黒ずくめの男
わいて出てきたかのようにひっそりとその場に佇む男は、ほんの僅かな足音もたてず、セナにゆっくりと近付く。
「誰?」
その存在に気付いたセナは、はっと顔を上げ、次に男を睨みつけた。
男は背が高く、着ている黒いセットアップはセナが見た事のない光沢を放っていた。
フォーマルな印象を醸し出すそれを、きちんと着こなし、長方形のサングラスをかけている。
「あなたに、協力をお願いしに来ました」
蝋人形のような不気味な違和感を持ったその男は、感情のこもらない事務的な声で話出した。
「残念ながら、この協力を断る術は、あなたにありません」
それを聞き、セナは嫌な予感に身を堅くする。
「こちらの言うとおりにしていただければ、危害は加えません。私自身そうなる事を強く望みます」
セナは目の前のドアと男をゆっくりと交互に見据えた。
ここ最近梅雨時の雨の如く頻繁にやってくる危機的な状況が、再び訪れたように思えた。
(けど.......)
セナは心の中で自問する。
(また令人に助けを求める?令人が私のせいでボロボロになってるこんな時に?)
それは、できそうになかった。
「何をしたらいいの?本当に危害を加えないって約束してくれる?」
「協力してくださるのですね」
男はちっとも嬉しそうな素振りを見せず、言う。
「私についてきて下さい、詳しい事は車の中で」
セナは大人しく、黒塗りの最新型の車の中へと連れていかれた。
白い革張りの車内に二人きりになると、男はすぐに車を発進させた。
「どこに行くの?」
男の後ろ姿を睨みつけながら、警戒心をむき出しのまま聞く。
腕は自分を守ろうとするかのように、自分自身をきつく抱いている。
「私の住処です」
「この車、前イースと分かれたすぐ後に見た。イースを追っている人でしょう?」
「あなたがそう呼ぶ人物を確かに私は追っています」
「人質って事ね、イースをおびき出す為の。」
男は黙ったままだ。
どうやらセナの予感は当たったようだ。
「でも来るかしら、そんなに彼女と知り合いって訳でもないに」
「さあどうでしょうね、しかし彼女は私がどんなに冷酷非道か良く知っていますから、来るんじゃないでしょうか」
その言葉と脅すような言い方に、セナはこの車に乗ってしまった事を後悔する。
不快に高鳴る鼓動を聞きながら、すがるように窓の外を見た。
しかし、今更遅い。
スモークがかった窓ガラスの向こう、たくさんの人が道を歩いているが、だれも気付かないし、助けてくれはしない。
車はどんどん人気のない路地へと入ってゆく。
いくつもの角を曲がり、やがて、海沿いのを小道を走り始める。
すぐさっきまで見ていた明るい東京の町とは対照的に、夜の海は吸い込まれそうな程黒かった。
今はもう使われていないであろう倉庫の前で、車は静かに停止した。
男がドアを手慣れた手つきで空け、セナは車から降りる。
外は強い風が吹いていた。
男に促され、倉庫の入り口へと歩みを進める。
中は古びれた電球が照らし出す灯りで、以外と明るかった。
それに業務用の大きな暖房器具も置かれていて、凍えるほどの寒さではない。
セナは男からなるべく距離をとり、固い地面に用心深く座った。
終始男を睨み続けるが、男はセナがまるでそこにいないかのように無関心だ。
「なんでイースを追うの?彼女が製薬会社オスターの社長の娘だって事と関係がある?」
「驚きました、彼女がそこまであなたに話しているとは」
イースから聞いた訳ではないが、セナは黙っておいた。
「私は社長から、彼女を連れ戻すように命じられております。この命に代えても、絶対に成し遂げなければなりません」
有無を言わせぬ言い方だ。
この男にとって、イースの意志など紙屑ほどの価値しかなさないのだろう。
「イースはどうして必死に逃げるの?自分の親から逃げ回るからには、何か大きな理由があるんでしょ」
「多くは語れませんが、一つ言えるのは、彼女は重大な罪をおかしている、という事だけです」
男は人間らしさを最大限にそぎ落としたようなしぐさと話し方でそう言った。
セナは男の言葉や話し方、そのすべてに、得も言えぬ嫌悪感を抱き始めていた。