契約結婚だから、夫婦なら食事は一緒に取るべきだと主張する不器用公爵と、契約なら仕方ないわねと受け入れる訳アリ聖女
ドラヴェンハート公爵夫人の朝は昼から始まる。
まさしく怠惰。
のそのそ起き出して、侍女にもってきてもらったパンとスープ、それにサラダをもそもそ食べる。そのあとは部屋に引きこもって本を読んだり、楽器を奏でたり自由に過ごす。
服装も、ゆったりとしたシュミーズドレスで、見知らぬ人が見たら、公爵の愛人か、はたまた踊り子かと思うほど適当な服装だ。
さて、そんな適当な暮らしぶりに誰かしら文句をつけそうなのだが、ドラヴェンハート公爵家の使用人はおろか、家臣の誰一人指摘しない。それどころか、公爵夫人の奔放さを許し、受け入れて、なんなら甘やかす。
なぜなら、この公爵夫人は正式に娶ったわけではなく、お金で結んだ契約結婚なので、いつなんどき機嫌を損ねて、「契約完了」と出ていかないとも限らない。
この美しく、猫のような公爵夫人になんとしても公爵家にとどまってもらい、いつか我らの主人を心から愛してもらいたいなあと、使用人と家臣たちは日々願い、ドラヴェンハート公爵を好きになってもらえるよう、心を砕いている。
しかし、そんな彼らの心をバキバキに砕くのは、デリカシーをどっかに落っことしてきた公爵本人だ。
きらめく銀髪、宝石のような青い瞳、高い鼻梁に涼しげな目元。芸術品のような美しさを持ち、人の心がないと噂される冷酷非情の公爵。
ルファス・ドラヴェンハートだ。
彼は、テラスでのんびりしている彼の妻のところへずかずかと近寄った。片眉を吊り上げ、鋭い眼光で睨みつける。
「シャロン。俺と君は契約結婚だ」
「知ってるわよ。なに、減額の交渉? 無理ね」
ふっと公爵夫人……シャロンは笑う。カウチに寝そべり、ぽかぽかと暖かい日の光を楽しむ。まるで猫だ。
「……そのことで話に来たんじゃない。俺と君は……夫婦だ」
「まあ、そうね」
「契約の一つに、夫婦の義務を果たすことという条項がある」
「ないわよ」
「…………」
「契約書は隅々まで読んだもの。それにあなた、公爵夫人としての公務もしなくていいと言ったじゃない」
「……そうだったな」
「なに? やっぱり公務をしてほしいの?」
「いや……」
「別に構わないけど」
シャロンはさらりと言って、指折り数え始める。
「ナーダリー地方には孤児院と救貧院を新設したわ。アヴィン領の産業についての調査もまとめてあるから、定例会の議題に出しておいて。根回しはしているけれど。ああ、リャシャン王国の使節団の件は明後日までに終わらせるわ」
「……だから、違う!」
ルファスは思わず声を荒らげた。
「あらやだ。対応に何か不満なの?」
シャロンはきょとんとした顔で尋ねる。
公爵夫人としての公務などしなくていいと言われているが、『公爵夫人』として契約している以上、できることを放り出すのは性に合わない。
「……違う」
今度はやや自信なさげだ。
シャロンは首をかしげる。
「……なにかしらあなたを不快にさせたのね。お金をもらっている以上、完璧に仕上げるのが私の流儀よ。遠慮なく注文してちょうだい」
「……違うんだ」
ぽつりと、彼はこぼす。
うつむいて、視線を地面に落とす。
前髪に隠されて表情がよくわからない。
シャロンはじっと彼を見た。
誇り高くて、頑固で真面目で。領民のために身を粉にして働く、若き公爵。
その姿勢をシャロンは好ましく思っているから、困っていることがあるのなら力になってやりたい。
シャロンはルファスが言いだすまで、じっと待った。
ルファスは小さい声で呟く。
「夫婦なら……食事を共にするだろう」
やっと聞こえてきたその声に、シャロンは間の抜けた声をこぼす。
「ええ?」
「……シモンも、リチャードも!! 食卓を妻とともにとっている!! 俺たちが……食事を共にしないのはおかしいだろう!!」
護衛騎士の名前を列挙し、ルファスは真っ赤になった顔でシャロンにすごんだ。
「……え、あ」
シャロンは眉を下げる。
だって、シャロンはそういうものだって知らない。
かつて、婚約者にと望まれた場所で、未来の伴侶となった男はシャロンと同じ食卓を囲まなかった。愛人たちと美食を楽しみ、シャロンに職務を全て押し付けた。
書類を片手に固くなったパンを齧り、冷めたスープを飲んだ。
だって、それが普通だと思ったから。
ここにきて、温かいスープを飲み、やわらかい焼きたてのパンを食べた。毎日が泣きそうになるくらい幸せで、いつか終わりを迎えるこの関係に……一日一日を大切に生きているだけ。
「……あなたが構わないのであれば、一緒に……食べましょう?」
シャロンの声は少し震えた。
顔はうまく取り繕えて、いつもの傲慢さを出せたはず。
期待してはいけない。
だって、契約結婚なのだから。
私はそれで十分に幸せ。
それなのに、公爵は、少年のように明るく微笑んだ。この人の笑顔を初めて見た気がする。
「……ああ!! 食べよう。ば、場所はどこがいい? テラスでも、庭でも、ああ、外で外食するのもいいな」
弾むような声で、ルファスは言葉を連ねた。
その明るい声につられて、シャロンも心が弾む。
「あはは!! どこでもいいわ。あなたの方がそういうの詳しいでしょ?」
固いパンと冷たいスープでなければなんでも。そんな答えをした日には、この人を困らせてしまいそう。
「……レ、レグラスがおすすめの店があった。帝都に出かけないか」
「帝都まで!? 馬車で二日かかるわよ!?」
シャロンは驚いて声を上げた。
「……女性が好きそうな店は、レグラスのおすすめの店しか知らないからな」
耳まで赤く染めた彼に、シャロンは呆気にとられる。
けれど、シャロンのことを考えてくれたというのはとてもよくわかる。
不器用だけど優しい人だ。
「……それは帝都に行った時の楽しみにしましょうよ。わざわざ行く必要ないわ。いつもの料理をこの屋敷で一緒に食べましょう。料理長の作るスープとパン、私はとっても好きなのよ」
「そ、それでいいのか?」
「……それがいいの。さあ、行きましょう」
シャロンはルファスの手を取って、カウチから立ち上がる。シュミーズドレスがふわりと風に揺れ、その姿はまるで風の妖精のように見えた。
ルファスは思わず、シャロンを後ろからぎゅっと抱きしめた。
「な、なに!? どうしたの?」
「き、君が……飛んでいきそうで」
「そんなに風は強くないわ。大丈夫よ」
シャロンは笑う。
けれど、ルファスは同じように笑えない。
紙切れ一つ。
それでしか、繋がっていないから。
(ずっと君に側にいて欲しいのに)
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