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12話 勇者と老人と釣り

 翌朝。

 またセドナは俺の毛布に潜り込んで寝ていた。日に日にこちらへの接触度合いが酷くなってきており、今日は腕を絡めるだけでなく足も俺の腰に絡めてきていた。

 左頬には彼女の吐息がかかり、大きな猫耳がぴくぴくと動いていて可愛い。髪からもふわりと良い匂いがしてくる。

 ただ、それは性的興奮を覚えるようなアレというよりは、猫吸いした時のあの芳ばしさに近い物ではあるのだが……。

 まぁ、こうして懐いてくれるのは素直に嬉しいよ。ネコチャン。


「セドナ、おはよう」


「にゃ〜……、ハッ。起きたにゃ! マサユキ様、おはようにゃ!!」


 セドナには昨夜の内に今日の予定の話をしたのだが、そうしたら俺に付いていくと言っていた。何時にも増して寝起きがしっかりしてるのも、うん。あれだな。


 魚が狙いなんだろうな。






 ちゃちゃっと朝食を済ませ、まだ暗い内からイザークの店へと向かう。

 今日は自前のタックルを持って来てはいないから、期待してるセドナには申し訳ないがボウズになる可能性もあるだろう。


 店に着いた俺達は、ドアをノックしてから中に入った。


「イザークさん、おはようございます」


「おお、おはよう。今日はセドナちゃんも来たのじゃな」


「おじーちゃん、きたにゃ!」


「おお、そうかそうか。嬉しいのぅ」


 なんだこの、田舎の実家に孫が来た感は。俺はまだ独身なんだが。


「そうじゃ。先に竿を渡さねばな」


 やったー、待ってました!

 新しいタックルはどんなものでも最高にワクワクが詰まってる。それが自分で考えた物なら尚更だし、更に言えば使った事がない物だから、ワクワク度は通常の三倍だ!


「まだ糸は巻いてないから、ここで巻くとするかの。これもこの間手に入れたアラベンの糸じゃ」


 木の棒に巻き付けられたそれは、想像していた物よりちゃんと一本の糸になっていた。太さは二号程、まるでモノフィラメントラインのように均一で透明感がある。

 触ってみると、以前感じたベタつき感は無くなっていた。何か専用の処理法があったりするのだろうか。

 強度確認の為に少し引っ張ってみるが、ほんの少し伸びるのを感じた。まるでナイロンラインだ。この糸から作られる服もあるのかもしれない。


「これが魔物から取れるって不思議ですね……」


「ふむ。わしはもうそういう物と思ってしまっておるが、マサユキからしたらそうなのだろうな」


 とりあえずリールシートの金具の固定を外し、ハンドルが左側に来るように付け直す。


「これはその向きで付けるのが正しいのかの?」


「いえ、これは単に自分が左手で巻く事に慣れてるからですね。自分は利き手で竿を持った方が動かしやすいのでこれで行きますけど、イザークさんはどちらも試して自分が合うと思った方でやったら良いと思います」


 その言葉で、イザークはくるくるとハンドルを回して試し始めた。右巻き、左巻きと試し、結果として彼も左巻きにするようだ。


「それでは糸を巻きましょうか」


 こういった片軸受けリールは、シンプル故にセッティングの自由度が高い。スプールの上側から糸を出すか、下側から糸を出すかでも使い勝手が変わってくる。

 自分は現代リールの巻き方向に慣れてしまっているから、糸はスプールの下部から出す事にした。

 これを逆にすると竿に対して平行に糸が出るのでコントロールがしやすくなるのだが、ハンドルの巻き方向が通常とは逆回転になるのだ。


 手元のガイドに糸を通してから、スプールに糸の端を数回巻き付け、ユニノットで縛り付ける。こうする事で、糸がスプール内で滑ってしまう事故が防げるのだ。

 その際にはスプールの付け根で、回転方向に対して糸の本線が反対に折れる向きで結ぶのが鉄則となる。これを間違えると、糸が空回りしてしまう。

 まぁナイロンと似たような特性なら、そこまで気にしなくても良いのかも知れないけど。


 イザークにもやり方を教えながら、俺は糸をリールに巻き始めた。糸を摘んで少しテンションを掛けながら、スプールの左右に均等になるように巻いていく。

 片軸受けリールは横幅が狭いのでこれもあまり気にしなくてもいいのかもしれないが、トラブルの芽を摘む事にもなるだろうと考えてやってみた。


「セドナも釣り、やってみる?」


「わたしはいいですにゃ。横で見てるにゃ」


 そっか、食べる方専門かぁ……。

 まぁ我々が楽しそうにやっていれば、彼女も興味を惹かれるかもしれない。別にやらなくてもいいんだけど、楽しい事は共有したくなるのが人情だし。


 リールに糸を巻き終わったので、後は今日使う仕掛けを考えなければいけない。

 アラベンの糸はモノフィラメントラインのようなものなので、リーダーは要らないだろう。これに直接オモリと釣り針を結び付けたら、延べ竿では狙い難いボトムの魚を直撃出来る。

