8.過去の話(海へ)
俺のうちが没落したから、当然、ウィーザーの親父も職を失っている。庭師は妻の実家に夫婦ともども移住したらしい。酪農をしている母の実家に、ウィーザーはついていかなかった。
なんでだと訊いたら、「坊ちゃんが心配だったからだろ」と、けろりと応えられた。本気かどうか疑う発言だった。
「いっしょに海を見に行くって云ってたしな」
大陸には、家畜がいる。《第七災害》を生き残ったのは人間だけじゃない。それに、女神からもたまに、謎に生きたままの山羊とか牛とか出てくるんだ。このころの俺は「酪農」と聞いても、よくイメージできなかったが。わりと、いい値で売れるらしい。総数が多くないもんな。
「その服じゃ、旅はできない。着替えよう」
街に戻り、まず俺のハンカチと靴とを売って、一般的な男の服や靴を中古で買った。歩くのが前提だったから、靴は頑丈なのを。着替えてから、こんどはスーツを売って路銀を作った。ウィーザーが腰につけていた剪定ばさみも、路銀に変わった。
海まで徒歩で、一か月ていどの旅だった。
家から外の世界に出られているが、さほどの感慨もない。知らないものが多いから驚きはしたが、それだけだった。俺は、ふつうの労働者すら知らなかったからな。
世間の常識みたいなのは、だいたいウィーザーから教わった。
冷静になったら、なんでこいつ、いっしょにいるんだ、と思った。
「俺、おまえに給料は払えないが」
「うん。だから、海辺の町に着いたら、いっしょに職を探そう。勉強はできるんだろ? だったら、就ける仕事も多いはずだ」
庭師も簡単な書類は書くから(どの花をいくつ植えたとかの履歴とか)、ウィーザーも初歩的な読み書きはできる。計算は苦手だった。
仕事を探すなんて発想は、俺にはなかった。父の跡を継ぐはずだったから。
(そうか……もう、なにをしてもいいのか……)
自由になったのだと、やっと思えた。
腕の刺青ばかりは、消えないのだけど。
×××
海沿いの街でたまたま《採掘師》の集団に出会って、ウィーザーが「やってみたい」とか云うから、その集団にまぜてもらって、なりゆきで俺も《採掘師》になった。最初は雑用、そのうち見習いになる。見習いになった時点で、《採掘師》の協会に登録が必要になった。
そのチームは三十人を超していて、女も五人いたから、俺がまざっても問題はなかった。十年ぶりに女として扱われるのは不思議な気持ちだったが、ことばとか服装とかは、戻らないどころか悪化した。
さすがに父も、いまの俺みたいなことば遣いは望んでいなかったと思うんだよな。海の男どもといっしょだったせいかね。
罪人の証のある俺だが、《採掘師》の協会に登録するのは問題なかった。
もともと、寒冷地の《採掘師》たちは罪人の集団で、軍に管理されながら徒刑でやっているとか聞くし。脛に傷持つやつも多いのだ。この三十人超のチームにも、刺青を持つ者は複数いた。
どちらかというと、ウィーザーが「やりたい」と発言したのより、俺に刺青がついているから、チームは受け入れてくれたのだ。ほかに、行くところがないから。
そのチームに三年ほど世話になって、独立した。三年のうちに人数が増えてしまっていたから、ちょうどよくもあったのだ。ハロルドを含めた三名がそのときについてきてくれて、アックスとキースとは、あとから合流した。
独立からは七年。チームの人数は増えたり減ったりで、現在は十名。これ以上は管理も大変だし、増えないかもな。減ったら減ったで大変なんだが。
人員は、協会からまわされるケースもあるし、飛び入りで弟子入り希望が来たりもする。俺とウィーザーは、後者タイプで仕事をはじめたわけだな。ラミアも。
《採掘師》の総数がどれくらいなのか俺は知らないが、年に何十人も増えるものじゃない。協会のある島に養成所みたいなのがあるらしい。食い詰めた結果としても、女神に対しての信仰心が強いやつは、まず扉を叩かないよな。ふつうは。
うちのチームで女神にこだわりがあるのは、ウィーザーだけだ。いや、女神に感謝してたり、仕事を与えてくれるって意味で女神を好きでいるやつはいる。
ウィーザーがいちばん、信仰に近い感情を持っていた。厳密には信仰とも違うんだろうが、なんだろな、あれ。
あいつの女神に対しての感情を、俺はいまだによく汲めていない。
ところで、ウィーザーが血が駄目になった原因は俺にある。
衝動的に腕にある刺青を消したくなって、まあ、やっちゃったわけだ。ナイフで。
ふたりで海沿いまでの旅をしている最中だった。
ちょっと皮を剥ぐだけのつもりだったのに、血が止まらなくてびっくりしたな。
正直、それやったらどうなるのかは、考えなかった。ナイフをざくりとやったら血が出てきたので、完遂できなかったし。
なんで生きてるんだろうな、俺。
そのときは、ウィーザーはぶっ倒れたりはしなかった。顔面蒼白だったが。
応急処置をしてくれて、その町の病院に俺を担いで駆け込んだ。病院代は、後日、そこで肉体労働をして払った。
左腕をやっただけでそんな状態だったので、右腕はなにもしていない。
怒られたし、泣かれた。理由は問われなかった。刺青のせいなのが明白だしな。
破瓜の血でも倒れたからな、あいつ。俺のほうがびっくりした。
どうも、俺が死ぬかと思ったらしい。もし、本当に死ぬような状況だったら、悠長に倒れてないで助けてほしいんだが。
なんというか、血が、俺が腕を切ったときを思い出させてしまうらしい。そうとうショックだったんだな、あいつにとって。あのときとは違うのに、いまでも血を見ると感情が昂って、脳が体の機能を停止させてしまうくらい。
困ったもんだよな。
まあ、そんなわけで俺は、どんなに暑くても半袖は着られない腕になっている。刺青だけでも、人目には晒せないしな。以前のチームとか、知ってるやつは知ってるけども。
ひとの多い街よりは、海で暮らしているほうが気楽でもあった。長くやれる仕事じゃないし、いつかは、海からも離れないとなんだが。いまは、考えたくない。




