3話 パーチ港と釣り
セドナを連れてギルドを出た後、俺達は同時に支給されたトングみたいなもので道端に落ちているゴミを拾いながらパーチ港へと向かった。
パーチ港とは、このパーシフォーム王国の首都ラテオラの南に位置する交易港であるらしい。
歩を進めるたびに潮風の香りが強くなり、街道を行く場所の数も増えてきた。
地図によると港からは北と東西に道が走っており、この地で消費されるものは北へと向かう事になる。それ以外の交易品は東西へと分かれていく。
輸送手段は馬車が主であるようで、つまりはゴミ……うんこには事欠かなかった。
誰かがやらなければならないが誰もやりたがらない仕事だし、割が良くなってるんだろうな。
「ここがパーチ港にゃ!」
「結構でかい船があるもんなんだな」
東西に走る交易路へと合流すると、その向こう側は全面が石積みの堤防になっていた。
帆船が何隻も係留されており、そのそばでは下ろされた荷が馬車へと積まれていく。
流石にこの世界に、SOLAS条約みたいなやつは……無いよな?
特に仰々しいフェンスとかも見当たらないので、作業の邪魔にならない距離を取って歩いてみる。
異世界であるなら自然が豊富なんじゃないか。そういう期待を少しだけしてしまっていたのだが、やはり人の手が入っているとそんな事は無いようだ。
堤防には何箇所か生活排水の流れ込む場所があり、透明度は日本でも普通に見られるような程度であった。
つまり、それほど水質は綺麗ではない。
まぁそれは別に悲観するような事ではない。有機物が流れ込んでいるならそれに伴ってプランクトンが増えるから、魚の餌場になるという事でもある。
二人で船の係留ロープを大きく迂回しながら歩いていると、空いている場所で釣りをしている人が居た。
第一釣り人発見だ、話し掛けてみよう。
「こんにちは、釣れますか?」
「ん? おお、ぼちぼちじゃな」
大分、年配感のあるお爺さんだった。やっぱりリタイア後の趣味なのかな。
その手に握られてるのはリールの無い延べ竿であり、先端から伸びる釣り糸の先にはウキがあった。
餌は……ちょっと何なのかわからないな。
足元にあるバケツのような木桶には、赤い小魚が数匹入っていた。
「おお、これはキンギョですか?」
「キン……ギョ? これはアポノタじゃよ。お兄さんはこの辺の人じゃないのかね?」
「ええ、最近引っ越してきまして」
と、適当に話を合わせておく。
桶に入っている魚は薄い赤色に黒っぽい横筋が入っており、尾びれに黒い丸がついていた。大きさは十センチちょっとくらいか。
どう見てもこれはキンギョだ。
キンギョというのは釣り人がいう俗称であり、正式にはネンブツダイという。
他にも似たような魚が多くおり、ほぼ同じ見た目のクロホシイチモチや、黒い筋がもっと多く入っているオオスジイシモチがいる。
そのどれもが赤っぽくて似たような感じで釣れるので、みんな大雑把に『キンギョ』と呼ぶのだ。
群れているので釣りやすい魚だが、ルアーで狙うとなると意外とシビアな時もあったりする。マイクロプラグで釣ると楽しい魚だ。
お爺さんはこの魚を『アポノタ』と言った。
つまりこの世界の魚は地球とは名前は違うものの、同じ様なものが生息しているのかもしれない。
「この、アポノタでしたっけ? 食べるんですか?」
「こいつは食う所が少ないでの、本命はトラチュージャじゃよ」
おっと、また知らない名前が出てきた。
「トラチュージャってのはこの辺でよく釣れるんですか?」
「群れが入ってくればポンポン釣れるがの、今日はまだじゃのう」
ふーむ。
「アポノタ、おいしそうにゃ……」
セドナがヨダレを垂らしている。あまり長居しちゃ駄目かもしれない。
「それじゃすみません、連れが腹をすかせてるみたいなのでこれで失礼します。頑張ってください」
「おお、じゃあのぅ」
そう言って、お爺さんに別れを告げた。
とりあえず海があること、釣れそうな魚が居ることを確認出来ただけでも大収穫だ。これなら今までの知識が充分役に立つかもしれない。
しかしまだまだ確認したい事はあるな。
魔法が存在する世界であるなら、それが生態系に影響しない筈はない。魚の活性に影響のある潮の満ち引きも、地球と同じかどうかはわかってないし。