 こういう時にブラクリがあるとお手軽でいいんだろうな。今度作ってみるのもアリだな。


 とりあえず今日の所は、針の上に柔らかい金属で出来たオモリをセットした。カミツブシのような物だ。現代ではこういった物は鉛製が主だが、これは何て言う金属なんだろう。

 イザークも同様の物にしたようだった。


 そうして準備が終わった頃、常連さんがやってきた。今日は一人だけのようだ。


「おや? 今日は可愛いメイドさんが一緒だね。それとマサユキ君じゃないか、今日は釣りをするのかい?」


「はい、イザークさんから誘われまして」


「初めましてですにゃ、セドナと申しますにゃ。あちらのマサユキ様の付き添いですにゃ!」


「セドナさんか、よろしく。私はアーネストと申します」


 物腰の柔らかいその人は、店番の時に何度か見掛けた事がある顔だった。

 身なりがしっかりしており、それだけでそれなりの身分の高さが伺える。後ろに流したロマンスグレーの髪が渋い。


「アーネストよ、今日はちょっとした面白い物が見られるかもしれんぞ」


「それは楽しみですね、何か珍しい魚が回ってくるのですか?」


「そうではない、これじゃよ」


 あ、出た。釣り人の道具自慢。

 ドヤ顔でイザークは自身の竿をアーネストへ渡し、アーネストもそれを興味深げに観察している。


「成る程、これは糸巻きなのですね。回せば巻き取り、手を離せば出て行くのですか。ふむ、この金具で糸を竿に沿わせるのですね……」


 おお、理解が早い。


 実はこのリールを作る前に、何か糸を巻く道具が売ってないか探した事がある。服飾がある程度の水準にあるから、当然それを作る道具も売ってる筈だと考えたからだ。

 だが、見つからなかった。

 正確に言うとあったにはあったのだが、紡績用の道具は風魔法を動力にする物であった。風車というかタービンみたいな構造の部分に魔法で起こした風を流して動力にする、なるほど生活に魔法が根付いている世界らしいなと納得した。


 だが自分には魔法が使えないし、もし使えたとしてもマナの動きを魚に気付かれてしまう。それでは釣り道具として致命的だ。

 この世界の道具は、自分の知っているような発達の仕方をしていないようだ。特に、手動で動かすような物が意外な程に無い。大体が生活魔法を動力として要求したり、体内のオドを何かしらの機構で変換するような物になる。

 この内、後者のような物を「魔道具」と言うらしい。これはオドのコントロールさえ出来れば使う事が出来るというのだが……それもろくに出来ない俺には、もしかしたら一生縁が無いのかも知れない。

 魔力で動かす電動リールみたいな物があれば面白いなと考えた事があったが、実現はしなさそうだ。


「イザーク殿は今日はこの竿を使うのですか?」


「そうじゃな。まぁわしも初めての事なので、マサユキ先生に教えを請いながらになるがの」


「ちょ、なんですかその呼び方は。やめてくださいよ!」


 はは、と三人で笑い合って和やかなムードになった所で、一通りの準備が終わってパーチ港へ向かう事となった。






 港に着いた俺達は、それぞれが自分の準備を始める。太陽はまだ完全に出てはいないが、空はもう明るくなって来ていた。

 ここからが朝マヅメと言われる時間帯だ。


 魚の食い気が上がるタイミングは、ざっくり言うと「朝・夕マヅメ」と「潮が動くタイミング」になる。

 前者は太陽の出入りするタイミングの事になるが、どちらも明るい側が時合となりやすい。つまり朝方なら太陽が出た後だし、夕方なら太陽が沈む寸前だ。

 それとは別に、満潮と干潮が切り替わるタイミングで魚の活性が上がる時がある。これは潮位表を見るとわかりやすいのだが、潮の動きが止まる前後の一時間半くらいに訪れる事がよくあるのだ。

 例えばその日の満潮が十二時だとする。その前後の十一時から一時までは潮が動かないのだが、十時半付近と一時半付近で沈黙していた海が急にざわついたりするのである。

 勿論、そのタイミングで絶対に釣れるという事は無い。満潮と干潮、大潮と小潮、その場所のロケーション、様々な要因が複雑に絡み合ってその場所の特徴が生まれてくる。しかし、どこでも共通してそういう傾向があったりもする。

