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Goddess mine ~女神を冒す仕事をしているので、女神崇拝者には嫌われています~  作者: 奏ゆう


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7.過去の話(貴族の家と、腕の刺青)

 

 

 蝶よ花よと育てられるはずだった俺の世界は、六歳で一変した。

 病で、ひとつ上の兄が死んだのだ。

 公的には、死んだのは妹、という話になった。まあ、跡取り問題でだな。

 ようするに、リチャードとは、兄の名前だ。愛称がリック。

 俺のもとの名前は、もうない。呼ぶ者もいないし、忘れてしまった。二十年も前に、その女の子は死んだのだ。

 俺を女だと知るやつは、偽名だと思っている。違うんだな。ある時期までは、公的に、それが俺の名前だった。そのまま名告っているだけだ。海に出たあとも、ほかに、名告る名を思いつかなかった。協会に登録してある名前も「リチャード」になっている。

 「おまえはリチャードだ。そうだな、我が息子よ」

 「……はい、お父様」

 名前を剥奪され、死を偽装され、ことば遣いも服装も矯正された。男に見えるよう、姿勢にも振る舞いにも干渉された(とはいえ、「俺」ではなく、普段は「僕」、公的な場では「私」にするようにされた。公的な場になんて出なかったが)。

 厳しくされるのも、父が、ひとが変わったようになっているのも、いやだった。

 「勉強は進んでいるか? おまえはこの家を継ぐのだからな。立派な男にならねば」

 兄がいなくなったのも哀しくて寂しいのに、自分に降りかかる責任が怖くて、いやだった。

 「リチャード、おまえに女の友達などいないだろう」

 交友関係も、すべて切られた。母は父に従い、娘の味方には、なってくれなかった。

 めそめそしていたら、「男が人前で泣くんじゃない」と父に云われた。男にされるのがいやで泣いているのに、理不尽すぎないか? だが、「自分は女だ」と、父に抵抗もできなかった。

 人前と云っても、外に出してもらえなかったから、いたのは父と使用人たちだけだ。兄の振りが完璧にできるようになるまで、父は俺の外出を認めなかった。

 俺の感情は、あのころにだいぶ死んだのだと思う。

 いろんな諦めをおぼえた。そうでなくては、生きていられなかった。

 「跡取りのリチャードは病弱で外に出られない」とのシナリオができた。父も、家にひとを呼ばなくなった。

 俺が会えるのは、父と母と、一部の使用人だけ。

 そんな状態で、十年が過ぎた。

 ここでやっと登場するのが、ウィーザーだ。

 やつは、庭師の息子だった。

 俺が部屋から脱走し、庭に隠れていたときに逢った。互いに十六歳。

 庭師は俺が女だと知らなかったから、息子も当然、知らなかった。「坊ちゃん」と呼ばれた。

 感情がほぼ死んでいたから、脱走もめったにしなかったんだが。どうしても我慢できなくなったときには、庭に逃げた。

 フランス式整形庭園だと云われている。フランスがどこにあったのかは、いまの世では、もうわからない。海の下になっているはずだ。

 「坊ちゃん、また逃げてきたのか?」

 綺麗に剪定されている緑のなかでは、隠れる場所も少ない。

 庭の隅の、大きな木が並ぶあたりで、俺は体を小さくしていた。

 広くても、庭に詳しい者にはすぐ見つかる。

 べつに、ドラマチックな出逢いとかでもなかった。屋敷の跡取り息子と、使用人の息子。庭師だったら、ほとんど話すこともない。

 庭は屋敷の顔なので、庭師の待遇は、わるくはなかったはずだが。

 大陸にも塩害で植物が育たない場所がある。食物としてではなく、庭を飾るものとして植物を植えるのは、贅沢な話だった。

 屋敷のほうでは、父やほかの使用人が俺を探しているが、ウィーザーは俺を見つけても、そのままにしていた。

 ふたつほどボタンを開けた生成り色のシャツに、黒いボトムにサスペンダー。麦わら帽子と、首からさげたタオル。冴えない格好だが、屋敷のなかでは見ないタイプの服装なので、俺には珍しかった。執事やメイドは、こうじゃないからな。

 あとから知ったが、これでも作業者としては、小綺麗なほうだったのだ。麦わら帽子とか、そんなに流通もしていないらしいし。大陸で麦は栽培できていなくもないが、量は多くないしな。

