4話 カサゴとオド
「お、気が付いたかの?」
「……ここは?」
俺は確か、釣りをしていて。
でっかいカサゴを釣って、その後……。
「ここはわしの家じゃよ、安心せい」
そう言われて周囲を見渡した。一瞬自分の家かと思ったが、よく見ると違う。似たような木目剥き出しの柱や壁だが、中身がぎっしりと詰まった壁一面の本棚が目を引いた。
こんなものは自分のところには無かったと思い、改めて声の主の方を向く。
「えっと、あなたはもしかして一緒に釣りをしていた……」
「そうじゃ、自己紹介がまだじゃったな。名を、イザークと言う」
「俺はマサユキです。すみません、何が起きたのか全然わからず……」
とりあえず失礼のないように上半身を起こそうとして、再び目眩に襲われてしまった。
グラグラと揺れる頭に「まだ起き上がらない方が良い」と言って、イザークは俺の体を再びベッドへと横たわらせた。
「おぬしは、釣り上げたセバマーのオドに当てられたんじゃよ」
セバマー、つまりはカサゴだ。カサゴのオド、だって……?
「おぬしは魔法の事については知っているかの?」
「ええ、少しだけなら。体の中にはオドというものがあって、それを空気中のマナに干渉させて使うのが魔法だと」
確か、ヴァンはそう言っていた筈だ。
くっそ、強烈に頭が痛い……。
「その通りじゃ。オドというのはその量の大小はあるが、どんな生き物も持っているものなんじゃ」
「こうなる前の記憶で、一瞬だけですがセバマーが黒紫に光ったのを覚えています。あれが……オドなんですか?」
「む、オドが見えるという話は聞いたことがないの。オドを探知する魔法というのはあるが、あれは影響されたマナから位置を逆算するものじゃしな」
じゃあ、あの光はなんだったんだろうか。
まさかこの世界の魚は、魔法が使えるのか?
釣り上げてから魔法バトルで更に弱らせなきゃいけないのか?
釣り竿が「ボロ」「いい」「すごい」の三種類しかなかったりするのか?
やっぱり電気ネズミが必要なのか?
「とにかくじゃ。お前さんの荷物は全部ここに運び込んだし、あのセバマーもわしが氷漬けにしておるから、今は安心して休むが良い。治ったら、色々と聞かせて欲しいがの」
良かった、とりあえずセドナへのお土産は確保出来たようだ。
安心したらまた少し眠くなってきてしまったので、お言葉に甘えさせてもらう事にしよう……。
夢を見た。
妙に鮮明で、しかし靄がかかっていて。
二人の女神が、そこには居た。
二人は手を繋いでいて、その手をこちらに翳していた。
白い女神と、黒い女神。
二人の顔は何故かぼやけていて、しかし何故かどのような表情かは伝わって来ていた。
見えないのにそれは、明らかに困惑した表情だった。
愛想でも尽かされたのだろうか。
「……気分はどうじゃな?」
目が覚めた俺は、ベッド横にある椅子に腰掛けたイザークの言葉に返答した。
「大分、良くなってきたみたいです」
上半身を起こして、自分もベッドへと腰掛ける。
「……おぬし、魔法が使えないのだろう?」
イザークは、直球でそんな事を聞いてきた。
この世界では、魔法が使えない人間は身分が低い。下手に返答してしまうと、トラブルに巻き込まれる可能性もあるかも知れない。
しかし、目の前の老人がそういう人物であるとは何故か思えなかった。
なので、心のままに会話をしてみる事にした。
「そうみたいです。王宮で神官長からそう言われました」
「やはりか。剥き出しのオドに当てられるのは、魔法が使えない人間だけじゃからな」
「魚にもオドがあるのですか?」
「多かれ少なかれ存在するの。オドは、他者のオドを喰らって成長をする。つまりあのように長く生きた個体である程、強いオドを持っているものなんじゃ」
では俺はこれから、大物を釣る度に意識を失う事になるんだろうか。
それはちょっと困ったな。
「セバマーはこの辺りではよく見られる魚ではあるが、あのような大物を見るのはわしも初めてじゃな。どうやって釣ったのじゃ?」
