26話 ルビアと魔物
翌朝。
俺の右腕にはセドナがしがみついていた。それはいい、もう今更だ。
しかし更に、床で寝ていた筈のルビアが俺の頭の横で丸まっている。寝返りを打ったら、潰してしまいそうで少し怖い。
一匹増えた時点で覚悟していた事であったが、俺のベッドスペースがどんどん少なくなっている。
セドナに預けてる生活費は今、どのくらい残ってるんだろう。収入は今の所は殆どを彼女に預けているので、それなりの額が溜まっているように思う。
これはベッドの替え時かもしれないな。
いつも通りの一人と、新たな一匹を起こして朝の支度をする。
「セドナに頼みがあるんだが、午前の俺が仕事の間に家具屋に行ってきて貰えないか? 今のベッドじゃお前も手狭だろ? もう少し大きいのを買っ……」
「だめにゃ! お金がもったいないにゃ、今のままがいいにゃ!!!」
滅茶苦茶強く拒否されてしまった。なんで……?
はっ、まさかとは思うが何か使い込みをしているのか?
「お金が足りないのか?」
「ベッドくらい買えるにゃ! けど、わたしが! 今のままがいいにゃ!」
「わん!」
これにはルビアまで反論してきた。そんなに寝心地が良かったのか……?
「いや、それならいいんだが……」
「いいのにゃ、構わないのにゃ」
「わん! わん!」
俺はもうちょっと身体を伸ばして寝たいんだけどなぁ。仕方ない、もうちょっと様子を見るとするか。
午前の釣具屋労働。
今日はルビアを連れてきた。疲れてしまうかもしれないが、彼女には人間達に慣れて欲しいのと、イザークに何か情報を持っていないか聞きたかったからだ。
「おはようございます、イザークさん」
「マサユキよ、おはよう……なんじゃその、肩に乗っとる白いめんこいのは?」
「この子はルビアと言いまして……」
かくかくしかじかという事で、彼に昨日の出来事を説明する。
三日月湖で白い狼みたいな生き物に出会った事、必死になって鞭で応戦したら意思疎通が出来るようになった事、それがオド持ちの魚を食べて回復した事、そしてその子供を預かる事になった事。
「またそれは、興味深い事が起きておるな……」
「何かわかる事はありませんかね? 本人に聞いてみても人間側の知識を持ち合わせていないので、何もわからないのです」
するとイザークは釣りの支度を止め、常連さん達を見送った。
「行かなくていいんですか? なんか申し訳無いんですけど……」
「こちらの方を優先するとしよう。今日はその辺りの講義かの。まず、こやつの親が【氷魔法】を使ったと言うのは本当か?」
「ええ、氷の槍みたいなものを三本飛ばして来ましたね。とっさにトレーシーが風塊を出してくれて、それで軌道が逸れて助かりました。でも、野生動物が魔法を使うなんて事があるんですか?」
「うむ。確かに、魔法を使う動物は存在する。一般的には【魔物】と呼ばれる物じゃがの」
やはり。
「前にも言うたが、魔物と言うのはオドの過剰摂取をした生物じゃ。わしらが出会った物だとトレントがそうじゃな。あれは本来はただの木なのじゃが、オドが豊富な土壌で育つとあのように魔物化するのじゃ」
「しかし、自然界に偏在するのはマナですよね? オドの含まれる土壌とは?」
「例えばその近くでオド持ちの動物が死んだとする。するとそのオドは地面に吸収され、それを植物が取り込むという訳じゃな」
なるほど、肥料みたいな感じか。
「じゃが……この理屈が正しいとなると、これまでの知識から何か気付く事はないかの?」
気付く事? 魚、動物、植物、そのどれもがオドの過剰摂取で魔物に変異するのは、理屈としては通っている様に思える。
「つまりじゃな、魔物化には【オドの過剰摂取】という過程が必要なんじゃ。だから、魔物化とは後天的な物と言う事になる。であれば、その魔物同士が交配するとどうなる?」
「それは……魔物が産まれるんじゃないんですか?」
「違うのじゃ。変異をしたと言っても、種そのものが変わるのでは無い。産まれてくるのは元になった種なのじゃ、本来は」
んん?