 「坊ちゃん、腹減ってないか? 林檎あるぞ」

 「……食べる」

 歳の近い同性だと思っていたからか、ウィーザーの態度はフランクだった。庭師であるヤツの父親が知ったら、たぶん息子を叱りつけただろうが。

 俺は十年も友達がおらず、ひととの会話に飢えていた――のかもしれない。自覚はなかったが。

 林檎を食べながら、ウィーザーの話を聞いた。庭師の仕事も楽しいけれど、いつか海に出てみたい、だとか。いちどだけ見た女神が美しかった、だとか。

 「女神……?」

 家に閉じ込められている俺は、教会に礼拝にも行けていない。

 しかし、教義に女神は許されただろうか、と思った。

 「おまえは、多神教の教徒なのか?」

 「いや、違うが。坊ちゃんは女神を知らないのか?」

 大陸の中央では、女神信仰は盛んではなかった。そのころの俺が知らなかっただけで、女神教会も大陸にあるにはある。女神教会以外に古い一神教の宗教があるが、大陸に残っているだけで、島では信じられなくなっていた。

 大陸だって端のほうに行けば、女神が見えるしな。眼に見えるものを信じる者は多い。

 救いをくれない、存在も知れぬ神より、そこに「いる」女神を信じるようになるのは、まあ、ふつうのなりゆきだ。

 じっさいに女神を眼にするようになっても、俺はウィーザーほど素のままの女神を美しいとは思っていないが。ちょっと美的感覚がおかしいんじゃねえかな、あいつ。

 まあ、醜いとも思ってないが。美しく整えられた女神は好きだ。お宝が多い女神も。

 ただ、俺が女神に感じているのは、信仰とは違う。

 なんだろうな。感謝はあるし、畏怖もある。

 だが、信仰の対象ではない。

 十六歳のウィーザーは女神を知らぬ俺に対して女神を褒め称え、「そんなに綺麗なら、見てみたいかもな」ということばを俺から引き出した。

 「見に行くか?」

 行けないのは、わかっていた。完璧に「兄」になれない限り、俺は屋敷の敷地内から出られない。

 だが、「十七歳のリチャード」なんて、俺も父も知らないのだ。兄は七歳で死んだのだから。

 正解なんて知らないし、見本もない。父の望むようにはできなかった。

 友達がおらず、同年代の男を知らないから、ちょうどいいサンプルもない。俺は男の振りをしていても、「その年頃のリチャードらしく」なれていなかった。

 ウィーザーが同年代でも、これを見本にはできない。「リチャード」は庭師ではないのだ。

 だから俺は、ウィーザーの提案に頷きたくても頷けなかった。曖昧に濁して終わった。暗くなってきたし、自主的に部屋に戻ったのだ。どうせ、外には行けないのだから。

 何回か、部屋から脱走するたびに、庭でウィーザーに逢った。やつはたいてい果物を持っていて、俺にくれた。脱走している俺が腹をすかしていると思っていたのだろう。そのとおりだったが。

 庭師の息子に食べるものをめぐんでもらっている跡取り息子の図って、どうなんだろうな? 父に知られたら大事だったろうが(たぶん、庭師がクビになる)、知られないまま済んだ。

 その年のうちに、父が失脚したのだ。俺が女だと、世間にバレてしまったためだ。

 兄には幼いころに決まった婚約者がいた。子供のころ、うちに招いて兄と三人で遊んだ日もある。世間的には死んだのは妹だから、兄の婚約は解消されていなかった。父は、そうするつもりもなかったらしい。

 いくら病弱を装って家に引っ込んでいても、結婚も秒読みになれば、顔合わせが発生する。

 俺は、顔立ちはそこまで兄には似ていなかった。髪の色や眼の色がおなじで、眼許とかは血縁だとわかるくらいには似ていても、そっくりってわけじゃない。少なくとも、六歳の時点ですでにそうだった。

 なんでそれで婚約者に会ってもバレないと思ったんだろうな。

 「なぜだ、あれは息子だ、私の息子……ああ、リチャード……! 女でなど、あるはずない……!」

 父の話など、誰も信じやしなかった。そりゃそうだ。父はただ、思い込もうとしているだけだった。

 息子の死を偽装し、妹を兄に仕立てあげるなんざ、まともな所行じゃない。

 父はまだ三十代のはずだが、このとき、だいぶ老け込んで見えた。

 父も俺も、罪人になった。俺は被害者でもあるが、十年も兄の振りをしていた罪がある。家を継ぐのは男だから、そのための偽装だと考えられたし、結婚詐欺にもあたる。婚約者は兄より年上だったから、待ってもらっていたのだ。無駄に年月を過ごさせてしまった。その点も訴えられている。

