14 風呂夜語
真っ暗やみの大草原。どこまでも広い闇の海原を満天の星が照らしている。しかし視界を確保するには不十分であり、夜目の利く生物でないとこの草原を見渡すことは出来ないだろう。
そんな草原の中に、一つだけ大きな光があった。その光のせいで、周囲の闇はより深いように感じられる。
赤く揺らめいているそれは、焚き火によるものだろう。それによって照らされた影が、薪のはぜる音とともに不規則に濃くなったり薄くなったりを繰り返していた。
焚き火の周りにいるのは六人と二頭。それと一つの馬車。
馬車といっても立派なものではない。馬が引く荷車のようなものだ。たくさん物を運べるかわりに屋根などないし、乗り心地もよくはない。
二頭の馬は寄り添うように寝ている。御者のような風貌の地味な男が小さく鼾をかいている。
緑の髪の少女が口元をほころばせ毛布に頬ずりしている。学者風の男は毛布をしっかり抱きしめて寝ている。赤毛の女がなにやらむにゃむにゃと幸せそうに寝言を言っている。頭から毛布を被っているのはいったい誰なのだろうか。
一人を除いてそこにいる生物はみんな寝ていた。いや、正確に言うならそいつは“生物”に入らないのかもしれないが。
「……」
たった一人起きているそいつは先ほどからずっとあたりをきょろきょろ見回したりぶつぶつと何か呟いたりしている。はっきりいって不審な行動以外の何物でもない。そもそも周りが皆寝ているなか、なぜそいつだけ起きているのだろうか。
答えは簡単だ。そいつ──ミナミが最初の夜の見張りに志願したからだ。
夕飯の後、誰が見張りをやるか決めるときミナミは真っ先に手を挙げた。フェリカとエディには昨晩やってもらったし、何より自分はほとんど休まなくてもいい体質だ。しかも今日はほぼ一日中馬車で座っていただけだ。全然疲れていない。
御者のおじさんはもちろん疲れているだろう。エディはどこか風邪気味のようだし、パースは男冒険者としては体力がないらしい。そして、フェリカやレイアといった女性陣よりもミナミは明らかに体力がある。自分がやるのが一番ベストな選択だと思ったのだ。
ついでに言えば、このまま交代することなく一晩続けてしまおうとも思っている。疲れを感じないのだから、交代する必要もない。なのでみんなにはゆっくり休んでもらいたかったのだ。
それに、やりたいことがあるのだ。実はこっちのほうが本音だったりする。もちろん、さっきのも嘘ではないが、みんなが眠っていてくれたほうが都合がいいのも確かだ。
「そろそろかね?」
気配を探ってみても起きているような感じではない。今、この周辺にも魔物の気配はない。見張りという仕事は果たしている。
つまりこれからはミナミのフリータイムというわけだ。
「さくっと片づけるかな」
焚き火からちょっと離れたところで小声で呟きながら魔法を使う。最初に使ったのは土を操る魔法だ。自分の力で生み出した土を、魔法で粘土のように形を整えていく。
絵画の成績は良くなかったミナミだが、塑像製作の授業はよくできていたのだ。今回はそれの延長だ。といっても、そこまで複雑なものを作るわけではない。
「ほいほいっと」
三十秒もしないうちに人が五人は余裕で入れそうなくらいの土の盥ができた。普通の盥よりも深めである。もちろん、ただの盥として使う気はない。
「深さも広さもばっちりっと。ヒノキでないのが残念だ。まぁ、次行こうか」
誰にも聞かれていない深夜だからか、ミナミの独り言が多くなってきた。ミナミは深夜だとテンションが上がる人種なのだ。
そのままのテンションで今度は水の魔法を使う。オレンジジュースや洗濯の時と同じように水球を作り出しつつ、火の魔法を併用して温度を調節していく。
ミナミは知らないことであるが、複数の属性の魔法を使うことが出来る人は割といるけれど、複数の属性の魔法を同時に使うことが出来る人はあまりいないのだ。
例えるなら左手でルービックキューブを解きながら、右手で絵を描くようなものだろうか。ミナミのやっていることは意外とすごいことだったりする。
「こんなもんかな」
手で触った感じちょっと熱いくらい。そんな感じの熱めのお湯がミナミの好みだ。三条家の中で、じぃちゃんとミナミだけが熱めのお湯が好みだった。カズハも兄ちゃんも、ぬるめのお湯が好きだった。
