第14話「新たなステージは難易度アルティメットでしたが、なにか?」
バベルゼバブの塔、第11層。
その階段をのぼった瞬間から、グランは違和感に身を震わせる。
今まで冒険してきたフロアとは、明らかに様子が異なっていた。
「ミホネさん、これは……ここが、冒険者たちの最前線」
妙に天井が高く、今まで以上に薄暗い。
等間隔で並ぶ松明の向こう側には、ただただ重苦しい静寂が広がっている。
耳に痛いほどの沈黙とはまさに、このことだ。
殺気立つモンスターの吐息も感じられず、冒険者たちの声や気配も皆無だった。
「さ、ちょっと進んでみようか。少年、私の後ろから飛び出さないようにしたまえよ?」
全く変わらないのは、いつも通りのミホネだけだ。
彼女は武骨で巨大な剣と盾を構えつつ、さして警戒した様子もなく歩き出す。
そのあとを追うグランは、自分でもビックリするほどに臆病な心を震わせるしかなかった。
「な、なんか不気味ですね……ミホネさん」
「モンスターがもうすでに、無数に周囲にいるよ? フフ、どのタイミングで襲い掛かってくるんだろうねぇ」
いやなに、なんでこの人ニヤニヤ笑ってるの? 相変わらずテンションは低いが、全く物おじせずにミホネが歩いてゆく。
その進む先で、暗く闇が澱んだ。
もともとの暗がりが濃く黒く集って、巨大なモンスターを出現させる。
まず、そのこと自体にグランは驚きの声をあげた。
「なっ、なにもないところからモンスターが!?」
「ああ、言い忘れてたよ。11層から先は、モンスターを肉眼で目視できないのさ」
「はぁ? そ、それって」
「まるでこのフロアを、このバベルゼバブの塔を苗床にするように、自然と浮き上がってくるのさ。フフフ、なんでだろうねえ? 大変に興味深い」
余裕のミホネと違って、グランは言葉を失った。
目の前に今、巨大な三つ首のモンスターがうなりをあげている。
「あ、あっ、あれは……ケルベロス!」
「正解。よく勉強してるねえ、少年」
「いや、滅茶苦茶強敵じゃないですか! それに、この大きさ」
「うん。ここから先はモンスターのサイズが普段より大きくなる。もちろん強さも」
そんな話、聞いてない。
グランが書物で学んだケルベロスは、三つの首を持つ地獄の番犬、かなりレベルの高いモンスターである。だが、見上げるような巨体だという記述はどこにもなかった。
だが、今は見たままの光景が現実である。
下層より天井が高いフロアにも、意味があったのだと思い知らされた。
「さて、少年。こいつを倒して帰ろうか。実は、ケルベロスの素材は高く売れるのだよ」
「簡単に言いますけどね、ミホネさん! こいつ」
「ああ、私一人ならよくて五分五分……少年次第では全滅もありえるねえ!」
「なんでそんなに嬉しそうなんですか!」
じっとり湿ったようなダウナーのミホネが、僅かに声を昂らせる。
その彼女がケルベロスに向かって走り出すので、グランは呪術師として最大限の仕事を選び始めた。
呪術でケルベロスの能力を弱体化させ、ミホネの攻撃を援護する。
敵の、ケルベロスの最大の長所はなんだ?
攻撃力か? 防御力? それとも、俊敏性?
なにから先に削るかを考えた挙句、グランは手にした長杖を解して呪力を解放した。
「その牙を納めよ! 込み上げる炎を飲みこめ! はああっ!」
「いい選択だねえ、少年。ナイスアシスト。なんだけど、悪いねえ。説明し忘れていたよ」
とっさにグランは、相手の攻撃力を弱体化させる術を選んでいた。基礎中の基礎にして、あらゆる戦闘で最も重宝する呪術の基本だった。
短期決戦で殲滅可能なモンスターならば、纏めて全員に防御力弱体化を叩き込む。
パーティーのアタッカーがミスするような高機動型には俊敏性の弱体化だ。
だが、もはや怪獣としか形容できないケルベルスを前には、セオリー通りの攻撃力を削ぐ術を放つのが一番だと思ったのだ。
「よしっ! 次は防御力を……って、え? あ、あれ? ……そんな、嘘だ」
グランは絶句し、意気消沈に目を疑う。
今まで、こんなことはなかった。
なんと、ケルベロスはグランの呪術をレジストした。つまり、弱体化の呪いをはねのけたのだ。以前から色々な職業の冒険者が、毒や麻痺、昏睡といった状態異常を発する攻撃の成功率を語っていたことは知っている。
でも、呪術による弱体化が防がれたという話は、聞いたことがない。
呆気に取られているグランを守るように、ミホネが前に出て盾をかざす。
金属をくしけずるおうな金切り声と共に、爪の一撃を防御されてケルベロスは下がった。
