カイの再来
イースが刺青を入れた日から一ヶ月、二人がマルサス島に来てから二ヶ月が経過していた。
二ヶ月がたっても、二人の生活は相変わらずだった。
セナはアルバイトの面接受けたが、言語が完璧でないせいで、ことごとく完敗していた。
イースはいくつか受かったようであったが、セナが働くまでは働きたくない、という理由のせいですべて断っていた。
今日も昼前に起き出した二人は、遅い朝食をとる為に、島で最大のフードコートに来ていた。
食欲をそそるメニューを見比べながら、どの店にしとうかと、そこそこ混み合ったフードコートを二人は歩きまわる。
積み重ねられたパンケーキの写真に見入っていた時、セナは突然イースに腕を強く引っ張られた。
そのまま物陰に引き込まれる。
「どうしたの?」
掴まれた手を押さえながら尋ねる。
イースは険しい顔で、造木の間から一点を睨みつけている。
その表情から、セナは只事ではない事を知る。
「カイが、いた」
「カイって……?」
「セナの事を誘拐した奴の名前、あいつ、もう嗅ぎつけて来たのかよ」
困惑したイースの表情を見て、セナは不安を覚える。
「どうするの?」
「考えてる……実は筋力増強剤、今日飲んでないんだ」
飲み忘れ、という訳ではない。
その薬が身体にとてつもない負担をかける為、マルサス島に来てからは全く飲んでいなかった事は、セナも知っていた。
「家に帰れない?」
「無理だよ、家に着くまでに絶対に捕まる」
イースはカイの方を睨みつけながら、必死に頭を働かす。
「あいつ、一人みたいだ…一つ考えがあるんだけど、成功させる為にはセナの協力が必要なんだ」
「なんでも協力する」
イースはカイから視線を離し、セナの方へ向き直った。
「何があっても、ここから動かないで、絶対に手を出さないで。出来る?」
セナはイースの真意を図りかねたが、絶対にそうする、という意味を込めて、戸惑いながらも大きく頷いた。
イースはそれを見ると、あいまいで弱々しい笑みを顔に浮かべ、その場をそっと離れた。
+ + +
カイはいつもよりもラフな出で立ちをしていた。
それでもシャツと黒いズボンには、皺一つありそうになかったが。
イースはカイになるべく悟らねぬように、少しずつ距離を縮めた。
10mほどまで詰めると、カイの前に自ら姿を現す。
その瞬間、カイの警戒が込められた鋭い眼光が、イースの全身を貫く。
逃げたくなるのを必死にこらえながら、イースは3mまで更に距離を縮める。
警戒しているカイは、イースの予想通り、何も行動を起こしてこなかった。
周りに十分に人がいるのを確認すると、イースはなるべく大きな声を出す為に、ゆっくりと深く息を吸った。
「いいかげんにしてよね!これ以上つきまとわないで!」
カイの目に一瞬動揺が見られたが、それは直ぐに軽蔑の色へと変わった。
イースは、回りの人の目が一斉に自分に注がれるのを確認してから、続けた。
「もう好きにしたいの!付き纏われるのはうんざり!」
周りの人間の目は更にイースとカイに注がれる。
これは、イースの戦略だった。
周りから見ればイースは、男のストーカー被害にあっている可哀想な少女、という具合に写るだろう。
イースは少しの間を置いた後、カイに大股で歩み寄る。
そのまま大きく手を振りかぶると、勢いをつけてカイの頬を張ろうとした。
しかしそれは叶わなかった。
当然の如く、筋力増強剤なしのイースとカイでは、力に差がありすぎる。
イースにとってそれは分かり切った事ではあったが、しかしこの無駄な行いを続けなければならない。
すべては演技なのだ。
これからの安全な毎日を手に入れる為に必要な。
カイはイースの掌が自分に触れるまでの間に、イースに容赦ない一撃をくらわせる。
イースは後方に、軽々と殴り飛ばされた。
背中を、巨大な植木鉢にぶち当て止まると、殴られた腹を押さえながら、辛そうにゆっくりと身を起こす。
周囲の客がその光景を見て、ざわつき出す。
カイは周りには気にも止めず、イースの方に、獲物を追い詰めるようにゆっくりと歩み寄る。
イースは少しでもカイから逃れようと、腹を押さえながら人ごみの方へと逃げる。
しかし痛みのせいで、思うように逃げられない。
けれども、周囲の人が、さりげなくカイ行く手の邪魔をし、イースが逃げる道を誘導してくれたせいで、少しの時間は稼げた。
しかし二人の距離が縮まるのは時間の問題であり、すぐそばまで来たカイについにイースは捕まった。
「放せ!」
担ぎ上げられたイースは、カイの肩の上で、力の限り喚き暴れる。
「おい、嫌がっているじゃないか、やめろよ」
周囲で様子を伺っていた人の内の一人が、見かねて口を出す。
しかしそのような事で動じるカイではない。
イースの抵抗や、周囲の人の協力虚しく、カイはゆっくりとフードコートの出口へと向かって行く。
その時、出口の前に立ち塞がるように複数人の人影が現れた。
周りで事見ていた人達が呼んだ、現地の警察官だ。
「おまえのしている事は暴力行為に値する、今すぐその女の子を下ろせ」
警察官の一人が大声で要求する。
しかしカイは歩くスピードを緩めない。
警官達はカイを取り押さえようと、一斉に動き出す。
カイはそれに抵抗する為に、警官の一人を勢いよく突き飛ばした。
警官が身体を打ち付ける大きな音がし、他の警官達の足がすくむ。
その時、何者かがカイの頭を後ろから鈍器で殴りつけた。
カイは予測不能な攻撃に対処しきれず、頭に鋭い痛み感じながら後ろを振り返る。
鈍器を手に握りしめているのは、フードコートにたまたま居合わせた一般客だった。
その男だけではない。
数十人という、様々な齢の男達が、カイ事を睨みつけ、臨戦体制に入っていた。
「やっちまえ!」
誰かのその叫びを合図に、男達は一斉にカイに襲いかかった。
多勢に無勢、カイはたまたまそのに居合わせた客と警官の手によって散々に懲らしめられ、その後何処かにつれていかれた。
フードコートは一時、そこにいたみんなが一体となって敵を倒したかのような連帯感に包まれたが、時間がたった今はまた普段の雰囲気に戻りつつあった。
協力してくれた人達に良くお礼を言った後、二人はフードコートを後にした。
「本当に病院行かなくて大丈夫?」
帰り道、イースを気遣いながら、セナは尋ねる。
「大丈夫だよ、あんなの全然カイの全力じゃないし」
「全力で殴られた事あるの?」
「ないよ、今の所は。だから生きてる訳だし。ね、そんな事より、午後からこの前セナが見たいって言ってた映画見に行こうよ、英語分からない所教えてあげるからさ」
「うん!」
二人は足取り軽く、いつもの帰り道をマンションへと向かった。