イースの真実②
暗闇に、白い光が滲んでゆく。
哀れな少女がゆっくりと瞳を開く。
思考が働かない程に酷くぼんやりした頭。
しかしそれは少女にとって幸運だったかもしれない。
あちこちに深い傷を負ったその体は、彼女の命を繋いでいる機械の間にぼろ人形のように横たわっていた。
壁も床も所狭しと置かれた装置も白で統一されているその研究室で、少女の色は痛いほど目に鮮やかだ。
朝霧が引くようにゆっくりと少女の焦点が定まってゆく間、周りを取り囲む人間達は一言も声を発さない。
洗練された宇宙服のような白いスーツに身を包んだその研究者達は、酷く人間離れして見えた。
触手の如く体に纏わり付いている管を、煩雑な造作の装置を、少女の目が捉える。
その全てに見覚えがない。
「ここは、どこ」
少女はそう言おうとしたが、実際には頼りなさげにヒューヒューと空気が漏れただけだった。
「プロジェクトSS、成功です。セファイア、目覚めました」
研究者がそう、儀式的に告げる。
ーーー僕は、誰?
声にならないその疑問は、誰にも届かない。
***
少女が目を覚ましてから、いくつもの歳月が流れた。
その時間は、セファイアが自分について理解するのに十分な時間だった。
自分は、エリーという少女の中に生まれた、別の人格であるという事実。
しかも、エリーが耐えられないであろう治療の負担を肩代わりする為に、人工的に生み出された人格だという事実。
すんなりと受け容れられる筈はなかった。
初めはそれを聞かされる度に、泣き、叫び、暴れ、鎮静剤を打たれた。
しかしどんなにそれが事実ではない事を願っても、事実ではないと言ってくれる人はいない。
やがて、諦めの感情が芽生え、だんだんと受け入れるようになっていった。
今は病室のような場所に寝かされている彼女は、虚ろな目で時刻を知らせる数字の羅列を見つめている。
朝の9時きっかり、少女の顔からいっそう表情が消える。
部屋のドアが音を立てずに開き、白いスーツに全身を包まれた男達が入ってくると、セファイアをベットごと何処かに運んでゆく。
ベットの上で静かに揺られながら、深い穴のように暗い目で天井が過ぎ去ってゆくのを見つめている。
セファイアとベットは、とある部屋で完全に消毒され、更に奥の部屋へと運ばれてゆく。
その部屋に入るだけで、セファイアの体に緊張でうっすらと汗が滲む。
動けないよう身体を固定されると、舌を噛み切らないよう、猿轡を与えられる。
「治療を開始します」
医師がそう告げると、セファイアの鼓動の速さはピークに達する。
次の瞬間、耐え難い鋭い痛みが体を貫く。
苦悶の叫びが部屋に響き渡る。
毎日繰り返される光景。
慣れたせいで気絶する事はなくなっていたが、地獄の苦しみなのは変わりはなかった。
+++
治療が終わり、部屋に戻った頃には、一時を回っていた。
部屋は、エリーの両親やその他色々な人からの見舞いの品で埋め尽くされている。
センスの良い色合いの生花やブリザードフラワー、高級なテディベアなどで、部屋の雰囲気は明るい。
部屋には、エリーのガードマンだったカイが付き添っている事が多い。
明るい色彩の中で、カイの黒いスーツははっきりと浮いている。
戻ってきたセファイアは、珍しく泣いていた。
泣き顔を見られまいと背を向けているが、カイにはその背中でセファイアがどういう顔をしているか想像がついた。
「セファイア・・・」
カイはその背中に話しかける。
「この間の希望、聞いてやってもいい」
ひどくぶっきらぼうな話し方だったが、これが普段の彼の話し方だった。
セファイアはベットの上で寝返りをうち、カイの方へと顔を向ける。
「戦い方を教えてくれるの?」
「そうだ」
治療を始めて半年の現在、セファイアはまだ自力で歩く事も出来ない。
そんな彼女が目と耳で、楽しみながら学べるように、カイは戦い方のイロハを丁寧に教えた。
セファイアは好奇心を目に浮かべ真剣にそれを聞いている。
つらい日々の中で、カイの話はいつしか一番の楽しみになっていった。
+++
治療が始まって二年の歳月がたった。
経過は順調で、セファイアの手足はほぼ完全に元のとおりになっていた。
二人の秘密の戦い訓練は続いており、元気な時は、セファイアはカイが技を繰り出すのを真似たりして過ごした。
セファイアの性格は、限りなく中性的なように見えた。
しかしなんせ体がエリーである為、力はか弱く、カイと訓練をしている時は、まるで父親と小さい子供が遊んでいるように見えた。
そんなセファイアであったが、ここ数日すこぶる体調がすぐれない。
最近は筋肉の動きを微調節する為の治療を受けていたのだが、治療の後、筋肉に力が入らなくなってしまうのだ。
今日もそのような状態が続き、夕方になっても改善しなかった為、筋力を上げる為の薬を服用した。
ここ数日間はずっとこのような状態なので、カイは少し心配していた。
人の手を借り夕食を済まし、消灯時間になった時、遠くを見ているような虚ろな目をしたセファイアが口を開いた。
「ねえカイ、もうすぐ治療が終わるよね」
その言葉に、カイは手を留める。
「みんなすごく喜んでる。最後の仕上げは頭の治療だよね、ココを治療して僕を消さないと」
そう言い、セファイアは自分の頭を指差す。
「カイともお別れだ」
寂しそうに言うセファイアの枕元に、カイはしゃがみ込む。
「それがセファイアの役目なんだ、それにセファイアはエリーの中でずっと生き続ける」
カイには珍しく、感情のこもった言葉だった。
「おまえは、立派だ」
そう言うとカイは立ち上がった。
「おやすみ、カイ」
出て行こうとするカイに向かって声をかける。
「おやすみ」
半分だけ振り向いて、カイは短くそう告げた。
セファイアの部屋からの帰り道、カイは自問せずにはいられなかった。
本当に、データを消去するようにセファイアを消しても良いのか。
セファイアを一人の人間として扱うべきではないのか。
しかしカイの中にどのような答えがあろうとも、治療方針に口出し出来る訳もなかった。
その時だった。
かすかに後方から風を感じた。
セファイアの部屋の方だ。
いつもなら気にも止めないほどの事だったが、何故かその時は気になった。
自然とセファイアの部屋の方へと足が向く。
部屋のドアを開けた瞬間、カイの体に衝撃が走る。
「やめろー!!」
カイ視線の先には、窓縁にたたずむセファイアの姿があった。
寝巻き姿のまま、満月に肌を照らされている。
遥か下の地上を見ていた目をゆっくりとカイ方へとむけると、短い髪が風で顔に張り付いた。
「さようなら、カイ」
カイが悲鳴をあげるのとセファイアの足が縁から離れるのは同時だった。
少女は夜の空へとダイブした。
自分の可能性を信じて。
自由を夢見て。