異世界に転生したが、前世が保険外交員だったので、冒険者に生命保険を売ることにした
一 凡人枠、保険を売る
死んだのは、昼休みだった。
四十二歳。心筋梗塞。
——正確に言えば、過労死に片足を突っ込んでいたのは間違いない。朝八時の朝礼、午前中は新規の飛び込み営業、昼に契約書の整理、午後は既存顧客の保全訪問と損害調査の現場回り、夜は支社に戻って事務処理。それを二十年やっていた。
昼休みに社食でかつ丼を食べて、席に戻ろうとしたところで、胸が痛くなった。
最後に考えたのは、お客様のことだった。
(二時に田中さんのところに行かなきゃ。満期の手続き、今日が期限だ……)
馬鹿な死に方だ。
中村芳雄、四十二歳。大手生命保険会社の営業職員。勤続二十年。営業十五年、損害調査部門に三年、また営業に戻って二年。支社長賞を三回取った。MDRT(百万ドル円卓会議)の基準は達成できなかったけれど、「中村さんに任せておけば安心」と言ってもらえるおじさんにはなれた。
大学では保険論を専攻した。資格はFP二級と生命保険大学課程。肩書きは「営業所の中村さん」だけ。
——でも、お客様の家に行って、「万が一の時、ご家族は大丈夫ですか」と聞くのが俺の仕事だった。嫌がられることのほうが多い。「保険の話はいいよ」と玄関で断られること、一日に何十回。それでも次のチャイムを押す。なぜなら、本当に「万が一」が来た時、「あの時入っておいてよかった」と言ってもらえるから。
そのために二十年走り続けて、自分の心臓のケアを怠った。
保険外交員の不養生。笑えない。
——気がつくと、真っ白な空間にいた。
「はいはい、ご愁傷様でした」
カウンターの向こうに、とんがり帽子に星柄マントの青年が座っていた。マントの生地が妙に良い。ウール混紡デラックスと書いてある。
「転生窓口の担当、ツクヨです」
「……転生」
「はい。異世界転生です。——中村さん、保険営業を二十年やっておられたんですね」
「ちょっと待ってください。異世界転生って何ですか」
「えっと……死んだ後、別の世界で生まれ変わるんです。ライトノベルとか読みません?」
「読みません。本は約款とFPの参考書くらいしか」
「あ、はい。じゃあかいつまんで説明しますと——人間は死ぬと、本来は記憶をリセットされて同じ世界に生まれ変わります。でも、ごく一部の方には前世の記憶を持ったまま、別の世界に行っていただいています」
「……確認しますけど、それ、契約書はあるんですか」
「保険屋さんですね。契約書はありませんが、神託という形で行き先に通知が行っています」
「ええ」
「ではあなたの業界の用語でご説明しますね。あなたは死亡保険金の支払い事由に該当しましたが、当窓口の制度により、異世界での再スタートが可能です。いわば——『転生特約』の発動です」
「……そんな特約の覚えはないんですが。契約書のどこに書いてあったんですか」
「書いてません。当窓口の裁量です」
「書いてないなら特約じゃないでしょう。——まあいいですけど。それにしても保険屋に保険用語で説明してくるんですか」
「お客様に合わせた説明は大事だと、前回の案件担当者に教わりました」
ツクヨが宙に光る文字を浮かべた。
『中村芳雄 前世:生命保険営業職員(二十年) 付与チート:なし 補助スキル:言語理解(標準装備のみ)』
「チートなしですか」
「凡人枠なので。——ちなみに、保険の知識は異世界に持ち込めます」
「保険の知識を持ち込んで、何をするんです」
「冒険者に保険を売ってほしいんです」
「……冒険者?」
「この世界には『冒険者ギルド』という組織があります。魔物を倒して報酬をもらう人たちです。戦闘力はチートで補えますが、問題は——死んだら終わり、ということです」
「死亡保障がない」