──そう、ミナミは風呂を作っていたのである。
ふと家族のことを思い出したが、そのままミナミは作業に戻る。あとは、これを特製土盥に注ぐだけだ。
服の洗濯用に少し水球を残して残りを全部注ぐ。ほわんとした湯気が視界をふさいだ。
湯気が晴れるとそこには誰がどう見ても風呂な物体があった。
満天の星空のもと、露天風呂を楽しむ。これでリラックスできない日本人はいないだろう。このセカイに風呂があるかどうかはまだ分からないが、少なくとも満天星空のもと露天風呂を楽しむゾンビはミナミが初のはずだった。
「ふぃ~っ」
なんともジジ臭い声を出しながらミナミは久しぶりの風呂を堪能していた。
開放感がありすぎる草原のど真ん中ということと、眠っているとはいえ女性の前だということで服を脱ぐのをいくらか躊躇ったが、土魔法で仕切りを作ることで解決した。これで妙なハプニングだって起こらないだろう。
魔法で表面加工してあるため盥の底はあまりざらざらしていないし、下のほうから火を当てているのに必要以上に熱くなったりしない。ちゃんと横に排水溝をつけてあるし、新しく作った水球からどんどん新しいお湯が注がれている。
お湯はミナミの魔力なので排水溝から出た瞬間に魔力として霧散している。なかなかよくできていると、ミナミは心の中だけで拍手喝采を送った。王都に着いたら銭湯が開けるのではないだろうかと、天狗になったりもしている。
「やっぱいいよなぁ……!」
満点の星空露天風呂も気持ちいいが、なにより思いっきり体を伸ばせるのが最高だった。家の風呂はちょっと狭くて、もう体を思いっきり伸ばすなんてことはできない。
銭湯だって、自分ひとりで利用できるわけはない。自分専用のおっきなお風呂はミナミが密かに憧れていたものなのだ。
「感覚なくなってなくてホントよかったぁ」
実際に入るまで、ゾンビの体で風呂の気持ちよさを感じ取れるかわからなかったのだ。ミナミの今の体は全体的に暑さ寒さや痛覚は鈍くなっている。日常生活には困らないかもしれないが、この気持ちよさも感じ取れない可能性があったのだ。
「あ゛~」
ちゃぷちゃぷと水鉄砲を飛ばしながら改めて自分の体をみる。そういえば、ゾンビとなったというのにあまりゾンビらしいことをしていない。する必要があるわけでもないが、ゾンビになるなんてことは一生ないのだ。何かゾンビっぽいことをしてみたくないわけでもない。
「パニック映画みたいなことかねぇ?」
ファンタジー世界でゾンビパニック。うめく魔物が冒険者を次々と襲う。世界はゾンビであふれかえった。
「……なしだな」
自分で言った言葉をすぐさま否定した。やるんだったらもっと建設的なことだろう。
「……お」
と、ここで誰かが土壁の横から出てきた。遠方に注意を払っていたのと、風呂に入って気が緩んでいたためか、ミナミ少しだけは気づくのが遅れた。
「ミナミ……か? これ、なんだ?」
「あれ、エディさん。もしかして、起こしてしまいました?」
出てきたのは寝起きっぽいエディだ。いささか独り言が大きかったらしい。
「うんにゃ、たしかにちょっとなんか聞こえたけど気にならんかった。そろそろ交代の時間だと思ったんだ……へっ、へっ、へっくちゅん!」
「大丈夫ですか? おれは三日くらいは寝なくても大丈夫なんで、エディさんは寝ててくださいよ。黄泉人って頑丈なんですよ」
ほんとに黄泉人が頑丈がどうかなんて知らないが、この際どうでもいいことだろう。
「いや、そういうわけにもいかねぇよ……。ところで、それ、もしかして……風呂ってやつか?」
どうやらこっちにも風呂はあるらしい。ということは、わざわざミナミが魔法で作らなくても、王都に行けば入り放題ということだろう。
「ええ、そうです。こっちにもあるんですね。ない地域もあるそうなので、よかったです」
「……あるにはあるが、王族や貴族くらいしかつかわないぞ。高級な宿とかにはあったと思うが、普通の宿だと大量のお湯を作るのは大変だから、だいたいはお湯で体をぬぐうくらいだ。
しかし、なんだ、あれだな。ミナミってすげぇのな。これ作るの大変だったろうに、息切れ一つしてねぇのな。どんだけ魔力あるんだよ」
「ちょっといろいろありまして。エディさんもどうです? 体の芯からぽかぽかしますよ? 洗濯ものはそこにいれといてくださいね」
