11.女神崇拝者と《採掘師》
男の手のなかで、きらりと陽光をはじくものがある。細身のナイフ。
うわあ、と俺は思った。刃物かー。
女神崇拝者だ。それも狂信系。身体を鍛えてもいる。こいつは町のごろつきとは覚悟が違うので、ナイフを脅し以外の行動に使うのも厭わない。
ウィーザーに向けられる刃ならまだいいが、やつの弱点を知られていたらヤバい。わざと血を見せられたら、あいつは使いものにならなくなる。本人もそれがわかっているから、表情が硬い。
しかも、いまウィーザーはアイゼンをつけたままで、金属の甲板では満足に踏み込めない。つまり、スピードがない。自身から仕掛けられず、迎えるだけだ。
頼むから、誰にも傷をつけてくれるな、と願った。
「死の国で懺悔しろ! 額づいて女神に詫びろ! 怒れる女神の足許にひれ伏せ!!」
「なんだか要求が多いな」
ウィーザーは、硬い顔のまま返事をした。そんなのいいから、まともに返事するなよ。
「だが、死の国につれていかれるのは、困る」
流血さえなければ、勝負がつくのは一瞬だ。相手がウィーザーの懐に入ろうとすれば、その瞬間が訪れるのは早くなる。拳の一撃。
鳩尾を狙ったそれに、女神崇拝者は、いっとき呼吸を止めた。手からナイフが落ちる。からん、と甲板に金属が跳ねる音。
「カハッ……!」
息ができるようになると同時に、腹の内容物を吐く。すでに船酔いで吐いてもいたのか、量は少なかった。
「うあ、バッチい、手にかかった! 臭い!!」
グローブをしてるくせに、ウィーザーは大げさだ。涙目になって、ぷるぷる腕を震わせている。
誰が掃除するんだ、それ。俺はいやだぞ。洗濯も。《運び屋》サイドが責任とってやってくんねーかな。
妙なのが紛れていたことで、《運び屋》はざわついている。伸びた男を拘束しようと、何人かが動いた。
拘束に使うつもりなのだろう、マーキスの腰のザイルが解かれたとき、「あれ?」と声があがった。
「おい、そいつって、たしか――」
訝しげな顔をひとりがすれば、話しかけられたもう一方も、微妙な表情を浮かべた。
「そうだ、トール……――」
なんだ、と俺が思ううちに、事態は急変した。なんとも嬉しくない方向で。
突如、背後で大声が響いた。
「こっちを見ろ! 不信心者ども!!」
ばっと、そちらに視線が集まる。ひとりの《運び屋》が、そこにいた。
さっきのより若い。二十歳になっているかどうか怪しいくらいの年齢だ。だが、顔が似ていた。黒髪に、眦の切れた一重の瞼。兄弟か。
(ふたりいたのか)
こいつがトールか。《運び屋》の頭の回転は、けっこうのんびりなんだな。もっと早く気づけよ。いくら新人でよく知らないっても、せめてマーキスが動いてるときとかに。
視線のさきにいるのは、正確にはふたりの人間だ。もうひとりは《運び屋》ではない。
「ごめ~ん☆ つかまっちゃったぁ~」
いつのまにか、ラミアが捕まっていた。よりにもよって、そいつか!
