第3話 練習という名の、外出
土曜日。
駅前は、朝からもう夏の匂いがしていた。
俺の名前は瀬能淳弥。
身長百七十センチ、黒髪短め、フツメン。
今日は――隣の席の地味女子と、二人で外出する。
理由は「練習」。
そう、あくまで練習だ。
◆◆◆◆
待ち合わせ場所に、十分前に着く。
(……早すぎた)
自販機の前で時間を潰していると。
「……せ、瀬能くん……」
背後から、聞き慣れた声。
振り向くと、笠井夏羽が立っていた。
白い半袖ブラウスに、薄い水色のスカート。
髪はいつもより少しだけ整っている。
「……お、おはよう……」
「お、おはよう」
目が合って、すぐそらす。
「……今日……暑いね……」
「……だな」
沈黙。
でも、昨日よりはマシな気がした。
◆◆◆◆
「……どこ……行く……?」
「……その……」
夏羽は、小さく指を立てる。
「……人……多いとこ……」
「……人の声、聞くって言ってたな」
「……うん……」
駅前のショッピングモールへ向かうことにした。
中は冷房が効いていて、少し安心する。
「……わぁ……」
夏羽が、きょろきょろ見回す。
「……人……いっぱい……」
「……これが目的だろ」
「……う、うん……」
歩いていると、急に人が増えた。
「……っ」
誰かに押されて、よろける夏羽。
「うわっ」
反射的に、腕を掴む。
「……っ」
「だ、大丈夫か?」
「……う、うん……」
近い。
思ったより、近い。
夏羽のメガネの奥の目が、見える距離。
「……あ……」
「……あ」
慌てて、手を離す。
「……ご、ごめん……」
「……だ、大丈夫……」
顔が、ちょっと赤い。
俺もだ。
◆◆◆◆
フードコートの端の席に座る。
「……喉……乾いた……」
「……何飲む?」
「……れ、レモン……」
レモンジュースを二つ買って戻る。
「……ありがとう……」
ストローをくわえる夏羽。
「……あの……」
「ん?」
「……声……少し……出してみても……いい……?」
「……いいんじゃないか」
「……その……
灰崎の……台詞……」
「……え」
心臓が跳ねた。
「……聞いて……ほしい……」
「……わ、わかった」
夏羽は、目を閉じる。
「……君の声が……
世界を照らす……」
小さな声。
でも、ちゃんと――
あの声だった。
「……どう……?」
「……」
正直、言葉が出ない。
「……前より……」
「……?」
「……優しい感じ……する」
「……やさしい……?」
「……前は……
ちょっと……無理してる感じ……だった」
夏羽は、考え込む。
「……そっか……」
◆◆◆◆
立ち上がるとき、事件は起きた。
俺の足が、バッグの紐に引っかかる。
「うわっ」
「……きゃ……」
夏羽に、倒れ込む形になる。
ドン。
「……っ」
額が、軽く当たる。
「……ご、ごめん!」
「……だ、大丈夫……」
顔が、近い。
近すぎる。
目が合う。
「……あ……」
「……あ……」
周囲のざわめきが、遠くなる。
「……な、何してんだろ……俺たち……」
「……れ、練習……」
「……そうだな……」
二人同時に、離れる。
「……す、すみません……」
声が、裏返った。
夏羽は、俯いたまま。
「……瀬能くん……」
「……ん?」
「……今日……来てくれて……
ありがとう……」
「……いや……」
胸が、ちょっとだけ、あったかい。
◆◆◆◆
帰り道。
「……また……行こ……」
「……え?」
「……練習……」
「……ああ……」
夏羽は、少しだけ微笑った。
ほんの一瞬。
隣の席の、地味な女子。
その正体は、
俺の推しのバーチャル声優。
だけど今は――
ただの、練習相手。
……のはずだった。




