耳を傾けながら最近ようやく買ったケータイのマニュアルを読んでいた。
じいちゃんはそのためにこっちの家に来たのだろう。操作を教えてほしいと言っていたのをミナミは覚えている。
「あ……」
思わずミナミは前のめりになってそれを覗き込んでしまった。無意識のうちに手を伸ばしてしまい、それに触れようとする。が、それはまた表面が揺らめいたかと思うと、違う場面──エレメンタルバターの風景を映し出した。
これは夕飯の風景だろうか。レイアがシチューで汚れたクゥの口を拭いている。もう少しだけ懐かしい光景を見たいとミナミは願ったが、場面が切り替わることはなかった。
「……ねぇ、ちょっといいかしらぁ?」
白い光に照らされたフェリカが困惑したように聞いてくる。徐々に光は弱まりつつあるが、消えるまではまだまだ時間がかかりそうだった。きっと、これが光っている間だけ映像が見られるのだろう。
「ここに映っているの、なにかしらぁ?」
「なにって……エレメンタルバターの風景でしょう? あ、さっき映ったのっておれの家族なんですよ」
「え? さっきからずっとエレメンタルバターよ? あなたとみんながお菓子を食べて、今はお風呂に入ってるところじゃない」
「いやいや、ちょっとだけだったけど映ってたろ? 平べったいテーブルに黒髪が四人と白髪が一人いたじゃないか。というか、お風呂なんて出てないぜ?」
「……私にはパーティーホームでエディとパースが一緒に酒盛りしているところが見えたわぁ。そのあと行きつけの酒場の酒蔵が映って、今はエレメンタルバターが見えているの。でもそれは、あなた達が子供たちに抱きつかれているところだわぁ」
「……え?」
どうやら三人が三人とも見えているものが違うらしかった。切り替わるタイミングこそ同じようだったが、それ以外に関連性はない。弱い光に照らし出されたフェリカの顔が、ミナミにはやけに不気味に見えた。
「たぶん、違う風景が見えてるってことはリアルタイムじゃないのよねぇ」
「まぁそうなんだろうな。リアルじゃ兄ちゃんたちこの時間に家にいるはずないし。そもそもセカイをまたいで中継なんてできないだろうし」
ミナミはもう一度鏡を覗き込む。白い光はもうかなり弱くなっていた。最後にもう一度だけ家族の風景を見たいと願ったが、やっぱり映像が切り替わることはなかった。
「精神系の罠かしら? 師匠からそういうのがあるって聞いたことがある」
「否定はしきれないけれど、だとしたらもっと強力に引きこんでくるし、大抵の場合はその隙をついて他の致死性の罠が発動するのよぉ。引きも弱いし罠も発動しないところを見ると、たぶん、これは映像を見る魔道具なのねぇ」
たしかにこれはお宝と言えるだろう。どういう仕組みで動いているかはわからないが、懐かしい光景ですら見せてくれたのだ。テレビや写真の技術がないこのセカイではこれ以上に精巧な風景を見ることはなかなか難しい。
もう会えない想い人や、死者でさえこの鏡の中では生き生きと動くことができる。思い出は何物にも替え難いものなのだ。お宝という言葉でさえ、この鏡の価値を表しきれないかもしれない。
光はどんどん収まっていく。きっともう寿命が近いのだろう。
三人はどれともなしに、より深くその鏡を覗き込んだ。なんだか無性に家に帰りたくなっている自分がいるのにミナミは気づく。その家はどっちのセカイの家なのかは自分でもよくわからなかった。
「フェリカさん、これ持って帰る?」
「……やめときましょう。外すのめんどくさいし、こんなのあったら人間堕落しちゃうわぁ」
フェリカの答えに、ミナミは少しほっとした。