「その通りです。死亡率そのものは年間一パーセント程度です。多くはありません。でも問題はそこじゃない。『死ぬかもしれない』というリスクが、冒険者の生活をあらゆる面で不経済にしています。家を借りる時、大家から『冒険者は不可』と断られる。子供を学校に入れたくても『保証人がいない』と言われる。怪我で戦えなくなったら収入がゼロになるのに、詰んだ時の備えがない。遺族への保障はゼロ。——結果、優秀な人材が冒険者になりたがらず、慢性的な人手不足に陥っています」
「なぜですか」
「この世界には『保険』という概念がないからです」
俺は五秒ほど考えた。
保険がない世界。死亡率は一パーセント。数字だけ見れば小さい。だが冒険者は若者が中心だ。前世の日本の二十代の死亡率は約〇・〇五パーセント。それと比べれば二十倍の異常なリスクだ。しかもそのリスクが存在するだけで、家族は不安に苛まれ、住居は借りられず、融資は受けられず、人材は集まらない。
——二十年の営業人生で、これほど明確な「ニーズ」を見たことがない。
「行きます」
「早いですね」
「営業マンは、ニーズのある場所にはすぐ行きます。——あと、身体の調整はどうなりますか」
「享年四十二なので、十五歳分若返らせて二十七歳でお届けします。性別はそのまま男性で。今回は在庫がありました」
「男性のままでお願いします。冒険者界隈はまだ男社会でしょう。保険を売り込むにも、最初の信用を得るには——残念ながら、男のほうが話を聞いてもらいやすい場面があります。前世でも、そういう業界はいくつも見てきましたから」
「……現実的ですね」
「二十年やってると現実的になります。——二十七歳か。前世だと入社五年目だな。おじさんの中身が若い身体に入るのは違和感がありますが、営業に年齢は関係ありません」
「頼もしいです」
* * *
転生して最初に出会ったのは、ドルクという名の元冒険者の老人だった。
五十代後半。左腕は肩から先がない。だが目は鋭く、背筋はまっすぐだった。
「神託を受けた。——『君たちの力になる人物が来る。支えてやれ』と」
ドルクはかつてAランクの冒険者だった。二十年間ダンジョンに潜り、パーティの若手を育て、四十代で片腕を失って引退した。引退後は王都の外れで静かに暮らしていたが、稼ぎ時代の蓄えは十分にあった。その彼のもとに、ツクヨの神託が届いたのだ。
「正直、何のことか分からなかった。だが神託は神託だ。——で、お前が『力になる人物』か。剣も持っていないし、魔法も使えなさそうだが」
「その通りです。剣も魔法も使えません。——保険を売りに来ました」
「……保険?」
「冒険者が死んだとき、その家族にお金を渡す仕組みです」
ドルクは黙った。しばらく、片腕で顎をさすっていた。——やがて、低い声で言った。
「……俺のパーティで、二人死んだ。遺された嫁と子供には、パーティの残りで金を出し合ったが——長くは続かなかった。あれは、今でも夢に見る」
「その苦しみを、仕組みで解決します。——当座の資金と、冒険者ギルドへの紹介を、お願いできますか」
「金は出す。紹介もする。——だが一つ条件がある」
「何でしょう」
「俺にも分かるように説明しろ。『保険』ってなんだか、さっぱり分からん」
「もちろんです。分かりやすく説明するのが、営業マンの仕事ですから」
「……で、その『保険』ってのは、魔法か何かなのか」
「魔法じゃないです。算数です」
ドルクが、片腕で頭を掻いた。
「……算数で家族を守る、か。変な男だな、お前」
ドルクの紹介状と資金を得て、俺は冒険者ギルドに向かった。
二 保険のない世界
異世界の冒険者ギルドは、想像していたよりずっと殺伐としていた。
受付カウンターに依頼書が貼られ、冒険者たちが報酬の額で依頼を選ぶ。Sランクの化け物みたいな大男もいれば、Eランクのチンピラみたいな若者もいる。共通しているのは、全員が武器を持っていて、全員が明日死ぬかもしれないということだ。
俺が転生したのは、ツクヨが言った通り、二十七歳の男性の身体だった。平凡な顔立ち、平凡な体格。前世と同じで、群衆に紛れたら見つからないタイプ。
