38 ミスリルの化け物
ヤツメウナギという魚を知ってるだろうか? うなぎと名がついてはいるものの実際はうなぎではなく、“やつめ”といわれているものの実際に目が八つあるわけでもない。じゃあいったいどうしてそのように呼ばれているのかというと、なんのことはない、目のような模様──正確には鰓が七つほどあるので本物の目と合わせて八つ目というわけだ。
この“八つ目”は名前にもなっているわけだが、こいつの一番の身体的特徴は実はそれじゃなかったりする。
初めて見た人なら思わず腰を抜かすような特徴が、こいつにはあった。
水色の鱗、いや甲殻を纏った大蛇。それがミナミの第一印象だ。全長はよくわからないが、胴の太さから見て相当長いということは確かだろう。いつか映画で見た大蛇よりも確実に太い。直径で三メートル近くはありそうだった。
「なによあれ……でっかいヘビ?」
「……いえ、違うでしょう」
そう、パースの言うとおり見た目はヘビそっくりだが決定的に違うところがある。こいつには顔がないのだ。鼻、口、目、それらがどこにも見当たらない。今見えてる丸くなっている先端部でさえ、尻だという可能性が捨てきれない。
あの水色の甲殻はおそらくミスリルだろう。ステンドガラスのようにみっしりと、敷き詰められるようにしてまとわりついてる。日の光をあびてきらきらと輝いていて、こんな森の奥で木をなぎ倒したりなどしていなければ、美しいモニュメントと間違えたとしても不思議ではない。
「くるぞ!」
エディが声を発したかしないかのうちにそいつは動き出した。その長い体を鞭のようにしならせ、横からなぎ払うように体当たりをかましてくる。
「うぉっ!」
とっさに地面に伏せる。ぶぉんという逞しい風切り音がミナミの頭の三十センチほど上で聞こえた。と、同時にごちゃっと奇妙な音を聞く。感覚で、ウルリンゾンビが潰された音だと理解した。今ので半分がやられてしまったらしい。
「みんな、無事か!?」
「私、だいじょぶ!」
「私もよぉ」
「なんとか、生きてます」
みんなそれぞれ避けていたようだ。どうやらフェリカとレイアは飛び上がって避けたらしい。あの巨体を飛んで避けたということは、三メートル以上飛んだということになる。冒険者の身体能力とは一般人とは比べ物にならないとはいうが、この二人はその中でも特に身軽なようだった。
さて、ミナミたちが無事を確認している間にもウルリンゾンビたちは動き出していた。彼らは基本的に人間よりか身軽だ。位置の都合で避けられなかった個体を除いて、避けた瞬間にはすでに水色の怪物に向かって飛びかかっていた。
四匹のウルリンゾンビが右から、左から、上から、前から襲いかかる。ゾンビとなった今でも種族としての戦法は変わらない。鈍く光る牙を、爪をお見舞いしようと勢いよく飛びかかった!
がつっ!
「おい、あれ」
「ええ、弾かれてますね。ミスリルなら当然でしょう」
もともと鋭く、ゾンビ化によって強化された爪や牙も、最高クラスの耐久性をもつミスリルには敵わなかったようだ。必死になって喰らいつくウルリンゾンビたちだったが、蚊でも払うかのように唸らせた巨体にあっけなく潰されてしまった。
「……ミナミ、ゾンビ全部やられちゃった」
「は、は……」
「何気にゾンビが通用しなかったのって初めてじゃない?」
今までは一回でもひっかければそれで勝負がついていた。だが、こいつはそもそもひっかくことが出来ない。少しくらい、表面くらいは傷つけていたのかもしれないが、あのミスリルはどうやら体の一部ではないらしく、傷をつけてもゾンビ化はできなかった。
「ええい、全員集合!」
とりあえず、こういうときは数の暴力に頼るに限る。ミナミはこの森に散らばっているゾンビすべてに集合命令を下した。すさまじい速さでゾンビたちが近づいてくるのが感じ取れる。
「私たちもやりますよ」
「もちろん」
ゾンビたちが到着するのを向こうが待ってくれるわけではない。相手が体を打ちつけてきたのを合図としてミナミたちは散らばる。一か所に固まらず、攻撃対象が分散されるようにするのは基本だ。
「いくぜぇ!」
最初に動いたのはエディだった。滑るように移動して、武骨な大剣をそいつの胴体に叩きつけようと振りかぶる。
ひゅおん、と風を切る音が聞こえた。が、肉を切る音は聞こえなかった。代わりに聞こえたのはがつんという先ほど聞いた音と似たような音だ。
「くっそ、かってぇ!」
反撃を振りかぶった勢いで飛んでかわしたエディが大声でぼやいた。見れば、そいつには傷一つついていない。
「今度は私よぉ!」
ききぃ!
