32 姫様は礼を欠かさない
「ミナミぃ、おまえ指名手配かかってんぞ?」
エレメンタルバターの一室。エディの口から出た言葉にミナミとレイア、ソフィが固まる。
《クー・シー・ハニー》の三人はこないだの酒盛りが出来なかったお詫びとして、果物だのおもちゃだのをいっぱいもってエレメンタルバターに遊びに来ていた。そんな中での一言だった。
「あまり高くない背、黒眼で黒髪、病人のように顔色の悪い少年で人はよさそう、冒険者の割にはそんなに逞しくない体で人相に特徴はない……ってありました」
「これって間違いなくあなただと思うんだけどぉ、なにやっちゃったの?」
ミナミに聞かれても困る。基本的に犯罪なんてしていないはずだ。いや、この国の法律は知らないが少なくとも人道的にアウトなことはしていない。
「え……ミナミくん、どういうこと?」
「……大丈夫、一緒に行ってあげるわ」
「いやいやいや! なんもしてないって……たぶん」
ごろすけの飼育許可証はちゃんとつけているし、依頼をすっぽかしたこともない。この国では飲酒は問題ないはずだし、近所迷惑になることもしてない。そうでなくとも、ミナミにはそれなりの法令遵守の精神がある。表だって悪いことなどしていないはずなのである。
「……あ」
「心当たり、あるの?」
「何回か襤褸をまとって血まみれになってゾンビっぽく魔物追い回してナマでむしゃむしゃしてたんだけど……あれ見られちゃったかもしれない。でも、問題ないよね?」
「なんだそりゃ!? いや、見た目以前にいろいろアウトだろ!?」
「ごめん、さすがにそれは擁護できない」
とはいっても、たまに無性に生肉が食べたくなるのだ。それも生きたのを狩猟して食べたくなる。こればっかりは本能だから仕方がない。ミナミは逆に開き直って考えることにした。
それにエディとフェリカがにやにやしているところをみると、少なくとも豚箱行きになるような心配はないだろう。だいたい、本当に大変な事態になっているのだとしたら、こんな悠長になどしていられないのだから。
「で、どういうことなんだ?」
一瞬で冷静になったミナミを見てつまんねぇの、とエディがこぼす。それからお茶を少し口に含み、事の始まりを語りだした。
朝の早い時間、エディたちがギルドに立ち寄ると《クー・シー・ハニー》に指名依頼が出ていたそうだ。
依頼内容は人探し。それもできれば内密に、それでいて確実に実行してもらいたいとのこと。
一般依頼とは違い依頼内容が張り出されない指名依頼は機密性が保たれるうえ、エディたちはこの国のトップクラスの冒険者で、実力は折り紙つきだ。人探しとは普通は下位の冒険者の仕事だが、理にかなってはいる。
依頼人は“ある高貴な身分の方”だそうで、ただの人探しのわりに報酬はやたらとよかった。できるだけ早く、どんな手段を使ってでも生きたまま連れて来いなどと、まるで賞金首の手配書のような書き方ではあったが、内容はただの人探しである。
もちろん、エディたちに断る理由はなかった。というか、目標人物にものすごく心当たりがあったのである。
「と、いうわけで俺たちはミナミをしょっぴくだけでうはうはなわけよ」
「どんな人物なのか、どこにいるのかも全部わかってるんだもんねぇ。ぼろい仕事だと思ったわぁ」
エディもフェリカも嬉しそうだ。普通の人探しはもっと時間をかけて行うため、探したはいいけど見つかりませんでした……なんてこともザラにあるらしい。その間の費用はもちろん冒険者側の負担だ。そう考えると、今回の仕事がどれだけ楽だったか想像できるだろう。
「まぁ、悪い目には合わないでしょう。それよりも、高貴な身分の方に知り合いがいたんですか?」
「うーん、いないはずなんだけど」
ミナミはこちらに来てから出会った人を思い起こしてみる。レイア、エディ、パース、フェリカ、ライカさん、ソフィ、ここの子供たち、メーズさん、ギン爺さん、くらいだろうか。あとは屋台や出店のおじさんたちもいるが、それはカウントされないだろう。
「まぁ、とにかく行ってみるよ」
「おう、待ち合わせ場所は鬼の市だ。依頼人にはギルドから連絡を入れてある」
