令人の過去①
セナは、俺ら40人の子供達の中で、完全に浮いていた。
一人だけ、別の世界に住んでるみたいだった。
その外見のせいもあってか、一人だけ人間の世界に紛れ込んだ妖精のようにも感じた。
そう思ってたのは、俺だけじゃなかったはずだ。
一人だけ違っているセナに、俺達はよくちょっかいを出した。
本人は辛かっただろう、今思うとセナには本当に悪い事をした。
だけど、表面上は意地悪してても、本当はセナの事が好きなやつは結構多かったんだ。
セナはあの外見だから、やっぱりそれは男子に多くて、成長するにつれてそういうやつはますます多くなっていった。
俺がこの間、カズマに何をしたか、その事実を言う前に、ちょっとだけ言い訳させて欲しい。
言いたくねえけど、これを言わないと、俺の気持ちを理解してもらう事は不可能だと思うから。
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三年前。
令人とセナは、施設を脱走した後、兄弟達の手によって、再び施設に連れ戻されていた。
二人は二畳ほどの懺悔室に入れられ、反省する事を強要された。
しかし暗く狭い部屋で、硬い壁にもたれながら令人の頭をよぎるのは、反省ではなく後悔の嵐だった。
その時、遠くから誰かがやってくる靴音がした。
令人は奇妙に思う。
夕食の時間はとっくに終わった。
食事以外の用事で、誰かがこの懺悔室に来る事はないはずだ。
令人は柵越しに通路が覗ける懺悔室の小窓から、様子を伺う。
靴音が近づいてきて、姿を現したのは、カズマだった。
「なんでここにいるんだよ、入れない筈だろ?!」
カズマは顔に薄ら笑いを浮かべ、何も答えないまま何かを取り出した。
その何かを柵の外にコトリと置くと、そのまま奥の通路に向かって行ってしまった。
「おいカズマ、何処行くんだよ!なんだよこれ!」
呼び止めようとするが、カズマは振り向かない。
カズマの靴音は、だんだんと小さくなる。
しかし、令人はある事に気付いた。
カズマの足音が、まだ聞こえてくる。
カズマが置いて行った、小さな黒い物から、コツコツと。
「スピーカー?」
だとしたら、音を拾うマイクは、カズマの体に着けられてるのかもしれない。
ジャラリと、鍵を取り出すような音が聞こえる。
次に、かチャリとドアの鍵を開ける音。
「カズマ・・・!」
セナの怯えた声が、スピーカーを通して聞こえてくる。
令人は嫌な予感に身を固くする。
「セナ、短い自由だったな」
馬鹿にしたようなカズマの声が、スピーカーから聞こえてくる。
セナの声は聞こえてこないが、令人はセナがどういう表情をしているか、手に取るように分かった。
「お前らにもう未来はない、一番重大なルールを破った事で、お前らの惨めな人生は決定してしまったんだ」
セナは何も言うつもりはないようだ。
沈黙が続く。
「今、俺だけがお前を救ってやれるぞ、セナ、俺と結婚しろ」
スピーカーから聞こえてくるその声に、令人は唖然とする。
「俺は絶対にマスダ・コーポレーションを継ぐ、お前はマスダ・コーポレーションの後継者の妻としての華やかな人生を送れる」
「いい・・・」
絞り出すようなセナの声。
今カズマの機嫌を損ねるのはマズイぞセナ、令人は心中で呟く。
「いいか、セナ、俺とお前はもう平等じゃないんだよ、権力があるものが権力のない奴を自由にするのは当然の事だろう?」
セナは帰す言葉が見つからないようだ。
スピーカーに手が届くなら、令人は怒りでスピーカーを粉々にしていたであろう。
「これは命令だよ、お前はこれから、俺の言う通りにしなきゃいけないんだ」
「やめて!こっちに来ないで!」
スピーカーから流れてくるセナの悲鳴と助けを求める声が、令人の懺悔室に木霊する。
小窓の前で、令人は震えながらただ立ちすくんでいた。
「俺は、セナが手に入れば世界一の幸せ者だ。今日それが実現する」
「お願い、いつかそういう日が来るかもしれないけど、今はまだ待って」
「駄目だ、俺は今欲しいんだ」
スピーカーから聞こえてくる言葉は、容赦なく令人の心を抉ってゆく。
大きく見開かれた目は、スピーカーから反らす事が出来ない。
嘘であってくれと祈るが、セナの泣き叫ぶ声は、いつまでたっても止んでくれない。
やがて、令人はスピーカーから目を逸らすと、懺悔室の一番奥へ進んだ。
小窓に背を向け、そこに小さく座り込み、何も聞こえないよう両手で耳を塞ぐ。
そして、肩を震わせながら、自分の無力さを責めた。
結果的に言えば、カズマのセナと結婚するという野望は達成されなかった。
生田の手により、二日後に二人は施設から助け出されたからだ。
やがて月日はたち、二人は自由を手に入れ、生まれて始めて、幸せと言える日々を送っていた。
何年もたったある日、突然、なんの前触れもなく、カズマが現れた。
セナのマンションに押しかけたカズマは、また来る、と言い残し帰って行ったが、翌日、今度はセナが避難していた令人のマンションに現れた。
帰ろうとしないカズマをなんとかセナから遠ざけようと、セナを部屋に残し、令人は一人部屋を出る。
エレベーターで一階に降りたち、中からしか開かない裏口から外に出て、令人はどこかに電話をかける。
短い電話がすんだ後、正面玄関に回り込んだ。
「なんの用だよ」
令人は後ろからカズマに声をかける。
その低く、冷たい声には、激しい憎しみが込められていた。
「おっと、本人のお出ましか」
勿体ぶった様子で、カズマが振り向く。
「俺はお前と話したくなんてないから、聞きたい事を率直に言おう。セナは何処にいるんだ?」
エンジのスーツを着こなし、偽の上品さを醸し出したカズマと、薄いムートンのコートを着た、ラフな出で立ちの令人。
軽蔑するような目付きで自分の事を見てくるカズマを、令人は何も言わず静かに睨みつける。
「なんとか言えよ、兄弟」
「カズマ、ちょっと俺に付き合え」
予想外の発言に、カズマは不快そうに眉間に皺をよせる。
「は?」
「セナを見つけ出してどうしたいのか教えてくれよ、場合によっちゃセナの居場所を教えてやる。ま、飲みにでも行こうぜ」