まだ空中にいるエディの隙を埋めるようにして、フェリカが力を弾けるときを今か今かと待ち構えている矢を放つ。ついでに泥猿が泥団子を投げた。
しかし、放たれた二つは緩やかな放物線を描きながら頭と思しき所に当たるが、べしゃっ、かつん、というなんとも情けない音をだして落ちてしまった。
やはり矢程度では注意を引くくらいしかできないらしい。泥団子のほうも、特に効果はないようだ。いや、妙に臭いというのはあるが。
「くらいなさい!」
エディからフェリカに頭を向けたそいつが動き出す前に、そいつの後頭部に大きな水弾が襲いかかる。パースの魔法だ。
大きさだけ見ればそいつの頭部をまるごとすっぽり覆ってしまうくらいのものだが、ミスリルの効果だろう、ぶつかる直前になって目に見えて威力が落ちた。
「やはり効きませんね…!」
どこかいらいらと揺れるそいつから距離を取りつつパースがつぶやく。もちろん、パースとてミスリルの体をもつそいつに魔法が効きづらいことなど百も承知だ。そんな中でわざわざ大きな魔法を使ったのには当然理由がある。
「いまです!」
「やぁぁぁぁっ!」
「せぇぇぇいっ!」
弾けた水弾をカーテンにして、上からレイアがそいつの頭頂部めがけて降ってくる。手には雷を纏わせた、ナイフにしてはアンバランスなほど大きいダガーが輝いている。彼女はそんなダガーを両手で逆手に持ち、刃の先端に全体重をかけていた。
正面からはタイミングをはかって待機していたミナミがいる。こっちはまっすぐ飛びかかり、渾身の蹴りを放とうと体を大きく反らし、右足にこれでもかと力を込めていた。
「貫け!」
「砕けろ!」
パースに集中していたそいつが気づいた時には、すでに避けられないほどにミナミはそいつに近付いていた。レイアにいたっては気づかれてすらいない。
ほぼ同時に、生身の人間が生み出すには理不尽なほどの破壊力がそいつを襲う。ミナミの脚からはめきめき、ばりばりとなんとも形容しがたい感触が伝わってくる。
勢い余って教室の扉を蹴りぬいた経験がある人はいるだろうか? 柔らかいわけではないが、決して硬いとも言い切れないものを、たまたま突き出した脚と背中からかかる推力により、押し出しながら壊す感覚だ。そいつを蹴った感覚は、それと非常によく似ていた。
ここで重要なのは、そいつにかかった衝撃が一方向からだけではなかったということだろう。
ミナミは斜め下から蹴りあげたが、レイアは上から突いた。案の定、雷と刃としての攻撃力はほとんど無効化されてしまったが、重力とレイア自身の勢いがついた衝撃は生半可なものではない。相対的にミナミの蹴りの威力を大幅に上げていた。
仰け反るようにしてそいつはいくらかの木々を巻き込みながら倒れた。ずぅん、と腹に響く音が辺り一帯に轟く。
「やったか!?」
すでに十分に距離を取っていたエディが思わず口にするが、こういうときはだいたいやっていないと相場が決まっていた。
シィィィィィ!