「少年、ここから先は状態異常はもちろん、弱体化の術にも耐性を持つモンスターが多数出現する。ふふ、『英雄旅団』は先を進んでるから、それを知っててゼインは少年を追放したのさ」
衝撃に動揺したが、まずは足を使ってケルベロスの猛攻を避ける。棒立ちになっていては、守ってくれるミホネの負担が増えるばかりだからだ。
だが、グランは改めて思い知らされる。
自分が追放されたその訳を。
聖女エアリアと一緒に冒険できない理由、このバベルゼバブの摂理を。
「つまり! 僕は敵の弱体化に特化した職業! でも、敵が変わる都度、死んで次に移る都度、呪術をかけなおさなければいけない! ……効率が、悪い!」
「まあ、そうだねえ。おっと、少年のとこにはいかせないよ。ワンコは好きなんだけど、狂犬には厳しいしつけが必用だねえ!」
「ゼインは知ってたんだ……僕の力は、11層以降では有用性が著しく下がる、極めて効率の悪い能力だと! ……だけどっ!」
グランはデバフが弾かれるという新たな環境に驚いたが、動じて落ち込む中で立ち上がる。
なぜなら、ずっと前からこうした現状を想定していたからだ。
バベルゼバブの塔を頂点まで制覇して、聖櫃を手にする。
その夢をロングディスタンス……長いスパンで考えていたから、グランは自分を鍛える中で数々の呪術を学んでいたのだった。
その一つを今、初めて迷宮の中で解放する。
「僕の力は呪術! 僕の使命は相手を弱らせること……だから、こんな術だって!」
広く開かれて、等間隔に柱と灯火が並ぶ大広間が戦場だった。
その中で、ケルベロスから逃げつつグランは初めて使う呪力に精神を集中させる。
あっという間に、ケルベロスがぶるりと震えて一歩下がった。
確実にデバフの力が通った、ケルベロスが持つこの上層ならではの耐性を貫いたとグランは感じた。瞬間、ありったけの力で連続して呪術を励起させる。
「かかったな! ……呪術に耐性があるモンスターの存在は、想定していた! そういうときのための術だって、偉大な先達が百年前から用意してくれていたんだ!」
そう、それは極めて特殊なデバフの呪力。
呪術に対する耐性を持つモンスターが現れることを、あらかじめ想定して編み出された先人の叡智だった。そして、それを会得するグランは完璧にその術を使いこなす。
最初にグランが放った呪術、それは『相手のあらゆる術耐性を下げる呪術』だった。そう、ここから先のあらゆるモンスターが持つ、弱体化をレジストする耐性能力を半減させるデバフの力なのだった。
「今です、ミホネさん!」
ケルベロスは、露骨に弱って小さくクゥンと鳴いていた。グランが、術耐性弱体化の呪いを放つと同時に、連続してデバフを叩き込んだからだ。このフロアから始まる巨大で一回り強いモンスターも、今はあらゆる能力を半減させられていた。
そして、その状況を見逃すミホネではなかった。
「期待通りだねえ、少年! そうさ、これがここから先の戦い、最前線のフロンティアさ!」
ミホネだけは、いつもと変わらない。
右手で抱えた巨剣を、ケルベロスの右の頭部に叩き付ける。
血飛沫が舞う中、彼女は返り血を許さぬ速さで中央の頭部も一閃した。
強い、強過ぎる。
さして特別でもなく、装飾もなくシンプルなグレートソードが、華奢な美少女戦士の片手で敵を切り裂く。さらには、反撃に転じようともがくケルベロスの火炎と牙は、左手の重そうな大盾で防御されていた。
「いい調子だねえ、少年! トドメといきたいけど、援護してくれるかい?」
「任せてください、ミホネさん! ……なんて力だ、でも今は!」
二つの首を失ったケルベロスが、よろよろと逃げ出した。
ここまで激戦を演じた挙句、敵に逃げられたら冒険者の実入りはゼロである。それがわかるからか、ヘコヘコと重たげに逃げるケルベロスの背を、容赦なくミホネは襲った。
ミホネが跳躍と同時に、盾を捨てて両手で大剣を振りかざす。
グランも疲労を感じる中で、最後の力を振り絞って相手の足を止めた。
動きを鈍らせる呪術は、回避率の高いモンスターや、特定の条件で逃げ出すモンスターに対して重用されている。その術を、最後の力で押し出した。
「敵の足が鈍った! 逃がさない! 今です、ミホネさんっ!」
「ナイスタイミングだねえ、少年! さて……今日のプラクティスに幕を引くとしよう」
改めて機動力を奪われたケルベロスは、手負いなこともあって完全に停止してしまった。その最後の首を、ミホネがさくっと切り落とす。あんな巨大な剣を持っているのに、まるで小枝を振るうがごとしだった。
こうしてグランは、11層の初めての体験を恐怖と恐懼の中で自分に刻み込むのだった。




