025 失態
抜け駆け禁止の約束を結んだ、昨日の朝。もう、二度と同じ過ちは犯さない。自己の気持ちを優先するがあまり、上手く回っていた歯車を粉々にしてしまった反省を活かさなければならない。
彩は、今日も今日とて輝いていた。舞台のセンターに陣取って、座席でサイリウムライトを振るファンに応えている。闇深い印象さえ取っ払ってあげれば、彼女はたちまちみんなのアイドルに昇華するのだ。愛おしい姿を他の人に見られるのは妬ましくあるのだが、彩は所有物でないとぶった切ったのは陽介。甘んじて売れていくのを眺めるしかない。
沸騰しかかっていた頭は、一日経つと元に戻っていた。軽々しい出来事なら、水に流して何事も無かったように隠蔽できるのだ。
そう思うと、彼女の認識を歪ませた中学の輩は許容できない。小さな不純物は素通りさせるフィルターを通過できなかった悪意が蓄積し、心にポッカリ穴をあけてしまった。
……今日は、ほどほどにしておこうかな……。
地球の地殻変動は、長期間にわたって起こったものだ。一年で大陸が合体でもしようものなら、内部から地球は崩壊してしまう。大きな変化は、ゆっくりと進行していく。
近所に住んでいる昔からの大親友は、激動の時代に晒されている。生ぬるい気温で保たれていた殻が破れ、新しい風が入り込んでくる。今までにない組み合わせで化学反応を起こし、不安定な状態で存在する物質も次々と出来ていく。
ここでエネルギーを注入すると、中心核が壊れてしまう。彼女自体が、空気と溶けて消滅する。
「昨日はごめんな、彩。色々と、押しつけちゃって」
「……問題……、ないよ……」
大地の裂け目で立ち往生した少女は、陽介の肩をパンパンと軽くたたいた。何事もないスキンシップだが、自然な反応が見られて満足だ。泥沼にはまっていると、いつも会話をせかそうとしてくる。
本来なら教壇に立ってホワイトボードマーカーを投げつけている頃合い。家に入ってから、既に十分以上も経過している。
……サプライズか……、それともドッキリか……?
陽介は、居間に抑留されていた。鎌とトンカチを持たされて、森林の伐採に駆り出されるのではないかと肝を冷やしている。隠されたクラッカーを探しているのだが、一向に見つからない。
誕生日は、彩が順調に軌道へ乗った頃にやってくる。誕生日ケーキを彼女と笑顔で口に運べるかどうかは、トラウマの克服にかかっている。
「……なんで、部屋に入れさせてくれないんだ? もしかして、出禁……」
「……そうする……?」
「やっぱりやめとく」
日本語警察の目の前で、失言は致命傷。揚げ足を取られて、嘘から出た実になる。借金の額を言えば、自動的に債務が発生するのと同じだ。
勉強グッズは、カバンの中に入っている。彩を手伝ったはずの授業内容は、世に出ることなく終わりそうだ。ノートを使い終わったら、灰にして墓を建ててやりたい。
今日は、何かの記念日だっただろうか。彩が間違って陽介との婚姻届けを出してしまっていたのなら、むしろ喜ばしい日である。
……何も言ってくれないなぁ……。
彩は、自らの部屋と居間とを往復している。体力テストの音源が悪夢となって離れない、二十メートルシャトルランの短縮版だ。段差がある分、久慈家ランの方が難易度は高そうだ。
運び出された荷物は、何かを操るコントローラー。部屋に引きこもっていても時は止まっていないようで、かなり最近に発売されたものである。チップを埋め込まれて言いなりになるのはやっていない。
彼女が物音を立てて作業をしている合間にでも、これからの展望を切り抜いてみよう。
……トラウマを、抜かないといけないんだよな……。
外の空気に当たって、寒くも無いのに震えが止まらなくなる彩。全身を屋外に放り出して、内部組織は持つのだろうか。生理学的な思考では馬鹿馬鹿しいと切り捨てられるが、積み重なって来た精神の塔が崩落してもおかしくはない。
嫌がっていようがそうで無かろうが、二週間足らずで復帰させようなどおこがましい。大言壮語も良い所だ。アレルギーを気合で治せとほざく、無知な厄介者と同じレベルである。