「うえぁっ!」
絹を引き裂いたような、妙に甲高い音がそいつの先端から聞こえてくる。それもかなりの大音量だ。耳を塞がないといけないほどではないが、不快なことには変わりがない。
ゆらりと起き上がったそいつはゆらゆらと体を揺らすと、突然、頭を開いた。
「なんだよ、あれ!」
「……気持ち悪ぅい」
「やっぱり、ですか」
花が咲くように開いたそれはおそらく口だろう。ではなぜ、口だとわかるのか。理由は簡単だ。
そのなかに円状に鋭い歯が何層にもなってびっしりと生えていたからだ。
あのなかにフルーツをどっさり入れれば、あいつが回転するだけでおいしいフルーツジュースが出来ることだろう。胴体と同じ直径であることをみると、体そのものが一つの消化器官のようなものらしい。蛇とは似ても似つかない。
よくよくみれば、円層状になった歯の一番奥、普通の人が目で確認できる一番奥に一対の鋭く巨大な歯がある。最初の歯は細かくする用、奥の歯は噛み切る用のものであることがなんとなく想像できた。
「……さしずめ、霊鋼蚯蚓ってところですかね?」
「あれ、ミミズかよ!」
なるほど、確かに顔がなかったことはミミズだと言われれば合点がいく。しかし、普通のミミズには歯など、それもあんな鋭い歯はないし、あそこまで大きい物など存在しない。
ファンタジーもののゲームには砂漠のステージ等に似たようなものが出るけど……と、ここまで考えてミナミはようやく思い当たる。ここはファンタジーだ。
「いやはや、似たようなのは見たことがありますが、甲殻を纏って、おまけにあんなふうに口をひらくウォームは初めてですね」
「あの口、ヤツメウナギじゃないか……」
いつだったかにいちゃんに聞かされた無駄知識にこんなのがいたのをミナミははっきり覚えている。みるんじゃないぞ、と念を押されたのについついパソコンで画像を開いて、カズハは夜寝られなくなっていた。
にいちゃんもわかっててやっているから性質が悪い。だが、今回はそれに感謝だ。事前に似たようなのを見ていなければ、もっと驚いていたことだろう。
「“ヤツメウナギ”……? ミナミのところにもこういうの、いたのですか?」
「いや、こんな化け物はいなかった……うぉっ!」
喋っている間にも、霊鋼蚯蚓は襲いかかってきた。先ほどまでの体当たりとは違い、上から飛び込む様に喰らいついてくる。頭上から降ってくる、まるで機械仕掛けであるかのように錯覚させる歯はきちきちと音を立てていて、まともに喰らったら一瞬でミンチにされてしまうことは目に見えて明らかだった。歯がなかったとしても丸飲みになっていただろう。
「こいつ!」
避けると同時に引っ掻いてみるが、硬いミスリルに阻まれて甲殻下の本体まで爪が届かない。おまけにそのまますごい勢いで地面に潜り、地中から飛び出しては地面に潜るという攻撃パターンをとるようになってしまった。
「やべぇぞ、このままじゃ!」
「ミナミ、短剣貸して!」
レイアの短剣は先ほどの攻撃でどこかに行ってしまったらしい。霊鋼蚯蚓の攻撃を避けながらあたりを探していたが、見つからなかったようだ。
とはいえ、エディが焦っている通り剣など持っていても大して意味はないだろう。エディもフェリカもちょくちょく剣や矢、短剣で攻撃してこそいるものの、さして効果はない。泥猿こそその身軽さを生かし、霊鋼蚯蚓をギリギリまで引き付けてから臭い泥を口の中へと投げ込んでいるが、効果はやはりない。もしも霊鋼蚯蚓に味覚があればいくらかダメージを与えられたかもしれないが、それはあくまで仮定の話だ。
「パース、どうするのぉ!?」
「もう少しだけ持ちこたえてください! 策はあります!」
「あとどれくらいだ!? こいつ口開いてからガチで殺る気だぞ!?」
「そこが狙いです!」
隙を見てはいろんな魔法を放っていたパースは今度は火の魔法を放つ。火の魔法は火事になるため森では使わないのが常識となっているのだが、なりふり構ってはいられないらしい。
さすが特級冒険者というべきか、パースはちょこまかと動く泥猿を狙った霊鋼蚯蚓の口の中にうまく狙いを定め、周りに被害が及ばないよううまく操作して火弾をぶち込んだ。
どぉぉん!
シィィィィ!