——営業マンとしては最適だ。威圧感がないほうが、ドアを開けてもらいやすい。
まず、俺は冒険者ギルドの受付嬢に話を聞いた。
「すみません、冒険者が死亡した場合、遺族への保障はありますか」
受付嬢は首をかしげた。
「報酬の未払い分があれば、遺族に支払われます。それ以外は——特にないですね」
「冒険者の死亡率や怪我の率はどれくらいですか」
「正確にはギルドマスターに聞いていただきたいですが……死亡は年に百人に一人くらいです。でも、怪我で引退する人を入れたら、もっと多いです。それに、冒険者の家族は家もなかなか借りられなくて……——すみません、私忙しいんで、もういいですか?」
「……死亡が一パーセント。致命的な怪我による引退を入れれば、支払い対象は一・五パーセントというところか」
ツクヨから聞いていた数字と合致する。現場で確認できた。
そして何より、そのリスクが「存在するだけ」で、冒険者の家族は住居も融資も保証人も得られない。リスクの実際の大きさより、「リスクがあること自体」が生活を破壊している。
——保険屋にとって、これほど明確な「ニーズ」はない。
俺はギルドの掲示板の隅に、手書きのチラシを貼った。
『冒険者のご家族へ——「万が一」に備える仕組みのご提案。冒険者共済のご説明会を開催します。——ナカムラ』
初日、来た人数。
ゼロ。
二日目。
ゼロ。
三日目。
ゼロ。
——まあ、そうだろう。前世でも、飛び込み営業の成功率は二十件に一件だ。チラシで人が来るほど、保険は甘くない。
四日目。俺は作戦を変えた。
ギルドの食堂に行き、冒険者たちが飯を食っているところに声をかけた。
「すみません、少しだけお時間いただけますか」
「なんだ、新人か? 依頼の紹介なら受付に——」
「いえ、保険の話です」
「ホケン? なんだそれ」
「皆さんが毎月少しずつお金を出し合って、誰かが亡くなった時に、その家族にまとまったお金を渡す仕組みです」
テーブルの五人が、全員同じ顔をした。「何言ってんだこいつ」という顔だ。
前世で一万回は見た顔だ。慣れている。
「仮に、千人の冒険者が毎月銀貨二十枚ずつ出すとします。年間で銀貨二十四万枚。運営費を引いて、死亡や引退が合わせて十五人出ても、一人あたり銀貨一万枚が遺族に渡せます。次年度の準備金も残る計算です。三年分の生活費です」
「銀貨一万枚? そんな金、ダンジョン三十回分だぞ」
「ええ。でも、亡くなった方はもうダンジョンに行けません。残された家族がその金額を稼ぐのは——不可能ではないですか?」
五人の冒険者が、黙った。
隣のテーブルで、若い冒険者が婚約者らしい女の子と弁当を分け合っていた。笑い合っている。——あんな風に笑っている冒険者にも、「万が一」は来る。
一人が言った。
「……去年、うちのパーティの前衛が死んだ。嫁と子供が三人いたけど、金がなくて結局嫁さんの実家に引き取ってもらった。子供は学校を辞めた」
別の一人が言った。
「俺の先輩のパーティリーダーが、二年前に死んだ。罠から新人を庇ってな。残された家族は随分苦労したらしい」
——保険の必要性は、理屈では伝わらない。
「あの人が死んだとき、家族はどうなったか」。
その記憶が、保険を理解させる。
「つまり、あんたが言ってるのは——仲間が死んでも、家族が路頭に迷わないようにする仕組みか」
「はい。それが保険です」
「……悪くない話だな」
「ただし、条件があります」
「条件?」
「加入する際に、健康状態を申告していただきます。持病がある方は掛金が変わる場合があります。また——ダンジョンに入る前に、装備の点検と体調の確認を義務づけます。それから、怪我で引退を余儀なくされた場合——いわゆる『高度障害』の場合も、死亡と同額の共済金を支払います」
「死ななくても金が出るのか?」