「セドナはやっぱり魚は好きなのか?」
「すきにゃ! だけどおさかなは、なかなか食べれないご馳走なのにゃ……」
「魚ってご馳走なの?」
山奥での生活なら、海の幸が貴重というのは理解が出来る。これは主に、鮮度を保った上での輸送の問題だ。
しかし、こんなにも近くにあるのに貴重とはどういう事なんだろうか。輸送だって、魔法で凍らせたら解決する話だろう。
「おさかなは、捕れる人がいないから貴重なのにゃ」
「え、でも釣りしてるお爺さんがいたじゃん。むしろ釣りなんて捕り方としては効率が悪いし、漁でもしたら……」
そこまで言って、パーチ港に漁船が見当たらなかった事に気付いた。
「海に出過ぎると魔物が出るんにゃよ」
「じゃあ、あの帆船は? 沖に出ないで輸送するのは難しいだろ?」
「おっきい船には沢山の魔法使いが乗ってるのにゃ。魔物から船を守るために、みんなで魔法障壁を張るのにゃ」
「それじゃ、障壁を張りながら漁をすれば……」
「それだと、おさかなが逃げちゃうらしいのにゃ」
ふむ、なかなかままならんのね。
魔法障壁を張らないで魔物の撃退は出来ないのかとも思ったが、それだと現代の知識で考えても無理そうだ。
水面をドッカンドッカンやったら、それだけでも群れは逃げてしまうだろう。
「じゃあ今日はこのまま仕事を頑張って、明日は魚を捕ってみるか」
「ほんとにゃ!? がんばるにゃ!!」
満面の笑みで喜ぶセドナ。
財政にもまだ余裕はあるし、仲良くなるための投資だな。
昼食後も俺達はそのままゴミ拾いを続け、午後の真ん中くらいで袋に模様を浮かび上がらせる事が出来た。
この魔法の袋も欲しくなるな。なんせ、うんこを入れても臭わないんだから、釣りにも使い勝手が良さそうだ。
翌日。
セドナには自由に過ごして欲しいと告げて、俺は釣りに行く事にした。一応、夜までには戻ると約束をした。
再び、ここへ来たときと同じ格好になる。ルアーを入れたライフジャケットの背中にタモを引っ掛け、手にはロッドと家にあった桶を持った。
「おはようございます」
「おお、おはよう。……む、昨日のお兄さんじゃないかの?」
「はい。自分も釣りが好きなもんで、ちょっとやってみようかなと。隣、いいですか?」
「ほほ、構わんよ」
朝からパーチ港へと向かった俺は、昨日釣りをしていたお爺さんと出会った。
この人は毎日やってんのかな、好き者だねぇ。
「今日も同じの狙いですか? ……なんでしたっけ、トラチュー?」
確か、そんな電気ネズミみたいな名前だったような気がする。
「トラチュージャだの。しかし、お兄さんは見たことのない格好をしとるが……」
「ええ。こっちでの勝手がわからないので、とりあえず手持ちの道具を持ってきてみました」
俺の手には九フィートのカーボンロッドとベイトリール。巻かれているのはPEの二号で、フロロカーボン製リーダーの二十ポンドをFGノットで結んでいる。
ベイトリールとは両軸リールとも言われるもので、一般的に使われるものとは少し違う形のリールだ。ちょっと扱い辛いリールだが、スピニングリールとは違うメリットもあったりする。
セッティングとしては、シーバスタックルくらいの感じだ。そもそも河口でシーバスを狙ってる時に転移してきたのだし、それ以外の選択肢は今の所は無い。
とりあえず、まずは地形の把握からだな。
目で見える限りの情報では、堤防から水面までの距離は四メートル程だろうか。
昨日と同様に、若干の濁りが入っているので魚影は確認出来ない。ただ、手前の所に薄っすら敷石みたいなのが見える。
小魚が跳ねている様子も無いので、手堅く足元から探ってみよう。
選んだのは十グラムのジグヘッドリグ。針に鉛が付いていて、ワームと呼ばれる柔らかいルアーを着けて使うものだ。
これをスナップと呼ばれる金具を介して、糸に装着する。
ひとまず、ワームはクリアカラーのシャッドテールでいいか。
親指でクラッチを押すと、するするとラインがでていく。その動きが止まった所で、ハンドルを動かしてクラッチを戻す。
結構深かったな。五メートル位は水深がありそうだ。
そうしたら竿先を海に向け、岸沿いをゆっくりと歩きながら、ときたま糸を出して底を取る。
この繰り返しを、堤防沿いに何メートルもやっていく。