「鬼の市? じゃ、オウルグリフィン置いておくから、解体やっちゃってくれる?」
「もちろんそのつもりです」
どのみち今日の午後にはオウルグリフィンの解体をする予定だったのだ。ちょっと前倒しになってしまったが問題ないだろう。解体する時間も増えてギン爺さんたちも喜ぶかもしれない。
「土産話、期待してるわよ!」
「気をつけてね!」
レイアとソフィに見送られてミナミはミナミはエディたちと一緒に鬼の市へと向かっていった。
鬼の市内の解体場にオウルグリフィンを置いてしばらく。いいかげん解体されるのを見るのも飽きてきたミナミはくぁっと大きく伸びをしてあくびをした。
死んでいてなおオウルグリフィンの強靭な体は健在で、捌くのになかなか時間がかかっている。一番力がありそうなギン爺さんがなにやら大きい包丁のようなもので力いっぱいかっ捌いているものの、パースをはじめとした何人かの職員は腕力がないからさばくことはできないらしい。
また、興味こそあるものの、死んでいてもわずかに発せられるオウルグリフィンの異様なプレッシャーに充てられて近づけないでいる職員もいる。おそらくもっと解体が進んで頭がとれたらあのプレッシャーも止むだろうとミナミは踏んだ。
「……お?」
ぼーっとしていると一人の細身の若い女性がこちらへとやってくるのが分かった。目線がしっかりこっちへ向いているので、あの人が依頼人とみて間違いないだろう。眼鏡をかけた、どことなく上品そうな人だった。
「……ミナミ様、でございますか?」
「あ、はい」
やっぱり、とほっとしたようにその人は息を吐いた。予想通りというか、声の感じも上品だ。どことなくソフィの声と似ている感じがして、聞いていて落ち着く声である。さっきからずっと轟いているオウルグリフィンに興奮したギン爺さんたちの声とは比べ物にならない。
「私、依頼主より案内を任せられたリティスというものです。呼び出していて恐縮なのですが、主の元へと一緒に来ていただけないでしょうか?」
「もちろん」
依頼人本人ではなかったこと、そしてなにより完全に知らない人であることには驚いたが、別に拒む理由もない。どこか遠くで聞いたことのあるような名前の気もしたが、いずれ気のせいだろうとミナミはすぐにそのことを忘れ去った。
「では、いきましょう」
やたらときれいに歩くリティスをミナミは慌てて追っていった。
「あの、リティスさん、ここって……?」
「王城ですね。来るのは初めてですか?」
「だいたいの人は初めてなんじゃないでしょうか」
リティスに連れられて歩くことしばらく。どんなところに行くのだろうかと若干わくわくしていたミナミだったが、目的地と思しき場所に近付くにつれてちょっとずつ顔が引きつってきた。
そう、リティスが向かっているのはこの王都の中央、ここら一体でいちばんでっかくそびえる建造物──王城だったのだ。
「あの、依頼主って貴族の方ではなかったんですか?」
「貴族といえば貴族ですよ、あの方も」
つまりは貴族のなかでも特別な存在と言えるわけだ。この段階で依頼主の正体にだいたいの見当がつく。ミナミは自分が呼び出されるわけが非常に重いことのように思えてきて、動いていないはずの心臓が早鐘を打っているかのような錯覚を覚えた。
「うふふ、そんなに緊張なさらなくても結構ですよ」
大きな門の前に衛兵さんが立っていたが、顔パスでリティスは通る。はやくこい、と軽く手招きしているが、本当に通ってもよいものなのか、ミナミは非常に判断に困った。
「わが主は依頼人と冒険者、という形で会いたいといってました。こういうのに、あこがれちゃったみたいですね」
王城に来てからいやにリティスの口が軽い。見たこともないくらいふかふかの絨毯を踏んでずんずんと奥へと進んでいく。対するミナミはできるだけ絨毯を踏まないように、端っこのほうをそろそろと慎重に歩いていた。
「さて、つきました」
他の扉よりちょっとだけ豪華な扉の前に立った時にはもう、ミナミの緊張感は最大になっていた。
「姫様、ミナミ様をお連れしました」
ああ、やっぱり王族の人か、とミナミが思うと同時に扉が開く。見事な金髪のお姫様がミナミに微笑みかけていた。
