不思議なこだわり
思い出話から始めましょう。
私が小学校低学年くらいだった時。
家族でテレビのバラエティ番組を見ていました。
芸能人の皆さんが家族対抗で何か(歌とかゲームとか)をやって競い合う、という、まあ昭和の頃によくあったタイプのバラエティ番組だったという記憶があります。
その時、とある男性タレントさんのご家族(奥さん)が、ゲーム開始前の軽いトークで司会者に、
『ウチのお父さん(そのタレントさん)には妙な癖があって困っている』
的な話をしました。
「夏に麦茶を作るんですけど、何故か大きな鍋で作れって言うんです。鍋で作って、こうして(と彼女は、小さめのマグカップ様のもので掬うジェスチャーをする)、麦茶用の冷水筒にわけろって」
「いやいやいや」
タレントさんは話へ割って入ります。
「あのね。おーきなお鍋で作った麦茶を、こうして(カップで掬うジェスチャー)すこーしずつ入れる、それがイイんじゃない。ウチの母はずっとそうやって作ってくれて……」
そのタレントさんはコメディアン寄りの仕事をしている人ですから、そんな仕草や口調にも愛嬌があり、場にはなんとなく笑いが広がります。
「でもね、結構大変なんですよ」
彼の奥さんはもごもご言います。
「大きめのやかんで麦茶作ってもいいかって聞くんですけど、ダメだって」
「やかんじゃダメなんですよ、大鍋で作って、こうやって(カップで掬うジェスチャー)入れてゆくのがイイんであって……」
「あー、でも。別に、やかんで麦茶を作っても味は一緒ですよね?」
司会者のツッコミに、彼は一瞬、詰まります。が、
「味は、まあ、ね。でもね、こうやって(と、繰り返されるジェスチャー)掬って入れてゆくのがイイ……」
大鍋で作った麦茶をカップで掬ってわけることに、しつこく真面目にこだわり続ける彼の姿がおかしく、場には『しょうがない人だなア』的な笑いが広がりました。
変な人やなア、と、幼心に私は思いました。
司会者のおじさんが言っていたように(また、彼自身が認めているように)やかんで作ろうが鍋で作ろうが、麦茶の味は変わらないでしょう。
そこまで『大鍋で作った麦茶を、小さいカップで冷水筒へチマチマわける』にこだわるんなら自分で作ればいいのに、とも、チラッと思いました。
芸能人の彼が仕事で忙しく、家にあまりいないだろうことは、当時の幼い私でも察せました。彼が麦茶を飲む機会は、彼の妻子よりきっと少ないでしょう。
その少ない機会の為に、彼の奥さんが余計な手間暇をかけなくてはならないなんて、理不尽だなァと思ったのです。
彼の奥さんは『麦茶を作らない』とは言ってません。
余計だとしか思えない手間暇を省き、やかんで麦茶を作ってもいいんじゃないかと提案しているんです。
でも彼の答えは『ダメ』一択。
もし将来結婚した時、旦那さんがこういう人だったら嫌だなア、と、幼心にも思ったものです(笑)。
(だからしつこく覚えているのでしょう)
他人からは『?』だけど、当人にとってはゆるがせにできない、そういう不思議なこだわりって、誰でも大なり小なり、あるとは思います。
こだわりというほどではないけれど、たとえば朝起きたらまず熱いお茶を一杯、飲まないと落ち着かない、とか、出勤途中の決まった自販機で、気に入りの缶コーヒーをつい買ってしまう(買わないと忘れ物をしたような気分になる)とか、その程度の習慣もしくは癖は、誰でもあるものではないでしょうか?
実は、私のエッセイで数回登場しているウチの父は、そういうこだわりが妙に多い人なのです。
たとえば。
お風呂に入ったら何故か、まず体を洗い、しかる後に頭を洗うべし、とか。
先に頭を洗うとか、大袈裟じゃなく言語道断。
幼児期に一度、彼とお風呂に入っていた時、私が先に頭を洗おうとすると
「あああ、こら。先に身体を洗うんじゃ!」
と、不機嫌そうに強く注意されました。
何故そうしなくてはならないか理由は不明でしたが、こめかみに青筋が立ちそうな不機嫌さで親からそう言われれば、幼児の子供に抗うすべはありません。
(えー? 別にどっちが先でもエエんとちゃう?)