これは『テクトロ』と言うテクニックだ。
テクとは「てくてく歩く事」、トロとはマグロではなくて「トローリング」という釣り方を表す。船でルアーを引っ張るトローリング釣法を、歩きでやるからそう言われる。
魚は沖に沢山居る、というのは経験者でも陥りやすい勘違いだ。どんなに遠くへ投げても、居ない所には居ない。
しかし足元というのは当然、人間の立てる足場がある。足場があるということは、そこに魚の隠れることが出来る影が存在するということである。
ルアー釣りのセオリーでは、現場についたらまず投げるべき所は足元になるのだ。
このやり方には派手さは全く無いが、代わりに特筆すべき効率の良さとお手軽さがある。
だから俺は何からやるか迷ったらまずテクトロを選ぶし、逆に何をやっても駄目だった時もテクトロをやってみる。
ゆっくりと、ルアーが底にひっかからない程度の速度で堤防沿いに歩く。
少し歩くと、ラインやルアーの浮力と竿先との角度で浮き上がってしまうので、たまには足を止めて、竿先にコツコツと硬いものに触れる感触を得ながら、どんどんと歩いていく。
十メートル程歩くと、ココンっと少し引っ掛かった感じがした。何かの障害物が落ちているのかもしれない。
ほんの少し強めに竿先を弾く。こうする事でルアーが跳ねて、底から浮かせる事が出来る。
すると、とんでもない力で竿が抑え込まれた!
「っしゃ! リアクション食い!」
思い切り竿をあおると、竿の真ん中辺りまでが一気に絞り込まれた。慌ててロッドエンドを脇に挟む。
強めに掛けたドラグもチリチリと音を鳴らし、四本撚りのPEラインがガイドに強く擦れてノイズが出た。
根魚であろうと予想し、スタードラグを更に回してドラグが出ないようにする。
「おお、お兄ちゃんなんか来たのか!?」
「なんかわかんないですけど、来ましたね! なかなかデカいっす」
竿は一定の角度に止め、ハンドルを巻き続ける。たまにグイッと持っていかれるので、そうなったら無理に巻かずに少し耐える。
目茶苦茶暴れるじゃん、楽しいー!!
魚影が水面に出てきた。バシャシャッと暴れた姿は、見覚えのある形だった。
そこで少し竿を寝かせて、水面直下を泳がせる。魚の動きに合わせて水面上に飛び出さないようにしながら、左手で背中にあるタモのロックを外した。
タモを伸ばし、網の部分を一気に水面へと落とす。柄の長さを調節して、伸縮部分が固定されたら左脇に抱えた。
また水面直下の魚が暴れようとしたので、竿先を送って姿勢をコントロール。右手側で魚を誘導し、タモの中に入ったらクラッチを切って糸を緩めた。
よし!!
後は、伸びたタモの継ぎ目を緩めながら、垂直に柄を手繰り寄せていく。
ここで伸びた柄をそのまま上に持ち上げようとすると、柄が折れてしまう。
ドキドキする胸に急かされながら、ひとつひとつの継ぎ目を手元へと寄せていき……最後に一気に持ち上げた。
ランディング成功、フックもガッチリ上顎に掛かっている。
「やった!!」
「お見事じゃ!! これは凄いの、なんと立派なセバマーなんじゃ……」
「セバマーっていうんですね、これ」
日本語で言うならカサゴ。カサゴも何種類か存在するが、こいつはど真ん中のカサゴちゃんだ。
大きな口に赤い背と黄土色の腹を持ち、斑点が体の全体にある。顔にはゴツゴツとした小さな突起があり、背びれに弱いタンパク毒を持つ根魚である。
岩場でも堤防でも、色々なところで遊んでくれる可愛いヤツだ。
しかし、どうにもサイズ感がおかしい。
陸から釣る場合、カサゴという魚はどんなに大きくても三十センチを超えない程度である。俺が釣ったことのあるやつも、せいぜい二十七センチだったり。
船で深場を狙ったりするならそのくらいのサイズはよく出るらしいが。
しかし、こいつはゆうに四十センチを超えている……。
こんなところで、しかも一発で。これまでの自己記録を更新してしまった。
さて、こいつぁいいお土産が出来た。
とりあえず血抜きして、桶に入れて置こうかな。セドナも喜ぶだろう。
そう思ってカサゴの口にフィッシュグリップを掛けようとした瞬間、そいつの体全体が黒紫に光った気がした。
そして次に気が付いた時には、俺は知らない部屋でベッドに寝かされていた。