鏡の中では子供たちとソフィ、レイアが笑っている。先ほどから自分が映っていないのは、あくまでこれを見ているのが自分だからだろうか。
光がどんどんと薄くなり、映像もどんどん消えかけていく。ミナミは思わず手を伸ばしてしまいそうになる衝動に駆られ、なんとなく鏡に触れた。その時だった。
ピシリ、と嫌な音が響いた。
「!?」
「な、なに!?」
鏡にひびが入った。
といっても、本当にひびが入ったわけではない。映像の中の消えかけていた人物の顔に、黒いひびが入ったのだ。
白濁した色合いだった鏡はいつのまにか黒ずみ、怪しげな雰囲気を撒き散らしている。それはまるで汚く淀んだ、どこまでも底のないような黒い大穴のようで、鏡の面影などもはやどこにもない。
やがて、その大穴はなにか黒い影を映し出した。
醜い異形、萎びた人型、邪悪な目つきの怪物。早送りかのように次々にそれらは現れては消えていく。
「あなたたち、なに見える!?」
「化け物が出たり消えたり!」
「私も!」
焦ったように聞くフェリカ。どうやら今はみんな同じものが見えているらしい。こころなし、部屋全体が暗くなったように思えた。明るさそのものは変わりはないはずなのだが、重々しい空気が部屋全体に満ちているのだ。ホラー番組の再現VTRの部屋の明るさとでもいえばいいだろうか。この部屋全体が、怪しい邪教の儀式のような雰囲気を醸し出している。
「っ! 逃げろっ!」
やがて、ついにそれは起こってしまう。
その闇の大穴から夥しい量の魔力が溢れ、三人を吹き飛ばそうとする。いち早く気づいたミナミが声をかけたが、身軽な二人はそれよりも早く体が反応して舞台から飛び降りていた。
ききぃ、と泥猿の声が聞こえたが、たぶん大丈夫だろう。魔力による吹き飛ばし程度ではダメージを喰らうはずもない。
ひとまず二人の無事を確認して安心したミナミだったが、そこであるものに気づいてしまった。いや、気づかざるを得なかったとも言う。
「ウソだろ……」
首筋にちりちりと感じる大量の生命の気配。普通の生命とは違う、この迷宮特有のものだ。
ゾンビの体に慣れた今ならばどこにどれだけ生命があるのかわかるミナミだったが、今回ばかりはまったくもってそれはわからなかった。
正確にはわからなかったのではない。多くありすぎて、認識しきれなかっただけだ。それほどまでに、そいつらが存在している。
「な、なんなのよこれ!」
ゾンビでない二人もそれに気づく。
部屋いっぱいに、それこそ足の踏み場もないほどにそいつらがいる。無駄に明るいこの部屋で、気づかない方がおかしい。仮に暗かったとしても、獣臭さと腐臭、そしてそいつらの息遣いが充満しているから、バカの代名詞のゴブリンでもこの状況の危うさを理解するだろう。
「ちょ、ちょっとさすがにシャレになんないわよぉ……」
冷や汗をかいたフェリカがダガーを構え、じりじりと後退してミナミと背中合わせになる。レイアもいつのまにかミナミのところまで下がってきており、三人で背中を預け合ってそいつらと相対する形になった。
一体何匹いるのだろう。図体がデカイの小さいの、羽を持つもの持たないもの、武器を持つもの、火を噴くもの、それこそ様々な種類がいる。そいつらで埋め尽くされているために部屋の出入り口は見ることすらかなわず、部屋を飛び回る奴の翼の音がやけにうるさく感じられた。
幸いなことに、そのほとんどはまだ騒ぐことなくぼーっと立っている。迷宮でそれが沸くところを初めて見た三人だったが、どうやら湧き出た直後は寝ぼけたような状態にあるらしい。
「ちょっと、覚悟しないといけないわね」
「本気、出しちゃおうかしらぁ?」
ききぃ!