むしろ頭から先に洗って身体を洗った方が、抜け毛とかシャンプーの後の泡の残りとか、一緒に洗い流せない?
そんなことをぼんやり思い、頭の中にクエッションマークを浮かべつつ、私は黙って身体から洗いました(笑)。
たとえば。
自転車を乗り降りする場合、必ず、進行方向といいますかハンドルを握った状態で、サドルの右側に立たなければならない、というルールもあります。
彼は右利きで私も右利きですから、通常軸足は左。
合理的……といいますか、普通は左側から乗り降りする方がいいように思いますし、スタンドのロックレバーも通常左側についてます。
だから駐輪時にロックレバーをかける時も、その方が絶対にスムーズです。
でも彼は必ず右側に降り、スタンドを立てるとおもむろに左側へ歩いて回り、満を持して(笑)ロックレバーをかけます。
大袈裟に言うのなら儀式めいているほど厳かに丁寧に、スタンドにロックレバーをかけます。
……いやまあ、その。
彼が自分だけでやっている分には何も言うことありませんが、私へも彼は、目顔とジェスチャーで『そうしろ』と命じます。
ある程度自転車に乗れるまで、彼がコーチ?を務めていたので、ここも逆らうのは難しかったですね(笑)。
私も中高生以上になってからは、いちいち親の目を気にすることなく勝手に自転車の乗り降りをするようになりましたので(アタリマエ)、そこまで丁寧にしませんが。
最初に『右から乗り降り』の癖をつけさせられたので、乗る方はともかく、今でも八対二から七対三くらいの割合でついつい、右側に降りてしまいます。
いちいち反対側にまわってロックレバーをかけるのは、地味にイラッとするといいますか、ストレスですヨ。
最近、私の自転車はスタンドを立てると自動でロックレバーがかかるタイプのスタンドになったので、お蔭でずいぶんストレスが減りました。
閑話休題。
まあ、自転車のロックレバーの件は、私がサッサと『右へ降りる』癖を直せばいいだけの話ですしね。
このような、他人にはよくわからないけれど本人的にはゆるがせにできない(らしい)、こだわりというかマイルール。
自分だけはそうするけど他人には強要しないタイプの人も多いでしょうが、他人(特に、家族や部下など自分の支配?が及ぶ他人)にも同じルールを強要する人もいます。
それが、理にかなっていればまだ、強要されてもさほどストレスにならないでしょうが、不合理だったり理不尽だったりすると、強要された方はストレスをためる結果になりがち。
でも強要する人は、それが相手にストレスを与えているとは(少なくとも深刻には)感じていない、気がします。
大袈裟に言うのなら、彼ないし彼女の『マイルール』は世界の常識・宇宙の摂理。
疑問を持つことすら愚かしい、決まり切ったこと。
それを、愚かな小さき者たち(つまり家族や部下のこと)へ、教えてやってるんだ有り難く思え、くらいの勢いだと、父の立ち居振る舞いから私は感じていました。
ウチの父の人となりを簡単に言うと、『腹黒くはないけど、悪童』な少年がそのまま大人になった……、という感じでしょうか?