「はい。怪我で戦えなくなっても、家族の生活は続きます。——あと、もう一つ。重大なルール違反や不正があった場合は『免責事由』となり、一枚も支払われません」
「免責?」
「『自分が死ねば家族に金が入る』と無謀な特攻をかけるやつや、高度障害の給付金目当てで自分の怪我を偽装するような輩には、びた一文払いません。受取人である遺族が保険金目当てで暗躍したような場合も同様です。——保険があるからってわざと危険な行動をする。業界では『モラルリスク』と呼びますが、要は『たかり』や『犯罪』です。二十年の経験で、そういう人間の対策は嫌になるほどやりました」
「保険は『みんなのお金』で運営します。無謀な冒険で支払いが増えたら、保険が破綻します。だから、リスクを下げる努力をしてもらう。——結果として、皆さんの生存率が上がります。それに、『保険に入っている』という事実があれば、家も借りやすくなる。子供の学校の保証人も見つかる。『万が一の時の備えがある』という信用が、日常生活を楽にします」
「保険のために生存率が上がる?」
「はい。以前聞いた話ですが、ある国では保険の加入者に健康診断を推奨した結果、病気の早期発見が増えたそうです。保険は『死後のお金』ではなく、『生きるための仕組み』なんです」
五人のうち一人が、腕を組んで言った。
「——面白い。だが、お前に預けた金を持ち逃げしない保証はあるのか」
「ありません」
「ないのかよ」
「だから、ギルドに管理を委託します。俺個人ではなく、ギルドの名前で運営する。集めた掛金はギルドの金庫に入れ、支払いもギルドを通す。俺は制度の設計と運営の助言をするだけです」
「……お前の取り分は?」
「掛金の二割を運営費とします。一割がギルドへの管理委託費、もう一割が俺の報酬と経費です」
「二割か。高いな」
「前世の保険会社は三割以上取ってました」
「ぼったくりだな」
——「前世」。うっかり口にしたが、止めなかった。この世界で俺が転生者だと知っているのはドルクだけだ。他の冒険者には「保険という仕組みを考えた男」としか思われていない。今の、「前世」は——まあ、酒の席の冗談ぐらいに思ってくれればいい。
「……否定できません」
* * *
三 最初の一件
冒険者共済の加入者を集めるのに、二ヶ月かかった。
その二ヶ月、俺の生活を支えていたのはドルクの援助だった。古びた宿屋の一室を借りて、ドルクから渡された資金で食いつなぎ、共済の制度設計を続けた。加入者が集まるまでは収入ゼロだ。ドルクは文句も言わず、月に一度、食事を共にしながら進捗を聞いてくれた。「あの神託に賭けたからな」とだけ言って。
前世の営業と同じだ。断られて、断られて、断られて。「保険なんかいらねえ」「死んだらそこまでだ」「俺は死なない」。——何百回聞いたか分からない台詞だ。
転機は、Bランク冒険者のガルドという男だった。
ガルドは四十代後半。パーティのリーダーで、妻と二人の子供がいる。俺が説明会を開くたびに、後ろのほうで腕を組んで聞いていた。質問はしない。加入もしない。ただ、毎回来る。
五回目の説明会の後、ガルドが話しかけてきた。
「ナカムラ。一つ聞いていいか」
「はい」
「俺が明日死んだら、嫁と子供はどうなる」
「現状では、報酬の未払い分だけです。ガルドさんの月収が銀貨三百枚なら、一ヶ月分の生活費で終わりです」
「共済に入ったら?」
「現在の設計では、死亡時に銀貨一万枚が支払われます。ガルドさんの家族なら、三年分の生活費です。その間にお子さんが成長して働けるようになるか、奥様が仕事を見つけるか——時間を買えます」
「……時間を買う、か」
「保険は時間を買う仕組みです。死を防ぐことはできません。でも、残された家族が立ち直るまでの時間を作ることはできる」
ガルドが黙って、しばらく天井を見ていた。
「俺の親父も冒険者だった。四十二歳で死んだ。お袋は俺を育てるために、昼は酒場で、夜は賭場の掃除をしていた。俺がギルドに入ったのは十二のときだ。他に選択肢がなかった」
