令人の過去②
令人はタクシーを呼んだ。
後部座席に乗り込むと、令人は運転手に馴染みの居酒屋の名前を告げる。
「カズマ、一人で来たのか?」
「ああ、裏切り者達の家に足を運んだなんて恥だ、出来れば誰にも知られたくはない」
「なんでこの時期東京にいるんだ?」
カズマは令人の方をちらりと見た。
令人は窓枠に肘をつき、窓の外の景色を見ている。
夜の闇に浮かぶ赤信号の光が窓ガラスの水滴でぼやけ、血が滲んだような模様を造っている。
「来年、俺らは18になるよな、そしたら俺は正式な後継者として認められるんだ。学ばなきゃいけない事はまだまだあるけどな。後継者になったら東京に住む訳だから、東京についての知識が必要だろ?その為に、特別に外出が許可されたんだよ」
この話は令人の表情が良く見える所でしたかった、カズマは心の内で毒づく。
「そうか、東京はいいとこだぜ」
その言葉はカズマの気分を害した。
「令人、俺に向かって偉そうな口をきくな、まあ後一年もしない内に、俺達は格の違う人間だって事が分かるようになる。そしたらおまえを俺の家にでも招待してやるよ」
二人乗せたタクシーは大通りから汚い路地へと入って行き、やがて小さな古びた一軒の居酒屋の前で停車した。
入口は小さく、店内は奥に長い。
古臭い匂いとちらつくライトにカズマはあからさまに嫌な顔をする。
しかし店の中は以外に人が入っている。
仕事帰りだろうか、覇気のありそうな男性陣が目立つ。
令人とカズマは、店の一番奥のカウンターに腰をおろした。
「マスター、天婦羅盛り合わせ、あとビール」
「あいよ」
料理も揃ってきた頃、令人は本題を切り出した。
「で、何の為にセナに会いに来たんだ?」
ふっ、とカズマは鼻で笑う。
「聞いてどうする?」
「だからさっき言ったろう、場合によっちゃセナの居場所を教えるって」
カズマはあからさまに疑わしそうな顔をする。
令人は普段通りな様子で、料理とアルコールに手を伸ばす。
「まず、昔の事を詫びる」
令人の箸の手が止まる。
「そして、俺がずっと昔からセナの事を愛してる事を、正直に言うさ」
箸の手は再び動き出したが、令人は少なからぬ衝撃を受けていた。
「その上で、俺がどんな手を使っても絶対にセナと結婚するつもりだという事を、あいつによく分からせる。そして、セナが二年以内に俺と結婚する事を決意したら、あいつの自由を認めてやる事を、知らせに行くんだよ」
令人の驚きの感情は、いともたやすく怒りに取って変わられた。
「あいつは自由が望みのようだからな」
「もし二年以内に決意しなかったら?」
「その時は実力行使さ、二年間で、俺はそうとうの権力者になるつもりだ」
令人は呆れて薄ら笑いを浮かべる。
その顔はどこかさみしそうでもあった。
「なんだ、その顔は、処でセナの居場所を教える気にはなったか」
「どうしようかな」
「つべこべいってないでさっさと・・・ん?」
カズマは頭を抑える。
「なんだか目眩がする」
一瞬悩ましげな顔をした後、令人の方をゆっくりと見た。
「貴様、まさか・・・」
令人は何食わぬ顔のまま、箸の手を休めない。
「誰かっ!!」
カズマは大きな音を立て、椅子から立ち上がった。
そして令人指差す。
「救急車と警察を呼んでくれ、俺はこいつに毒を盛られたかもしれないんだ!」
カズマは大声で店内の客に訴える。
しかし店内の客は、誰一人耳をかそうともしない。
「くそっ・・・」
カズマは床に膝をついた。
出口に向かい、床を這うようにして進む。
しかし出口に辿り着く事なく、店の真ん中で力尽きた。
急に店内が静まり返った。
客がワラワラとカズマの周りに集まってくる。
令人がやってきて、その輪に加わった。