「キミ、は……」
「こんにちは、ミナミさん」
どこかで見たことがある、というかついこの間鬼の市で泣きじゃくっていた女の子だ。あの時と着ている服装がかなり違うが、さすがに顔立ちは間違えようがない。ちょっと顔を赤らめて、嬉しそうに笑っている。
「お姫様だったんだ」
「えへへ、実はそうなんです」
意外と身近にお姫様っているもんだなとミナミは感心する。依頼主が誰かわからずに若干ビビっていたが、顔見知りとわかるととたんに安心してしまった。一応王族でお偉いさんが相手なのだが、そこは公的な身分さがほとんど存在しない日本人としての感性だろう。
「あ、プレゼントどうだった? お姉さん、喜んでくれた?」
「はい。喜ぶどころかこの通り……ねぇリティス?」
「ええ、すこぶる快調、むしろ黄泉人になってから一番です」
「ああ!」
ミナミはようやく思い出す。リティスと言うのは、病気で苦しんでいるこの子の姉のような人物のことだ。この目の前で微笑んでいる上品な女性を助ける薬を探すために、この女の子はわざわざ鬼の市まで冒険をしたのである。
「起き上がれないくらいの病気って言ってませんでした?」
「ええ、実際つらかったです。ホントに死ぬかと思いました」
ですが今は、と軽くステップしてリティスは元気ですよアピールをする。本人の言った通り、健康そのもののようだった。
「とりあえずイスに座りませんか? ゆっくり話したいんです」
泣きじゃくっていた女の子が随分大人っぽくみえるのだなぁと、どうでもいいことを考えながらミナミはお姫様の私室へと入って行った。
「私はミル・グラージャ。このグラージャ王国のお姫様、です。先日は困っているところをどうもありがとうございました」
「姫様の教育係兼世話係のリティスです。ちなみに黄泉人です」
「おれも黄泉人で冒険者やってるミナミです。エレメンタルバターって孤児院で働いたりしてます」
おおまかに自己紹介をする。いつの間にやらリティスがそれぞれの前に紅茶をついでいた。しかも、砂糖付きである。どうやら甘味の発展が著しく遅れている……と言うかほぼ存在しないこのセカイであっても、紅茶には砂糖をいれるらしい。
「それで、どのようなご用件でしょう?」
ミナミもすっかり忘れそうになっていたが、これは依頼だ。呼び出したからには何かしたの要求があるだろう。
「ええと、こないだのお礼がメインです」
「ああ、プレゼントですからお気になさらず」
「いえ、そういうわけにはいきません! だって──」
ミルは語りだした。
あの日、ミナミからプレゼントをもらってミルはさっそくリティスの元へと向かった。薬こそ入手できなかったものの、素敵なプレゼントをはやくリティスに渡したかったのである。
こんこんとノックをしてリティスの部屋に入ると、ミルはプレゼントをリティスの前で開けた。そして、小包みの中を覗き込んで息を飲む。
中に入っていたのは宝玉のようにきらきらとしているカラフルな球体。オレンジ、紫、薄い黄色、そのどれもが城の宝物庫の飾られていてもおかしくないくらいの美しさだった。
「あのとき食べ物であるということを聞いていなければ、ペンダントとかに加工してもらっていたと思います」
「それに、下手な宝石よりもきれいで大きかったですし。私は宝石を食べさせられるのかとびっくりしましたわ」
想定外の中身にたいそう驚いたミルだったが、さすがにこれを直接病人のリティスに渡す勇気もなく、まずは自分で一つ手にとって食べてみようとしたらしい。手で触った感じでは硬かったので、かみ砕くわけにもいかず、とりあえず口の中に放り込み、ぺろぺろと舌の上で転がしたそうな。
そして、次の瞬間に訪れる衝撃。文字通り、言葉にできない素晴らしい体験。その時の感動は計り知れなく、甘いという味覚がここまで直接的に刺激されたことに驚きを隠せなかったという。
「今まで食べたなによりもおいしかったです。これはもうリティスも喜ぶと思いましたね」