——四十二歳。俺が死んだ歳と同じだ。
その偶然に、胸が詰まった。
「……」
「あの時、こういう仕組みがあったら——お袋はあんなに苦労しなくて済んだのかもな」
「加入されますか」
「ああ。——ただし、条件がある」
「何ですか」
「俺のパーティ全員分、一括で加入する。五人分だ」
「ありがとうございます」
「礼を言うな。——これは俺が、親父にしてやれなかったことだ」
ガルドが加入したことで、流れが変わった。
Bランクのベテランが入ったという事実が、ギルド内での信頼になった。一ヶ月で加入者は五人から五十人に増えた。三ヶ月で百人を超えた。
そして——半年後、最初の「支払い事由」が発生した。
* * *
四 最初の支払い
死んだのは、Cランクの冒険者、コルトという二十二歳の青年だった。
ゴブリンの巣の討伐依頼。本来なら危険度の低い依頼だったが、巣の奥に上位種が潜んでいた。パーティの前衛が崩れ、コルトが殿を務めて仲間を逃がした。
仲間は全員生還した。コルトだけが帰らなかった。
コルトには、婚約者がいた。
リーナという、パン屋で働く十九歳の女の子だ。
俺はリーナのもとを訪ねた。
前世で何度もやったことだ。受取人のもとに行き、保険金の支払い手続きをする。
——これが、保険営業で一番つらい仕事だ。
リーナは泣いていなかった。
泣き疲れたのだろう。目が赤く腫れていて、声が枯れていた。
「リーナさん。冒険者共済の担当のナカムラです。コルトさんのことは——」
「知ってます。ギルドから聞きました」
「お悔やみ申し上げます。——今日は、共済金のお支払いの手続きに参りました」
リーナが不思議そうな顔をした。
「共済金?」
「はい。コルトさんは冒険者共済に加入されていました。死亡時の共済金として、銀貨一万枚が支払われます」
「……銀貨、一万枚」
「はい」
「なんで——」
リーナの目から、また涙がこぼれた。
「なんで、コルトはそんなものに入ってたんですか。保険なんて——コルトは一度も私に言ってなかった。毎月、お金が足りない足りないって言ってたのに——」
俺は黙って聞いた。
「あの人、いつも『次のダンジョンでいい素材が出たら、リーナに指輪を買う』って言ってた。——なのに、保険にお金を使ってたの?」
「加入申込書をお見せしてもいいですか」
俺は書類を見た。加入時のアンケートに、コルトの字で書いてあった。
『加入動機:婚約者がいるので、自分に何かあっても困らないようにしたい』
リーナに見せた。
リーナはそれを読んで、声を上げて泣いた。
「馬鹿……指輪なんかいらなかった……」
——前世の研修で教わった言葉がある。『保険は愛です』。
当時は営業トークだと思っていた。今は違う。
保険は、形式的で、退屈で、毎月の引き落としでしか存在を感じない。でも——本当に必要な瞬間に、「あの人は、あなたのことを考えていましたよ」と証明してくれる。
コルトは指輪を買えなかった。
代わりに、婚約者の三年分の生活費を残した。
——どちらが愛の証明かは、リーナがいつか気づく。
* * *
五 保険が変えたもの
冒険者共済の加入者が二百人を超えた頃、副次的な効果が出始めた。
冒険者の死亡率と、怪我による引退率が、どちらも下がったのだ。
理由は単純だった。
加入時に義務づけた「装備点検」と「体調確認」が効いた。
それまで冒険者たちは、壊れかけの鎧で出撃し、二日酔いのままダンジョンに入り、回復ポーションの残量を確認せずに戦っていた。
共済の加入条件として「出発前チェックリスト」を導入したところ、装備不良による死亡が激減した。
「ナカムラ、おかしなことが起きてるぞ」
ギルドマスターのバルトスが言った。
「なんですか」
「今期の死亡率と怪我引退率が、前年比で三割減った。さらに、冒険者への志願者が前年の二倍に増えた。——それとな、受付のアリサが『共済のおかげで、冒険者の家族からの問い合わせが減って助かる』と言っていたぞ」
