BLUE
2044年、トーキョー。
古びた高層マンションの最上階。
冷たい感じのするその部屋は、夜が訪れる直前のブルーに包まれて、更に冷たさを増していた。
「セナ」
ベットの中の男に名を呼ばれ、紺とグレーのまだら模様の空を、ぼんやりと見つめていた少女が振り向く。
空の色も映しそうなほど白い肌。ふわりとした黒い髪。人形のように黒目がちな目。
寒いだろ、男はそう声をかけようとしたが、はっとしてやめた。
天使のような外見に、考えている事を悟らせないような小悪魔な内面が魅力の彼女だったが、今はいつもとどうも様子が違う。
男を見つめるその目は、悲しみに沈んでいた。
それも、感情的なものというよりは、諦めといったほうがしっくりくるような具合だ。
男がその意味を計り損ねていると、ドアの外でバタバタと誰かが走る音が聞こえた。
不吉な予感を、男は理論的な思考で打ち消そうとする。
そんな筈はない、咲は今日は旅行の筈だ、ここにいるはずはない。
しかしその考えも、ドアのカギを慌ただしく空ける音でむなしく打ち砕かれた。
「マサト!!」
女の、上等な赤いコートに包まれた肩が、激しく上下している。
寒くなってきた外の外気のせいか目を見開いたままだったせいか、血走った女の目が、ベットの上の半裸の男と、その傍らに佇むセナを見る。
黒い下着しか身につけていなかったセナは、椅子の背にかけておいた網タイツをはきだす。
その落ち着いた様子が、まるで“私はあなたとは違うのよ”といっているようで、女の神経はさらに逆なでされる。
絶望した女は、バックから、護身用の小さめのナイフを取り出した。
そのナイフを発作的に自分の手首にあてがう。
男とセナの目は女に向けられ、男はなにか言葉を発しようとした。
しかし男が言葉を発する前に、女はナイフを自分にあてがうのをやめ、男を睨みながら、男の方に向かって突進してきた。
セナはその様子を横目で見ながら、急いで洋服を身につけると、はだしのまま部屋を駆けだした。
それに気づいた女が、今度はなにやら叫びながらセナを追ってくる。
セナは下の階にいるエレベーターに悪態をつきながら、非常階段のドアを乱暴に開けた。
半狂乱の女なら、当然非常階段を追ってくると思っていたが、以外にも背後でかちりとドアの向こうから鍵をかける音がして、はっと我に帰る。
以外に冷静じゃない、エレベーターで先回りして、下から追ってくるつもりなのかしら、セナは思った。
そうなれば、セナは袋の鼠だ。
とりあえずエレベーターの動向を見ようと、一階分の階段を駆け下り、ドアに手を掛ける。
しかしドアが開かない。
鍵がかかっている。
さらにもう一階下も同じだった。
「このマンションは私のものだから、鍵なんてボタン一つですべて開け閉めできるのよ」
咲という女が、そう言いながら、ゆっくりと階段を上がって来る。
その顔に、勝ち誇ったような敗北に歪んだようないびつな表情を浮かべながら。
セナは女の歩みに合せてゆっくりとおいつめられてゆく。
「いいバッグね」
「は?」
「コートもすてき」
セナはなるべく脅えが顔に出ないように注意して続ける。
「そのバックとコートがあればあんな男いらないわよ」
咲は生涯最高の大声を出そうと大きく息を吸いこんだ。
「おまえには関係ねぇだろオォォォォ」
ナイフを持った手を大きく振りかぶった次の瞬間、咲の後ろに突如人影が現れた。
次の瞬間、人影が目にも止まらぬ早さで腕を振り下ろす。
背後からの素早く鋭い一撃で、咲は何が起こったかも理解できないまま気を失い、その場に倒れこんだ。
「危なかったな」
人影はセナと同じ位の歳の男だった。
急いで来たせいで汗をかいており、茶色のムートンコートがいかにも暑そうだ。
「遅いわよ、令人」
セナは緊張の糸が切れて口元が緩むのを感じながら、あいさつ変わりに相棒を罵った。