 いつのまにか、家のなかだけで済む話じゃなくなっていた。

 腕に、罪人の証である刺青をされた。センスのない、太い横線だけの刺青だ。

 やりたくてやっていたわけじゃないが、そんなの、裁く側には関係ないんだよな。父と違って、裁判もまともになかった。

 解放されても、家には帰りたくもなかった。帰ったところで、そこは以前とは違う状況になっている。おなじ生活などできないし、したくもなかった。

 俺が持っているものは、捕まったときに着ていた服だけだ。「十七歳のリチャード」にふさわしい、薄青いスーツにドレスシャツ。絹の靴下、茶色の革靴。ああ、胸ポケットにハンカチーフも。

 行くところを考えたが、助けてくれる誰かがいるわけでもなく、貧民街に行くしかなかった。大陸の中央から、少し外れたところにある。税を払えない者たちが集まってできた町。古い建物が並ぶところだった。そういうところがあるとは、解放されるまえに聞いていた。

 貧民街は薄暗く、汚く、そのときにはどう表現していいかも知らなかったが、饐えた匂いがしていた。耳にしてはいたが、本当にこんなところがあるのだと思った。驚きはなかった。むしろ、もともと貧民街にいたやつらのほうが、いきなり来たスーツ姿の人間に驚いていただろう。十代の少年に見えていただろうし。

 解放された場所から歩いて来たから、疲れていた。どことも知れぬ建物の壁に寄りかかって座った。もう歩けなかった。

 これで死ぬのかな、と思った。

 いいことのない人生だったな、と思ったが、べつに、哀しくもなかった。涙だったら、十年前にさんざん流した。六歳のあのときほど、哀しくも寂しくもない。

 俺は自分で食事を用意した経験もなく、井戸での水の汲みかたも知らなかった。どうしたら飲むもの、食べるものが手に入るのか、わからない。

 遠巻きに俺を見ていた先住者たちが、徐々に輪を狭めて寄ってきた。俺の格好が格好だったから、盗んでいくつもりだったんだろう。男も女も、よくない眼つきをしていた。

 (仲間だとは、思えないか……だよな)

 幸福だとは思えなかったが、俺はずっと、食べるものも寝るところもある、いい暮らしをしてきたのだ。いきなり無一文になって、こんなところに紛れ込んでも、こいつらにとっては敵にも等しいのかもしれない。

 俺は結果的には襲われなかった。ウィーザーがいたからだ。

 俺のまえにウィーザーが立って、そいつらを睨んだら、それだけで消えた。

 ウィーザーは背丈も高いほうではないし、当時は十六歳で、そこまで体もできてなかった。力仕事をしているから、それなりの筋肉はあったけどな。

 集団で襲われていたら、俺たちのほうが危なかっただろう。俺は護身術を習わせられていたが、実戦の経験はなかった。外に出てないからな。

 だが、先住者たちは、やつの威圧に負けた。

 なんというか、生命力に差がある感じがする。こいつはいつでも、「生きている」のだ。

 内側から発する力が強い。熱量があると云うか。なんだろな。

 後ろ暗い者たちにとっては、まぶしいのだ。直視していたくない存在になる。

 「だいじょうぶか、坊ちゃん、じゃなかった……お嬢様、だよな」

 街からついて来ているのは知っていた。出るのが遅いと思ったくらいだ。

 ウィーザーは、俺を見るにも呼ぶにも、途惑っていた。

 庭師の仕事を手伝っていたときとおなじ、生成り色のシャツに、黒いボトムにサスペンダー。麦わら帽子と、首からさげたタオルはなかったが。

 「リチャード、じゃないな、なんて云うんだ?」

 「――リチャードでいい」

 名告りたい名前なんてなかった。もう人生の半分以上を「リチャード」として過ごしている。いまさら、女の名前に戻っても、違和感があるに違いなかった。

 刺青を入れられるまえに名前の確認があったが、よく憶えていなかった。自分の名だとも思えていない。

 自分の人生がもう終わると思っていたせいもある。古い名前を憶えていたとしても、口にできなかっただろう。

 「じゃあ、リック。海に行こう。約束しただろ」

 約束はしていない。だが、反論はしなかった。

 黙ったままの俺の手を、ウィーザーがとって立ちあがらせた。

 「海に行って、そこで、新しい人生をはじめるんだ」

 べつに、その誘いに希望をいだいたわけじゃない。

 どこで死んでもおなじだと思ったから、承諾した。

 死ぬまえに、それまで知識でしか知らなかった海を見るのもいいと思った。

 だからだ。




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