これもあまり答えたくない質問だな。
しかし助けてもらっていてダンマリなのも気が引ける。
「いや、わしも釣りを嗜む故にだな、言いたくないだろう事は……」
「構いませんよ。私の竿は見ましたか?」
「何やら不思議な道具であったな。糸も妙に細くて、それでいて強い。針なんて工芸品のような細さで、あまりにも鋭い。竿は硬いのに靭やかで、強い反発力がある。糸巻きはもう芸術品のような流麗さじゃ」
「あれは私の故郷の道具なんです。ただ、同じものを手に入れるのは難しいと思いますが」
「なんと、それは実に残念じゃ……」
イザークは俺の竿を手にとっては、まじまじとあらゆる角度から眺め、感心とも光悦ともとれる顔をしていた。
まるで釣具屋のショーケース内にある、ハイエンドリールを触った人みたいな顔だ。
その気持ちがわかるだけに、釣り人とはどの世界だろうが変わらないんだなと思ってしまう。
「俺がオドに触れるのは、何かマズい事があったりするんでしょうか?」
「一瞬の不調はあれど、尾を引く事はないじゃろうて。今回はあのような大物であったが、小物でもオドは持っておる。おぬしが食すのであれば、血抜きをしておくのが良かろうな。まぁ普通であればさして問題はないのだがな」
次からはそうしてみるか。
しかし万が一、また大物が釣れた時はどうしようか。遠くから締める為に槍でも持ってた方がいいのだろうか。
「マサユキ、と言ったかの?」
「はい」
「おぬし、ここで働かんか?」
ええっ!?
ちょっと話が突然で驚いてしまった。
「実は、わしはここで釣具屋を営んでいてな。面白い釣りをするおぬしに興味が湧いたのだ。どうじゃ?」
「俺はこの辺の事に全く詳しくないので、店員になっても客にアドバイスとか全然出来ませんよ?」
「構わんよ。そもそも趣味でやっている店じゃからな、客なんて滅多に来んわい」
ガハハと笑うイザーク。
うーん。どうしても穿って見てしまうが、正直言ってこの提案はとても魅力的だ。
ある程度確実に収入が得られ、この世界について詳しくて頼れる人脈が出来る。
セドナも歳の割に物知りな感じはあるが、年配者の経験は彼女にはない部分だろう。そこを補えるのはデカい。
「労働条件はどうなります?」
「主に店番をお願いしたいの。わしは毎朝釣りに出ておるが、昼過ぎに帰ってきてから開店をしておる。客はみな仕事帰りに寄るのが多いのでな。なので朝早くか、もしくは昼から夕飯時を過ぎるあたりまでじゃな」
「給料はどのくらいですか?」
「この間、ギルド依頼のゴミ掃除をしておったじゃろ? それと同等の分は出していいぞい。また、仕入れ等で時間が伸びたらその分も出そう」
あれは一日仕事だった。そう考えると、労働時間が減った上で収入が維持出来るのは悪い話じゃない。
うん。これアリだな。
「それでは、お世話になっていいですか?」
「おお、契約成立じゃな! よろしく頼むぞ、マサユキ。それでは、店の方に行ってみるかね」
そう言ってイザークは立ち上がり、案内を始めた。
俺が寝ていた部屋は店舗の二階であったらしく、そこをイザークは住居部分にしているとの事であった。
廊下に出て階段を降りると、そこは……。
「魔界だ……」
そう、魔界である。
釣り人にとって、釣具屋とは『財布の中身を無限に吸われる魔界』なのだ。
壁際にはいくつもの竿が立て掛けてあり、カウンターには大小様々な種類の釣り針やオモリ等の小物類が置いてある。
水槽もあり、そこには餌となる小魚やゴカイみたいなものも入っていた。
しかしリールの姿は見えなかった。
「ここが店じゃよ」
イザークを無視する訳ではないのだが、ついつい色々と商品を見てしまう。
やはり、現代の釣具屋と比べてしまうと商品のバリエーションは劣っている。しかし、それ故の素朴さが田舎の個人店みたいで、なんとも言えない風情を出してもいるな。
「やっぱり、ウキ釣りをやる人が多いんですか?」