「これが約束の500万だ」
客の中でひときわ柄の悪い男に、札束を手渡す。
「了解、兄ちゃん、ご希望どおりこいつを遠い国に連れてって、二度と戻ってこれねえようにしてやらア」
「後腐れなく頼むよ」
それだけ言うと、令人は居酒屋を出た。
令人がカズマを連れて行った居酒屋は、無法者達の溜まり場だった。
探偵業務の関係でひょんな事から彼らとつるむようになり、時々日本では違法な物を売ってもらったりしていたのだった。
料理人までグルな為、飲み物に睡眠薬を入れて簡単にカズマを眠らせる事ができた。
そして、東南アジアに連れて行き二度と日本に戻れなくする方法があるというので、令人はそれまで貯めた全財産をはたいて、カズマを日本から消してもらう事にしたのだった。
あと味は、最悪だった。
ついに、越えてはいけない一線を越えた、と思った。
「セナは絶対に渡さねえ」
声に出して呟くと、それが少しの勇気をくれた。
帰りも行きと同様、タクシーを使った。
到着すると、急ぎ足でマンションの入口に向かう。
しかし、家を目の前に気が緩んだのがいけなかった。
後頭部に、これまで経験した事のない強さの衝撃が走る。
令人はその場で意識を失った。
目を覚ますと、目の前に恰幅の良い男が一人立っていた。
ズキズキと痛む頭を押さえる為に手を動かそうとするが、両手が縛られている為にそれが叶わない。
男の服装と雰囲気だけで、施設のSPだと分かった。
「やっぱりあいつ、一人じゃなかったのか」
令人はやや自嘲気味に笑う。
マンションの前から、人気のない場所まで引きずられてきたようだ。
人通りは期待できそうにない。
令人はこれから続くであろう苦痛な時間に対する覚悟を決めた。
「カズマ様とおまえは二人で出かけたのに、なんでお前だけが帰ってくるんだ?」
威圧的に見下ろしながら、SPは質問を投げかけてくる。
警棒のようなものを手に握り、イラつく様子でリズミカルにそれを動かしている。
質問にちゃんと答えないならば、それでぶん殴られるのは避けられそうにない。
「店で食事をしてたけど、口論になったんだよ、俺は先に帰ってきた」
「店の名前を言え」
令人は適当にファミレスの名前を上げる。
SPはそのファミレスに電話を入れ、えんじ色のスーツを着た男がそこにいないか、質問する。
SPが電話を切ると同時に、黒い棒による一撃が飛んできた。
「俺が聞きたいのはな、口から出任せの嘘っぱちじゃない、真実だ」
そしてもう一撃。
しかしどんなに殴られようと令人は口を割らなかった。
体の痛みは辛かったが、心の痛みよりはましなようにも思えた。
どれだけ時間がたっただろう。
身体中あちこちが、焼け付くように痛い。
令人の身体は、血と泥の混ざったもので盛大に汚れ、視界は霞がかかったようになっていた。
しかし、突如急に目の前が明るくなった。
初めは、ついに目か脳みそがおかしくなったのだと思ったが、違った。
パトロール中にたまたま通りかかった警察が持つライトが、令人の顔を照らしていた。
「何してるんだ!!」
驚いた警察が怒鳴り声を上げる。
「くそっ」
SPの動きが止まる。
警察も一緒に始末すべきか、令人さらってゆくべきかどうか、それとも今すぐ退散するか、判断に迷っているいるようだ。
しかし警官がまず無線で署に連絡したのを見てとると、SPは名残惜しそうに、しかし速やかに退散した。
「きみ、大丈夫か!」
警官が近よって来て、両腕の縄をほどく。
警官が怪我の具合や、状況について矢継ぎ早に質問を重ねてきたが、何も耳に入ってこなかった。
「助かった・・・」
土がむき出しの地面に大の字に寝転び、少しだけ欠けた月を見上げながら、一人呟いた。