帰路
セナは結局、近くの駅の前でタクシーを拾い、事務所へと向かった。
道が混んでいたせいもあってか、帰り道は二時間以上の時間を要した。
跳ね上がった料金メーターの数字を誰かにどうにかしてもらう為に、セナはタクシーを表に待たせ、事務所に通じる階段を駆け上がっていく。
事務所のドアを勢いよく開けると、中にいる数人の目がセナに集中する。
「セナ!!」
ほんの僅かな沈黙の後、そこにいた令人がセナに駆け寄った。
間髪入れずセナをぎゅっと抱きしめる。
「よかった、心配したんだぞ」
令人がそのままなので、セナは恥ずかしくなり令人を自分から引きはがす。
令人の目にはくっきりとしたくまが出来ていて、セナはそれを見て申し訳なく思う。
「怪我はないか?!」
「何があったの?!」
浴びせかけられる質問に答え損ねていると、かおりさんがお茶を入れてきてくれた。
「まぁみんなおちついてよ、話はゆっくり聞けばいいじゃない」
あったかいハーブチティーのおかげで、セナはここ二日あった事について、ゆっくり話す事が出来た。
事務所にその時いたのは令人、かおりさん、所長の三人だったが、三人ともセナの話に吸い込まれるように聞いていた。
セナは詳細に話したが、最後に見た黒い車の事と部屋に飛び散った血の事は、無駄な心配をかける気がしたので伏せておいた。
話が終わると、令人はいきなりセナの頭をがっと掴み、ぐらぐらと揺らした。
「おまえ頭大丈夫か?」
セナはむっとした顔でその手を振り払う。
「まぁセナちゃんの話を信じよう」
所長はそう言ったが、その口ぶりはあまり信じているようではなかった。
「あ、そうそう」
その場の空気を変えようと、所長が口を開く。
「僕らも橋本イースについて詳しく調べたんだけどね…」
所長はそばにあったデバイスを手にする。
「一つ、面白い事が分かったんだよ」
セナは所長から手渡されたデバイスの覗き込む。
そこには花のように笑う、可愛らしい少女が映し出されている。
少女の髪は長く、穢れを知らないような笑顔の為、気が付きにくいがこれは…
「橋本イースだよ」
セナははっとしたように顔を上げ、所長の顔を見た。
「少なくとも顔のパーツは驚くほどそっくりだ」
「アメリカの二番手の製薬会社、オスターのご令嬢様らしいぜ」
令人が口をはさむ。
「だけどここ二、三年の写真がまったくないんだ、どこをどんだけ探しても」
セナはデバイスを食い入るように見つめた。
デバイスの中のイースは、この世の幸せしか知らないようで、セナの見たイースの面影はなかった。
ただ一つ、顔が同じという事を除いては。
セナはその意味について思考を巡らせたが、答えはうっすらとさえも見えてこなかった。
事務所を出てマンションに着く頃には、もうすっかり夜も更けていた。
部屋に戻ってもなんだかぼんやりとしていた所に、令人からの着信がある。
壁に画面いっぱいに映し出されたのは令人のふて腐れた顔だった。
「おまえ、俺からの電話一方的に切っただろ」
「だって色々大変だったんだもん」
「あのなあ、こっちがどんだけ心配して」
「だからごめんってば」
セナは突如、窓の方向を振り向いた。
「どうした?」
全神経を窓のほうに集中しているセナに令人が声を掛ける。
「なんでもない」
セナの耳は、確かにベランダで微かな物音がしたのを捉えていた。
しかし、ここは32階だ。
気のせいかな、セナは心の中で呟く。
「今日はもう寝るね」
「あぁ、おやすみ」
そう言うと、令人は間髪入れずにぶちっと通話を切った。
やれやれ、といった動作でセナも電源を切る。
同じボードで、電気のスイッチを切る。
しかし、すぐ眠りにはつかなかった。
鋭い目つきで窓の方を睨むと、そろりとベットから抜け出し、足音を殺して窓へと近づいた。
そして一気にブラインドを引き上げた。
セナは甲高い叫び声を上げた。
怖かったのだ。
窓ガラスを一枚はさんだそこには、いるはずのないイースが立っていたから。