——あの「忙しいんで」の受付嬢か。保険が受付の仕事まで楽にしている。悪くない。
「そうですか」
「お前、何かやったのか」
「保険を売っただけです」
「保険を売ったら死亡率が下がって、志願者が増えるのか?」
「はい。保険は『死んだ後のお金』ではなく、『死なないための仕組み』でもあるんです。加入者に健康管理を促し、リスクを減らすことで、保険の支払いも減る。保険会社も加入者も、どちらも得をする。それに、『冒険者にも保障がある』と分かれば、『あの仕事、悪くないかも』と志願する人が増える。保障が人材を呼ぶんです」
「……お前の考えた仕組みってのは、よほど頭のいい人間の発明だな」
「いいえ。ただの保険のおじさんでした」
バルトスが鼻を鳴らした。
「ただの保険のおじさんが、冒険者の死亡率を三割下げて、志願者を倍にした。——勇者でもできなかったことだぞ」
「勇者は魔物を倒せます。でも、鎧の手入れを忘れた冒険者を止めることはできない。別の仕事です」
* * *
六 チートの聖騎士
共済事業が軌道に乗った頃、ギルドに一人の聖騎士がやって来た。
Sランク冒険者。チート持ち。聖剣と癒しの盾を操る「銀嶺の騎士」ヴァルク。
——王国随一の英雄だ。
ヴァルクはギルドの掲示板に貼ってある共済のチラシを見て、俺のところに来た。
「これは何だ」
「冒険者共済です。万が一の時に、家族に共済金が支払われる制度です」
「必要ない。俺は死なない」
「全員そう言います」
「俺はSランクだ。Cランクの雑魚とは違う」
俺は笑わなかった。
「ヴァルクさん。お一つ聞いてもいいですか」
「何だ」
「パーティメンバーの方の保障はどうなっていますか」
「……何?」
「ヴァルクさんは死なないかもしれません。でも、パーティメンバーの方は? 癒しの盾が万能でも、即死攻撃には間に合わない。ヴァルクさんが前衛で戦っている間に、後衛が不意打ちで即死したら——盾を構える暇もありませんよね?」
ヴァルクが黙った。
「前のダンジョンで、後衛の魔法使いが重傷を負ったと聞いています。その方には奥様がいらっしゃいましたね」
「……なぜ知っている」
「ギルドの記録を調べました。——保険は、リーダーのためだけの制度ではありません。パーティ全員の家族を守る仕組みです」
ヴァルクが歯を食いしばった。
「……パーティ全員分、加入する。——五人分だ」
ガルドと同じ言葉だった。
強い人ほど、仲間の弱さに気づくのが遅い。でも、気づいた時の決断は速い。
「ありがとうございます。——あとヴァルクさん、一つだけ」
「何だ」
「加入時の健康診断を受けてください。右肩、少し庇っていませんか?」
「……なぜ分かる」
「保険の営業を二十年やると、体の不調を隠している人が分かるようになります。——さっき、掲示板のチラシを指差した時に剣を左手に持ち替えましたね。右肩が痛いのに人前では見せない。昔の戦傷ですか?」
「…………」
「持病や怪我を隠して加入するのを、保険の世界では『告知義務違反』と言います。いざという時に免責になる可能性があります。死なないための第一歩は、自分の身体を知ることです。——お医者さんに診てもらってください」
ヴァルクが、初めて笑った。
「保険の営業って、そこまでやるのか」
「お客様の健康が、保険の一番の基盤ですから」
* * *
七 一年後
冒険者共済の加入者は千人を超えた。
この一年間で、支払い事由は七件。死亡五件、怪我による引退が二件。
ギルド全体の統計から算出した想定では、千人規模なら例年十五件以上の支払いが発生するはずだった。出発前チェックリストの効果が、数字に表れていた。
支払った共済金の総額は、銀貨七万枚。七つの家族が——路頭に迷わずに済んだ。現在の月間掛金収入は銀貨二万枚に達している。この一年間の累計で約十五万枚。次年度の準備金に回す余裕もできた。
