風
数分後、二人はビジネスホテルの向かいの喫茶店にいた。
「いっぱい食うなー」
手当たりしだいメニューの中から注文し、デザートまでつけたセナにイースは感嘆の声をあげる。
「帰んなくて大丈夫なの?心配してるんじゃね?あの一緒にいた彼氏とか」
「電話したから大丈夫」
即座にやってきた料理を頬張りながらセナは答える。
「ってゆうか彼氏じゃないし」
「じゃぁ何?」
「幼馴染」
「ふうん」
イースはウェイトレスに追加で飲み物を注文する。
「彼氏とか、友達とか、少なそう」
セナは、食べる手を休めないまま、ずけずけと言った。
イースはそんな事は気にも止めていないようだが。
「いないね、忙しいし」
「さみしくない?」
「は?さみしいってなにそれおいしいの?」
観察するようにじっと見てくるセナをイースは睨みつけた。
「なんだよ」
セナは言葉につまったので、わざと口いっぱいに食べ物を詰め込んだ。
「それ食べたらお家に帰んなよー」
言われなくても帰るけど、セナは心の中で言い返した。
「ねぇねぇ、生田弁護士ってどんな人?」
「どんな人って…」
「見た目は?年は?」
「35才位かな…けっこうかっこいい」
「家族とかいるの?」
「いないみたい、大切な人は作らない主義らしい…でもすっごくいい人」
「へぇ~、なんかかっこいいな、正義の味方みたいで」
「うん」
生田弁護士の事を思い出し、穏やかな表情なるセナを、イースはじっと見つめる。
「かーわい」
セナの食べ物をせっせと運ぶ手が止まる。
「まつげ長くてお人形さんみたい」
からかわれているように感じたセナは、顔を曇らせる。
しかしイースはまったく気にしていない様子で、歯をむき出してにこりと笑う。
何の前触れもなく、イースは突然、がたりと音をたてて突然席を立つ。
「そろそろ行こっかなー」
まだまだ目の前にたくさん食べ物があるセナは、意表をつかれてイースを見上げる。
「あんまり物騒な事ばっかすんなよ、じゃなっ」
セナは口をもぐもぐと動かしたままで、何も言わなかったが、イースはそのまま行ってしまった。
セナは残りを平らげようと皿に手を伸ばす。
ふとレストランの一面を閉めているガラスの窓の方を見ると、透明感のある薄い色にそまった空が、夕方である事を教えてくれた。
すべての料理を胃の中に収め満腹になったセナは、外に出て歩き出す。
日が暮れるまでにタクシーが捕まるだろうか、そんな事を考えながら、暫くは国道沿いで通りかかるタクシーを探す事に決めた。
コートに半分顔を埋め、暫くそのまま待ったが、なかなか思うようにタクシーは通りかからない。
何か別の方法を考えようか、そう思いだした頃、黒い数台の車がセナの気を引いた。
その車は、黒塗りで、日本ではあまり見かけない車種だったからかもしれない。
あるいは、最新型のモデルで、道路で異彩を放っていたからかもしれない。
セナの意識は吸い寄せられるようにその車に向けられた。
スモークガラスで中は良く見えないが、中に乗りサングラスを掛けた男達がセナの方を揃いに揃って凝視しているのを見て、セナの全身に鳥肌が立つ。
中の男達はその道のプロ、といった感じで、ぎろりと睨まれただけでセナはライオンの群れに囲まれた草食動物のごとく激しく恐怖を感じた。
しかしその2台の車は止まる事無くセナの前を通り過ぎ、やがて見えなくなった。
車から目を離せなかったにもかかわらず、動揺したセナはナンバーを覚える事ができなかった。
その事を後悔しながら、セナはいったい何者だったんだろう、と考える。
ふと黒塗りの車がやってきた方向を見ると、先ほどシャワーを浴びたビジネスホテルが目に入る。
やっかい事に巻き込まれている、といったイースの言葉が思い出された。
「まさかね…」
そう呟き、タクシー捜しを再開しようとする。
しかしどうもビジネスホテルの方が気になるようで、タクシー捜しはしばしば中断された。
十分後、セナは再びビジネスホテルの入口に立っていた。
フロントマンの前を通り過ぎる時、お客様、と声をかけられたが、素通りしエレベーターに乗る。
心臓の鼓動が早くなっているのを感じていた。
危ない事に巻き込まれそうになってるかもしれないという考えと、考え過ぎだという思いが頭の中で議論を繰り返す。
自然と速足になっているセナは、勢いよく先ほどまでいた部屋のドアを開けた。
その瞬間、狂ったように暴れだす心臓の鼓動を聞きながら、セナはその場に立ちつくした。
部屋の中は真っ赤な血で染まっている。
叫び声を上げそうになるが、声が出ない。
頭の中で、やめた方がいいと警戒のサイレンが鳴るにも関わらず、セナは一歩一歩、部屋に足を進める。
部屋の中には誰もいなかった。
まだ乾ききっていない血の匂いに吐き気を催しながら、バスルームの方も確認するが、やはり誰もいない。
「何が起ったの…」
セナは壁に、床についた血の跡を見ながら、茫然とする。
ふと窓の方に目をやると、中途半端に開いた窓から吹き込む風が、薄いカーテンを躍らせていた。