高校まで連れていくのか、言い聞かせて説得するのか……。何をするにしても、リスクの割に成果が低い。慕ってくれている少女の精神と退学阻止を天秤にかけて、どちらが沈むのかは明白だ。
岩に巻き付けられている命綱で、彩はぶら下がっている。維持していれば落下死しないが、飢えと寒さでその内息絶えてしまう。
陽介の手には、ナイフが一本。谷底は目視で確認できず、クッションが敷かれているのか岩肌なのかは分からない。
陽介がしようとしているのは、命綱をナイフで切断する行為。成功するかは時の運任せで、失敗すれば大きな十字架に押しつぶされて生きていくことになる。
……どうしたら……。
魔法の呪文は、なぜこの世に存在しないのだろう。魔法一つで攻撃や防御が出来て、どんな場所へでもひとっ飛び。無機質で絶望しか与えない現実科学など、流れ星と一緒に大気で燃え尽きてしまえばいい。
「……サボらない……!」
「勝手に準備し始めたのはどこの誰だよ……。何するかも知らされてないのに……」
階段を駆け下りてきた彩は、ゲームのパッケージを手にしていた。ゲーム機が一階に設置してあってソフトを自部屋に収納している意図は測りかねる。
陽介が彼女を手伝う隙など無かった。居間に抑留されてから彩は上下運動してばかりで、何を話しかけても『ちょっと待ってて』としか返答してくれなかった。この状況で、サボり認定されるのは不満だ。
「……これ……、やろう……?」
罠のエサとしてゲームをぶら下げ、首を傾げている。時々視線を逸らすのは、日常のルーティンを逸脱した心残りに目をやっているのだろう。
言うまでもなく、彼女は生真面目である。悪戯心を増幅させて足を引っ掛けようとしてくるが、基本路線は自らの世界の没頭するオタクスタイルなのだ。深夜に布団をかぶってアニメに夢中になる陽介と遜色ない。
放課後の追加講習は、必須授業ではない。教師役もボランティアなら、生徒も自主的に参加している。唯一の教え子である彼女が拒否するのなら、陽介は断れない。
……彩だって、ゲームをやりたくなる時もあるよな……。
スケジュールを機械的に詰められた人造人間と同等にしてはいけない。褒められれば笑顔の宝石が零れ、ゴキブリを頭に引っ提げて絶望するライク妹だ。
「……勉強……、しなきゃだめ……?」
「俺が強制することじゃないだろ? 息抜きするなら、思いっきり遊べばいいんだよ」
筋肉が緊張ばかりしていては、力を抜いても緩まなくなってしまう。ガチガチの状態でバットを振ろうにも、フォームが崩れて上手くいかない。ホームランはおろか、ヒットも難しくなる。
ダメ出しを覚悟して受け気味だった彩は、真っ白の歯を見せた。外出は叶わなくとも、身の回りの事は自身で完結させている。自立して寮に移っても、私生活が怠惰まみれになることはないだろう。
プラグがゲーム機に繋がれ、自動的にテレビの電源が付いた。丸いアイコンが回転しているのは、起動中のサインだ。
パッケージにでかでかと書かれていた、『格闘ゲームの決定版』の文字。主張が激しいのはなによりだが、肝心のゲーム画面が描かれていない。イチオシポイントを示さないのは、企業努力が足りていない。
家の事情と照らし合わせて、ある容疑者が浮上してきた。
……シューティングゲームじゃないのか、これ……?
銃器類は、彩の望むところである。火薬の爆発音に頭を丸める陽介を傍目に、飛ぶ鳥の大群を撃ち落してしまう素質のある人物だ。実弾を使うサバイバルゲームを選ばなかっただけでもありがたい。
時計の短針は、『4』を少し回ったところ。日が暮れるタイムリミットまで、猶予は残されている。二週間の留年期限よりも長く感じる。
「……彩、これシューティングゲームなんじゃないか? ハンデ、くれたっていいんだぞ?」
「……違う……、ジャンルは……」
歯切れの悪い返答だ。口数の少ない割に主張の激しい彼女としては、珍しいものである。
狩猟をするには、まだ年齢が達していない。当然免許もなく、女猟師として独り立ちできる水準には達していないであろう。報奨金で生計を立てていくには、まだ時が満ちていないのだ。
それでも、猟銃を手にしたことは有る彩。実弾の一度や二度、融通してもらっていたとしても矛盾は生じない。
……ゲームで鍛えてるのを隠したい、とか……?