流石に口の中での爆発は堪えたらしい。ぶるぶると体を揺らした霊鋼蚯蚓は一度大きくパースから距離を取った。いまだに口の中からプスプスと黒い煙が出ている。
「あいつ、口が弱点なのか?」
霊鋼蚯蚓は口だけはミスリルに覆われていない。魔法が通用するのにもうなずける。
「先ほどの魔法、あんな爆発をするようなものではないのですが……」
「じゃあ、火が弱点なんじゃねぇの?」
「それより、来るわよ!」
パースが厄介な相手だと見極めたのか、霊鋼蚯蚓は率先してパースを襲ってきた。その巨体でひねりつぶそうと、その牙で細切れにしようと、あらゆる手段を用いて攻撃をしてくる。
しかしとて、それをミナミたちが許すわけではない。剣で叩き、口を射って、雷の短剣で刺し、バカ力でぶん殴り、泥を投げる。
注意が引いたところでパースが火の魔法を使うが、頭にぶつかっただけで特に爆発など起こらなかった。
「……火が弱点ではないようです。そうなると、さっきのは……?」
考えてもわからないときは、とにかく何度もやってみる。それが重要だ。学者としてのパースは現象をひたすら観察することでその理由を解明しようとした。
そのときだ。
「うぉ、きたぁ!」
ミナミが思いっきり叫ぶ。途端にどこにいたのかと思うほどのウルリンゾンビがわらわらと戦場へ駆け出してきた。その数百匹以上。数の暴力とはこのことだ。
「ミナミ、そいつら、使います!」
パースは観察することも忘れて声をあげる。パースが考えていた策とはウルリンゾンビを使うものだったからだ。
「どうすればいい!?」
至極簡単なことだ。そして最も有効なことでもある。
実は、パースは霊鋼蚯蚓が口を開いた瞬間にはこの方法を思いついていた。できれば使いたくはなかったのだが、手に負えない以上は仕方がない。パースはミナミの説明だけで、ミナミ以上にゾンビの能力の有効性を理解していたのである。
「そいつに、動かないよう命令を!」
「……わかった!」
正直なところ、ミナミはパースが言った意味を理解していない。それでもここ一番で頼りになるのはやはりパースだ。言った通りにして損はない。というか、パースが言うんだからまず間違いないだろうとよく考えずに命令を実行した。
──動くな!
ミナミの命令に従い、五匹ほどのウルリンゾンビが霊鋼蚯蚓の目の前で動きを止める。目がないからわからないはずなのに、霊鋼蚯蚓はこの中では一番仕留めやすそうなそいつらに向かって喰らいついていった。
「うわぁ」
声をもらしたのが誰かはわからない。ただ、それはしょうがないことだろう。
体をひねりながら霊鋼蚯蚓が喰らいついたため、ウルリンゾンビたちは口の中でミキサーに掛けられている。悲鳴を上げることすらできていなかった。口の端から細切れになった肉の一部が飛び散っているのが遠目からでもわかる。
「どーすんだよ! 連中喰われちまったぞ!」
「これでいいんです!」
ゾンビ化は、ミナミのゾンビ因子が体内に入り込み発現することで起こる。そのため触っただけではゾンビにすることはできない。だからミナミは直接引っ掻き傷つけることで相手をゾンビにする。言いかえれば、引っ掻いたりできない相手はゾンビ化できないことになる。
しかし、体内にゾンビ因子を入れるだけだったら、必ずしも引っ掻かなければいけないわけではない。硬い甲殻をもち爪が通らない相手でも相手から因子を取り込んで貰えれば問題はない。
例えば、相手がゾンビを捕食することでもゾンビ因子は体内に入る。ちょうど今、霊鋼蚯蚓がしたように。
「あれもゾンビ! 喰われたら喰った相手がゾンビ化するはずです!」
ゾンビを喰う、という発想はゾンビを知っているものにはできないことだろう。あれは腐った死体だ。捕食者ではあるが、喰われるものではない。
だがこっちのセカイにゾンビがいない。そのためミナミには到底考え付かない利用法をパースは思いついたのだった。
そして、その理論は正しい。普通の生物なら間違いなくゾンビ化していたことだろう。
しかし──
「ウソだろ?」
ミナミの不安気な声がパースの耳に届く。ミナミの目があり得ないとばかりに揺れている。霊鋼蚯蚓がそれに合わせて揺れているようにも見えた。
「どうしました? もうゾンビ化できましたよね?」
「パース! あいつは──!」
ミナミがパースのほうへと顔を向けて叫ぼうとしたそのときだった。
その一瞬の隙をついて、ゾンビ化したはずの霊鋼蚯蚓は、無防備なミナミの体に飛びかかった。
スローモーションのように遅くなった視界のなかでパースが見たのは、突然襲ってきた霊鋼蚯蚓に目を見開き、その大きな口の中にまさに飲みこまれようとしている黒髪の少年だった。
20160801 文法、形式を含めた改稿。
《ヤツメウナギ》でけんさくしちゃ、ぜったいだめなんだからね。
いったからね、けんさくしちゃだめだって、いったからね!
ぜったいにぜったいに、みたらこうかいするんだからね!