「そしてこれにも例外があり、魔物が直接産まれてくる場合もあるのじゃ。それは母親の胎内で、母親のオドに曝された場合じゃな」
なるほど、つまりはお腹の中で成長する時に魔物化するのか。
「これが卵で産まれてくる動物の場合となると、魔物化する可能性が低くなるのじゃ。勿論、保温等で母体が近くにいる場合はオドに曝されやすくなるがの」
「では、大半が産みっぱなしになる魚は魔物化する確率としては低くなるんですか? でも、海には魔物が出ると……」
この世界で魚食があまり行なわれない理由の一つが、漁業の難しさだ。
海には魔物が出現するので、魔法によって船を守らなければならない。しかし、そうすると魚が逃げてしまうという話だった。
「こちらにはまた別の理屈が働いておるでの。陸上の生物に比べて、海の生物は生命維持の為に捕食する個体の数が多い。そして、オドの量とはその種の持つ体格には比例しないのじゃ。どんな小さな種類の魚でも、他の種類の魚より多くのオドを持っている事はありうる事じゃ。なので、陸上生物に比べて一生に於けるオドの摂取量が段違いなのじゃ」
極端な話をすると、アジがマグロより多くのオドを保有する可能性があると言う事である。それには食べた物が持つオド量が影響する。
つまりオドを多く持つエビの個体を食べまくったアジなら、オドの少ない個体のイワシを食べまくったマグロより多くのオドを持っていると言う事になる。
「サイズが大きいとオドがあるという認識だったんですが、これは間違いなんですか?」
「沢山の捕食を経験しているという面から考えると、概ね間違ってはおらん。しかし例外も多々ある、と言う事じゃな。それぞれの種が餌とする物の量は体格に依存するが、その回数となると大きい物程多いとは限らんだろう? 同種の物であれば、より大きな物ほど多くのオドを持つ。別種の物であれば、それぞれの大きさよりその個体がこれまで食べてきた獲物によるという事じゃ」
ややこしいな……。
とりあえず現代知識で言えば【ランカーサイズ】であればオド持ち、もしくは魔物化している可能性が高いという事は間違いない。
それとは別に、普通は後天的に魔物になるが、先天的になる場合もあるという理解だけしておけば良さそうだ。
なんか重金属による汚染みたいだな……。
「今の話を聞くと、魔物とはもっと人間に身近な存在に思えますね。もっとその辺に多く生息していてもおかしくないような……」
「それを説明出来る理由が、魔物化した際に強くなる【暴力性】じゃ。暴力性が上がると強い個体はより強くなるが、弱い個体は勝てない喧嘩を売って淘汰されてしまう。そして奴等には、より多くのオドを求める習性がある。つまり、魔物同士が争うのじゃよ」
だから食物連鎖の頂点にいる魔物は数が少なくなるという訳か。
人間の場合はこれに当てはまらないのは以前に教えてもらった。
オドの過剰摂取に耐えられないから、そもそも魔物化する前に死んでしまうのだ。
そしてそうならない様に、魔法を使って狩りをしてオドを変質させる事で霧散させる。それで他者のオドを取り込む事無く食事をする事が出来るのだ。
「ここまでの話で、何か疑問はあるかね?」
「そうですね。そうなってくるとやはり【魔族】とは何なのかが気になって来ます」
本来、俺が戦うべき相手。それが魔族だ。それに対抗する為に、俺はこの世界に召喚されたのだ。
まぁ、その術が特に無いのでやる気は無いのだが。
「魔族の成り立ちも同様じゃよ。歴史を紐解く話になってしまうが、元々はオドの過剰摂取を生き延び、魔物化した人間。それが魔族じゃ」
「それ単体で一つの種族って訳ではないんですね?」
「様々な人種の者がおるよ。ただやはり攻撃性が高く、いつしか我々とは道を違えたのだ」
「……まさか、セドナは魔族になったって事はないんですか?」
「彼女は攻撃的かの?」
「いえ……」
「であれば、それが答えじゃの」
……本気で焦った。
もしセドナが魔族になっていたとしても、俺はまだ魔族という物を知らないから彼女に対する態度が変わるという事は無いだろう。
それでも不都合な事が出て来ればどうなるかはわからない。
人間とは、自分と違う物を排除したがる生き物だ。当然それは差別だが、人類の生存戦略としては完全に否定出来る物でもない。
疫病への対策、社会性や秩序の確保、差別とは見方を変えればメリットすらも出て来てしまうような、危うい概念だ。
「善悪を抜きにしたら、ただ魔族だからってだけで戦わなければならないなんてのは、正直お断りですね」
「ほほ、わしも同感じゃな」
さて、本筋に話を戻そう。
「【氷魔法】とは、我々が言う魔法とは違うとトレーシーに聞いたんですが、魔物とは関係があったりするんですか?」