ちょっと我が儘で、誰に対しても偉そうな態度がデフォルト、だけど、たとえば弱い者イジメのようなことは基本しない潔癖なところもある少年が、そのままおっちゃんになった感じの人。
根は真っ直ぐですが世故に暗いというか疎いというか、そういう人でもあります。
強いて言うなら、夏目漱石の『坊っちゃん』の主人公から、インテリ部分を大さじ二杯ほど引き、ワイルドさと柄の悪さを各大さじ一杯ほど足した感じ……かもしれません(笑)。
私も大人になってからは、適当に言い返したりはぐらかしたり出来るようになりましたが、機嫌の上下が激しく(機嫌のいい時はすごくいい人だったりする)、不機嫌になると強烈に圧をかけてくる父に、幼少期は逆らうのが難しかったものです。
彼が不機嫌そうだと察すると、私は部屋の隅で小さくなっていました。
だって、本格的に機嫌が悪いと、その場に存在しているだけでイチャモンをつけるように怒鳴りつけられたりもしましたからねえ。
(大袈裟ではありません。マジです。部屋の片隅で静かに本を読んでいたら『本ばっか読んでんと、勉強か、かーちゃんの手伝いせえ!』と、いきなり怒鳴られましたっけ。勉強は済ませてましたし、かーちゃんを手伝えと言われても別に手伝うこと何もなかったんです。ま、ただの八つ当たりってヤツですね~)
子供の頃は特に、彼には逆らわないよう気を付けていました。
(……おとーちゃんって。悪いヒトやないけど、付き合い辛いヒトやなァ)
と、幼女(笑 ふてぶてしいおばちゃんも、昔はいたいけな幼女でした)の頃から私は思っていました。
このヒト、ナンデこんなヒトなんやろう?と、答えが見つからないままグルグル考えていましたっけ。
そんな彼は幼少期、色々と寂しい思い(幼児期に母親と死に別れ、戦争で徴兵されていた父親とも、戦後までほぼ会わずに育った)をしてきた過去があります。
そこを不憫に思った母方の祖父母に、なんとなく甘やかされ気味に育てられた経緯もあるようです。
そのまま祖父母宅で育てられていれば、ひょっとするとまだ良かったのかもしれません。
が、戦後、地元へ帰ってきた彼の父親(つまり私の祖父)が後添えさんを迎えた家へ戻らされ、以来、彼の心はぐしゃぐしゃになったようです。
今までの『アタリマエ』の日常が突然足元から崩れ去り、自分の意思は完全に無視され(実際、彼の思い出話を聞いたら、家へ帰される日、彼は泣きながら、嫌やオレはじーさんの家におると訴えたそうですが、その当のじーさんが無理矢理、彼を家へ帰したのだそうです。親が戦地から帰ってきたのだから、子は親元に帰すのが筋と判断したのでしょう)て、ほぼほぼ余所の人としか思えない父親と継母と、否応なく一緒に暮らさなくてはならなかった少年の父。
きっと、言葉にできない悲しみや理不尽、怒りを噛みしめていたことでしょう。
彼が異様に『マイルール』を設定してこだわり、他人にも強要する傾向があるのは。
ひょっとすると、『アタリマエ』……日常生活の恒常性みたいなものを保持したい無意識の願い、感傷的に表現するなら『祈り』なのかもしれません。
もっともこの辺の機微、私が大人に、そして母親になってかなり時間が経ってから、ようやく察することが出来た部分です。
彼と暮らしていた子供時代の私に、わかる訳などありません。
それに、仮にわかった(そんなガキいる訳ないが)としても、彼のこだわり・マイルールに無理矢理付き合わされるのはやはり、ストレスだったでしょうね。
冒頭のエピソードの、大鍋で麦茶を作ることに異様にこだわる彼にもそんな感じの理由が、本人は自覚していないでしょうけどあるのかもしれません。
『母がそうして作ってくれた』という内容を語っていましたから、ひょっとするとそれは、早くに亡くなった(かどうかは不明ながら)彼のお母さんの思い出として強く残っている、のかもしれませんね。
自分で作れや、と、はっきり言って私は今でも思いますが(笑)、おそらく彼としては
『母親のように、近しい身内の女性(この場合は妻)に作ってもらう』
が、ゆるがせにできないこだわりのひとつなのでしょう。
……奥さんにとっては迷惑な話です。
他人としては、彼が、麦茶のこだわり以外は理不尽を強要しない夫であったことを祈るばかりです。
……うーん。
でもきっと、無理だろうなア。
こういうヒトってウチの父と同様、他人には訳わからんこだわりを、もっと他にも色々持っていそう。
奥さんがあきらめ気味に聖母になって、彼の『不思議なこだわり』を尊重する形で、あやしてあげていたような気が、なんとなく私はします。