 潮を読むと言うのも、釣りの面白さを構成する要素のひとつなのだ。


「さて、マサユキよ。どうすればいいんじゃ?」


 実にざっくりした質問だ。まぁこれまで延べ竿でのウキ釣りばかりだっただろうから、仕方の無い事なんだろう。


「この釣り具、つまりリールの付いた竿のメリットのひとつは深場を探れる事です。まずは底を取ってみましょう。ちょっとやってみますね」


 先程準備したオモリと針のみのシンプルな仕掛けに、イザークの持って来た餌を付ける。虫エサなのでイソメやゴカイに似たような物なのだが、なんかまだら模様で小さい角が生えている……。

 とりあえず構造は似たような感じなので、針を口から入れてある程度通したら身体の横から出した。


 それを足元に投入。リールにはブレーキとなるような機構は特に存在しないので、スプールが回り過ぎないように指で触ってスピードを調節しながら暫く落とす。

 十秒程でリールの回転が止まったので、そこで少し弛んだ糸を巻き取ってオモリの重さを竿で感じられる程度に調整。


「こんな感じでひとまずは底を攻めてみましょう。リールが回り過ぎると糸がグチャグチャになってしまうので、そこに気を付けて下さい」


 この釣り方は、以前にオド持ちセバマーを釣った時と実は全く同じだ。ただ、今回は餌釣りなのでそこまで歩き回る必要は無い。

 テクトロで歩くのはルアーを泳がせて誘う為なのだが、餌でやるならそれ自体が魚を寄せてくれるのでわざわざ魚に対して常に演出する必要は無いのだ。

 ただ、たまにチョンチョンと動かして誘いを入れるのは効果的でもある。


「成る程、底に着くと少し軽く感じるの」


「オモリを重くするともっとそれを感じやすくなるんですけど、やりすぎると不自然さを見切られたり、底に引っ掛かったりするので気を付けて下さい。違和感があったら軽く引っ張ってみたらいいと思います」


 しかしこの竿に使われているエルダートレントの枝だが、感覚としてはまるでグラスロッドみたいだ。

 カーボンに比べたら当然重いし張りも少ないのだが、なかなか気持ち良さそうな曲がり方をする。リールさえもうちょっと何とかなれば、ルアーロッドとしても充分使えそうな感覚がある。

 次に目指すのはレベルワインダーとギアだな。


「む、何か引っ掛かったかの」


 イザークがそう呟くので「リールを押さえてゆっくり引いてみて下さい」と言った。


「おお? 引いとるか!?」


 そんな半信半疑な事を言うイザークだったが、竿先がククッと入り込むのが見えた。


「来てますよ! 合わせちゃって、ガンガン巻いて巻いて!!」


 慣れない手つきでリールを巻き始めるイザーク。

 とりあえずボトムで食って来たという事は根魚である可能性が高い。このリールはギア比が一対一という、現代リールからしたら超ローギアードな物だ。根魚が障害物に逃げ込もうとする動きに対応するには、とにかく巻き続けるしかない。本当は糸の強度を考えてのやり取りもしたい所だが、そんな事は初心者には無理なので、タックルを信じて巻くしかないのだ。

 イザークの竿は真ん中あたりまで曲っているが、自分の感覚としては全然タックル負けしているような感じではない。


 そして魚が水面に顔を出した。


「そのまま竿は水平で、リールで巻き上げて下さい!」


 延べ竿でのやりとりだと竿を思いっきり立てて取り込むのだが、この竿でそれをやると折れる可能性がある。

 魚が持ち上がると、竿の曲がりはより強くなった。浮力が無くなって、体重が全て竿に掛かるからだ。


 石積み堤防の縁を魚体が超えて、足元に転がった。


「おおお!!」


 イザークは驚きの声を出した。

 上がってきたのは二十センチ後半はありそうなセバマー、つまりカサゴだった。以前に自分がここで釣り上げた物より赤みが強い。デコボコとした厳つい顔に巨大な口、そしてトゲトゲとしたヒレが実に個性的だ。


「やりましたね、いいサイズですよこれ」


「やったぞい!!」


 俺達はテンションが上がって、ついハイタッチ。俺もイザークも、お互いの年齢差なんてすっかり忘れて喜んでしまった。


 そんな俺達の歓声に気付いたのか、少し離れた所にいたアーネストとセドナがこちらへ歩いてきた。

 セドナ、お前そんなとこにいたのか。


「おさかなにゃ!!!!」


「おお、これはいいセバマーですね!!」


 一際素早く駆け寄ってきたセドナを取り押さえる。釣り場にいる野良猫かお前は。

 しかしこんな近場でこのサイズが出るんだな。


 俺の恩人でもある釣り好きの老人は、これまで見た事がないような笑顔でセバマーを手にしていた。

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