「確かに氷魔法とは、人類が体系化している魔法の枠外にある魔法の内の一つじゃな。わしらの言う魔法とは、四種のマナにオドを干渉させる物であるからの」
「氷のマナと言うのは無いんですね」
「この話になると今度は宗教の話をせねばいかんの。おぬしはヴァンとは話をした事があると言っていたが、奴は神官長と呼ばれておったろう?」
確かに、そう呼ばれていた。王宮内における肩書というだけでは無いのだろうな。
「この世界にはいくつか宗教があるが、一番多くの信者を抱えるのが女神教じゃ。魔法の詠唱呪文にもその影響が表れておるのは気付いておるかの?」
「もしかして、マナの女神とかって奴ですか?」
「そうじゃ。火の女神ウェスタ、水の女神エゲリア、地の女神テルス、風の女神ウェンティ。そしてこの四属性を統べるのが光の女神、マナ。そして闇の女神、オド。これらを信仰するのが女神教じゃ」
夢に出てきた彼女達は、きっとそれなのだろうな。色的にもなんか合ってたし。
「マナの女神様は綺麗な金髪で、オドの女神様も綺麗な黒髪で。どちらも美人さんでしたねぇ」
「……おぬし、何を言っておるんじゃ?」
「あ、いや。以前に昏倒した時、二回程夢に出てきましてね」
イザークが滅茶苦茶、怪訝な顔をしている。あれ、なんか拙かったかな……。
「女神なんておる訳なかろうが。あくまでもマナを理解しやすくする為の概念であって、本当にいる訳ではないぞ。女神教徒、特に神官共の前でそんな事を言ったらどうなるかわからんぞ。わしも聞かなかった事にしよう」
ヒエッ、偶像崇拝が禁止だったりするのか? どこに行っても宗教は怖いんだな……。
「で、なんだっけかの。そうじゃ、マナじゃ。氷のマナと言う物は存在しないと言われている。何故なら、氷とは水が変化した物だからじゃ」
しかし、なんか宗教って言う割にその辺は科学が入ってるんだよなぁ。
「そして魔法で引き算は出来ないから、水の加熱は出来ても冷却は出来ないんでしたっけ?」
「そうじゃ。全ては組み合わせであるが故に、要素を抜く事は出来ないのじゃ。以前見せた火炎槍があったろう? あれも炎の詠唱だけを行なっていたが、厳密に言うと風と地の要素が混ざっておる。炎を纏わせる核となる岩、そしてそれを撃ち出す風じゃな」
「以前、セドナが炎爪を湖面に向けて放った事があったんです。結果、水面が爆発したんですが」
「それを魔法で再現するなら火と水じゃな。それぞれの割合が分かれば、同様の効果を生めるじゃろうて」
つまり、あれはやはり水蒸気爆発って事でいいんだろう。
こりゃ思いっきり科学だな。聞けば聞く程、魔法が使いたくなってくる。
「では、その理から外れた氷魔法ってのは何なんです? 本人に聞いても、出来るからってだけで仕組みは分かってないみたいで」
「まぁ……そもそも、動物や魔物と意思疎通が出来ると言う所からおかしいのじゃがな……」
「それはそうなんですけど」
「そして、わしは四属性の事しかわからんっ!! 四法四属なのでな、それ以外は専門外じゃ!!」
おいこら、開き直りやがったなジジイ。
まぁわからない事はわからないんだから仕方が無いだろう。ルビアがもし母親と同じ様に氷魔法を使えるのなら、そうなった時に改めて聞いてみるとするか。
「仮に、他人に氷魔法を見られたらどうなりますかね?」
「魔法を知らん人間からしたら、そういう物だと思うだけじゃろうな。知っている人間からしたら、度肝を抜かれるかもしれん」
「それだけで終わります?」
「終わらん奴もおるじゃろうな。珍しい故にその価値を理解出来るのなら、何を考えるか分からん」
それなら、俺のオドの効果と同じ程度には雑に扱えないな……。
信頼出来る人間とだけ組むようにするしか無いか。
「ありがとうございました、勉強になりました。そのお礼と言っては何なんですけど、片軸受けリールの改良法が思い付きまして。多分これで長距離を投げられるようになるのでは、と……」
「なんじゃと!? 確かにあれだと投げるのが難しくて困っておったんじゃよ!! 早くアルフレッドに作ってもらうんじゃ!!」
なんでこっちの話題の方が食い付きがいいんだよ。
この姿を見たらトレーシーが泣くぞ、彼女はイザークに対して強い憧れを持っているみたいだし。
とりあえず店長命令が出たので、俺は早上がりしてアルフレッドの所へ行く事となった。話をした改良方法を今すぐ形にして欲しいという事であった。
俺はその通りにアルフレッドの店へ行き、片軸受けリールのリールフットに回転機構を付けて貰う事になった。
改造自体は彼の手持ちパーツを組み合わせたので意外とすぐ終わった。
改造したのは納品予定の物だったので、それと俺が使っているリールを交換してテストをする事になった。渡すリールからそのまま糸を巻き変えたので、すぐに使えそうだ。
今日の午後の予定は、そのテストになるかな?