「そうじゃな、後は長竿でのミャク釣りじゃな」
やはり、キャストという行為は普及していないらしい。疑似餌についても同様なのだろう。
その辺は幼少期にやった釣りを思い出しながらやってみようか。
「とりあえず、大体の所はわかりました」
「まぁ当分はわしと一緒にやっていこうかの。また明日、昼過ぎにでも顔を出してくれんかね?」
「わかりました。これから宜しくお願いします」
深々と頭を下げ、荷物と釣ったセバマーを受け取って帰宅する事にした。セバマーはとても冷えており、冷蔵庫にでも入れていたみたいな感じだった。
魔法、便利だな。
俺にも使えればいいのに……。
「おかえりにゃ、マサユキ様!」
家に着くとセドナが待っていた。
夕方までには帰ると伝えていたが、本当はもっと早く帰るつもりだった。仕方ないか、今日も色々あったしな。
「ただいまセドナ。ほい、おみやげだよ」
「にゃっ!? こ、ここ、これは……セバマーにゃのでは!?」
「ああ、たまたま釣れたもんでな。昨日いたお爺さんが冷やしてくれたんだ」
「塩焼きにするにゃ〜。にゃ、煮付けも良いにゃね……」
「食べ方は任せるよ、セドナの好きなものにすればいい。俺は適当にパンと何かでいいから」
「食べないのにゃ!?」
ああ、そうなのだ。
釣り人として致命的なのかもしれないが、俺は『魚介類が苦手』なのである。
まぁ種類によっては食べられるし、ちゃんと血抜きをして新鮮なものであれば食えなくはない。生臭さにオエッと来てしまうのだ。
魚を釣った後の手の臭さは、勲章的な感じがして我慢が出来るのだけど。
そんな話をしながら、二人で夕食を囲んだ。
カサゴなら行けるかなと思ってセドナに少し貰ったが、やはり血抜きが出来なかったからか少しの生臭さがある。
セドナにとってはそれが堪らないらしいのだが、まぁ猫だしな。
とても幸せそうな顔をして食べているので、良しとしよう。こっちも嬉しくなってきてしまう。
そして夕食後、事件は起こった。
食器を片付けていたら、突然セドナが倒れてしまったのだ。
顔は紅潮していて、額を触るととても熱い。
ひとまずセドナを抱えてベッドに寝かせる。意識はあるようだが、とても辛そうだ。
「うーん……」
「セドナ、俺はこれから人を呼んでくる。少しの間一人にさせてしまうけど、すまない」
「だ、大丈夫にゃ……」
しかし、自然回復に頼って良いような状態には見えない。
もう夜も更けてしまい、この街の病院はどこにあるのかもわからない。ギルドに行けば教えてくれそうではあるが、まだこの時間も開いているのかはわからない。
ろくに知り合いも居ない中で、唯一頼れそうなのは……。
「イザークを頼ってみるか……」
幸い、彼の店はギルドとここの中間地点くらいだ。
再びセドナの様子を見てから腹を決め、家から飛び出した。
イザークが起きている事を祈りながら、ドアをノックする。
「イザークさん、すみませんマサユキです! 少し手を貸して頂きたいのですが!」
暫くの後に音がして、ドアが空いた。
「マサユキよ、どうしたのだこんな夜更けに」
「夜分にすみません。うちの同居人が体調を崩してしまいまして、何かお知恵を借りられればと」
「ふむ。とりあえず状況を聞かせてくれないかね?」
「あの後家に帰って、二人で夕食を食べた後です。突然倒れてしまって、熱が出てしまってるんです。意識はあるのですが……」
「食あたりかのぅ。何を食べたのじゃ?」
「あの、俺が釣り上げたセバマーです。でも俺の記憶だと、あれに毒は無いですよね」
セバマー、つまりカサゴの毒は背ビレにはあるが身には無い。
背ビレの毒もタンパク毒であり、刺さるとその場所が少し腫れるようなものだ。
その場合は対処法として、患部を熱湯に浸ける。するとタンパク毒が熱で分解されるのだ。
「そうじゃな、ヒレのみで身には無い筈じゃ。どれ、一先ずは見に行こうかの」
「ありがとうございます!」