その中に、ガルドのパーティの若手の一人がいた。二十歳の魔法使い。遺族は母親だけだ。共済金で母親は実家の小さな畑を維持し、暮らしていける。
ガルドが俺のところに来た。
「ナカムラ」
「はい」
「お前の仕組みが、あいつの母ちゃんを救った」
「仕組みが救ったんじゃありません。毎月、銀貨二十枚を払い続けた加入者全員が救ったんです」
「……お前はいつも、自分の手柄にしないな」
「保険は一人では成り立ちません。みんなでちょっとずつ出し合うから、誰かを守れる。——俺はその仕組みを設計しただけです」
ガルドが鼻を鳴らした。
「勇者はチートで魔物を倒す。お前は——何で戦ってるんだ?」
「電卓と、約款と、説明資料です」
「この世界に電卓はないぞ」
「木枠と玉で作らせた『そろばん』という計算機で代用してます」
ガルドが笑った。
「お前、一番冒険者っぽくない奴が、一番冒険者の家族を守ってるな」
「営業マンですから。お客様の『万が一』に備えるのが仕事です」
* * *
ある夜、俺はギルドの食堂で飯を食っていた。向かいに、ドルクが座っている。月に一度の食事の日だ。
「加入者、千人を超えたそうだな」
「おかげさまで。——最初の二ヶ月、ドルクさんが支えてくれなかったら、何も始まっていません」
ドルクは片腕で麦酒を傾けた。
「神託に賭けただけだ。——だが、俺のパーティの二人の嘆きと同じ嘆きを、ほかの家族がしなくて済んでいる。それで十分だ」
——そうか。
前世と同じだ。昼はお客様のところを回り、夜は事務処理。帳簿をつけ、掛金の計算を確認し、来月の説明会の資料を作る。地味で、退屈で、誰も褒めてくれない仕事だ。
——でも、この世界には保険がなかった。
誰かが死んでも、残された人が泣くだけだった。
金の問題で子供が学校を辞め、配偶者が身体を壊して働き、家族が壊れていった。
今は違う。
共済金という形で、「死んだ人の想い」が家族に届く。
コルトが残した銀貨一万枚。
あの金は、コルトが婚約者に買えなかった指輪の代わりだ。
毎月の銀貨二十枚は、「俺が死んでも、お前は大丈夫だ」というメッセージだ。
保険証券にサインした瞬間に——人は、家族への手紙を書いている。
「万が一の時」と書いてある書類は、「お前のことを考えている」と読み替えていい。
前世でも、異世界でも、それは変わらない。
この世界の回復魔法は一秒で傷を治す。
保険は何も治せない。
——でも、残された人の三年間を、守ることはできる。
どちらが「チート」かは——遺族が、教えてくれる。
(完)
お読みいただきありがとうございます!
「保険を売って異世界無双」という、おそらく史上最も地味なチートなし転生ものを書いてみました。
保険は嫌われがちです。「必要ない」「死なないし」「お金がもったいない」。前世でも異世界でも、断り文句は同じです。
でも——本当に「万が一」が来た時、毎月の掛金が家族を守る。保険証券にサインした瞬間は、「あの人は、あなたのことを考えていましたよ」と証明する瞬間です。
保険は地味で、退屈で、誰も褒めてくれません。
でも、「残された人が路頭に迷わない」ことほど強いチートは、どの世界にもありません。
☆評価・ブックマーク・感想——どれか一つでも、ものすごく励みになります。
***
凡人枠シリーズ、他の作品もあります:
→【連載版】チートで荒らされた領地に赴任したら、前世が地方公務員だったので普通の行政で立て直すことにした(毎日更新中!)
→「悪役令嬢、断罪されたので謝罪します ~前世が百貨店クレーム対応部長(勤続25年)なので、プロの謝罪で全員黙らせてもいいですか?~」
→「チートの回復魔法で治せない病が流行ったので、前世が小児科医だったから普通の診察で子供たちを救うことにした」
→「悪役令嬢、断罪されたので反対尋問します ~前世が弁護士なので、法的思考で王子に和解を呑ませてもいいですか?~」
よろしければそちらもぜひ!




