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的中率100%の占い師ですが、運命の相手を追い返そうとしたら不器用な軍人がやってきました  作者: 水凪しおん


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第10話「雨と泥の戦場」

 灰色の空から、容赦なく大粒の雨が降り注いでいた。

 国境付近の山岳地帯、「黒狼の谷」と呼ばれるその場所は、切り立った岩壁と深いぬかるみに覆われた過酷な地形だった。

 李翔は血と泥にまみれた剣を握りしめ、荒い息を吐いていた。

 部隊は敵の巧妙な罠にはまり、この谷底の古い砦跡に追い詰められていた。部下の半数は負傷し、動くことすらままならない状態だ。周囲は完全に包囲されており、援軍が到着する見込みは絶望的だった。


「少校……申し訳ありません。私のミスで……」


 足元で倒れている若い兵士が、苦痛に顔を歪めながら謝罪を口にした。


「喋るな。傷が開くぞ」


 短く言い、兵士の傷口を布で強く圧迫した。

 自身の肩にも深い裂傷があり、雨水と混じって絶えず血が流れ出している。視界は霞み、立っているのがやっとの状態だった。


『ここまで、か』


 脳裏に浮かんだ絶望を、必死に振り払った。

 生きて帰らなければならない理由がある。煌都の薄暗い裏路地で、温かいお茶を淹れて待ってくれているはずの、あの冷涼で美しい青年の元へ。

 顔を思い浮かべるだけで、胸に不思議な力が湧いてくるのを感じた。


「総員、構えろ! 最後の突撃が来るぞ!」


 声を振り絞り、部下たちを鼓舞した。

 岩陰から、数十人の敵兵が雄叫びを上げて一斉に襲いかかってきた。

 先頭に立ち、迫り来る敵の刃を剣で弾き返した。泥に足を取られながらも、必死に部下を守るために剣を振るう。

 しかし、多勢に無勢。疲労困憊の動きは次第に鈍り、背後から迫る敵の槍に気づくのが遅れた。


「少校!」


 部下の悲痛な叫び声が響く。

 振り返る余裕もなく、迫り来る死の気配に全身の筋肉を硬直させた。

 その瞬間だった。

 ヒュッ、という鋭い風切り音が響き、背後から迫っていた敵兵の顔面に何かが猛烈な勢いで命中した。


「ぐあっ!」


 敵兵は悲鳴を上げて仰け反り、槍が大きく逸れる。

 驚いて振り返った。

 谷の上の岩場に、分厚い外套を羽織った小柄な人影が立っていた。手には、石を投擲するための革紐が握られている。

 雨で視界が悪い中、その人物は岩を軽やかに飛び降り、泥だらけの斜面を滑り降りて駆け寄ってきた。

 外套のフードが風でめくれ、見覚えのある冷涼な美しい顔が露わになった。


「紫……苑殿……!?」


 自分の目を疑った。幻覚でも見ているのかと思った。


「呆けている暇はありませんよ! こっちです!」


 声は、雨音に負けないほど凛と響いた。

 腕を強く引き、砦の奥にある崩れかけた石壁の裏へと誘導した。


「なぜ、あなたがこんなところに……!」


 混乱しながらも、誘導に従って部下たちと共に身を隠した。


「説明は後です。それよりも、この煙幕を使ってください」


 鞄から小さな陶器の玉をいくつか取り出し、手に押し付けた。


「これは、強力な目眩ましの薬草が詰まっています。敵の風上に投げて、その隙に谷の出口へ向かうのです。道は私が案内します」


 瞳には、かつて見たことのない強い意志の光が宿っていた。

 その瞳を見て、彼が本物であり、自分を救うためにこの地獄のような戦場へやってきたのだと理解した。


「……わかった。あなたの指示に従う」


 煙幕の玉を受け取り、部下たちに合図を送った。


「全員、私に続け!」


 岩陰から飛び出し、敵の群れに向かって煙幕の玉を力一杯投げつけた。

 陶器が割れる音と共に、強烈な刺激臭を放つ黄色い煙が爆発的に広がる。敵兵たちはむせ返り、目を押さえて地面にうずくまった。


「今です! こちらへ!」


 先頭に立ち、複雑に入り組んだ岩場のルートを迷いなく進んでいく。

 事前に占いで地形を完全に把握していたかのように、敵の死角となる獣道を的確に選んで進んだ。

 負傷した部下の肩を貸しながら、必死に背中を追った。

 細い肩が、雨に打たれて震えている。足元は泥で滑り、何度も転びそうになりながらも、決して歩みを止めようとはしなかった。


『彼を、守らなければ』


 胸の奥で、アルファとしての本能ではなく、一人の人間としての強烈な庇護欲が燃え上がった。

 どれくらい走っただろうか。

 煙幕と地形の複雑さのおかげで、敵の追跡を完全に振り切ることに成功した。

 谷を抜け、雨の当たらない洞窟へと辿り着いた時、全員が泥水の中に倒れ込むようにして座り込んだ。


「……助かった」


 荒い息を吐きながら、紫苑の方を見た。

 洞窟の壁に寄りかかり、目を閉じて激しく咳き込んでいた。顔色は紙のように白く、外套の下の体は小刻みに震えている。


「紫苑殿!」


 慌てて駆け寄り、体を抱き起こした。


「大丈夫ですか。どこか怪我を……」


 手が体に触れた瞬間、小さく身をよじり、苦しげな声を漏らした。


「触ら、ないで……」


 拒絶の言葉に、動きを止めた。

 その時、鼻先をこれまで嗅いだことのないような甘く濃厚な香りがかすめた。

 春の夜の狂おしいほどの甘さと、切ないほどの情熱を含んだ、オメガ特有の香りだった。

 心臓が、ドクンと大きく跳ねた。

 大量に飲んだ抑制剤の効果が切れ、極度の疲労と恐怖によって、隠し続けていた本能の香りが一気に爆発したのだ。

 涙ぐんだ目で見上げ、震える声で懇願した。


「離れて……お願いです。私を、見ないで……」

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