第8話「敬虔な信徒だけど異世界の邪教にどっぷりなシスターですが、なにか?」
なにはともあれ、どうにかグランたちは新たな追放者……アウトライナーをまた一人救うことができた。裏路地の小さな宿屋兼酒場、拠点である山猫亭へと彼女を運んで、そこでグランは力尽きた。
あの魔剣ダーインスレイヴを正面から受け止めたのだ。
呪術を流し込むためとはいえ、彼の手はもうすでに流血で感覚がない。
だが、後悔はない。
自分のように、ゼインから切り取られた人を守れたのだから。
そう思っていると、その本人が歩み寄ってくる。
「あの、皆様……助けていただいて、ありがとうございます。わたくしはハウートと申しますの」
異端にして邪教徒の僧侶、その名はハウート。
基本的には教会のシスターたちと同じ姿をしているが、細かな意匠は違うし十字架も見当たらない。薄暗いどんよりとしたジト目は、美しい顔だちをどこか陰気にかげらせていた。
だが、彼女は炎の灯る髑髏がかざられた杖をかざす。
「我らが奉じる炎の厄神よ……はるけき星の海を越えて今、奇蹟を……イア! イア!」
突如、グランの手の痛みが溶け消えた。
まるで、あたたかな炭火に当たっているかのようなぬくもりが、傷口を塞いでゆく。
驚きにグランはハウートを見やったが、エヘヘと湿った微笑みが帰ってくるだけだった。
だが、キュオンが驚いた声をあげて、ミホネも「へえ」と唸る。
そう、ハウートの癒しの法術は体系こそ違えど、一流のものだった。
「すごいじゃん、ハウートちゃん! ねね、このままボクたちのギルドに入らない? ボクたちはアウトライナーズ、各ギルドからの追放者、アウトライナーだけで結成されたギルドなんだっ!」
「まあ……よろしいのでしょうか。わたくしのような者がいてはお邪魔では」
「ちょうどヒーラーがいなくてこまってたしさ。いいよねっ、ミホネ!」
「まあ、ギルマスのネルカブザドルがいいというならねえ。私はむしろ大歓迎だけど」
不意に、ミホネがハウートの前に歩み出て、そしてぐっと彼女の細いおとがいに手を当てクイと上げる。それだけでもう、陰気なハウートの印象がキラキラとしたものに一変した。
頬をあからめるハウートに対して、ミホネはいつもの底が知れない笑みをむける。
「さっきの法術、確かに教会の僧侶たちが奉じる神とは違う……全く違う神々の一人だったね」
グランは驚きに目を白黒させてしまった。
そもそも、神々という言いように底知れぬ違和感を感じる。教会は神ただ一人をあがめていたし、唯一にして絶体無二の存在だからこそ神なのだ。だから、複数形の言葉には全く馴染みがない。
だが、ドキドキと心臓音が聴こえてきそうな顔でハウートはなんとか言葉を絞り出す。
「は、はいぃ……我らが教義には複数の神々が……教会が古き邪神と呼ぶ、今は名も知られぬ神々が」
「すると、君の奉じる神はクトゥグァだね。生ける炎、クトゥグァ」
「な、なぜそれを」
「なーに、私の生まれ育った土地ではわりと人気の神様だったよ。ふふ、そうか……こっちの世界ではまさか、創作から生じたコズミックホラーが神話化してるんだねえ」
グランには少し、よくわからない言葉と文脈だった。
創作? コズミックホラー? そういう話は聞いたことがない。
だが、ハウートは瞳を輝かせて突然口早になる。
「そうなんです! でも、口にするのもはばかれるので、我が神の名を今は心に秘めましょう。我が信仰には複数の神々がいるのですが、全て教会からは邪神認定されて。でも、まさかわたくしの教義を御存知の方がいるなんて! ……わたくし、協力できるのでしたらこちらで冒険者として働かせて頂きますわ。それで、あの、よければ皆様にも我が神の祝福を――」
「おっと、宗教勧誘はお断りだよ? だけど、よろしくハウート。あとでギルマスには私から話を通しておこう。部屋は沢山あいてるし、この山猫亭に今日からキミも住むといい」
同時にミホネは、グランを見て不思議な笑みを浮かべた。
どこかミステリアスで、酷くテンションの低い微笑みなのに……不思議と優しげだ。
「少年、君も今日からここで暮らしたまえよ。部屋はいくらでも空いているんだ」
「わ、わかりました。あ! じゃあ、ちょっと実家から荷物を……って、あれ? え、なに?」
不意にグランは、倒れ込んだ。
ただ、自然と奔り出そうとしただけなのに。
それで思い出した。
傷は治癒されたが、出血で失われた血液は減ったまま、そして体力も消耗している。癒しの術や医学で傷は治るが、失われた体力はすぐには戻らない。今のグランは、健康体な無傷の冒険者だが、疲弊しきった心身の弱っている少年でしかなかった。
「はは、情けないなあ……俺はこんな、弱くて。……やんなっちゃうよいな、まったく」
だが、床に倒れ込むグランを不意に力強い腕が引っ張り上げる。その肌も露わな姿は、密着の距離で肩を貸して一緒に並び立った。もちろん、それはミホネだった。
「キュオン、お風呂わかしてくれるかい? ハウートにはゆっくり沐浴してもらって」
「りょうかーい! ミホねえは?」
「うん、少年をちょっとベッドに放り込んでくるよ」
「じゃあ、夕ご飯は少し遅めがいいかな。ネブじいにも言っておくね!」
「ありがとう、頼むさね」
こうしてグランは、思い出したような疲労に苛まれるまま、ミホネに運ばれていった、
新たなギルドでの生活、その最初の一日が終ろうとしている……だが、グランはまだ気づいてはいない。効率化を第一に追放者を踏みにじって多くのパーティが上を目指す、バベルゼバブの塔の真の意味を。そしてそれを、あのミホネだけが知っているという現実を。