「……なんか悪いな。遠慮なく入らせてもらうぜ」
少なくとも完全にないわけではなかった。それならそれでいいとミナミは思う。これは本格的に銭湯のことも考えてみるべきかもしれない。ゾンビが営む銭湯なんて誰にも真似できないだろう。
「う゛ぉ~」
エディが気の緩んだ声を上げる。風呂に入ったら声を出すのは世界共通のことらしい。
「あー、マジでこれ気持ちいいわ。ぽかぽかする。ミナミの故郷ではみんな毎日これやってんのかぁ」
「夏場なんかはもっと簡単に済ませちゃうこともありますけどね」
とりとめもない会話をしつつ、風呂を楽しむ。風呂の気持ちよさというものはどんな国でも、どんな人間でも共通のものらしい。誰かと一緒に風呂に入るのは久しぶりだが、この特製土盥はそれでも十分に体を伸ばせるほどのスペースがあった。
ぽつぽつと会話をしていると、エディがつぶやいた。
「……ちょうどいい機会だ。改めて礼を言う。嬢ちゃんのこと、ありがとう」
昨晩も言われた言葉だ。いったい何なのだろうかと、ミナミはまっすぐエディを見つめる。
「おれ、なんかしましたっけ?」
「敬語はよせって。いやなぁ。嬢ちゃんがあんなに楽しそうに笑うの見るの久し振りでなぁ。いままでいろいろと大変だったからか、もうずっと、あんなふうに楽しそうな嬢ちゃん見ることなかったんだよ。いっつもなんかに追われてるような、焦ってる感じでなぁ」
ミナミにも心当たりはある。レイアはエディ達にも何も相談していなかったのか、それとも一人でずっと抱え込んでいたのか、いずれにせよろくな状態でなかったのは確かなのだろう。
「俺たちもいろいろと心配して気ぃ使ったりしてたんだけどな、嬢ちゃん絶対に助けを求めないんだよ。うれしいけど、私のわがままだからあなたたちの手は借りられないって。
それがどうだ、森から帰ってきたらすっきりしたいい顔してるじゃないか。あれってミナミが何とかしてくれたんだろ? なんてったって嬢ちゃんの“パートナー”なんだもんなぁ?」
そういってエディは笑いながらミナミに目を向けた。からかっているような、おちょくっているような口調だったが、その目には真剣さがあった。
「いやぁ、別にそんな大したことはしてないですよ。ちょっと孤児院の手伝いをしようってだけです。どうせこっちにきてもこれといってやることもありませんでしたし、寝床とご飯を提供してくれるんですから、こっちのほうが感謝したいくらいです」
「ははっ、なんだよ、そういうことだったのか。ともかく、これで心配事がなくなったってわけだ。なら、その心配事を解決してくれたやつに礼をいうのは当然だろう? これでしばらくはゆっくりとだらけることができるしな」
エディはほっとしたようにからからと笑った。彼自身もレイアのことが心配で、心が休まるときがなかったのだろう。子供っぽいように見えて、意外と周りのことを気にするタイプらしい。
「あー、やっぱこういう話するのはガラじゃねぇや! いいかミナミ、今の話は心の奥底にしまっとけよ! そんでいまは風呂の気持ちよさだけを感じてだらけまくるんだ! だらけられるときにだらけるのは冒険者の鉄則なんだぞ!」
エディの顔は若干赤くなっている。その理由は風呂だけではないだろう。照れているのがアゴヒゲお兄さんというのもなんだか妙な感じもするが。
「うん、わかった。心の奥底に閉まっとくよ。口調も普通にさせてもらう。それとだらける時間はもう終わりっぽいよ? なんかちかづいている」
「え?」
実はミナミ、ちょっと前から魔物が近付いているのを感知していたのだ。ちゃんと気を抜かずに見張りとしての役目を果たしていたのである。ただ、なんだか大事な話になってしまったので言うタイミングを逃していただけだ。
かなり遠くにいたし、どうせそこらを徘徊している夜行性の魔物だろうからこっちには来ないだろうと思っていたのだが、話をしている最中にすこしずつこちらに近寄ってきており、今は結構なスピードで一直線にこちらを目指してきている。
しかも三匹もいるのだから驚きだ。。
「どこから──」
エディが言い終わる前にミナミたちの前方──ちょうど大森林の方角から翼をもった魔物が飛びだしてきた。
20150501 文法、形式を含めた改稿。