ちりちりとした生命の気配がやがて活発になってくる。完全に覚醒した、夥しい量の魔物どもはミナミたちに目の焦点を合わせ、獰猛な笑みを浮かべた。
完璧に囲まれている。ミナミの背筋がすぅっと伸びた。
バーゲンセールの特売品の気持ちがよくわかる。これからまさに、命の殺り合いをするのだ。
ただし、みすみすくれてやるつもりは毛頭ない。自然とミナミの目が獰猛となり、歪で凶猛な口の形を描く。ギラリと白い歯が剥きだしとなった。
薄汚いぼろを纏い、いやらしい笑みを浮かべるゴブリン。
ぼたぼたと涎をこぼし、牙をむき出して威嚇するグラスウルフ。
カチカチと嘴を鳴らし、うるさく羽ばたくスカイアント。
ぎゃあぎゃあとわめき散らすゴブリンキッズ。
気持ちの悪い複数の目で見つめてくる、腹の膨れたホールスパイダー。
荒い息をたて、仲間と連携の準備をするウルフゴブリン。
耳障りな高音をあげ、忙しく羽ばたくキュリオスバード。
きちきちと根の張った逞しい腕を動かし、拳を構える月歌美人。
ガチンと自分の両の拳を合わせたロックゴリラ。
その肩で小汚い歯をむき出しにしるマッドモンキー。
酷く恐ろしげな表情でこちらを睨みつけてくるスケアリーベア。
その足元をうろちょろしているラピッドラビット。
半獣半蟲のおぞましい異形インセクトキマイラ。
闇夜を駆け、獲物の四肢を貪り引きちぎるグリーフサパー。
緑の鬣をたなびかせ、カマイタチを操るスラッシュホース。
輪状の巨大な土の尾っぽで敵をねじ伏せるリンガースネーク。
水を操り触手で嬲る、地上でさえ油断のならないブルータルスクイッド。
黒く太い枝腕をしならせ今に襲いかからんとしているダイアツリー。
中型ながら大岩をもつかんで運べる脚力を持つ怪鳥フォルティスガルーダ。
鼻息を荒くし、蹄で床を引っ掻くポイズンタスクボア。
その上で火炎を吐きながら浮かぶボルバルン。
ヒトの心を喰らい、襲われたものは感情を失うというマインドイーター。
圧倒的な力で全てを握りつぶす狂逸の幽鬼ディアボロスバーク。
汚濁した大きな体を振るわせるハングリースライム。
白い息を吐き氷に身を包んだアイスクラッシャー。
蒼く揺らめく炎を眼窩にともしたスケルトンナイト。
狂ったような軌跡を描いて飛ぶファニーホーネット。
空を飛べない代わりに邪悪なブレスと強大な力をもつフォーリンドラゴン。
実体をもたず、周囲の悪意を増強させるイビルスピリッツ。
溶岩でできた体を持ち、炎の拳を振るうジャイアントラーヴァ。
そして、全ての魔物が恐れると言う闇夜の暗殺者オウルグリフィン。
三人の視界に映ったものだけで、これだけの種類の魔物がいた。もちろん、他にも魔物は確実にいる。
レイアはダガーに魔法の雷を纏わせ、フェリカは懐からとっておきの小瓶を出してダガーに紫の粘つく液体を垂らした。
悪意のこもった数え切れない量の眼が三人を捕え、怨嗟に満ちた咆哮が獣臭さを漂わせるようになった部屋に響き渡る。頼りなげなダガーはそれでびくりと震えるも、その持ち手は耳を塞ぐことなくそれらをにらみ返した。
明るい部屋は、否応なく両者の視線による殴り合いを可能にさせる。特級冒険者だけが持つその眼力と体からあふれ出る気迫に、ミナミの知らない黒く長い牙を持った豹のような魔物は一歩後ずさる。
「特級なめるんじゃないわよぉ。みんな見たことあるやつばかりじゃない。その程度でなんとかできると本気で思ってるのぉ?」
「皆殺しにしてあげるわ。素材が残らないのが本当に残念」
ききぃ!
魔物に負けないくらい、いや魔物なんかよりも遥かに獰猛な笑みを浮かべた二人の女冒険者。一人のダガーにまとわりついた雷がパチパチとはぜ、もう一人のダガーを濡らした紫の液体は床に滴りしゅうしゅうと音を立てた。
ォォォォォォ!!
ヒトか、魔物か、その餓狼のような声をあげたのはどちらだったのか。確かなのは、それをきっかけに一番目立たない顔色の悪い少年が魔物の群れへとつっこんだことだけだ。
戦いが、はじまった。
20160809 文法、形式を含めた改稿。