腕前を人に見せびらかすのは、中級者の思考。卓越した技術を手に入れたベテランは、沼地に体を隠す。彩の場合、実物を所かまわずぶちかますと御用になるのだから当然だ。
成人するまで、残りはあまり多くない。来たる日を待ち望み、黙々と励んでいる……のかもしれない。陽介を誘ってまで彼女がしたいゲームが、そんな物騒なリアル射撃ゲームだとは思いたくないが。
ロードが終わり、ゲーム機のホーム画面が映し出された。中央部にでかでかと表示されたものが、現在差し込まれているゲームである。イラストは全体的に顔面が下方に位置し、いわゆる『萌えキャラ』だ。
常日頃、陽介は揚げ足を取られ続けていた。その看板とも言えたのが、深夜アニメの視聴である。
『……アニメ……、……興味ない……』
『わざわざ言わなくてもいいだろ……』
事あるごとに、アニメ中毒を突かれた。全身がスポンジ状になってもなお、槍で貫かれたのだ。
かねてからの鬱憤と憤怒を投げ返す時が、とうとうネギをしょってやってきた。雷を落とすついでに、鴨鍋の具材にしてしまおうか。
彩が十字キーの右を押し、自身の致命的なポイントを秘匿しようとした。が、しかし、
『……アナスタシア!』
タイトルが、今はやりの声優たちに読み上げられた。男なら十中八九虜になる、甘くとろける萌え声であった。彩の冷淡な門前払いが恋しくなる陽介は末期症状である。
焦りはパニックと混ざり、ミスを呼び込む。十字キーを上下に動かさなければいけないところを、彼女は誤操作をしてしまったのだ。ゲーム大会の敗退を決定づける、大戦犯となってもおかしくないプレイングだ。
「……今のは、何かな? 散々俺のアニメを酷評してきたのは、何処の誰だったかな……?」
「……他の人が……、やってた……」
早鐘を打つ鼓動に乗った血流は、高速で組織を温めていく。彩が意図的に演じようとした氷は、既に溶け切っていた。乱雑にボタン入力をしているせいで、画面が荒ぶっている。同じ無意味な画面なら、グレーで画面酔いしない砂嵐の方が優秀だ。
「……他の人って、ゲームは彩一人だけだろ……? 『陽介以外は入れてない!』って、いつか叫んでたよな……」
気兼ねなく、二トントラックを積み上げていく。重荷で押しつぶされるのなら、それまでの人材だったということだ。口喧嘩で一個年上に勝とうなど、一年早い。
……中学のアレが無かったら、こんな会話が毎日できてただろうなぁ……。
陽介の想像でしかないが、彩は深い靄の中に立っている。地図だけを渡されて、コンパスを持たないまま辺りを彷徨っている。
何時間歩いても、建物一つぶつからない。方角が合っているかも分からない。己の選択を信じて、進んでいくしかない。
時間制限は、あと一週間と少し。ゴールに辿り着かなければ、一生靄の中。奇跡的にたどり着いたとしても、今度は険しい山道を登って行かなくてはならなくなる。
彼女は、妥協を選ばなかった。持参のテントで細々と暮らす道を振り切り、ほうほうのていで陽介の元に転がり込んできたのだ。独りぼっちで再出発する体力を、全て使い果たして。
独力でゴールに駆け込む必要はない。バトンを繋いで、アンカーとなった陽介が彼女をゴールへと導けば良いのだ。
証拠を押さえられ、もう逃げ道が無い事を悟ったのだろう。彩はコントローラーを地に置き、両手を万歳して投降した。
「……アニメ……、こっそり……。……面白かったから……」
やはり、主語と述語が降り積もった沈黙に埋まっている。手持ち辞書を開いて探そうにも、文字に表れていない言葉は見つけようがない。解読できるのは、プロフェッショナルの陽介だけである。
深夜アニメの誘惑に打ち勝てる人間は、一日中目隠しを付けて生活しているのと同義。無関心を装っていた彩をも飲み込んでいたことで、この仮説の信憑性はかなり増した。アニメオタクが迫害されないその日を願って、陽介は即席麺をすすり続ける。
白状してすっかり憑き物が落ちた気分の彼女だが、まだまだ押し込みが足りない。詰め放題常連から鼻で笑われてしまう。
気を取り直してソフトを入れ替えようとした彩の腕を、搦め取って天井に吊るした。レスリングの勝者のようだが、この場面では敗者である。
「まだ終わってないぞー? どうせなら、このアニメゲームやらないか? きっちり、アニメの良さを叩きこんでやるから、さ」
山の頂上を確保し、殿様気取りで敵陣に突っ込んだ。陣内は、もぬけの殻だった。
彩は、態勢を立て直して策略を巡らせていた。ぼんやりとした光の抜け出せない瞳の鋭さに気付いた時には、もう後の祭りだった。
袋のネズミとなった陽介の軍団に、全方位から彩の軍隊が押し寄せてきた。
「……シューティングゲーム……、本物……、やる?」
何という威力なのだろう。刀や槍など、サブマシンガンと比較すれば塵である。上空からの写真から人が見えないように、強大な武力を前にしては言論など何の価値も持たなくなる。
一族郎党討ち死にを腹に決めた陽介の軍に、降伏勧告の使者がやって来た。切り捨てるのは簡単だが、この地は真っ赤に染まる。一人たりとも、大虐殺からは逃れられない。
「……これ以上深掘りするのはやめとく」
あっけなく、白旗を揚げた。いつの時代も、武力が物を言うのは変わらないようである。
※毎日連載です。内部進行完結済みです。
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