まあ、わかる。女で、いちばん小さくて、ほかより華奢に見えるからな。俺だったら、ぜったい選ばないやつだが。
(あいつ、俺を男だと思ってんな。いいけど)
だから、ラミアを選んだのだ。いや、俺のほうがあの男よりでかいから、女だと知っていても選ばないかもだが。
トールなる男は背丈が低く、ラミアとの差は頭半分もなかった。
片腕を背にまわされ、首にナイフをつきつけられ、ラミアは微妙にのけぞっている。刃の鋭さにもよるが、ちょっとでも前に出たら、首に傷がつくかもな。ウィーザーのためにも、その姿勢、しばらく保ってろよ、ラミア。
ざざっと、ふたりめの男とラミアとを囲って円ができた。《採掘師》と《運び屋》との即席混合チーム。そもそも一対多で負ける気はしていないが、緊張が走ったのは一瞬だけだった。
「きゃーん☆ キャプテン助けてー!」
わざとらしい悲鳴。しかも笑ってやがる。大好きなキャプテンが助けてくれるとわかっているから、にっこにこだ。
……自力で脱出しろと怒りたくなるな、おい。わざと捕まったんじゃないだろうな。
(靴に入った塩のせいで走れなかったとか云うなよ)
八分丈も禁止するぞ、こんガキャァ。
見ればキースたちも、構えをといている。真面目に向き合っているのは、ご指名となったウィーザーだけだ。ヴァイパー爺さんなんか耳を掘りはじめたぞ。こんにゃろ、あんたの不始末だろうが。これは大きな貸しだからな。でないと許さん。
新人の《運び屋》として紛れていた女神崇拝者は、ラミアの拘束をぎりぎりと強めた。――片腕だけだが。ラミアは呻いて痛がっているが、それがパフォーマンスであることに、女神信奉者とウィーザーだけが気づいていない。
熱のこもった口調で、青年が怒鳴った。
「こいつの命が惜しければ、ここから撤退しろ! これ以上、女神を穢すな!!」
兄貴よりは、まだかわいい要求だ。なんの目的があったか知らないが、どちらも暗殺者として潜り込んだわけではないらしい。兄貴のあれはどうも暴走だ。
が。
瞬間、すっ……と、ラミアの表情が落ちた。
空気が変わったが、気づいていないのはラミアを拘束している若者だけだ。
「……なーんか~、穢すとか、云われかたが気に入らないって云うか~」
発される声は、常より低い。
たまたまウィーザーの近くに華奢な女がいて、手頃だと思ったのかもしれないが。女だからといって、かよわいとは限らないのだ、青年よ。
あーあ、声に気をとられて眼を離したりするから。よく見ろ、そのナイフ、ラミアの手のなかで歪んでるぞ。
「えッ?! なんで掴んで……」
そうだな。ふつうの女は刃物をじかに掴んだりしないな。ましてや、それをひしゃげたりもな。もっと硬い金属だったら折ってたかもな。
ラミアがぐいっと腕を動かすと、トールの手からナイフが落ちた。あきらかな力負けだ。そこを逃すウィーザーではない。
「よくやった、ラミア!」
「えへへー、あとで頭なでてね、キャプテン!」
ウィーザーの蹴りが決まってから、ナイフが甲板にぶつかって跳ねた。追って、トールが倒れる。衝撃に、船ごと揺らいだ。
蹴りにしたのは、手が汚れているのを気にしていたからか。へたに振り上げたら、汚物が飛び散る。でも、靴にはまだ登攀用のアイゼンがついてたから、爪が……やばくないか? ――いや、いいか。相手は問答無用の無礼なやつらだったし。
よくやったというか、俺に云わせれば、最初からやれよという感じなんだが。
まあ、俺たちのキャプテンはそんなに小さい男ではないので、こまかいことで怒ったりしないし、ラミアの要望にもちゃんと応えてやっている。グローブを外した素手で頭を撫でてもらって、ラミアはご満悦だ。
「おい、あれ」
《運び屋》のひとりが指すほうを見たら、うちの(軍から借りている)《飛行機》が急接近していた。ハロルドだ。回収したふたりを乗せている。
すわ、ラミアの危機、とでも思ったんだろうが、もう解決したぞ。
急旋回のタイミングで、ウィーザーの蹴りは見えていなかったと思われる。
数人で手を振ったら気づいたようで、こっちには突っ込まずに進路を逸れた。ヒーローになり損ねたな、ご苦労さん。
『副長~! 俺の出番は?!』
「ないなー。ラミア本人がナイフまげてたし」
『え~~~~』
不満そうな声を出すな。無事に解決してよかっただろ。
「安全に気をつけて着水しろよ。あと、後ろのふたりが猛スピード出されて怖がってるから、謝っとけ」
優秀じゃあるが、経験値まだ少ないんだよ、そのふたり。仕事、辞めないといいな。
『……アイ・アイ・マム』
どうもこいつは、軍人仕種が抜けないな。年齢的にも《採掘師》のキャリア的にも、そんなに長く軍隊にいたはずないんだが。
スピードを落とした《飛行機》は女神から離れたところに着水し、海上をとろとろ移動してくる。あっちは問題ないなと思って、視線を外した。
倒された兄弟は、どちらも《運び屋》チームに拘束されている。
紛れ込むには限度があったんだろうが、少人数で乗り込んだのが失敗だったな、こいつらは。
それと、《採掘師》の仕事をよく知らなかったことも。
体力および腕力がなければ、《採掘師》なんて職業は、やってられない。どれだけラミアが、細腕の若い女に見えていたとしてもだ。
おまえらは、船から女神にとりついて、顔まで登れんのか? ピッケルとザイルとを供に、上まで行けるか? あれがどれだけ高いと思ってるんだ?