早速きらきらとオレンジ色に輝くのを一つ取り、弱弱しく口をあけるリティスに食べさせたそうだ。幸いにも、基本的に舐めるだけである飴は体の弱ったリティスでも食べることが出来たのである。
もちろん、リティスもまた、ミルと同じように目を見開くことになる。ただ、それだけではなかった。
「なんだかあれを食べてから、みるみる体調が良くなりまして。二時間もしないうちに立てるようになったうえに、前より体が軽くなったようにさえ思えました」
飛び上がって喜び、自分のプレゼントがリティスに効いたんだ! と思ったミルは、この宝石のような食べ物のことが知りたくなった。
簡単には治らないはずの黄泉人特有の病気を治し、そして今まで食べたことがない甘くておいしいもの。王族として結構いろいろなものを食べてきた自負があったミルだったが、このようなものは聞いたことさえなかったのだ。
「弟にも好評でして。あれのことも聞きたかったのもありますが、ぜひお礼をしようと」
「私も恩人には直接会ってお礼をしようと思ったので、ギルドから特級冒険者に探索依頼を出させていただきました」
ここまで聞いて、ようやくミナミは呼び出された理由を知る。なんのことはない、ただ単にお礼を言いたかっただけである。なんだか賞金首の手配書のように書かれていたというが、それほど必死だったということだろう。
「でも、なんでリティスさん治ったんですかね? あれ、ただ甘いだけのはずなんですけど」
「それも今日呼んだ理由なのです。同じ黄泉人ですから知っているとは思いますが、あの病気を治すのには《月歌美人の神酒》が必要なんですよ? それをなにかで代用できるのなら、黄泉人にとってこれほど嬉しいことはありません!」
「あ、それ入ってます」
「え?」
「ですから、《月歌美人の神酒》があれには入ってます」
そういえばあれには薬の効果もあるとパースが言っていたのをミナミは思い出す。なんというかめちゃくちゃ便利な代物だ。しかも、あの飴に入っていたのはオリジナルではなくミナミの魔法で作ったもの。すなわち、作ろうと思えばこれからもほぼ無限に作れるのである。
「神酒だけではあそこまで劇的な効果は出ないと思うのですが……」
「ちょっと特別製でして」
「宝玉にすることで効果を高めた……とか?」
「いえ、あの宝玉……飴っていうお菓子なんですが、それの味付けと風味付け、色合いをだすのにちょうどいいんですよ、あれ」
「神酒はおまけだったってことですか?」
「そうなりますねぇ」
まぁ結果オーライだろう。気休め程度の飴玉がまさかの特効薬になったのだから。効きが良かったのも、たぶんミナミの魔法で作られたからのはずだ。
あまりにも素っ気ないというか、あっけらかんとしたミナミの態度にリティスは毒気を抜かれたらしい。口をパクパクとさせて呆然としている。それでなお次の瞬間には立ち直り、言葉を紡げたのはさすがとしか言いようがない。
「……何はともかく、ありがとうございます。おかげさまであの苦しみから逃れることが出来ました」
「いいえぇ、お気になさらず」
実質ただ当然で人助けが出来たのだから、本当に気にする必要はない。むしろミナミはかえって申し訳なくなってくる心持ちであった。
「あの、それでミナミさん、これからお時間あります?」
なんだか照れたようにミルお姫様が聞いてくる。少しばかり頬を赤くし、上目使いで恥ずかしそうにしながら。まるで内緒のお話──例えば気になる男の子の話とか──をこっそり耳打ちしてくれるかのようなその雰囲気に、ミナミは頭の中で一瞬でスケジュールを整理した。
買い出しはこないだ行ったし、解体もギン爺さんやパースが適当に処理してくれる。成果については後でまとめて報告することになっていたはずだから、それなりに時間はある。
本当はこのあとちょっと稼いでおこうともミナミは思っていたが、お姫様のお願いとあれば関係ないだろう。それに、ミナミは基本的に子供好きだ。あんな風に頼まれたとあっては、断れるはずがないのである。
「私、冒険者のことが……あなたのことが知りたいのです。あなたのこと、お話してくれませんか?」
ミナミは満面の笑みで頷いた。
20160624 文法、形式を含めた改稿。