女神によって高さは異なるが、いまのところ、五十メートルを切る高さの女神は採掘できない。仕事で扱う女神は、大概は百を超す。
並大抵の男にだって、無理なんだ。それができる女が、ふつうなわけないだろ。
ラミアは《採掘師》としての勘もよく、うちのチームでもかなりの実力者だ。腕っ節も強い。それを人質にとるとか、阿呆か。
「ラミア嬢ちゃんがマスコットにでも見えていたのかね」
「海にいる女が、弱いわけないのにな。おっかねー女ばっかだ」
「あんなじゃじゃ馬、抑えつけるのが大変だっての」
即席混合チームのみなが笑っている。もしかして俺に聞かせているのか、おまえら。
しかし、俺もそう思う。逆に乗りこなしたいと思うチャレンジャーもいるんだろうけどな。命が惜しくないのかね。
「ラミア、だいじょうぶか。首を見せてみろ」
キースがラミアを呼んだ。ほんとにキースはよく気がつく。いいやつだ。命は惜しんだほうがいいとは思うけどな。
「だいじょうぶだってー。血も出てないでしょ」
ウィーザーがなんともないから、それはまちがいない。出血があったら、あいつが卒倒している。
けれど、キースに気にかけてもらうのは、ラミアも満更でもないのだ。
(キースとラミアなぁ……)
年齢差を考えると、俺はあんまりこのふたりを応援できないんだが。しっくり来ないと云うか。まだキースとハロルドとか云われたほうが、なっとくできる。本人たちに云ったりはしないが。
ハロルドはたぶん、ゲラゲラ笑うと思うが。キースの反応は読めないな。
「おう、ご活躍だったな、ヒーロー」
ラミアが離れ、ひとりになったウィーザーのところに、さきほどから待っていたヴァイパー爺さんが寄っていった。ラミアに怪我がないのは、キースだって承知のうえだ。俺も爺さんにつづく。
「すまねえな、ウィーザー。これは俺のミスだ」
さすがに爺さんも、この場面で小僧とは呼ばないか。
「貸しにしておく」と、俺は応えた。ウィーザーに返事を任せると、うやむやにされるからな。
ヴァイパーは俺を振り返り、くしゃりと笑った。
「おまえはいい副官だよ、リック。こいつにはぴったりだ」
お誉めのことばをどうも。俺もそう思う。
「せいぜい尻に敷いてやんな」
云われなくとも。
肝心要のこの男がかなり抜けているから、俺はいつだって、ちゃんと監督してなきゃならない。
そうでないと、誰かに利用されるだけだ。こいつの腕が。能力が。そんなの、俺が我慢ならない。だから俺は、俺の好きで、こいつのそばにいるんだ。
「ああ、俺にはリックがいないと駄目なんだ。あと、キースもラミアも、みんな」
ニカッとウィーザーが笑う。
爺さんは呆れた顔だ。
「そんでもってこの男は、とんでもなく、たちがわるいな」
ああ、まったく。
俺は心の底から、爺さんに同意した。




